第8話 レオニスの事情
レオニスの抱える動機。それは多分に他人の心に関する物だった。その他人とはレオニスの妻の事である。
彼の妻は大商人の娘として大切に育てられ、貴族の子女にも劣らない、高い教養を身に付けている。それでいて、おしとやかで、落ち着きがあり、常に夫を立てるよう一歩引いて出しゃばらない。そんな女性であった。それは貴族の妻としてであれば何も問題は無く、寧ろ理想と言えたかもしれない。
しかしいくら王都で影響力を持つようになったとはいえ、レオニスは田舎出の庶民である。そんな彼にとって、自己主張を全くせず、文句も何も言わない彼女は、自分に興味がないのだと感じられた。
二人の結婚が只の商売上のもの、或いは政略結婚の類で、レオニスが妻に対して大した興味を持っていなかったのならば、それで何の問題もなかったかもしれない。しかし彼は妻の事を自分の伴侶として愛しており、独占したい、自分だけを見てほしい、認めてほしいなど、それなりの欲もあった。そんな思いが、何時しか彼を暴走させたのだった。
認められたいという一心から、薬を万民にという里の理想を捨て、時に法外の値段で薬を取引し、商売を成功させることだけを追い求めた。
他の男性商人や、貴族と笑顔で語らう妻の様子に嫉妬し、妻と子を連れ、若い男の少ない里へと移住した。しかし里に移ってみれば、周りに居るのは彼よりも格上の薬師ばかり。王都では薬師として強い影響力を誇った彼も、
ここではその他大勢の薬師の一人に過ぎなかった。彼が王都で暮らす間に里の技術が進歩していた事、更にその進んだ技術を継承する優秀な次世代も育っていた事がその原因だった。
「そして里で最も影響力が強く、更には一国とも交渉できるだけの存在であるエインセルさんに、レオニスの嫉妬と対抗心が全て向けられるようになった。加えてエインセルさんは全薬師の頂点にいるといっていい人だ。何時しかエインセルさんに取って代わりたいと思う様になり……後はまぁ、知ってのとおりです」
猫が調べた内容を、一通り語って聞かせた一心。それを聞き終えた面々の反応は、おおよそ一心の時と同じであった。
「よくそれだけ調べられたわね……」
とフレイアが感心し、
「それも驚きだけど、私にはレオニスの動機の方が驚きだわ」
とユズリハの言葉に多少憤慨が混じり、
「猫ちゃんすごいです……」
スグリが感心する。ただ、エインセルの反応だけは他の者達とは少し違った。
「人の心は目には見えん不確かな物じゃ。自分の心ですら真実把握できているか分からんのに、まして他人のともなればな。一度疑心暗鬼に陥ったが最後、あとはその不安が増大し続けたのじゃろうよ」
何処かレオニスを憐れむような、庇うようなそんな言葉だった。その言葉には、エインセルの生きた時間分だけ何かが詰まっている。不思議とそう感じさせる重さがあった。それにとエインセル。
「あ奴は元来生真面目で、融通のきかん男でな。優秀なのじゃが思い込むと真っ直ぐで、多少思い込みの激しいところがあった。里の年寄どもと悪い女に引っかからんければ……などと冗談交じりにつぶやいたりもしたんじゃ……しかし、これは……難しいの」
「難しい……ですか?」
逆に意外と簡単に解決しそうだという思いを抱いていた一心。それだけにその言葉は意外だった。
「猫の話によると、妻の方もレオニスをちゃんと大事にしているようですし、その事を伝えれば……」
「言ったじゃろ。人の心は目には見えない。おそらく疑心暗鬼に囚われている今のレオニスが、果たしてその言葉を信じられるかどうか……」
「リーゼさんの言葉でも?」
「おそらくは無理じゃろう」
フレイアが言ったリーザとは、レオニスの妻の名である。妻を愛するがゆえに歪んだレオニスが、その妻の言葉さえも信じられない。そう語るエインセルに、フレイアも、ユズリハも、そして一心も信じられない思いを抱く。
「裁判所みたいなのは無いんですか?」
「サイバンショ? なんじゃそれは」
日本では、そういった夫婦間の問題がもつれた末に行きつくのは家庭裁判のはず。そんな記憶をたどりながら、裁判所の役割を説明する一心。
「……ユズ分かった?」
「さっぱり。スグリは?」
「私も何の事だかさっぱりです」
三人が三人とも全く理解できないといった表情でエインセルへと目を向ける。
「儂も良く分からんかったが……要するにそれなりの立場にいる者が間に立って、解決させるという事でええんかいの?」
「まぁ、間違ってはいない……と思います」
どうやら裁判の仕組みや役割を教えるには、まず法に関して教える必要があるようで、更には法治国家という概念も教えなければいけない。ちょっと自分には荷が重いと判断し、裁判の事はいったん忘れることにする一心。次に彼が思い起こしたのは、近所の子育てに関する取組だった。
「他には……僕の生まれ場所では、地域で子育てをしようって取り組みがあります。例えば、若い母親に子育てを終えた経験者が、子育てに関してアドバイスをしたり、用事がある時に預かったりみたいな感じで……」
具体的な例をいくつか挙げながら説明する一心。
「なかなか興味深い話じゃな。一応この里でも隣近所で手伝ったりすることはあるが、組織立っての活動や、里を上げての支援などは考えたことも無かったな。基本子育ては親がするものという思い込みがあったからなのじゃが……」
盲点だったとエインセル。子育ては大変で負担が大きい。だから近所や、国が支援し、手助けをする。言われてみれば納得できる話ばかりである。これは使えるかもしれんと、別な機会により詳しく子育て支援について聞くことにするエインセル。今回の件に関して言えば、経験者からのアドバイスとは、夫婦間で揉めた経験のある者の話だろうかと考え、一つの結論を出す。
「レオニスに関してじゃが……儂や何人か、それなりの経験を持ってる者で、リーゼさんに話をしてみようかの」
上手くいくか分からないが、彼女がレオニスに対してちゃんと愛情を持っている事は既に分かっている。話し、相談して、共に対策を練るのも一つの手段ではなかろうかという事になった。他の面々もうなずき、そういった方向で解決を模索することに。それでもエインセルは未だいくつか不安を持っていたが、ここで話していても仕方がないと一心に言われて納得。
エインセルの危惧している通りに何か上手くいかないかもしれないし、案外すんなり解決するかもしれない。そんな事は、実際にやってみないと分からない。やる前から無理だ無理だと言っていても非生産的なだけなのだ。歳を取って色々と考えすぎるようになったかもしれないとちょっぴりショックを受けるエインセルであった。
「あと、助言ってほどでもないんですけど……リーゼさんと同じくらいの年齢で、仲の良い人とか居ると話しやすいかも」
最後に一心が助言をして、第一回対レオニス対策会議は終了した。第二回があるかどうかは分からない……
「それにしても、こんな内面的な話良く知ることが出来たわね。どうやったとか聞いてる?」
「いや、それが誤魔化されたっぽくてさ、教えてくれなかった」
エインセルがさっそく長老部から一、二人と、リーゼと同年代の女性を伴って、彼女の下を訪ねよう動きだし、残った三人で後片付けを始める最中、ふと疑問に思ったフレイアが一心へと尋ねる。その疑問は一心も抱き、猫に尋ねたが教えてもらえなかったものだ。以来一心も何となく気になっていた。
「教えてくれないと、何ていうか、逆に気になるよね?」
「分かる! なんかこう……気になって仕方ないというか……」
意気投合する二人の下に、ユズリハがにやにやしながら歩み寄ってくる。
「他の人が知らないことを、自分が知ってるって何かいいですよね?」
その言い方が、表情が、二人の知りたいことを知っていると如実に言い表していた。
「なに!? ユズ何か知ってるの?」
「知ってるんだったら教えてくれ!!」
「どうしようかな~」
ねだる二人と、焦らすユズリハ。ひとしきりそうやって二人で遊ぶと、ユズリハはネタばらしを始めた。
「昨日師匠の研究室から、今研究中の薬が何種類か無くなってたのよ。一つは幻覚を見せる薬で、もう一つは理性と良心を緩める薬。そして最後が強力な自白剤。でも今朝見てみると普通にあったから私の見間違いかと思ってたんだけど……どうやら違ってたみたいね」
あっけらかんと言ってのけるユズリハ。その様子に友人の天然さを改めて知る事になったフレイアと、いろいろ突っ込みどころ多すぎる発言に度肝を抜かれた一心。
「いや違ったみたいって……薬の管理ってもっと気を使うものじゃないのか? てかエインセルさん何でそんなもん研究してんの!?」
「何でそんな研究してるのかは私も知らないけど、薬の管理はそれなりに気を使ってたんだけどね~」
「いや、現に猫が勝手に持ち出してるから……」
気を付けても持ちだされては駄目じゃないかと一心。しかし……
「すごいよね、猫ちゃん。一流の冒険者が十回位軽く死ぬトラップが仕掛けられていたんだけど……」
「は?」
「さすがは霊的存在だな。しかも持ち出す時と、返す時と二回も侵入するとは」
何故か猫の評価がうなぎ上りに上昇する。
「いや、家にトラップって……危なくないか?」
気にするところが違う気がする一心。
「危ないよ?」
「当たり前だろ?」
「そ、そうだよな……」
自分は何も注意されていなかったんだがと、誤ってトラップに引っ掛かった時の危険性を指摘する。
「ああ、それは大丈夫。隠し扉の奥の、隠し通路の先の、さらにもう一個隠し扉があった先にしかトラップ無いから」
だから安心してとフレイア。ますます突っ込みどころが増えたのだが、段々と聞いたら負けな気がしてきた一心。結局彼は何も聞かず、以降エインセルの部屋には極力近寄らないようになった。