第5話 立ち込める暗雲
「あ、甘い……幸せ……」
「何度食べてもこの甘さには惚れ惚れするな……」
一心が居候することになったエインセル、フレイア祖母娘の暮らす住居。その一室に、とろけるような表情で菓子を頬張るユズリハとフレイアの姿があった。今、彼女達二人の手には、異世界の食べ物、チョコレートがつままれている。
一心がフレイア達と暮らすようになって六日。既に一心のリュックの中に地球産の菓子類は無いが――殆どがユズリハ、フレイア、エインセル、スグリの胃袋へと消えた――その上品な甘さを忘れられなかった四人は、なんとそれを六日にも及ぶ試行錯誤の末、再現してしまった。職業柄舌が敏感で、調合に慣れた薬師が三人、それも内一人は超が付くほどの一流でベテラン――残り二人は卵だが――がいたからこそ成し遂げられた快挙だった。
「どうですか?」
「びっくだです」
「そこは"だ"じゃなくて"り"ですよ。"びっくり"」
「びっ・くり」
そして二人の隣では、その再現度の高さに驚く一心と、その言葉を訂正するスグリの姿があった。
一心はこの六日で、片言ながらこの地の言葉を話せるようになっていた。これはチョコレート再現の副作用で、チョコレートについて詳しく知りたがったユズリハ達が、四人がかりで一心に言葉を仕込んだのだ。それはもう鬼気迫る勢いで。おかげで少しだけだが、一心は意思疎通ができるようになった。
「でも、ちょっと、甘すぎ・る」
「え~これくらいがいいじゃないですか」
「私もそう思います!」
「むしろもう少し甘くても……」
そしてもう一つ副作用があった。それが短期間でフレイア、ユズリハ、スグリと打ち解けられたことだ。食べ物――特に甘いお菓子――の威力は絶大である。完成したチョコレートに関しては意見が分かれたが、そこら辺りは好みの問題だろう。
「次はグミとやらに挑戦しようと思っている!」
「あれも美味しかったもんね~」
「楽しみです!」
そして早くも次の再現に意欲を燃やすフレイアと、その他二人。実際挑戦する時にはその他二人の方がメインになるのだろうが、そのことは指摘しないでおく一心。和やかな談笑が続いた。
「ね、ね、またあれ見せてくださいよ」
一通り菓子の話で盛り上がり、机上のチョコレートが無くなる頃、スグリが一心へと御願い事を始める。
「また~? ずいぶんと気に入ったわね?」
「確かにあれは奇麗だもんな。一心、私も見たいぞ!」
その様子を呆れたように、けれど何処か微笑ましげに見守るユズリハと、自分も見たいと自己主張するフレイア。仕方ないなぁと、苦笑しながらも一心は立ち上がり、与えられた自室へと向かう。そして戻ってきたときには、その手に一本の小刀を握っていた。
「気を、付けてくさいね」
「うん!」
一心の言葉の誤りを注意することなく、小刀を手に取るスグリ。その隣ではフレイアが自分も、自分もとそわそわし始める。これは自分の仕事かと、言葉の訂正をしたのはユズリハだった。
「綺麗ですよね~」
「ああ、見事な細工だ」
彼女たちが今手に取るその小刀は、今は無き祖父の形見だった。
小さな町道場を営んでた祖父の影響で、一心は十の時に剣術を始め、中学入学後は剣道部に所属していた。小刀は、ちょうどその時期に祖父から渡された物だ。代々家に受け継がれてきた物らしい。白木の鞘に白木の柄の美しい小刀で、日本刀と同じ製法で作られた為、刀身にはうっすらと波紋が広がっている。ちなみにスグリがうっとりと眺めるのは鞘に彫られた龍の細工で、フレイアが恍惚と眺めるのは刀身の方だった。
(ん? 何か輝きが増しているような……)
記憶にある刀身よりも、今フレイアが手にする刀身は輝きが強いように感じる一心。何故だろうと首を傾げていたら、すぐにその答えは齎された。フレイアが徐に剣の手入れを始めたのだ。フレイアも一応剣を扱う身。その手捌きは実に手慣れたものだった。
(そういえば最近油さしてなかったけ……)
以前は定期的に油を差し替え、刀身の手入れに気を使っていたのだが、いつの間にか横着するようになってしまっていた。心の中で祖父と小刀に謝りつつ、今度フレイアに道具を借りようと心に決める一心であった。
◇◇◇
その後も一心の新しい日常は過ぎていく。更に六日が経つ頃には、言葉にあまり不自由しなくなった。人間必要に迫られ、本気で学習すれば、案外何とかなるものだ。その間、エインセルとユズリハ、スグリの薬師組はどうやら忙しいらしく、一心の相手は専らフレイアの役目だった。ちなみにこの十二日余り、一心はとある理由からあまり外へは出ていない。
そんなある日、久々にフレイア、ユズリハ、スグリ、一心で集まり、以前の様に卓を囲む。今日のお菓子はミルク多めのミルクチョコレートと、ナッツをチョコで包んだチョコナッツだった。四人で談笑していると、そこへ外出していたエインセルが、何やら険しい表情で戻ってきた。
「婆さま……何か?」
「急患ですか?」
その表情を見たフレイアとユズリハが腰を浮かす。フレイアは里長の孫として、ユズリハは薬師の弟子として、それぞれ何か問題が起きたのではないかと危惧する。
「いや、どうやらレオニスの奴が色々と嗅ぎ回っておるようでな……」
「ああ……」
「それは……」
その言葉だけでピンとくる二人。エインセル同様その表情に険しさが混じる。しかし二人よりも若干幼いスグリと、一心には何のことだかさっぱり分からない。ただ一心は、向けられた視線から、自分に関係する話ではないかと直感する。そしてその直感は正しかった。
「オジムを引き渡せと……奴め、いくら説明しても、聞く耳持たん!」
苦々しげに呟くエインセル。一方一心は、゛罪人゛という言葉をまだ知らなかったが、その言葉の意味を教えられ、ショックを受けていた。自分が盗人と一部の者から呼ばれていることは知っている。けれど゛盗人゛と゛罪人゛では言葉の重みが全く違うように感じられた。しかもどちらもまったくの濡れ衣なのだ。
「無論、儂はお主を奴に渡すつもりは無い」
顔面蒼白になった一心を気遣ってか、エインセルが優しい眼差しで話し掛ける。しかしその表情は直ぐに沈痛なものへと変わった。
「ただの……少々やっかいなことになるやもしれん。さて……何処から話すべきか……」
そう前置きをし、エインセルは今回の事態ついて語り始める。最初に語られたのは、彼女たちが暮らすこの里についてだった。
彼女達が暮らす里は、果実や獣、薬草など様々な恵みをもたらしてくれるオルガ山の麓にある。比較的峻険なオルガ山は登れるルートが限られており、その全ルートの始点に里が出来た。つまり、普通に山に立ち入ろうと思ったら、必ずこの里を通ることになる――だからこそ、里を通らなかった一心が問題になった――。
また、山で採れる貴重な薬材を目当てに、多くの薬師達が集り、ここで様々な薬が生まれた。その殆どがそれまで一般に出回っていた薬よりも効果が高かった為、何時しかここは、薬師の里と呼ばれるようになる。
その後、山で僅かに採取できる夜光花から、秘薬や霊薬とも呼ばれる薬、エリクサーが作られたことを機に、貴重な薬材を守る為、オルガ山をオルガの里――彼女たち自身は、自分たちが暮らすこの里を、オルガの里と呼ぶ――で、管理維持することを周辺の町々、ひいては周辺国家に認めさせた。
現在、この里はどの国家にも属さない、絶対中立の地として周辺国に認知されている。
ただし、決して国や町と対等な関係では無い。対価として毎年決められた量のエリクサーや薬品を、王族だったり議会だったりと、周辺国のトップに渡すことで保たれる氷上の中立であった。しかしそれでもいいとエインセルは述べる。ちゃんと意味のあることだと。
「儂はな、町を越え、国を超えて、全ての人達に等しく薬を分け与えたいのじゃよ」
真っ直ぐに一心の瞳を見つめ、胸を張り、力強い声音で告げるエインセル。それは彼女の誇りであり、理念であった。町や国は、どちらも有用な技術や物資をその地で独占しようとする。その中で、この地は貴重な薬品でも惜しまず外に出す。命を紡ぐ薬だからこそ外に出すことを恐れず、躊躇わない。囲み秘匿する事が国、町を守る為の一つの手段なら、均等に分け与えることもまた守る為の手段なのだ。
「さて、ここらで少し休憩しようかの」
そう言ってエインセルが立ち上がる。お茶を用意するようだ。手伝いを申し出たユズリハ、クズハを伴って、キッチンへと姿を消すエインセル。その背を見送りながら、一心はただただ圧倒されていた。
「すごいな……」
思わず漏れた呟き。いくら対等ではないと言っても、それでも人口百人にも満たないような里が、一国を相手に独立を保つ。この世界の国家の枠組みや、その規模などは知らないが、しかしそれでも十分にすごく、また大変なことなのではないかと感じる。
「すごいでしょ?」
その思いが伝わってか、あるいは一心の呟きが聞こえたからか、フレイアが話し掛けてきた。彼女の表情は自慢げで、同時に誇らしげでもあった。彼女もまた里が中立であることに誇りを抱いているのであろう。
「すごい……ほんとうに」
一心も言葉を返す。微笑みを添えて。何か熱い物が胸に込み上げて来る。大学入学以来ずっと空虚だった彼の空っぽの胸に……
「でもね、中立であることを望んでいない人たちもいるの」
「レオニス?」
「うん。他にも何人か……最初は少なかったんだけど……」
この里では、ある程度の年齢に達すると薬師として外へと出ていく者達がいる。そういった者達は、この里で培われた技術を広げ伝えるという役割を持っていた。レオニスもそうやって外へと出て行った一人だ。レオニスは町々を渡り歩き、やがてここ辺りで一番大きな街、ウラノスへと至る。そこは赤帝王国の王都であり、巨大な港を持つ交易都市でもあった。
「私も行った事があるけど、とても大きな街だよ」
活気に溢れ、人で溢れ、最初に行ったときはかなり圧倒されたとフレイア。そうなんだと返しながら、一心が思い浮かべたのは東京だった。彼にとって、巨大で圧倒されるほどの街と言えば東京なのだ。フレイアの話は続く。
レオニスはその街で薬師として働き始めた。薬師として優秀だったレオニスはすぐに頭角を現し、有力な商人、貴族と次々に誼を結び、更には帝族との縁を得た。王都ウラノスを拠点とする大商人の娘を嫁にもらい、そこで彼は、自分の持つ技術が、薬品がどれだけ金になるかを知る。それからレオニスは、薬品を商品として扱うようになった。王都に来ていた同郷の薬師をも巻き込み、やがて彼は王都の薬品市場を独占するに至る。そうなると、帝族や貴族、他商人との繋がりがますます濃く、太くなった。薬師としてではなく商人として振る舞う様になったレオニス。そんな彼が、次に目を付けたのが故郷オルガの里だった。
「初めは婆さまも、他の皆も喜んだ。里の若者が立派になって帰ってきたって」
レオニスは妻と、生まれた子を連れて里に戻り、王都と里を結ぶ交易を始めた。王都からは珍しい商品の数々を持ち込み、里からは薬や技術を持ちだした。レオニスの手口は実に巧妙であった。子供のいる家庭には、王都の珍しい菓子類や玩具を、若い妻の居る家庭には、美しい技巧の凝らされた装飾品や、化粧道具を、老夫婦には王都で流行の食器類を、若い男にはタバコなどの娯楽や、時には若い女性を紹介した。里はにわかに活気づき、結婚率も上がった。皆が喜び、新たな住民を歓迎し、皆がレオニスのもたらす商品を求めた。
ただ、里は基本的に自給自足が成り立っていた為、各家庭には金がなかった。そこで無い金の代わりに各家庭に蓄えられていた薬品が当てられるようになった。月日と共に、大量の薬品が里から流れ、その殆どがレオニスと繋がりのある帝族や貴族、商人達へと渡り、その大量の薬品が赤帝王国の外交に使われた。
事そこに至ってようやくエインセル達里の長老部は事態の深刻さを悟った。当然赤帝王国以外の諸国との関係は悪化し、どの国にも属さないことで得ていた、中立という名の信頼は、脆くも崩れ去ろうとしていた。それもまたレオニスの狙いの一つだったらしく、その頃からレオニスは里の若者たちを囲い込み、親赤帝王国の派閥を作り上げた。
今里は、中立を保とうとする長老部と、赤帝王国とのつながりを強化、あるいは赤帝王国の庇護下に入ろうと唱える若者達で真っ二つに割れていた。
「私とユズが、あの日山に薬材を取りに行ったのも、そういった里の流れの一つなの」
彼女たち二人と一心が最初に出会った時、二人はエインセルの命で薬材の調達に向かっていた。その薬材は、周辺国との関係回復の為に長老部が放出した備蓄分を補う為の物であった。
さすがに高位の薬品や秘薬レベルだと、長老部しか製法を知らず、薬品自体もその管理下にあった。それらを放出して、なんとかご機嫌を取ったという訳だ。しかしそれで問題が収まったわけでは無く、今度はレオニスを通して、赤帝王国側がそれらの高位薬品や、秘薬を求めてきた。
「自分たちは、正統な取引をしていただけだ。なのに、他国にばかり薬品を渡すとは何事かー!! ってね」
うんざりしたような表情で告げるフレイア。若干疲れたような表情を見せる。彼女もまた、この事態を重く受け止め、何か解決の手段は無い物かと頭を悩ませている一人だった。愛用の書物を紐解き、黎明期からの歴史をさかのぼる事で、何かヒントは得られないかと、空いた時間などは全て読書に当てている。最も、元々読書を趣味にしている女性なので、実際にはそこに苦は無いのだが。
「ま、そんな感じでどっちも譲らずに、膠着状態だった所に、あなたが現れた。それで婆さまがあなたを保護したから、向こうはそれを攻撃材料にしようとしてるってわけ。当然、向こうにとっては、あなたが罪人だったほうが都合が良い。罪人を庇ったって婆さまを糾弾できるからね。だから向こうは、あなたを罪人にしようとする。でもそれはあなたが気にする事じゃないわ」
どうやらフレイアは、一心が罪人という言葉にショックを受けたのを気にしていてくれたようで、向こうが勝手に言っている事だから、気にするなと言ってくれていた。思わぬ言葉に目頭が熱くなる。人から優しい言葉を掛けられたのは、本当に久しぶりだった。組んだ手の平に、ぽつり、ぽつりと涙の滴が零れ落ちる。
「ちょ、ちょっと……待って。何も泣かなくても……」
そんな一心の様子に驚き慌てるフレイア。どうしていいのか分からずに、おろおろと視線をさまよわせていたが、やがて一心の頭にそっと手を乗せる。思えば、言葉も何もわからない所に、一人ぼっちで投げ込まれたのだ。知り合いも何も無く、頼る者も無い。心細かったのではないか、ずっと気を張っていたのではないか。そう考えるとやるせない気持ちにさせられた。
「私や、ユズや、スグリにはもっと頼っていいからね? もちろん婆さまにも」
そう呟くと、乗せた手にこくりと頷いたのが伝わってきた。そのまましばらく、フレイアは一心の頭を撫で続けるのだった。
「いいの~ 青春だの~」
そんな事を呟きながらずぞぞとお茶を啜るエインセル。
「いけ、そこでぶちゅっと!!」
などなど、興味津々でちょっと興奮気味なユズリハ。
「はぁうぁ……」
そして少し刺激が強かった感のあるスグリ。
お茶を用意しに行った三人だったが、お茶を用意し終えてみると、フレイアが熱心に語っている真っ最中だった。やばい、あれはスイッチの入った時のフレイアだ。と判断した三人は、一心をそのまま長い話の犠牲者とし、物陰に隠れて、終わりの時を見計らっていた。
けれど、驚いたことに一心はフレイアの話を全く苦にしていない様子だった。それどころか、時に質問を返しながら熱心に聞いているではないか。これはすごいと、一心に尊敬の眼差しを向ける三人。そうしていると、いつの間にか少しいい雰囲気になり、涙する一心を、あたふたしながらも慰めるフレイアという今の状況が出来上がったわけだ。
「ついに、ついに我が孫にも春が……」
エインセルが感慨深げに呟けば、
「いや、これが恋愛に発展するかは微妙ではないかと」
と、先ほどまで散々興奮していたユズリハが冷静な突込みを入れ、
「そ、そんな……ふしだらな」
何を想像したのか、スグリが顔を真っ赤にするという光景が見られた。
ちなみに、彼女たち三人がフレイアの話を長いと感じ、敬遠するのは、彼女の話の中身が、その殆どが彼女たちの既に知っている内容か、もしくは荒唐無稽な妄想だからだ。偶に知らない知識も混ざっているものの、知っていることを永遠と説明されたら、誰でも飽きるし、苦痛だろう。その点一心はというと、フレイアの話す内容は全て知らない新しい知識であり、苦痛に感じる要素がない。加えて説明くさい話というのにも慣れている。日本の学校は、小・中・高が四五分とか、五十分授業で、大学に至っては九十分授業なのだ……とだけ言っておこう。
「もう少し、儂らはここに居ようかの」
涙を拭き、恥ずかしそうに笑う一心と、微笑み返すフレイア。その姿を見ながら、エインセルは、再びずぞぞとお茶を啜るのだった