第3話 対面
「さて……」
思い出せるだけの記憶を辿る。自分は確か山にいたはずだ。現実逃避的に山登りを始めた。ここまではいい。その後、途中で気分が悪くなった。霧が出た。ここらへんも多分大丈夫だ。ただその先の記憶が曖昧だった。
「コスプレした二人の女の子……山の上で? いや、有り得ない。……おかしいだろ」
自分で言っていてどうかしていると思う。あれは多分夢か何かで、実際は登山中に倒れ、親切な誰かに麓まで運ばれた。そんなところだろう。
「後でお礼を言わないとな」
無理やりそう結論づける。しかし…………
「これ…………、なんだろね」
そうすると残る疑問が一つ。現在の自分の置かれている状況についてだ。何故か彼は変な匂いのする藁の上に寝かされていた。
「あ~~、あれかな。布団が足りなかったとか、とりあえず近くの納屋に入れといたとか……」
かなり無理がある。しかし考えられなくもない……気がする。
「これさえ無ければだけど……」
そして最後の状況。両手、両足を縄で縛られていた。気が付いた時には既に。
「何なんだよ、これ!!」
目を反らし続けることで何とか保っていた冷静さが綻ぶ。途端に襲い来る恐怖と不安。とりあえず思いっきり引っ張ってみるが、結び目が食い込んで手足が痛むだけだった。
「誘拐? 拉致?」
一度認識してしまうと、次から次へと悪い予感が湧き上がってくるのを止められない。
「有り得ない、有り得ないって!!」
涙ぐみながら、もはや何が有り得ないのかも分からなくなる。
あの時山になど行かなければ、ふらりと歩き回らなければ、ちゃんと学校に行っておけば。そんな後悔ばかりが浮かぶ。考えても考えても、何一ついい考えは浮かばず、やがて考え疲れ、気を失うまで、彼は一人、生産性のない思考を繰り返すのだった。
◇◇◇
「これで最後?」
「そうみたい。どう?」
「う~ん……まぁ、しばらくは大丈夫かな。そのうちまた取りに行かないとだけど~」
フレイアとユズリハが山で薬草取りを行った明くる日、二人は採取した薬草を乾燥させたり、煮たり、すりつぶしたりと、事後処理に追われていた。
「日輪花の実は今回それなりに取れたし、ケスの葉も帰りに千切って来れたし」
フレイアの質問に、ユズリハが作業中の手を止めることなく答える。今はちょうど、ケスの葉と日輪花の実を天日干しにしているところだった。
「夜光花の蜜は?」
「あ~あれは、もともと取れる量が少ないから……」
「節約しながら?」
「そんな感じだね~」
日中だけ花開き、夜になると蕾を閉じる日輪花。この花は寿命を迎えると、日が沈むのに合わせて実を落とす。そして落ちた実は土と混ざり合い、次代の苗床となる。その落ちた直後の実が栄養価が高く、滋養強壮に優れた薬となる。
一方の夜光花は、昼間は蕾のまま日の光を浴びて養分を蓄え、夜、月の光を浴びて初めて花を咲かせる。その時に採取できる蜜が、治せない病は無いとさえ言われる非常に強力な霊薬、エリクサーの原料となる。
「もう少し量が取れたらね~」
軽い口調でユズリハが告げる。しかしそこには強い想いが込められていることを、フレイアは知っている。
夜光花も日輪花も、どちらも特殊な生育を持つ希少な植物だ。その為に、まず取れる絶対数が少ない。加えて、一輪一輪から取れる薬材の量も決して多くない。故に大変に貴重で、希少、そして高価。それこそ本当に必要としている人の手に届かない程に……
「そういえばさ、昨日の男って……やっぱり?」
となれば、当然金目当てで盗みに入る者も少なくない。時には盗賊が徒党を組んで襲ってくる事もある。それを踏まえてのユズリハの質問。しかし……
「たぶん違う……」
返ってきたフレイアの答えは否だった。
「ユズも見たでしょ? 私が剣を突きつけた時のあの男の反応?」
そしてフレイアはそう思った理由を告げ始める。
「うん、見た。きょと~んってしてた。言われてみれば……、ちょっと変だね」
「でしょ!? 普通盗みをしようとする奴って、それなりに気が立ってるものよ。そこに剣なんか突きつけたら、それこそ身構えるとか、反撃するとか……何か反応を返すのが普通のはず」
うん、うんとユズリハが頷いたのを見て、フレイアの弁が次第に熱を帯び始める。
「それに服も凄く奇妙で変な形してたけど、綺麗だったし! 何より、見つかっても逃げなかった!! 極めつけは――」
いつの間にやら、身振り手振り付きでで熱弁をふるい始めるフレイア。その様子に、ユズリハは内心、大きな大きな溜め息をつく。
(しまった、失敗した……)
適当に相づちを打ちながら、ユズリハは自身の不注意を呪う。このユズリハの友人であり、幼なじみであり、親友でもあるところのフレイアという女性。しなやかな肉体といい、蜂蜜色の柔らかい質感の髪といい、更には整った顔立ちといい、女のユズリハから見ても、思わず羨んでしまうほどの美しさを持っている。持っているのだが…………
「ユズ? ちゃんと聴いてる?」
「はいはい、聞いてますよー。それで?」
「うん。だからあの男は――」
そんな彼女にも困った欠点があった。それが口数の多さだ。普段はそうでもないが、スイッチの入ってしまった彼女は非常に面倒くさい。おまけに本好きで知識もそれなりにある為、話が妙に説明くさい。早い話が面白くないのだ。そして更にもう一つ。
「だからきっと異界から迷い込んだ旅人なんだよ!」
「それはまた……」
想像力が豊かというか、妄想癖があるとでも言うべきか、とにかく発想が突拍子もない。今もまた、隣国の廃王子説から秘密組織の諜報員説を経て、何故か異界からの旅人説へと至った。
(異界って……何処よ??)
そんな、ユズリハの心の突っ込みは当然フレイアには届かず、話題はその後も飛躍し続ける。やがてユズリハが心身共に疲れ果てた頃、ようやくフレイアの演説は終わりを迎えた。
「ユズ姉、フレイア姉、お婆さまが呼んでる。すぐ来てって」
「お婆が?」
「何だろ……男のことかな?」
ちょうどフレイアの演説が終わったタイミングで、一人の少女が二人を呼びに来る。どうせならもっと早く来てくれれば……そう思わないでもないユズリハだったが、今はとりあえず、呼んでいるという老婆の下へと向かう事にする。
ちなみに彼女らが呼ぶお婆さまとは、集落を束ねる老婆のことであり、ユズリハの薬師としての師であり、そしてフレイアにとっては実の祖母であった。
「たぶんそうだと思います。朝から男の荷物をいろいろと調べていたみたいなので……」
婆さまの下へと向かう道すがら、三人は婆さまの用件について言葉を交わす。間もなく、前方に人の集まりが見えてきた。その中に目的の人物を見つけ、フレイアが声を掛ける。
「婆さま、呼んでるって聞いたんだけど?」
「おぉ、ユズリハにフレイア、待っとったぞ。スグリもご苦労じゃった」
呼びに来た少女を労い、老婆が二人に向き直る。腰が曲がった小柄な、しかし上品な老婆だった。
「これから昨日の男に事情を聞く。着いてまいれ」
そう言うと老婆は踵を返す。その後からユズリハ、フレイア、そしてスグリが続いた。
「お待ち下さい、エリクセル」
そう声が掛かったのは、フレイア達が、一時的に男を閉じ込めてある建物へと足を踏み入れようとする、まさにその時だった。
「何か用かの?」
ゆっくりと振るお婆。ちなみにエリクセルというのはお婆の名だ。しかし彼女を名で呼ぶ者は少ない。集落に暮らす者の大半は、彼女を親しみを込めてお婆と呼ぶ。
「ええ。盗人を捕まえてあると耳にしました。ならば尋問し、中央へと届けるのが私の仕事かと」
そして名で呼ぶ数少ない者の一人が、今彼女達の目の前に立っていた。その者の名はレオニス。集落の方針について、しばしばエリクセルと対立する男だった。
「それはそなたの仕事ではないし、そもそもそなたが決めることでもない。必要ならば儂が判断しよう」
エリクセルはそう言い捨てると、そのまま建物の中へと入って行く。
「そうですか。それは残念」
そして男は、そんなエリクセルの背を冷たい眼差しで見据えていた。
エリクセル達4人が足を踏み入れた建物、そこは馬などを育てる獣小屋だった。4人は馬達の横を通り過ぎ奥へ奥へと進む。その先にある倉庫が、今回男を閉じ込めてある場所だった。
「婆さまが尋問を?」
捕まえた盗人をエリクセル自らが尋問するのは珍しい。普段ならば彼女以外の長老たちの誰か、若しくはそれこそレオニスの好きにさせている。
「まぁの。今回はちぃっとばかし気になることもあったでな」
「気になること?」
フレイア自身は先頃ユズリハに説明した通り、今回の男が盗人の類だとは考えていない。しかしそれは彼女なりの推測であって確信ではなかった。故に、彼女は祖母が何を気にしているのかが気になる。祖母が自分と同じ予想を立てているのかも。
「まぁ、すぐに分かるじゃろうて」
しかし彼女の祖母はそれだけしか言わなかった。そして衝立を外して扉を開け、迷うことなく中へと足を踏み入れる。
「ほほう、これはこれは……なかなかに図太そう……というわけでもなさそうじゃな」
そこで見たのは、部屋の隅で寝息を立てる男の姿だった。けれどその表情はどこか苦しげで、焦燥が伺える。
「暴れたりはしなさそうじゃな」
男の顔を覗き込み、そう判断したエインセルは、孫娘に縄を外すように指示し、男を起こしにかかるのだった。
◇◇◇
「……ヨφ………Ψ」
浅い微睡みの中で、誰かが揺り動かすのを感じる。
(りえ?……母さん……か?)
未だ覚醒しきれていない脳がゆっくりと働き始めた。自分を起こしに来る存在として妹と母を可能性としてあげる。しかし……
(誰……だ?)
その声が妹のものでも、母のものでもないことに気付き、ゆっくりと重い瞼を押し上げる。
やけに体の節々が痛み、全身を強い疲労感と倦怠感が襲った。
(なんか嫌な夢見てた気が……)
寝ぼけ眼でそんなことを考える。汗ばんだシャツが体に張り付き、その気持ち悪さに顔をしかめる。やがて次第にぼやけた視界が焦点を結び――
「うぉ!!」
跳ね起きた。クリアになった視界いっぱいに写ったのは、深い皺が無数に刻まれた老婆の顔。しかもドアップで……
「あ…………」
一気に覚醒した脳に、今の状況が次から次へと流れ込んでくる。場所は変わらず変な匂いのする藁束の押し込まれた部屋。ただし、扉が開いている為、停滞していた空気が動き、新鮮な空気が流れ込んでくる。手足に視線を向けるが、そこにはすでに縄は無く、ただ縛られた痕が赤く腫れ上がっていた。
「えっと……ありがとう……ございます?」
縄を解いてくれたことに礼を述べる。しかし、そもそも何故縄で縛られていたのか、誰に縛られたのかが分からず、つい語尾が疑問系となってしまった。
「ええと……」
縄の痕がヒリヒリと痛む。それをさすりながら口を開くが、しかし続く言葉が出てこない。聞きたいことは沢山あった。ありすぎて何から聞いていいかが分からないくらいに。それに警戒心と不安。これから自分はどうなるのか、今目の前にいる二人は自分に危害を加える存在か否か。それらのことが男に――神崎一心に口を重くさせる。
黙り込んでしまった一心に変わって口を開いたのは、彼の目の前に立つ老婆だった。しかし――
「чщж%;$~、\>キ#sh?」
(は? これ……何語だ?)
老婆の口から発せられた言葉は、およそ一心には聞き慣れない言葉。
「М@、$фПбЭ?」
なおも老婆は語りかけるが、一心には全くもって理解出来ない。ぽかんとすることしかできずにいるいると、やがて老婆はもう一人の女性と何やら言葉を交わす。
「μ;:”#! キ…’7hik?」
「!!・φ∮、δγsrΓ、Ω;*KI?」
何やら興奮した様子で話す女性と、落ち着いてそれに対応する老婆。言葉が分からない故に、一心はますます不安になる。と、その時、一心は老婆と女性以外にもう一人少女が居ることに気づいた。
「…………」
「………………」
どうやら向こうも気づいたようで……というか、元々一心を観察していたらしく、すぐに視線が合う。
「ど、ども……」
思わず軽く会釈をする一心。つられて少女もぺこりと頭を下げる。
(な……まさか!!)
その時一心は気付いた。気づいてしまった。少女の頭にちょこんとのるふさふさ耳に。
「ゆ、夢だけど……夢じゃなかった?」
どこかで聞いたフレーズを思わず口ずさみ――しかも使い方を間違っている!――そのまま少女の耳から目が離せなくなる。今一心の視線の先にいる少女は、間違いなく昨日山で遭遇した少女だった。夕方だった昨日と違い今は昼だ。窓から差し込む日の光で明るく照らされたその耳は、うっすらと血管が浮き出ていて、しかも彼女の緊張を表すかのようにぴんと立っていた。
(やけにリアルだな……ってかホントに作りものなのか?)
思わずそんな事を考えてしまい、ドキリとする。あれが作り物でなかったとしたら何なのか……。当然あの耳は本物という事になる。あの犬のような、猫のような耳が。そんな話聞いたことも見たことも無い。それこそ、そんな事はファンタジーとか、ゲームの中のお話で……
(いやいや、ないないない!!)
一瞬不吉な予感が脳裏をかすめるが、慌てて振り払う。そんな非現実的な話があるはずが……
(んな……こ、今度は尻尾……だと)
くねくね、うねうね。
(いやいやいや、あれもきっとモーターか何かが……)
などと必死に現実的に、あるいは論理的に説明しようとする一心。一応理科系――それも自然科学的分野――男なのだ。しかし観察すればするほど、よく見れば見るほど、本物としか思えなかった。
(あり得ない……こんなのぜったい何かの間違いだ……現実的じゃない)
現実から目を背け続けた男が、現実から逃げ続けた男が、必死で現実にすがり付いていていた。しかし彼は気づいていない。今この状況こそが、現実だという事に。
しばらく異国の言葉で会話をしていた老婆と女性が、何か決まったのか会話をやめ、一心の方をへと向きなおる。そして近づくと、おもむろに一心の手を取り引っ張り始めた。
「え、えっと……付いて行けばいいのか?」
言葉が通じないのはこんなにも不便で、恐ろしい事なのか。どこに連れて行かれるのかもわからずに、更には逆らっていいのかも分からずに、仕方なしに引っ張られるまま老婆に付いて行く一心。扉を通る際、先ほどから気になっていた耳尻尾就き少女――一心命名――の後ろにもう一人少女が居たことに初めて気づいた。こっちはウサギっぽい耳だった。
馬達の横を通り抜け、建物から外へと連れ出される。強い日差しが一瞬視界を真っ白に染め、そのまぶしさに思わず目を細める。そして……
「なに……これ……」
本日何度目になるかの驚愕。昨日から続く訳の分からない――あまりにも、あまりにも未知なる物に対する根源的恐怖。思わず声が震えた。
「何処だよ……ここ……」
叫びたくなった。喚きたくなった。泣き叫びたくなった。そこには、明らかに日本とは違う景色、人間とは違う人種、生き者の姿があった。まさに異界。まさに異形。まさに異世界。一心は、神崎一心は理解した。理解できてしまった。ここは日本ではない、それどころか、地球ですらないという事に。
◇◇◇
外に連れ出すなり、呆然自失に陥った青年。そんな青年を、そのまま引っ張って連れて行くエインセル。青年はなすがままにされている。
「何か不思議な人だね」
フレイアの隣で、ユズリハが不思議そうな表情を青年の背へと向ける。
「何か驚く事でもあったんでしょうか」
先程から青年は驚いてばかりに見えますとスグリ。
「珍しいのだろう。色々と」
そう答えたフレイアの言葉には、はっきりと何かを確信している。そういった響きがあった。
「何か知っているなら教えてよ」
こんな事を言ったら、またフレイアの面戸くさいスイッチが入ってしまう。そう思わないでもないユズリハだったが、しかし青年に対する興味がそれを上回る。しかし予想に反して、フレイアの返事は家についてからという、およそ彼女らしからぬ言葉だった。そしてエインセル、フレイア祖母娘が暮らす住居――エインセルが集落の長の立場の為、他よりも若干豪華で広い――に、青年を伴って入ると、エインセルはそのまま青年を浴室へと連行する。その後獣臭漂う青年を洗濯し、汚れた服を剥ぎ取り、少し小さめの服を着せ、青年のお腹が鳴ったので食事を与えたりと、青年の世話を一通り焼いた後、一同はエインセルの自室へと向かう。そこには、昨日青年が身に付けていた大きめの袋が部屋の隅に鎮座していた。