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なんとか、年内に……
既に行政区分でのエリアがだいぶ広がっている久保山村。
学校、自衛隊駐屯地、機動隊訓練施設、外務省研修施設、検疫センター、そして病院。
トンネルを抜けた先にはそうした施設が立ち並んでいるが、反対側に当たる昔の峠道周辺は財閥の手が入って工場が続々と建てられており、工業団地化しそうな勢いとなっている。
財閥の医薬系の臨床研究も行われる病院は既に総合病院化していて、ベッド数以外の全ての面において県立の病院に勝った存在になっている。
その病院の一角でベンチに座ったり立ったりとせわしない男がいる。
猫耳娘カレンと結婚し、全世界の嫉妬を集めた男、康則である。
世界中のお呪いを一身に受けてもビクともしない健康体ゆえ自分が病気になった訳ではない。
産婦人科、分娩室前という更に具体的な場所を言えばこの落ち着きの無さも理解されるかもしれない。
いまだ新婚ムード抜けきらない、定時ダッシュ帰宅がデフォの康則だが、とうとうと言うか、ようやくと言うか、ついに父親となるのである。
康則の父親は流石に仕事があるために来られなかったが、母親は半月近く前にこちらに来てからずっと滞在しており、報告に際して「うむ、この子は丈夫だから少なくとも7.8人は産めるだろう!」と喜びこそ見せたもののその後は大して気にもしていない様子のネコ族の大母とは大違いである。
「ま、まだかな? 大丈夫かな?」
「貴方も父親になるんだから落ち着きなさい!」
余りの康則の酷さに、連絡を受けてやって来た時はテンションが高かった康則の母も逆に落ち着いてしまっている。
往々にして、自分より酷い状態の人間が傍にいると醒めて冷静になれるものだ。
そして康則は父親となった……男の子と女の子、可愛い双子の兄弟の親に。
「もう一人くらい居ると思ったんだけどなぁ……」ちょっと口を尖らせる感じで言うカレン。
検査で複数であることは確認されていたのだが、「特に健康や出産に問題無ければいい」と詳しいことは生まれてのお楽しみとあえて情報を入れないでいたのだ。
それが聞こえているのかいないのか康則はデレデレな顔で子どもたちを見ている。
カレンにはさほど疲れや苦労した様子は見られない。
多少は眠気がある様だが、それでも普段のどこか悪戯っぽい感じが影を潜めていて、母親らしい優しい表情になっている。
まあ、あまりにあまりな康則の様子に少し呆れが混ざった表情ではあるが……。
そして双子の子どもたち。
髪の色素が薄い息子はカレンに似た感じ、黒髪の娘は康則寄りの顔立ちだが、共にその頭には猫耳がある。親の欲目を差し引いても物凄く可愛い。
元々赤ん坊の泣き声と猫の鳴き声は似ているが、思ってた以上に猫寄りな我が子の声に「子猫の鳴き声に近いよね?」と首を傾げた康則である。
ともあれ小さい猫耳、ピンとしたヒゲと、流石ネコ族の遺伝子、異世界の日本人相手でもその優位は揺るいでいない。
以前の医学であれば、産後これほどすぐに母子との時間を過ごせなかったが、やくそうとどくけしそうをはじめとする異世界産の薬品などのおかげでこうして親子揃っていられるのだ。
ここ数年で「やくそう」「どくけしそう」の医療への応用は一気に進んでおり、手術の後、糸で縫合というケースに代わって「やくそう」成分のゲルを塗っておしまいと手術での面倒が減り、そして手術痕もまず肉眼では分からない状態になるなど患者への肉体的、精神的負担が大きく減少している。
産婦人科でもメスを入れるケースがあるが、そうした場合でも痕は残らない。
そうした既に一般の病院で使用されているものの他にも、ダークエルフたちが「毒」として避けてきた植物の中にも、医学的には価値のあるものがあったり、一部モンスターの獣脂の様に工業分野で高い価値を持つものもあり、現状は財閥に独占されているそれらの素材が国交樹立後は普通に貿易が行われるようになることを期待する企業、研究機関は多く、そうした意味でも姫の日本訪問には注目が集まっている。
さて、その姫だが突発イベントとも言えるコンビニでのアルバイトを終え、現在、研修施設の会議室で学習中である、パソコン操作の……。
バイト代で獲得した数々の戦利品を抱えてホクホク笑顔で施設に戻ってきた姫に「これでやっとゆっくり出来るかな?」と一息ついてコンビニで買ってきた暖かいお茶を口にした利幸だが、「このぱそこんというものの使い方を教えるのじゃ~!」と予想外の襲撃を受けてお茶を吹き出しそうになり、それはなんとか防いだものの気管支に入ってしまって咳き込むことになった。
リツは自分で多少は使うがネットなどを見る程度、シリルは「なに、それ?」と全く分かってない視線を返してくる。
講師役は当然利幸となる。
ワープロ、表計算ソフトが使えて、メールとネット閲覧が出来ればほぼ大丈夫だろうと、一応ネットで変な処には繋がらない様に設定したタブレット-ノート兼用コンピュータを渡す。
もちろん研修所の備品である。
自分も横に並び、全く同じ機種のパソコンを同様に立ち上げる。
電源のオン、これは一部の魔法の道具の起動にも似た感じのものがあるらしい。
基本のタップ、フリックなどのタブレット操作とキーボードと接続しマウスでの操作も教える。
「精霊や魔力の力を借りていないのに不思議なものじゃのう」と姫は器用に操作しながら言う。
少なくとも日本人のおじさん、おばさんの初心者よりはよっぽど安心出来る操作の仕方だ。
「ふむ、ワープロは便利じゃが余り幼い内に覚えると文字の学習の妨げになるかもしれんのう。メールと合わせて使えば、仕事もより捗ることじゃろう。地方と繋ぐ通信とやらも整備する必要があるじゃろうし、なかなか大仕事になりそうじゃ!」
「だから、なんでそこで嬉しそうな笑顔になるんだよ……」と内心、利幸はため息を漏らす。
外交省の上層や政府にこの辺はきちんと伝えておかなくてはいけないかもしれない。
こちらの様に大勢の官僚がそれぞれの分野で動いているのと違って、姫のところに集中する仕事が多いのだ。一度に多くの案件を進めたい日本側の思惑だけで話が進むと姫の負担が大きくなり過ぎる。
「この表計算のソフトは素晴らしいのう! これがあれば予算部門の徹夜仕事も二~三日は減る事じゃろうて。このグラフとやらにすると更に分かりやすくなるが、分かったつもりにもなり易いので注意が必要じゃのう」
利便性に目を奪われつつも、問題点をきちんと把握するなど本人の資質と能力が高すぎて代わりを務められる人間が居ないことが、このワーカホリック状態の原因でもあり、周囲が強硬に止めることが出来ない理由でもある。
それにしても「徹夜が二~三日減る」とか「連徹当たり前のブラックな職場なのか、魔王の城は」とちょっと恐ろしさを感じたりもした利幸である。
戦争の後遺症で人材が大きく失われたとは言え、後方の人間も一定数居たはずで、それでもこの状況、もしかすると戦争に関係なくブラックな体制がデフォだったのかもしれない。
「有能で勤勉なトップって、確かに理想だけど、周囲の当人の幸せとか健康とか心配する人にとっては止めるに止められないジレンマとかあるよなぁ……」
横でパソコンを操作して見本を見せ、それと同じ操作をさせてといった形で学習を進めているが、利幸の側での操作時に覗き込んでくる姫の肩が触れたり、すぐ傍に顔が来たりと、なんだか中学時代に教科書を忘れた隣の女の子と一冊の教科書を一緒に見たことを思い出し、甘酸っぱくもこそばゆい感傷を思い出した利幸である。
思わず逃避気味にそんなことを考えたりするのであった。
村の総合庁舎のTV会議室で中央の官庁の人間とのTV会議を終えた正文。
建物を作った際には「普通の会議室で十分なんじゃないの?」と思ったものだが、現状では通常の会議室よりも使用頻度が高い。
この辺を考えてきちんと手配をした祖父はやはり凄いのだなぁと、同じ政治の道に足を踏み入れた正文は祖父の凄さと、周囲がその言動を重視する理由を身に染みて感じている。
今日の新聞では異世界関連の国際会議に出席した祖父が例によって例のごとく、国際的に見ても一番成功しているクボ山村との交流に関わらせろと言ってきた某国代表を「自分の頭のハエも追えないバカの相手をしている暇は無い」と斬って捨てたのを「暴言だ!」と騒ぎ立てている。
実際、日本以外でも友好的な交流を確立し始めている国が複数出てきており、アメリカなどではそうした異世界交流の成果をベースとしたベンチャー企業が幾つも立ち上げられるなど、まともな各国では自国内のことで手一杯であり、多少の余裕はあっても「うちの国の力だけでは……」と途上国側からの支援要請などもあったりして、成功しているところに割り込もうとするのは国際的にも「図々しい」としか取られていない。
そうした国際的な事情は祖父を始めとする政府側でも公開、発表しているため、むしろ「いいぞ、もっと言え!」「流石、羽村の爺さん、ひ孫の為に全力全開ですな」と、こうして非難する様な報道をしてもマスコミの意図に反して支持する層は広い。
高齢での国政デビューにも関わらず「老害」扱いはほぼ無いのだ。
その爺バカぶりは相変わらずで、祖父を怒らせたり、機嫌を損ねたりした場合の対応として、ひ孫の話を別の人間が尋ねるという方法が確立されている。
TVでの討論やインタビューでもそうしたパターンになることがあって、魔王フェイスからデレデレ好々爺への変身が多くの人々の目にさらされている。
見た目はおっかないし、キツイ物言いはするけれど、それは総てひ孫可愛さ故であることが広く認知されているため、「雅音ちゃんのためなら仕方ない」「誰だってそうする、俺だってそうする」と子を持つ親や、孫を持つ高齢者だけでなく、オタや一般の若者達にすら支持されている。
「雅音~、お爺ちゃん元気だぞ~!」つけたテレビの画面で、周囲の記者などからの詰問を無視して手を振る祖父の映像に、思わず机に突っ伏してしまう正文であった。
「恋は遠い日の花火ではない」と言った感じの波乱も問題も無いのに独身のまま中年になってしまったおっさんと、地味目の獣人の恋とか、「ぼくのなつやすみ」な小学生と異世界住人のコボルトの話とか、閑話的な物ばかり頭に浮かんでしまって……




