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第7話 月明かりに君を想う

 謁見が終わった午後、凛はリゼットの私室で一人になった。


 マリエルには「少し休みたい」と告げてある。ノエルは昼食の片付けに行っている。リオンが扉の外に立っているが、部屋の中には凛だけだ。


 窓辺の書き物机に座り、凛は一枚の紙を広げた。


 格闘家の反省ノートを書くように、リゼットの優美な筆跡で——内容は殺伐としたメモを書き始めた。


(ゲームとの乖離。整理する)


 ひとつ。騎士団長の消耗。


 ガイウスの疲弊は、一時的なものではない。謁見中の身体の使い方を見れば明らかだ。慢性的な睡眠不足。首と肩の緊張。声の掠れ。あれは半年以上、限界に近い状態で戦い続けている人間の身体だった。


 ゲームでは「国境の小競り合い」という程度の描写だったガルデアとの戦闘が、現実にはもっと深刻な規模になっている。ゲームのイベント画面で見た国境の砦では、今この瞬間も消耗戦を強いられている。


(騎士団の兵力は約千二百。それが半年以上連続出撃してるなら、どう考えても回転が足りない。負傷・戦死で欠員が出ても補充が追いつかない。ガイウスが自ら前線に立って穴を埋めてる。だからあんなに疲れてるんだ)


 ふたつ。宮廷の腐敗。


 凛はペンを止めて、今日の謁見を思い返した。あの貴族たちの態度。玉座への礼が一拍遅い者たち。聖女を品定めする視線。


 ゲームではテオクラシアに買収された貴族は「背景設定」として名前が数個出てくるだけだった。しかしこの世界では——一人ひとりが生きた人間として宮廷の中に立っている。それも、ゲームの設定より遥かに多い数が。


(テオクラシア系の買収貴族がゲームより多い。列の中に見えただけで四、五人。全体では宮廷の四割近くが買収されてるかもしれない。あの状況をセバスティアン宰相が一人で抑え込んでるとしたら、あの人もガイウス並みに消耗してるはずだ)


 ゲームでは「外から攻められている」という一面的な脅威だった三大国の包囲が、現実には三方向から同時に、それぞれ異なる方法でこの国を絞め殺しにかかっている——


 凛はそこまで書いて、ペンの先が止まった。


(ゲームの知識だけじゃ足りない。私は格闘家だ。目の前の敵を殴ることはできる。でもこの問題は、殴って解決できる種類のものじゃない)


 窓の外に目をやった。白灰宮の尖塔が午後の光を受けて淡く輝いている。その向こうに、北の国境の方角がある。ガイウスが守り続けている前線。


(騎士団の消耗。貴族の買収。三大国の戦略。全部が連動している。一つを叩いても、残りの二つが動く。……この構造を読み解いて、同時に潰す方法を考えられる頭脳が必要だ)


 凛はペンを置き、椅子の背にもたれた。天井を見上げる。白い漆喰の天井に、夕陽が橙色の筋を落としていた。


(情報を集める力。分析する力。そして、三大国の動きを予測して先手を打てる軍略の知識。……私には全部足りない)


 メモの端に、小さく書き足した。


 ——「一人では無理」。



―――――✧ ❀ ✧―――――



 日が傾き始めた頃、凛は気分転換を兼ねて宮殿の廊下を歩いていた。


 リオンが半歩後ろについてくる。凛が「散歩したい」と言えば、リオンは黙ってついてくるのだった。問い返さない。ただ傍にいる。


 北翼の廊下は、中庭の回廊より静かだった。騎士団の区画が近いためか、貴族の姿は少なく、すれ違うのは甲冑姿の兵士ばかりだ。


 ——足が止まった。


 騎士団長室の前だった。重い樫材の扉が、ほんの僅かに開いている。隙間から灯火の光が漏れていた。


(ガイウスの部屋……)


 覗くつもりはなかった。けれど隙間から見えた光景が、凛の視線を釘付けにした。


 ガイウスが、執務机に向かっている。


 背中が見えた。軍服の肩幅が広い。けれど謁見の時よりもさらに肩が落ちている。公の場で保っていた緊張が解けて、四十二年分の疲弊が背中に浮き出ていた。


(……あんな背中だったんだ。謁見の時は、まだ張り詰めてた。今は、誰も見てないと思って力を抜いてる。……あれが、素の背中だ)


 壁に目をやった。騎士団長室の壁には、歴代団長の剣が飾られている。磨き上げられた刃が、灯火の光を反射していた。三本の剣が年代順に並び、最も新しい一振りは——まだ柄に使い込んだ傷がない。ガイウスの剣ではない。おそらく先代か、先々代の団長のもの。


 ——その横に、凛の目が引き寄せられた。


 壁に嵌め込まれた棚。小さな、鍵のかかった棚だった。歴代の剣とは明らかに性質が違う。装飾がない。目立たないように作られている。何かを隠すための棚だ。


(あの棚、ゲームでは見たことない。騎士団長室のCGにはなかった。……何が入ってるんだ?)


 ガイウスの背中が微かに動いた。気配に気づいたのかもしれない。


 凛は音を立てずに扉の前を離れた。息を殺して三歩。四歩。廊下の角を曲がったところで、止めていた呼吸を吐き出した。


「リゼット様?」


 リオンが小声で問いかけた。緑の瞳が、凛の顔を覗き込んでいる。


「どうされましたか」


「……いえ、何でもないわ。行きましょう、リオン」


 凛は微笑んで歩き出した。リオンが半歩遅れてついてくる。


(今は駄目だ。近づいたら——ガイウスの前でリゼットでいられる自信がない。あの背中を見たら、声をかけたくなる。大丈夫かって。眠れてますかって。……推しに、推しの声で、そんなことを訊いたら)


 右手が、無意識に左手首を握りしめていた。


(絶対に泣く。リゼットが騎士団長の前で泣いたら、意味がわからないだろ。推しの背中が疲れてたから泣きましたなんて、この世界の誰にも理解されない)


 足早に廊下を進みながら、凛は奥歯を噛んだ。



―――――✧ ❀ ✧―――――



 夜。


 聖女の間のベッドに横たわり、天蓋の白い布を見上げていた。


 マリエルが灯火を落として退室してから、どれくらい経っただろう。身体は疲れているのに、頭が冴えて眠れない。


 今日の謁見が、瞼の裏で繰り返し再生されていた。ガイウスの灰色の瞳。掠れた声。肩の傾き。あの隈。あの背中。


 ——そして、あの隠し棚。


(考えるな。今は目の前のことだ。ガイウスの消耗。貴族の買収。三大国の包囲。……一人じゃ無理だ)


 凛は寝返りを打ち、月光が差し込む窓に目をやった。白灰宮の窓硝子を通した月の光は、魔石を含む建材のせいで僅かに青みがかっている。


 不意に、記憶の底から言葉が浮かんだ。


 ゲームの記憶だった。「約束の灰燼アッシュ」の設定資料集。ゲーム内伝承。プレイヤーの多くが読み飛ばすフレーバーテキストの一節。


(「初代聖女アルヴィナと消滅の神エンドウス」……あの伝承。設定資料集にも載ってたな。ファンダムでは考察スレが立ったけど、公式からの言及はなかった)


 テキストの一部が、やけに鮮明に蘇る。凛は夢小説を書くために「アッシュ」の設定を隅々まで暗記していた。だからこの一節も、一字一句覚えている。


 ——「愛を完成させた日を、終わりの始まりとしよう」。


(ゲームだと思っていた頃は、ただのポエムだった。建国神話の飾りだと思ってた。ファンダムでも「雰囲気テキスト」扱い。考察勢が「これビターエンドの伏線じゃない?」って書いてたけど、公式が何も言わなかったから流れた)


 天蓋の白い布が、月光で淡く光っている。


(でも今は、この世界にいる。ゲームのフレーバーテキストじゃない。この国の建国の歴史だ。……「愛を完成させた日を、終わりの始まりとしよう」。この言葉が、本当に何かを意味しているとしたら——)


 頭を振った。


(考えすぎだ。今は、そんなことより先にやることがある)


 目を閉じた。瞼の裏に、ガイウスの疲れた顔と、宮廷の貴族たちの横柄な態度と、メモに書いた「一人では無理」の文字が浮かぶ。


(このままでは、推しが死ぬ前にこの国が終わる。私が動かないと)


 だが一人では限界がある。分析力が、情報力が、足りない。


(格闘家は、戦う相手が見えてれば戦える。でもこの国の敵は三方向にいて、しかも外と内で連動してる。全部を同時に見渡せる目がないと、一つ倒しても別の方向から崩される)


 月の光が少しだけ傾いた。夜が深くなっていく。


(……参謀さん)


 不意に、その名前が浮かんだ。


 「静かな夜の参謀」。顔も名前も知らない。けれど誰よりもアッシュの世界を精緻に読み解いた人。軍略の知識を夢小説に落とし込んで、ガイウスルートの「北方防衛戦」を最も美しく書き換えた人。


 そのハンドルネームの向こうにいた人間が、もし——


(……あなたがここにいてくれたら)


 凛は目を閉じたまま、月明かりの中で静かに息を吐いた。


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