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第12話 私は、もう一人じゃない

「では、最初のブローチを作ります」


 真琴が両手を合わせた。手のひらの間に光が凝縮していく。白い光が銀色に変わり、金属の質感を帯びていく。空気中の魔力を刻印スキルで物質化しているのだと、真琴は説明していた。


 光が収束し、真琴の手のひらの上に小さな銀色のブローチが生まれた。


 アルヴィナ王家の紋章を簡略化した意匠。月桂樹の葉が一枚の剣を囲むデザイン。親指の爪ほどの大きさだが、細部まで精密に刻まれている。


「……綺麗だ」


 凛が呟いた。銀色のブローチは、東屋に差し込む午後の光を受けて静かに輝いていた。


「これが、私たちの通信網の始まりです」


 真琴が両手でブローチを差し出した。


 凛がそれを受け取る。指先に触れた瞬間、微かな温もりを感じた。金属の冷たさではなく、人肌に近い温度。真琴のスキルが宿っている証だった。


「……小さいな。でも、温かい」


「刻印が生きている証拠です。凛さんが持っている限り、私は凛さんの位置と状態を常に把握できます。そして——」


 真琴が目を閉じた。


 凛の頭の中に、声が響いた。


 ——聞こえますか、剣姫さん。


 口は動いていない。真琴は目を閉じたまま、穏やかな表情をしている。しかし声は確かに聞こえた。耳からではなく、意識の中に直接。真琴の声だった。低くて落ち着いた、分析者の声。


「——うわ」


 凛が椅子の上で仰け反った。


「参謀の声が脳内で聞こえる。ちょっと怖い」


 真琴が目を開けて、僅かに微笑んだ。


「慣れてください。これから毎日使います」


「毎日……。というか今、口で喋ってる方と脳内の方と、どっちが本物?」


「どちらも本物です。通信は思念ですが、内容は私の意思そのものです。嘘はつけません」


「嘘つけないの?」


「正確には、感情が伝わりやすいんです。言葉は制御できますが、感情のニュアンスまでは隠しきれない。だから——」


 真琴が少しだけ目を逸らした。


「セバスティアン閣下に刻印を渡すのは、もう少し後にします」


「……推しに感情だだ漏れの通信は送れないもんね」


「言わないでください」


 凛はブローチを胸元に留めた。銀色の小さな紋章が、リゼットの淡い藤色のドレスの上で静かに光る。


(これが通信網の始まり。参謀と私を繋ぐ最初の線。ここから、この国を覆う情報の網を編んでいく)


 凛は胸元のブローチに指先で触れた。温かい。生きている。


 ——意識を向けてみた。


 真琴。聞こえる?


 真琴の碧い瞳が、ぱっと見開かれた。


「——今、通信で?」


「うん。できた。思ったより簡単だ」


「凛さん、筋がいいですね。普通は最初の数日は感覚が掴めないのに」


「格闘家は身体感覚の制御が得意なんだよ。集中力のチャンネルを切り替えるのは慣れてる」


 真琴が感心したように頷いた。



―――――✧ ❀ ✧―――――



 夕日が東屋の入口から差し込んでいた。


 テーブルの上の地図と分析書が橙色に染まっている。二人は半日近くを東屋で過ごしていた。情報の突き合わせ。スキルの実演。役割分担の確認。そして——これからの方針。


「整理するね」


 凛が指を折った。


「私が前線で暴れる。聖女の力と格闘技で、直接的な脅威を叩く。参謀が後方で全体を見る。通信スキルで味方を繋いで、識別スキルで敵味方の位置を把握して、私に指示を出す」


「はい。私は凛さんの目と耳になります。凛さんは私の剣になってください」


「オーケー。……で、まず何から?」


「まず、刻印を渡す相手を選びます。最大十五人。この十五人が、私たちの情報網の核になります。騎士団の中から、宮廷の中から、信頼できる人間を——」


「リオン」


 凛が即答した。


「あの子は信頼できる。ゲーム知識抜きにしても、この一ヶ月で確信した。最初の一人はリオンだ」


 真琴が頷いた。


「同意です。近衛騎士として姫殿下の傍にいるリオンは、通信網の要になります。次に——マリエル」


「マリエル? 侍女だけど……」


「あの方は聡明です。凛さんの変化にも気づいている。そして、気づいた上で問い返さない。信頼に値する人物だと判断しました」


 凛は昨日のことを思い出した。東屋の外で待つマリエル。「承知いたしました」の返事の前にあった一拍の間。あの沈黙は、忠義そのものだった。


「……うん。マリエルなら大丈夫だ。参謀の目は確かだよ」


 真琴の碧い瞳に、温かい光が灯った。


「凛さん」


「うん?」


「格闘家と参謀で乙女ゲー世界を書き換える。……私たちの新作ですね、剣姫さん」


 凛は一瞬だけ目を見開いて——それから、満面の笑みを浮かべた。リゼットの上品な微笑みではなく、倉橋凛の、心からの笑顔。


「最高のプロットだよ、参謀」


 夕日が傾いていく。東屋の中に、二人の影が長く伸びていた。


 真琴は凛の笑顔を見つめながら、胸の奥で思った。


(凛さんの隣にいると、怖くない。この世界がゲームじゃないことも、推しが実在することも。要するに——)


 銀色のブローチが夕日を受けて、静かに光った。


(——私は、もう一人じゃない)

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