第11話 参謀の能力
翌日の東屋は、昨日とは空気が違っていた。
薔薇の香りも、蔦の影も変わらない。変わったのは、テーブルの上だ。白い石のテーブルに、紙束が広げられている。凛が書いたゲームとの乖離についてのメモ。真琴が持参した三大国の分析書。そして真琴が記憶から描き起こした——この世界の地図。
「……参謀、この地図どこから持ってきた?」
「描きました。昨夜。宰相執務室で見た地図を記憶して、自室で再現しました」
「記憶って……一回見ただけで?」
「情報部では基本技能です。地図の暗記ができないと現場に出られませんので」
(自衛隊の情報部、怖い)
凛は地図の精緻さに舌を巻きながら、自分のメモを真琴の分析書の横に並べた。リゼットの優美な筆跡で書かれた殺伐とした内容。ガイウスの消耗。買収貴族の数。三大国の脅威。
真琴が凛のメモを読み、碧い瞳が細くなった。
「……凛さん、ガイウス団長の身体状態をこんなに細かく。肩の角度、首の傾き、声の掠れ。格闘家の観察力ですね」
「推しの身体の異常は見逃さない」
「それは観察力じゃなくて愛情では」
「うるさい」
凛が鼻を鳴らすと、真琴がわずかに口角を上げた。昨日の涙と笑いを経た今、二人の間には遠慮がなかった。
「では、情報を突き合わせましょう。まず私の分析から」
真琴が地図の上に指を置いた。アルヴィナ王国を囲む三つの国。北のガルデア帝国。東のレミアス公国連合。西のテオクラシア神聖王国。小さな国が三方から挟まれている。
「この国は三つの方向から同時に締め上げられています。一つずつ整理します」
真琴の声が変わった。令嬢でもオタクでもない声。情報を扱うプロフェッショナルの声だった。
「北のガルデア帝国。軍事的圧力担当です。国境で年間百件を超える小競り合いを仕掛けて、騎士団を消耗させている。本気の侵攻ではなく、戦力と財政を削ることが目的。凛さんが指摘した通り、ガイウス団長の疲弊はこれが原因です」
「……やっぱりか。殴ってくるんじゃなくて、じわじわ削ってるんだ」
「その通りです。東のレミアス公国連合は経済的締め上げ担当。主要な交易港を三年前から少しずつ制限しています。現在の交易量はピーク時の四十五パーセント。このまま行けば、あと二年で財政が崩壊する計算です」
「数字持ってるのか。さすが情報部」
「セバスティアン閣下の執務室で、交易報告書を拝見しました」
「……閣下の部屋に入れてるんだ」
「ランドール侯爵家は忠誠派筆頭ですから、宰相との接点はあります。ただ——」
真琴が一瞬だけ視線を逸らした。
「閣下に会うと、少し緊張します」
「推しの部屋に入ったら緊張するのは当たり前だろ」
「……言わないでください」
凛がにやりとすると、真琴は軽く咳払いして話を戻した。
「西のテオクラシア神聖王国は内政干渉担当です。宗教的権威を利用して貴族層を買収している。凛さんのメモにあるヴァレンティ公爵家もその一つ。私の調べでは、宮廷貴族の四割超がテオクラシアの恩賞を受けています」
「四割……」
「国の判断力が内側から壊されているんです。セバスティアン閣下がほぼ一人で抑え込んでいますが、限界は近い」
凛は地図の上の三つの国を見つめた。北から軍事。東から経済。西から内政。三方向から同時に、それぞれ異なる方法で。
「……ゲームで誰か一人を選ぶと他が死んだのは、これが原因だったんだ」
「そうです。三つの問題は連動しています。一つに集中すると他の二つが崩れる設計になっている。ガイウスルートでは北を防いでも東と西が崩れる。セバスティアンルートでは東を立て直しても北と南が——」
「——同時に全部やらないといけない」
「はい」
真琴が凛の目を見た。
「要するに、今すぐ一つの方面で戦っても意味がないんです。三方面を同時に対処する体制を作らないと、ゲームと同じ結末になる」
(出た。「要するに」。昨日も一回出てたけど、分析が長くなると自然に入るんだな)
「要するに、私は今は動くなってこと?」
「動いていいです。ただ、私の分析が終わるまでは一人で動かないでください。まず私の通信スキルで信頼できる人間を選別します。情報網が先です。軍略はその後」
凛は椅子の背にもたれて、天井の蔦を見上げた。
「……信頼してるよ、参謀」
真琴の手が、膝の上で一瞬だけ止まった。
「……剣姫さんに言われると、なんか泣きそうになりますね」
「昨日泣きすぎたんだよ、二人とも」
「それはそう」
―――――✧ ❀ ✧―――――
「では、私のスキルについて説明します」
真琴が姿勢を正した。分析者の声から、少しだけ教官の声に近くなる。凛は椅子に座り直して耳を傾けた。
「スキルは三つあります。通信、識別、刻印。全部連動しています」
「了解。……あ、了解って言っちゃった」
「お互い様です」
真琴が薄く笑って、右手を差し出した。手のひらの上に、淡い光が灯る。温かい、白い光だった。聖女の力のような眩しさではなく、蛍火のような柔らかさ。
「まず刻印です。これが全ての基盤になります」
光が真琴の指先に集中し、小さな紋章の形を描いた。銀色の光で構成された、アルヴィナ王家の紋章をアレンジした意匠。
「信頼できる人物にこの刻印を施した品物を渡すことで、その人物を『味方』として私の認識の中に登録できます。ブローチでも指輪でも、品物は何でも構いません。ただし——数に限りがあります。現在の私の力では、同時に維持できるのは最大で十五人ほどです」
「十五人。……少ないな」
「少ないです。だから誰に渡すかが非常に重要になります」
「選別が要るってことか」
「はい。次に、識別スキル。刻印を持つ人物の位置と方角が、距離に関係なく正確にわかります。さらに、その人物の状態——生存しているか、負傷しているか、意識があるかどうかまで感じ取れます」
「……それ、軍事用語で言うと何?」
「C4I——指揮、統制、通信、コンピュータ、情報の統合システム。その中の情報・通信機能を、一人の人間で代替するスキルです。要するに、味方の全員がどこにいて、どういう状態かを、私が常時把握できる」
「……ちょっと待って。要するにの前の部分、全然分からなかった。しーふぉーあい?」
「C4Iです。まあ、忘れてください。要するに——」
「また『要するに』」
「……癖なんです。要するに、私が味方全員の位置情報をリアルタイムで把握できるレーダーだと思ってください」
「レーダー。それは分かる」
「最後に、通信スキルです。刻印を持つ相手と、距離に関係なく思念で会話ができます。声に出さなくても、意識を向けるだけで相手の頭の中に言葉が届きます」
凛が目を丸くした。
「……それ、LINEじゃん」
「……それは言わないでください」
「いや、LINEだろ。既読つく?」
「つきません。そして通話料もかかりません」
「最強じゃん」
「ただし制限があります。通信中は集中力を消費するので、長時間の同時多方面通信は負荷が大きい。それと、通信中は周囲への注意が散漫になるので、戦闘中に使うには慣れが必要です」
凛は腕を組んで、真琴の説明を頭の中で整理した。
「つまり——まとめると。参謀が味方にブローチを配る。配った相手の位置が全部分かる。配った相手と脳内通話ができる。……それって」
「はい」
「全員の動きを把握して、全員に指示を出せる司令塔になれるってことだろ」
「正確です。要するに——」
「参謀、今日の『要するに』三回目」
「……数えないでください」
凛が笑った。真琴が少しだけ頬を赤くして、それでも口角は上がっていた。




