40.ワープロの紙束
久しぶりの現地調査で疲労困憊となったにも関わらず、自動的に朝6時に目覚めた体には困惑すら覚えた。
冷水で顔を洗い、干しっぱなしの長袖Tシャツと黒いパンツを身に着ける。
違和感のない服の組み合わせを考えるのが絶望的に苦手であり、それに費やす時間も完全に無駄であるので、同じTシャツとパンツを3着ずつ所持している。
我ながら効率的な解決方法であると思うのに、キシからは「偽ジョブズ」サカイからは「カスのパリジャン」と評判は散々である。
とはいえ数年はこのスタイルで生きているため、大助かりである。
ありがとうユニクロオンラインストア、そしてクロネコヤマト。
寮から工学部棟までは目と鼻の先だ。移動には10分弱、徒歩で到着する。
今日は土曜日であり、学部生の姿はない。
ちらほらとみえる学生らしき人影は、おそらく論文執筆と研究に追われる大学院生たちだろう。
学生食堂は定休日のため、ストックしてある食料を摂取しようと、真っすぐ研究室に向かう。
と、そこには既に先客がいた。
「ゼン。早いな」
そこに居たのはナグモ女史だった。
相変わらずヨレヨレの白衣を身に着けて、クリームパンを頬張っている。
「せっかく土曜日に来たところで悪いが、今日は『イブ』は私が使う。きみはほかの作業を進めてくれ」
『イブ』とはナグモ専用脳焼き器のことだ。
超速解析マシーンの正式名称。カグツチが発する汚染物質にほかの成分を混ぜ合わせて、どんな振る舞いをするかを測定するための機械。
所有者はナグモ女史であり、好意で使わせてもらっている形だ。
そして、その機械はいまのところ世界でひとつしかない。
「……今日は脳焼き器使えないんですか……マジか……」
「イブをそんな俗っぽい名前で呼ぶな。というか、今日は休んだらどうなんだ。まるでうちがブラック研究室みたいじゃないか」
「名実ともにブラックですよ」
自覚がなかったのか。
徹夜上等で脳を焼くことを強制され、食料のストックも寝袋の用意すらある。
これがブラック以外になんなんだ。
神の肋骨を分け与えた人間の名を、自分で開発した機械につけるだけのことはある。
そうなると、『イブ』という名の機械にとっての神は、ナグモ女史自身だ。
この人は普通に傲慢なときがある。
とりあえず、まずはスマホを充電器につなぐ。
数秒ののち、画面がぱっと明るくなる。
「そういえば、昨日言っていたウダガワ教授の論文。書庫をひっくり返したら、ひとつだけ出てきたぞ」
「え?」
ナグモ女史は紙の束を取り出して、机に置いた。
俺は若干前のめりになって、その論文を手に取る。
「ニュージーランド南島西海岸における破壊性生物軍による農村コミュニティの壊滅的被害:社会基盤喪失の定量的分析」。
「ウダガワ教授の話を伺いたいなら、礼儀として論文の一本くらいは読んでから行きなさい」
「そのつもりでした。でも論文検索に引っかからなくて……これいつの論文ですか?」
「34年前だ。まあ、デジタルでは見れないだろうな」
黄ばんだ紙に、茶色く退色しているインク。ドットのような、ざらざらとした質感の文字で埋め尽くされている。
その論文を読み進めていく。




