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番外:ある母の話


【和暦/緯新22年 瑞白町】


 ここが地獄か。そう思った。


 災害で何もかも焼き尽くされた故郷。

 白い山と昔ながらの宿屋街の故郷の景色は、一瞬で失われた。

 跡形もなく瓦礫と灰に覆われ、その上に雪が降り注いでいた。


 瑞白に超大型モンスターが出現したという一報を耳にした瞬間、息子と夫の顔が浮かんだ。

 一昨年建てた念願のマイホーム、そこで帰りを待つ9歳の一人息子。

 仕事一辺倒でなかなか構ってやれないけれど、毎晩のビデオ通話だけは欠かさなかった。


 気づいたら、私は仕事を放って走り出していた。


 穂積市にある職場を出て、制止する軍人を振り切って、アクセルを限界まで踏んで、モンスター発生地帯を抜ける。


 瑞白に続く道路は封鎖されていて、何人かの軍人が警備にあたっていた。


 警備線を飛び越えようとしたとき、軍人は私の腕を掴んだ。

 瑞白に家族がいるんだ、そう訴えても、軍人は冷たく「モンスターの活動が停止するまでは、瑞白は立ち入り禁止だ」と言うばかりだった。



 ようやくモンスターの討伐が完了し、瑞白に帰ることができたのは、3日後のことだった。

 その間、家族と連絡はとれなかった。


 頭上には、軍用機が何台も飛んでいる。

 鉄道や道路は破壊されていたため、車を置いて歩くしかない。

 ただ家族の安否が知りたかった。


 瑞白に続く峠道を、雪をかき分けながら歩いた。

 びしょびしょに濡れたブーツの中で、足の感覚がなくなって、何度も転んだが、それでもひたすら歩いた。



 そうして半日ほどかけてたどり着いた故郷は、すべてが破壊されていた。


 息子の小学校、自分の実家、そして自宅。

 瓦礫と炭に変貌した景色が、脳の奥をじりじりと焼いた。


「いい? お母さん。息子さんの体、ここに埋めるからね」


 作業着姿の男の言葉は、意味を持たなかった。

 とうてい私には、理解できなかった。


 広くえぐられた地面に、遺体が並べられていく。

 安置所で見つけた息子の形をした動かない何かを抱きかかえながら、私は地面に膝をついた。


「今は焼き場も使えないから。近隣の市に順番に回してるけど、なんせ、人数が……お母さん、気の毒だけど、いったん、ここに埋めるからね」


 氷のように冷たい息子の身体。最愛の息子。

 安置所に並べられた膨大な数の遺体の中に、その姿を見つけたときからずっと、脳の底が焼けるように痛かった。


「受け入れ先を探して、必ずちゃんと火葬するからね。お母さん、気の毒だけど、埋めるよ」


 男に促されて、ゆっくりと息子から、手を離す。

 男はしっかりと息子を抱えて、丁寧に、掘られた穴に横たえた。


「お母さん、本当に、……みんな、これから大変だけど、……」


 眠っているみたいな息子の姿と、胸が張り裂けるほどの痛み。

 痛くて、痛くて、嗚咽が止まらない。


 並べられたたくさんの遺体に、土がかぶせられていく。

 私にずっと声をかけ続ける男もまた、泣いていた。



 奇跡的に、夫は生きていた。

 半身に火傷を負い、避難所で災害ボランティアの治療を受けていた。

 この後軍のヘリコプターで、隣町の病院に運ばれるらしい。


 命の無事を喜ぼうとした私を見るなり、夫は大声で喚きだした。


「きみが働くのには、ずっと反対してたじゃないか。いざというときに子供を守れずに、何が母親だ」


 何を言われているのか、わからなかった。

 脳が理解を拒否して、かみ砕くのに時間がかかる。

 そして時間をかけて理解した瞬間、視界を涙が覆う。


 守れなかった。そう、守れなかったのだ。


「きみがそばについていてあげたら、あの子は助かったんじゃないのか」


 夫の言うことはもっともだと思った。

 私がそばにいてあげれば、守れたかもしれない。

 そうでなくても、せめて、一緒に死ねただろう。


 それでも私は、息子のそばにいなかった。

 息子を夫に任せて、穂積で仕事を続けることを選んだ。

 滅多に自宅には帰れない環境に、自ら望んで身を置いていた。


 私は、母親失格だ。


 避難所の扉が勢いよく開かれて、ぞろぞろと軍人が入ってきた。

 生き残った町民たちは、異様な空気に黙り込む。


「皆さん、今すぐに全員、町外に避難してください」


 太い声が、冷え切った避難所の空気を揺らした。


「超大型モンスターの死骸から、有害物質が発生しています。すでにモンスターの周辺から、汚染は徐々に広がっています。瑞白町全域に避難命令が出されました。皆さん速やかに、ヘリコプターに乗り込んでください」


 全町民避難。突然告げられた内容に、町民はざわめく。

 けが人と子供、高齢者の方から優先的に避難します、そう指示が出されるが、町民は顔を見合わせるばかりだった。


「すでに東町のほうで、有害物質による死者が出ています。皆さん、避難してください!」


 死者、という言葉に空気が凍り付いた。


 そんな中、はじめに立ち上がったのは、子供を抱えた若い母親。

 それに続いて次々に、皆立ち上がる。


 老女の泣き叫ぶ声が響いた。

 嫌だ、私はここで死ぬ。娘も孫らも婿さんも死んだ、私もここで死ぬ。

 老女の体を抱えて立たせる若い軍人もまた、泣いているように見えた。


 息子の体の冷たい感触が、手の中によみがえるようだった。

 「必ずちゃんと火葬するからね」……そう言われたから、お願いしますと、答えた。


 土の中の、息子はどうなる?


 守れなかったばかりか、碌に弔うこともできていない。

 そんな息子は、大切な息子はどうなるんだ。

 息子の身体を置いて、町の外に、避難?


 自分だけが、助かって———


 視界がぐにゃり、歪んだ——私はそこで意識を失った。



 全町民の避難完了とともに、瑞白町全域が立ち入り禁止区域となった。


 現在でも、瑞白町は帰宅困難区域のままだ。

 瓦礫も、灰も、土の中の遺体も、ずっとそのまま。



「……長いお休みを、ありがとうございました」


 上司である研究室長に、深く頭を下げる。

 精神的な治療がおおむねひと段落し、職場復帰するまでに1年を要した。


 また、研究の日々が戻ってくる。

 もともと平日は職員寮で寝泊まりし、週末に家族のもとに帰る生活だった。

 だから、仕事さえしていれば、何も変わらないはずだった。


 それでも、息子の身体を離したあの瞬間から、ずっと麻痺したみたいに、頭が働かない。


「きみが戻ってこられてよかった……くれぐれも無理だけはしないように。きみは、……」


 室長は私の首から下がるネームプレートを見て、口をつぐんだ。

 真新しいネームプレートには、旧姓が記されている。


 最愛の息子を失って、夫との関係は修復できなかった。

 避難所で浴びせられた言葉に関して、あのときはすまなかった、と短く言われたのが、夫との最後だった。


 男のきょうだいがいない私のところに嫁いできてくれたのと同じ飛行機で、夫は地元へ帰っていった。


 仕方ない、と思う。子は鎹だという言葉もある。

 ああなってしまった以上、別々に生きていく以外に、もう道はなかったのだ。


 治療中に、ずっと考えていたことがある。


 瑞白には戻れない。

 超大型モンスター「カグツチ」から発せられる有害物質を除去する方法は、いまだに見つかっていないからだ。

 死の町となってしまった故郷に帰る手立ては、今は、ない。


 それなら、私が見つければいい。


 カグツチの有害物質を人体に無害な程度まで取り除き、町を取り戻す方法を。

 もう一度、あの町に帰りたい。


 そしていつか、土に還ってしまった息子と、同じ土になりたい。


「夫とは離婚しました。……ですから、私のことは」


 久々に袖を通した白衣が、窓から差しこむ光に照らされていた。


「昔のように、ナグモと呼んでください」




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