第8話:『存在しないはずの軌跡』
……おかしい。僕の演算と、実際の着弾が一致しない」
夕闇に沈む「廃墟の官公庁街」。
遮蔽物の影で、クロがハンドガンを構えながら眉をひそめた。
10vs10の乱戦の最中。
本来、この距離ならレッドガン(AR)の撃ち合いになるはずだ。
だが、先ほどから味方の前衛が、遮蔽物を貫通するかのような精密すぎる「一撃」で次々と沈められている。
「クロ……、やっぱり変だよ」
アダダが新しいバイザーのレンズを指でなぞる。
青く透き通った彼女の視界には、味方が撃ち抜かれた瞬間のデータがマッピングされていた。
「弾道の起点……あの時計塔のてっぺんなの。
あそこからだと、レッドガンでも弾道がドロップ(落下)して威力が落ちるはずなのに……。
この弾、ずっと加速してるみたいに真っ直ぐ飛んできてる」
「……ありえないね。重力減衰も空気抵抗も無視しているのか。
システムそのものが、弾道を強制的に『最短距離』で固定しているような不自然さだ」
その時、アダダのバイザーが、鋭い警告音を鳴らした。
澄んだ青の世界に、毒々しい 『紅いノイズ』 が火花のように爆ぜる。
「……ッ! 来る!!」
アダダは反射的にクロの襟首を掴み、コンクリートの壁の裏へと引きずり込んだ。
着弾音は、遅れて響いた。
それは火薬の爆発音ではない。
『ピ、ガギッ……!』
まるで、空間のデータを無理やり削除したような、耳障りな電子音がコンクリートを抉った。
土煙が舞う。着弾音は、遅れて響いた。
「今のは……」
「……うん。ブルーガンでも、レッドガンでもない。
もっと、細くて、冷たい……針みたいな一撃」
アダダは壁から少しだけ顔を出し、紅いノイズが指し示す「時計塔」を視た。
バイザーの演算は依然として
『Target: None』。
敵の存在を否定し続けている。
けれど、アダダの「瞳」には視えていた。
燃え上がるような紅い陽炎の中に、一人の 『影』 が立っている。
その影は、この世界のどのカテゴリー(ガンタイプ)にも属さない、
異様に長い銃身を持つ「何か」を構えていた。
「……私を、狙ってる」
確信があった。
あの影の銃口は、迷いなくアダダの眉間を捉えている。
システムは「いない」と言い、世界は「ありえない」と言う。
だが、その『死』は、確実にそこにあった。
「クロ。私を信じて」
「……もちろんだよ、アダダ。
君にしか視えないものがあるなら、それが僕たちの『真実』だ」
クロがアダダの肩に手を置く。
二人の意識が、バイザーの青と、世界の赤が混ざり合う境界線で同期した。
「座標、送るよ……! 距離450、仰角15……そこ!!」
アダダはブルーガンを単発モードに切り替えた。
本来、400メートル先の標的にブルーガンを当てるなど、
システム上の命中精度(精度補正)を考えれば不可能に近い。
だが、彼女が引き金を引いた瞬間。
弾丸は、空間の歪みを縫うように、一直線に時計塔の『紅い影』へと吸い込まれていった。
アダダが放った渾身の一撃。
ブルーガンの弾丸は、本来届くはずのない450メートルの距離を、
彼女の意志を乗せて真っ直ぐに突き進んだ。
だが――。
「……っ、外れた!?」
時計塔の『紅い影』が、まるでフレーム単位でテレポートしたかのように、
弾道をわずかに「避けた」のが視えた。
それは、バレットから教わった「リーン」をさらに鋭く、
非人間的な速度まで高めたような、異常な回避挙動。
直後、陽炎のように揺らめいていた『赤』が、
ドロリとした重苦しい 『黒』 へと変色した。
「クロ! 降りてきたよ!」
「追おう、アダダ。
あんな存在、この世界のどこにも定義されていないはずだ」
黒い影は時計塔から飛び降りると、
重力を無視した軽やかさで路地裏へと滑り込んだ。
アダダとクロは、かつてないシンクロを見せながらその背中を追う。
バイザーに映る座標は、依然として 『Target: None』。
目の前でコンクリートを蹴って走るその『黒装束』を、
システムは頑なに「存在しない」と言い張り続けている。
「……待って!」
袋小路の廃ビル。
追い詰めた。
黒装束は立ち止まり、ゆっくりとこちらへ振り返った。
顔は深いフードに覆われ、
煤けたような黒いノイズが、その全身から剥がれ落ちては消えていく。
その手にある、異様に長い銃身。
アダダが一歩踏み出し、叫ぼうとしたその時。
『――Notice: Special Guest has logged out.』
無機質なシステムアナウンスが、戦場全体に響き渡った。
【残り人数:18人】
電光掲示板の数字が、1つ減る。
「……え?」
黒装束の足元から、青い光ではなく、
真っ黒な穴が開いたようなエフェクトが広がった。
それは通常の退出とは違う、
まるで世界そのものがその箇所を「切り取った」かのような、不自然な消失。
『……まだだ。まだ、君に見せる顔じゃない』
『もう少し待っていてくれ。……僕の、愛しい麒麟』
スピーカー越しではない。
アダダの脳内に直接、誰かの声が響いた気がした。
温かくて、
けれど底知れない寒気を伴う、懐かしい声。
次の瞬間、黒い影は霧のように霧散し、
袋小路には冷たい夜風が吹き抜けるだけになった。
「……クロ。今の人、自分の意志で、勝手に……」
「……ああ。このテストマッチは、全員が全滅するかタイムアップまで、
個人の意志で退出することはできない仕様のはずなのに……
それに今見えたログ……偽物だ。
これは、システムが発した言葉じゃない」
クロがその場にしゃがみ込み、
黒装束が立っていた地面を指先でなぞった。
そこには、煤のような黒いピクセルが、
誰にも気づかれぬよう静かに消えゆくのを待っていた。
「……計算が合わない。
アダダ、僕たちは……見てはいけないものを視てしまったのかもしれない」




