名探偵は殺させない
絶海の孤島に建てられた古びた洋館で、一人の男が殺された。気鋭のIT企業の経営者として世間の注目を集める東村亮市(39)。自室に一人でいたところを銃撃されての即死。荒天により船を出せず、携帯電話も圏外のこの場所に関係者は閉じ込められる形となった。招待客の一人としてこの場に居合わせた警視庁捜査一課の九鬼義知警部補は捜査を開始するものの、凶器である銃は見つからず、東村が使っていた部屋につながる唯一の廊下の入り口には鍵がかけられており、実質的な密室状態にあった。何の手掛かりも得られないまま時間だけが過ぎていき、九鬼は縋るような目を一人の少年に向ける。少し生意気そうな中学二年生、横溝ドイルは洋館の部屋を見て回り、関係者に幾つかの質問をすると、納得したようにうなずき、確信をもって告げた。
「謎はすべていつも一つ。九鬼警部補、関係者を全員リビングに集めてくれ」
九鬼の呼びかけにより、関係者が全てリビングに集められた。被害者の部下、医者、料理長、給仕。全員の姿を確認し、ドイルはおもむろに口を開いた。
「事件の発端は、皆さんの許に届いた差出人不明の招待状でした」
ここに集められた人間には、被害者も含めて全員に招待状が届いていた。
「普通ならそんな怪しい招待状、ゴミ箱に捨てて終わりでしょう。でも皆さんはここに来た。それはなぜですか?」
ドイルは関係者を順に見渡す。被害者の部下、佐川美沙が不快そうに顔を歪ませた。
「なに? 私たちは尋問されてるわけ?」
「どうしてただの中学生の質問に答えねばならん」
医者である北村孝蔵が居丈高に言い放つ。険悪な雰囲気に物怖じすることもなく、ドイルは懐から二枚の紙を取り出した。
「右手に持っているのが僕に届いた招待状。左手のが九鬼警部補に届いた招待状です。一見、同じものに見えますが、一ヶ所だけ違うところがあります。分かりますか?」
佐川、北村がドイルの質問を無視するように顔をそむけたのに対し、料理長の村瀬実は一歩前に進み出て二つの招待状を見比べる。
「文面が違いますね。ドイルさんの招待状は『絶海の孤島から見える絶景をぜひお楽しみください』とありますが、九鬼警部補のほうは『三年前に結んだご縁を、この機会にぜひご確認ください』と書かれています」
佐川と北村の表情がわずかに引きつる。ドイルは大きくうなずき、招待状を懐にしまった。
「『三年前のご縁』が、皆さんをこの洋館に集めました。九鬼警部補、三年前に何があったか、教えてもらえますか?」
九鬼警部補は視線を落とし、呻くように答える。
「……三年前、ちょうど今と同じ季節に、一件の強盗殺人が起きた。犯人は未だ捕まっていない、未解決事件だ」
自分はその事件の担当刑事だと、九鬼警部補は唇を噛んだ。ドイルは九鬼警部補の言葉を継ぐ。
「そして、皆さんはその事件の関係者。そうですよね?」
ドイルに視線を向けられた佐川は、ヒステリックな金切り声を上げる。
「そ、それがいったい何だって言うの!?」
「そうだ! 三年も前の事件など何の関係もないだろう! 私は今回の事件の犯人がわかったと言うからきてやったんだぞ!」
佐川に同調するように北村が怒鳴る。不自然なほどの動揺に村瀬が不可解そうな表情を浮かべた。ドイルはゆっくりと首を横に振る。
「その事件が、今回の事件の重要な鍵なのですよ。そうですよね?」
ドイルは一人の少女に目を向ける。今まで沈黙を貫いて立っていた――
「――堤愛花さん」
給仕の少女に。無表情だった彼女の顔に、ふっと微笑みが浮かんだ。
「私が? どうして私が東村様を殺さなければならないのでしょう。あなたが言った通りなら、ここに集められたのは招待状を受け取った方なのでしょう? 私は偶然アルバイトの募集に応じただけの部外者です。招待状なんて受け取っていないわ」
「確かに、あなたは招待状を受け取ってはいません。ですが部外者ではないでしょう?」
ドイルはまっすぐに堤を見つめる。堤の表情は仮面のように動かない。
「三年前の強盗殺人事件で亡くなったのは、西村恒美さん、花江さんご夫妻。おふたりにはお子さんがいらっしゃいました。当時十三歳だったその女の子は事件後、親戚に引き取られて養子となった。彼女を引き取った家の姓は『堤』。引き取られる前の彼女の名前は――西村愛花、です」
佐川と北村の顔から血の気が引き、皆の視線が堤に集まる。堤はその視線を、まるで意に介さぬように平然としていた。
「なるほど。私には動機がある、ということですね? でも、お忘れですか? この事件には解決できていない幾つもの困難がある。動機があっても、実行不可能であれば罪には問えない。違いますか?」
感情のこもらない堤の声に、わずかに挑むような色が混じる。自信か、挑発か――ドイルはそれを正面から受け止め、うなずいた。
「確かに、この事件には謎が残っています。しかしそれは語られていないだけ。解けない謎などありはしないのですよ」
堤の眉がピクリと動く。しかしすぐに冷静さを取り戻し、再び挑むように口を開いた。
「では、お聞きしましょう。まずは凶器について。私はどうやって銃を準備し、どうやってこのお屋敷に持ち込んだのでしょう? 皆様には、私も含めてですが、お屋敷に入るときに入念に手荷物チェックを受けていただいています。それに、私はただの一般人です。銃など簡単に手に入れられる立場ではありません」
実は反社会的勢力と繋がっていた、なんてナシですよ? と言って、堤は侮るような視線を送る。ドイルの目に鋭い光が掠めた。
「……3Dプリンター」
ドイルの呟きに堤がわずかに目を見開く。ドイルは言葉を続けた。
「あなたは銃を入手したのでもなければ、持ち込んでもいません。あなたはこの屋敷の中で銃を『創った』のです。まるで神の御技のようにね」
堤は微笑みを張り付けたまま、無言でドイルの推理を聞いている。村瀬が慌てたように口を挟んだ。
「ま、待ってください! 3Dプリンターだなんて、そんなもので作った銃で人が殺せるものなのですか?」
ドイルは村瀬に向き直ると、はっきりとうなずいた。
「暴発の危険を考慮しなければ、そして一発だけ撃てればいいとすれば、充分に可能です」
暴発の危険を考慮しない、それはつまり、自分自身がどうなろうと構わない、そう犯人が思っていたことを示している。村瀬は蒼い顔で堤を見つめた。堤の虚ろな瞳は、何も映していないように見える。
「銃を手に入れることができたとして、謎はまだ残っていますよ? 東村様が殺害された時刻、彼の部屋に続く唯一の廊下の入り口には内側から鍵が掛かっていました。誰も彼の部屋に行くことはできなかったはずです。それは私も例外ではないのではありませんか?」
堤の虚無を受け入れるように、ドイルははっきりとした口調で告げた。
「3Dプリンター」
堤はわずかに目を細める。ドイルは九鬼警部補に何かを促すと、皆に呼びかけた。
「これはこの洋館の設計図です。よく見てください。なにかおかしくありませんか?」
九鬼警部補がテーブルに図面を広げる。堤は無言のまま動かず、他の面々が思い思いに図面を覗き込んだ。やがて「あっ」と佐川が声を上げる。
「こんなところに扉があることになってるじゃない!」
佐川が指し示した場所は、東村の部屋と廊下の入り口の扉のちょうど中間あたりだった。図面ではそこに扉があり、東村の部屋の隣の部屋と連絡している。もしこの扉が存在するとしたら、東村の部屋が実質的な密室だったという前提が崩れる。
「し、しかし、そんなところに扉なんてありませんでしたよ?」
村瀬が動揺しながら言った。確かに、東村の姿が見えなくなってから遺体で発見されるまでの間に屋敷中を皆で探し回ったが、そんな扉に誰ひとり気付いていない。村瀬の疑問に答えるべく、ドイルは再び九鬼警部補を呼んだ。九鬼警部補は走って廊下の向こうに消えると、しばらくして大きな板状の何かを持って戻ってくる。それはこの洋館の壁の一部のようだった。
「これは、図面にある扉を隠すように嵌め込まれていた『偽物の壁』です。犯人は最初から扉をこの壁で隠していたんです」
「見た目は重くしっかりした古い壁だが、3Dプリンターの樹脂製ですごく軽いんだ。力のない人間でも簡単に取り外しできる」
ドイルの説明を九鬼警部補が補強する。堤は微動だにせず虚空を見つめている。ドイルは図面から目を離し、堤を見る。
「犯人の行動はこうです。まず東村さんに、他のひとには内密に話がしたいと持ち掛ける。東村さんは相当な女好きだったそうですね。あなたのような美しい女性に『ふたりきりで会いたい』と言われたら、彼は簡単に乗るでしょう。そうして東村さんは我々に黙って自室に戻ります。他の人が部屋に来ないように、ご丁寧に廊下の扉に鍵を掛けてね。あなたは我々と談笑して自分の存在を印象付けた後、片づけを理由に退出します。そして急いで自分の部屋に戻り、銃を持って、隠した扉を使って彼の部屋を訪ね――殺害した」
大きく息を吸い、覚悟を決めたように、ドイルは背筋を伸ばした。
「このトリックは招待客の部屋の配置を予め決められる人物でなければ成立しない。東村さんの隣の部屋、隠し扉から出入りすることのできる唯一の部屋を自分に割り当てられる人間――『洋館の女主人』は、あなただ。堤愛花さん」
ドイルの瞳にやりきれない想いが宿る。
「訂正は、ありますか?」
「……いいえ、ないわ」
ふっと力が抜けたように息を吐いて、堤は目を伏せた。
「あなたの言った通りよ。あの男、少し潤んだ目で『相談がある』って言ったら、簡単に乗ってきてくれたわ。私のことなんてまるで覚えていなかった。こっちは片時も忘れたことなどなかったのにね」
愛花の両親、西村夫妻は小さな料理店を営むいたって普通の人間だった。店は繁盛し、毎日が忙しく過ぎていった。愛花も店を手伝い、両親を支えた。父の料理を食べて笑顔になる客の姿を見るのが、好きだった。
東村は店の常連客の一人だった。店が繁盛し、店舗が手狭になったと感じていた両親は、もう少し広い場所に店を移そうと考えていた。自称『顔の広い』東村は両親の相談に乗るふりをして巧みに資金の額と保管場所を聞き出し、そしてあの日、二人の共犯と共に店に押し入った。
店が、燃えている。思い出も、両親も、すべて奪って炎が闇に舞う。十三歳だったあの日から、愛花はずっと業火の中にいる。生き残ってしまった、その業火の中に。
「あなたには感謝しているの、ドイルさん」
愛花はどこか、遠くを見ているような目でドイルを見た。
「関係者を集めて、真相を暴いてくれて。犯人が分かって、今、皆安心しているでしょう?」
微笑む愛花はひどく危うい雰囲気をまとっている。ドイルはわずかに身を沈めた。
「――油断した獲物を、目の前に引きずり出してくれたのだから!」
素早く銃を懐から取り出し、愛花はその銃口を佐川と北村に向ける。二人が「ひぃっ」と悲鳴を上げた。愛花が引き金に指を掛けたと同時に、ドイルは彼女の前に飛び出し、射線を遮る。
「どきなさい!」
「どきません!」
愛花の憤りをより大きな決意で掻き消し、ドイルは銃身を掴むと自らの左胸に当てた。愛花の目が大きく見開かれる。
「あなたは、殺してはいけない!」
「もう殺したのよ! 私は、もう殺した!」
怯えるように叫ぶ愛花を、ドイルは強く否定する。
「いいえ、あなたは殺していない! 誰も殺してはいないんだ!」
えっ? とつぶやき、愛花は動きを止める。銃をゆっくりと降ろさせ、ドイルは静かに九鬼警部補に呼びかけた。九鬼警部補はうなずくと、隣室の扉を開ける。そこから出てきたのは、ひとりの男――東村亮市だった。
「どう、して――?」
愛花は愕然と東村を見つめる。ドイルは目を伏せ、つぶやくように言った。
「3Dプリンター」
愛花が呆然とドイルを見つめる。どこか後ろめたさを滲ませ、ドイルは真相を告白した。
「あなたが撃ったのは、僕が3Dプリンターで作った東村さんの精巧な人形だったんです」
理解が追い付かない様子で、愛花は凍り付いたようにドイルを見ている。東村が噴き出すように笑った。
「そこの坊やに言われたときには正直疑ったが、まさか本当に殺されかけるなんてな。バカに逆恨みされるってのは恐ろしいねぇ」
ぎこちなく首を動かし、愛花が東村を見る。東村は侮蔑の色で愛花を見下ろした。
「勘違いで殺されちゃたまったもんじゃねぇよ。善良な一般人だぞ俺は。どうしてこんな理不尽な目にあわなきゃいけねぇんだよ」
「りふ、じん……?」
虚ろな目で愛花は東村を見ている。東村は大げさにうなずいた。
「ああ、理不尽極まりないね。俺はあんたの両親なんて殺してない。それとも何か? 俺が殺したっていう証拠でも持ってる? 現場から指紋でも出たって言うのか? どうなんだ? ああ?」
愛花の目から涙がひとつぶ、零れ落ちる。東村が勝ち誇ったように顔を歪ませた。
「そこまで」
ドイルの静かな制止の言葉が響く。東村がわずかに不快な感情を示した。ドイルは正面から東村を見据える。
「他人の罪を詰るなら、あなたは自分自身の罪とも向かい合わなければならない」
「俺の罪、だと?」
くだらない、と東村は鼻を鳴らした。
「俺のどこに罪がある?」
「三年前、事件のあった日の翌日に、あなたは金融機関からの融資を完済していますね。金額は一千万円。西村夫妻が用意していた店舗移転の費用も一千万程度と見られています。これは偶然ですか?」
「偶然だ。それ以外に何がある」
東村は傲然と言い放つ。ドイルの目に冷たい光が宿った。
「ならば、これも偶然ですか?」
ドイルはスマートフォンを東村に向ける。そこには一枚の鑑定書を写した画像が表示されていた。
「西村夫妻の燃え残った衣服の繊維から、あなたのⅮNAが検出されたのも」
東村の顔から血の気が引く。唇を震わせ、東村はかすれた声を上げた。
「な、なんで?」
「警視庁に連絡して、三年前の遺留品を徹底的に調べなおしてもらいました。言い逃れ、してみますか?」
ありえない、と東村が激しく首を振る。
「ここは携帯の電波も圏外の孤島だぞ! どうやって警視庁に連絡するんだ!」
「3Dプリンター」
愚者を突き放す冷酷な声音で、ドイルは神託のように告げる。
「携帯電話の基地局を仮設する程度、容易いものです」
東村ががっくりと膝をつく。ドイルは静かな雷を瞳に湛え、東村の心臓を射抜いた。
「この国の正義を、あまり甘く見ないほうがいい。ひとの幸せを奪って逃げおおせることができるほど、世界はあなたに優しくはない」
バラバラという轟音が聞こえ、窓が震える。それは警視庁から飛来したヘリが到着したことを示していた。やがて大勢の靴音が聞こえ、扉を開けて刑事たちがなだれ込んできた。
「東村亮市、佐川美沙、北村孝蔵! 三年前の強盗殺人の容疑で逮捕する!」
逮捕状を掲げ、刑事は三人の手を掴む。「何かの間違いだ」「私は関係ない」と喚く容疑者を引きずり、刑事たちは部屋を出ていく。足音は遠のき、部屋に静寂が訪れた。
「……ドイルさん」
まだどこか夢の中にいるような様子で、愛花は問う。
「東村たちは、本当に裁かれるの?」
ドイルは愛花の手を握り、はっきりとうなずく。九鬼警部補がわざとらしい明るい声で言った。
「ドイル君が見つけてくれた犯罪の証拠はDNAだけじゃありません。間違いなく起訴できるし、裁判でも実刑に出来ます。私が保証しますよ」
愛花の目からはらはらと涙がこぼれる。その涙を止める術なく、愛花はずっと泣き続けた。
「ひとつだけ、聞かせてくれる?」
泣きはらした目で愛花はドイルを見る。その目はしかし、虚無に沈んでいた先ほどまでとは違う、穏やかな光を宿していた。
「いつ、分かったの? 私が怪しいって」
「あなたと最初に会ったときです」
愛花はドイルの返答に目を丸くする。
「最初、って、あの時はまだ何も」
ドイルは愛花の服の袖口を指さした。そこにはほんのわずか、緑色の樹脂の欠片が付着していた。
「それを見たとき、分かったんです。あなたの苦しみも、憤りも――哀しい決意も」
ふっと柔らかく笑って、愛花はドイルに背を向ける。九鬼警部補が「行きましょう」と愛花の手を取り、エスコートする。手錠を掛けるような無粋な男ではないのだ。去っていく愛花の背に、
「愛花さん」
ドイルは声を掛ける。愛花は振り返ってドイルを見つめた。
「あなたの犯した罪は、簡単に許されるものじゃない。罪は償わなければならない。でもね」
真摯な眼差しでドイルは愛花を見つめる。
「あなたはまだ、幸せになる資格を失ってはいない。僕はそう思います」
驚いたように目を見開き、
「……ありがとう。小さな名探偵さん」
愛花は泣きそうな顔で、微笑んだ。
3Dプリンターって、すげぇな。




