“教育”と“教養”は別物で、平民少女はそれを履き違えた。
平民の家から、貴族学院に入るなんて、普通は一生に一度もないことだ。
でも私はやってのけた。努力で、知識で、頭の良さで。
奨学生として入学し、入試では堂々の首席。教師に「天才」と呼ばれ、同級生の貴族たちからも注目を集めた。
――もちろん、注目の種類は違ったけれど。
「首席だって」「すごいわね」
「平民なのに」「……首席、ねえ」
遠巻きの声。憧れ半分、蔑み半分。
それでも私は気にしなかった。結果で証明できる。いつか、みんな私を認めるはず。
王子殿下にだって。
初めて殿下を見たのは、入学式のあとだった。
整った金髪、真っ直ぐな瞳。誰にでも平等に接し、貴族の中にも媚びず、誰かを見下すこともしない。
――まるで理想そのもの。
思わず息をのんだ。
「こんな方と並び立てたら」と思った。
いや、「並び立つにふさわしい自分になろう」と思ってしまった。
身分なんて関係ない。努力すれば、誰だって届く。
私はその証明になりたかった。
授業中、私は殿下とよく意見を交わすようになった。
最初は偶然だった。でも何度か討論を重ねるうちに、殿下は私を「勉強熱心ですね」と笑顔で褒めてくれた。
――その笑みを見た瞬間、私は確信した。
これは運命だ。私が殿下の隣に立つ未来。
それから私は変わった。
講義で発言するたび、殿下の視線を探した。
昼休みの図書室では、偶然を装って彼の隣に座った。
舞踏会では、誰よりも知的で上品な立ち居振る舞いを心がけた。
でも、どれだけ頑張っても――
殿下は、あの穏やかな笑みのまま、距離を詰めてはくれなかった。
「おや、セリナ嬢。今日も勉学ですか?」
「はい。殿下に追いつくには、まだまだ努力が足りませんから」
「そんなことはありませんよ。あなたは立派です」
――“立派”じゃなくて、“好き”と言ってほしいのに。
やがて私は焦り始めた。
殿下が誰かと笑っていると胸がざわつく。
特に、あの人といる時。
リュシエンヌ・メルバ公爵令嬢。殿下の婚約者。
ふわふわした金髪に、やわらかな笑顔。
学院の成績は上の中。王家に嫁ぐ者として、特別優秀でも、特別美人というわけでもない令嬢だ。
けれど、どんな場でも空気が和らぐ。誰とでも仲良くなれる。
――なぜ、あの人が婚約者なの?
私は納得できなかった。
だって、私の方がずっと努力しているのに。
勉強も、マナーも、立ち居振る舞いも、すべて完璧に磨いたのに。
「努力している人が報われないのは、おかしい」
そう思った瞬間、私は初めて心のどこかがひび割れた気がした。
それでも諦めなかった。
殿下の側近にも声をかけた。宰相家や騎士団長に連なる家のご令息にも助言を求めた。
“殿下の近くにいる人”に近づけば、何かが変わる気がした。
でも結果は逆だった。
周囲が冷たくなった。
挨拶をしても返してくれない人が増えた。
噂が流れた。
「平民が王子を狙っているらしい」と。
そんなある日の放課後。
私は、殿下付きの侍女から呼び止められた。
「セリナ様。殿下の婚約者、リュシエンヌ・メルバ様がお話したいと」
心臓が跳ねた。
“ついに認められる時が来た”と、夢見心地な気がした。
でも、部屋に入った瞬間、その期待は崩れた。
「お待ちしておりましたわ、セリナ様」
柔らかく微笑むリュシエンヌ様。
その隣には、先ほど会った侍女が控えている。
何かの確認――あるいは監視をするために、彼女が同席しているのだと一瞬でわかった。
「……お話とは?」
「ええ、その……少し、気になっていることがありまして」
声は驚くほど穏やかだった。
私は胸の前で手を組み、笑顔を作った。
――きっと誤解を解く場だ。私は悪くない。
「セリナ様。あなたの努力を、学院中が認めていますわ」
「ありがとうございます」
「けれど……勉学と、礼節は、少し違うと思いませんこと?」
思わず眉が動いた。
何を言いたいのか、すぐには理解できなかった。
「殿下や、ほかの方々への接し方について、少し考えてみてくださいませ」
「……殿下とは、授業でお話しただけです」
「ええ、そう伺っております。でもね、教育と教養は、別物なのです」
「……どういう意味でしょうか」
「教育は、自己を高めるもの。教養は、相手を思いやるために使うもの。
あなたほどの方なら、きっと両方を持てるはずですわ」
その声に、責める色は一切なかった。
むしろ、心から案じてくれているようだった。
――だからこそ、耐えられなかった。
“高位貴族が、平民を突き落とすなんて”。
私は礼をして、早々に部屋を後にした。
廊下に出ると、胸の奥が熱くて苦しかった。
その日の夜、私は友人に話した。
「リュシエンヌ様に呼び出されて、酷いことを言われたの」
でも、誰も信じてくれなかった。
「リュシエンヌ様が? まさか」
「だって、あの方、誰にでも優しいもの」
「きっと誤解よ」
笑われて終わりだった。
翌日から、廊下で話しかけても皆目を逸らした。
食堂で席を探しても、空いているのは隅の一席だけ。
――ああ、私はもう、この学院にいられないんだ。
数日後、学院長に呼び出された。
「セリナさん。あなたほどの人材が去るのは惜しいが……このままでは学びづらいでしょう。退学という形を取るのが、一番穏やかかもしれません」
穏やか。
その言葉が、心の奥に小さく沈んだ。
「……わかりました」
最後にもう一度だけ、王子に会おうと思った。
けれど、殿下の護衛に止められた。
「殿下は今、リュシエンヌ様とお過ごしです」
見上げた先のバルコニーで、二人が笑い合っていた。
まるで絵のように、美しく、完璧な光景。
そこに私の入り込む余地なんて、最初からなかったのだ。
馬車に乗り込むとき、振り返って学院の尖塔を見上げた。
“努力すれば報われる”と信じていた場所。
けれど今は、ただ遠くに霞んで見えるだけ。
きっと、私はまだ知らなかったのだ。
勉強で得た知識より、
“人と人の距離”を測る方が、ずっと難しいということを。
学院の噂好きたちは、やがてこの出来事をこうまとめた。
――平民の首席、王子に恋をして破れたり。
そして、誰も悪くないままに幕が下りた。
けれど、セリナの名前だけは、しばらく誰の口にも上らなかったという。
静かな午後、リュシエンヌはいつものように紅茶を飲みながら、
侍女の言葉に微笑んで答えた。
「ええ、あの方は本当に優秀でしたわ。
でも――教養と教育は、別物ですのよ」
そう言って、やわらかい風に髪をなびかせた。
春の陽射しは穏やかで、世界は今日も、何事もなかったように平和だった。
教育・勉強は1人でどうとでもできますが
教養・振る舞いだけは、指摘してくれる大人や友人がいないとそうそう……
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〜次回作予告〜
日傘の影の範囲は、パーソナルスペースを意味する。
隣国との和平を記念したお茶会にて、無遠慮に近づいてくる令息がいた。
この令息と婚約を勧めようと?作法を知らなかったから?
不愉快でしてよ。




