第8話 遠ざかる声
ChatGPTにて執筆
BOOK☆RECORDSの閉店作業が終わるころには、店内に静かな空気が戻っていた。
京都駅前の雑踏から少し外れたこの一角は、夜になると急に静まり返る。喧騒の余韻が遠ざかるにつれて、昼間の忙しなさが嘘のように感じられる瞬間だ。
シャッターを半分降ろして、最後のレジ締めを終えると、僕はバックヤードの時計をちらりと見上げた。21時13分。今日は閉店までだったから、藤城さんと一緒に最後の片付けをしていた。
「……これで全部、かな?」
「うん。たぶん大丈夫。お疲れさま。」
「お疲れさまです」
短く挨拶を交わして、二人で控え室に戻る。もう誰もいない空間に、蛍光灯の白い光だけが差していた。
「ねえ、村田さん。明日、休み?」
「うん。明日は授業だけだから、バイトは入れてない」
「そっか……じゃあ今日、一緒に帰ってもいい?」
意外な言葉だった。あまりにも自然に言うから、つい聞き返してしまいそうになったけれど、彼女の表情はいつもと変わらなかった。
「もちろん、いいけど」
「やった。電車、ちょうど同じ方向だし」
そんな理由を添えて笑う彼女は、どこか安心したようにも見えた。
更衣室でエプロンを外し、鞄を肩にかけたあと、僕たちは並んで駅へ向かって歩いた。
夜風がほんの少し冷たくて、肩にかかったショルダーバッグがいつもより重く感じたのは、気のせいじゃないかもしれない。
「……ねえ、村田さん」
「うん?」
「今日さ、ちょっと拗ねてた?」
その問いはあまりにも不意打ちで、僕は一歩、足を止めてしまいそうになった。
「拗ねてた……って?」
「だって、休憩室から急にいなくなったから」
あのときのことだ。
大田さんと藤城さんの会話が、僕の中で思っていたより大きく残っていた。からかわれたのは彼女の方だったのに、なぜか僕ばかりが動揺していた。
「……別に、そんなことはないよ。ただ、飲み物取りに行こうと思って」
「そっか。ならいいけど」
それ以上、彼女は何も聞かなかった。でも、隣で歩く足取りが少しだけ遅くなっているのを感じて、僕はほんの少しだけ罪悪感を覚えた。
駅に着くと、電車はちょうど数分後に発車予定だった。
ホームに上がってベンチに座り、しばらく無言のまま時間が流れる。
遠くで電車のアナウンスが響いて、それがまた、ふたりの距離を曖昧にさせる。
「……来週、帰省するって言ってたよね」
「うん。2泊3日だけど」
「そっか、久しぶり?」
「高校の卒業以来かな。だからちょっと緊張してる」
そう言って笑う藤城さんの声に、ほんの少しの寂しさが混じっているように聞こえたのは、僕の気のせいだろうか。
「実家って、落ち着く?」
「うーん、どうだろ。落ち着くっていうより、気を張っちゃうかも。……なんでだろうね」
ふとした沈黙が訪れた。
僕は自分の手のひらを見下ろしながら、言葉を探していた。
——祐希さんにとって、ここはどんな場所なんだろう。
「……俺さ」
「ん?」
「なんて言えばいいか分かんないけど……その、さっきのこと。ちょっとヤキモチみたいなの、焼いてたかも」
「……」
彼女は僕の方を見た。でも何も言わなかった。
「別に大田さんがどうこうってわけじゃない。ただ、自分が情けないなって思っただけで……」
「情けなくなんかないよ」
やさしい声だった。あまりにやさしくて、思わず目を逸らしてしまいそうになる。
「……そういうの、ちゃんと言える村田さんって、すごいと思うよ。私はたぶん、そういうの黙っちゃうから」
「でも、ちゃんと気づいてたじゃん」
「ふふ、まあね」
電車がゆっくりとホームに入ってきた。
車両のドアが開くと、僕らは無言のまま並んで乗り込んだ。人の少ない車内、座席に並んで腰を下ろす。
「……ありがとうね、さっき」
「え?」
「正直に言ってくれて、嬉しかった」
少しだけうつむきながらそう言った彼女の横顔は、普段よりもずっと素直に見えた。
夜の車窓に流れる光が、彼女の髪にやわらかく反射している。
同じ電車に乗っているはずなのに、少しずつ距離が変わっていく——そんな不思議な感覚が胸の奥に残った。
それは、近づいているのか、遠ざかっているのか。僕にはまだ、分からないままだった。
けれど少なくとも今、彼女と同じ速度で揺られているこの時間は、何よりも確かなものだった。