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第17話 幼馴染とキスの味③

「照れてる、のか?」


「――っ!?」


 碧の瞳が驚きによって大きく見開かれ、何の感情からか、頬が赤く染まった。


 その様子は明らかに恥じらいであり、少なくともこれまでの付き合いの中で一度も見たことのない反応だった。


 普段何事にも飄々とした態度を崩さない碧が、まるで自身の初めての感情に戸惑うかのように瞳を揺らしている。


「ち、ちがっ……ボクが照れたりするわけないじゃん……!?」


 碧が無理矢理笑みを作って余裕を醸し出す。


 しかし、隠し切れない動揺が端々から滲み出ているうえに、その顔の赤らみが引いていなかった。


 普段見せない表情に新鮮味を感じることもあってか、凄く可愛いと思った。


「……なら、キス出来るよな?」


「そ、それは……!」


 今度は俺の方から碧に近付いていく。すると、碧がビクッと肩を震わせて、揺れる黒い瞳で俺を見詰める。


「ま、待ってユウ……!」


 互いの身体が触れ合いそうな距離。あと少し顔を近付ければ鼻先が当たり、唇を触れさせることだって出来る。


 しかし、そこまで来て、碧が制止を促してきた。


「ぼ、ボク……なんかおかしいみたい……! よくわかんないけど、胸が苦しい……今日は、止めておこう……?」


「今のお前のソレが、ドキドキしてるってことなんじゃないのか?」


「し、してないよ……! ボクが幼馴染で親友のユウにドキドキなんてするわけないじゃん? それじゃあまるで、ボクがユウのこと異性として見てる、みたい……」


「ということは、やっと俺の願いが叶ったってことだな」


 思い返せば小四のあの日――碧が自分以外の男子と仲良さそうにしているところを見てモヤモヤする気持ちの正体を知って、それを碧に伝えた日からだ。


 以来、俺は毎日欠かさず『好き』と言い続けてきた。碧を振り向かせるために、自分磨きも欠かさなかった。


 もう六年になるのか…………。


 でも、それだけの時間を費やした価値はあった。その成果が、今こうして表れたのだ。


 ――この機会を逃すわけにはいかない。


「碧……」


 俺はドッドッと加速していく鼓動とその衝動に従って、ゆっくり顔を近付けていく。碧の瞳が動揺の光を灯し、ジッと俺の方を見詰めてくる。


 互いの唇の間合いが、一センチ、また一センチと近付き――――


「ゆ、ユウ……怖いっ……!」


「――ッ!?」


 俺は思わず固まった。


 喉から絞り出したかのような震える碧の声。気付けばその瞳には涙が滲んでおり、俺の高鳴っていた胸の鼓動は一気に静まった。


 身体を冷静が包み込む。体温が二、三度も下がったような感覚だ。


「あ、碧……俺……」


 俺はなんてことをしようとしていたのだろうか。雰囲気に流されて、碧の気持ちを考えずに半ば無理矢理迫ろうとしていた。


 俺は碧を異性として好いている前に、幼馴染として、最高の親友として好きなんだ。今しようとしていたことは、そんな関係を壊す行為だ。育んできた信用を裏切る行為だ。


「ご、ゴメン……碧……」


 今日のところは帰った方が良い。


 そう思って、俺はそっと碧から距離を取って立ち上がろうとする。


 しかし、服の裾が何かに引っ掛かって立ち上がることが叶わなかった。いや、引っ掛かっているのではない。碧が摘まんでいたのだ。


「あ、碧……?」


「ユウ、怖いよ……」


「あ、あぁ……ほんとゴメン。だから、今日のところは――」


「このままキスしちゃったら、もう今まで通りじゃ……仲の良い幼馴染のままでいられなくなっちゃうんじゃないか怖い……!」


 そ、そっちかい……!


 てっきり碧は半ば無理矢理キスしようとした俺のことを怖がっていたのかと思ったが、どうやら違ったらしい。


 碧は、キスをすることによって、俺との関係が変わってしまうことを恐れていたのだ。


 ホント、俺の後悔を返して欲しいぞ……。


 俺は呆れから思わず笑みを溢しつつ、持ち上げかけていた腰を元に戻す。


 そして、不安げな眼差しを向けてくる碧と真っ直ぐ向かい合った。


「別に、こんなことで俺達の関係はどうにかなったりしないだろ? 俺とお前は幼馴染で、親友で――」


 ――恋人だ、とそこに付け加えられるようになるのが俺の夢だが、まだそれは先になりそうだ。


「あと、ゴメン碧。お前が不安がってると気付かずに、俺はお前にキスしようとした……ごめん」


「ううん、別にそれはあんまり気にしてないよ。むしろ――」


 恥じらい混じりの熱を帯びた瞳が、上目遣いで向けられた。


「――ちょっと、ドキドキした……かも」


「おっ、お前な……そういうことを言われると、俺も居たたまれなくなるんだが……」


 俺は気恥ずかしくなって右を向き、指で頬を掻く。すると、碧が何か小さく呟いた気がした。


「ちょっと……そのままで……」


「ん?」


 フワッと鼻腔をくすぐる仄かに甘い香り。この部屋に充満しているのと同じ、紛れもなく碧の匂いだ。


 そして同時に、左頬に柔らかで温かな何かが軽く押し当てられた。


 いや、押し当てるとも言えない、もはや掠める程度の表現こそが妥当に思える一瞬の出来事だったが、俺は何が何だかわからず、戸惑ってしまった。


 ただ一つわかることは、俺の隙を盗んで、碧が俺に何かをしたということ。


 その、何かとは――――


「あ、碧……?」


 ゆっくり碧の方に顔を戻すと、そこには自分の唇に指で触れて頬を赤くしている碧の姿があった。


 そして、俺が戸惑っていることに気付くなり、恥ずかしさを滲ませつつも、イタズラを成功させた子供のような無邪気な笑みを浮かべた。


「あはは……今日はこのくらいにしとこうか……」

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