第12話 嫉妬心の予兆③
《氷室碧 視点》
「ごめん、結城さん。ちょっとトイレ貸してくれないか?」
「良いですよ。階段を降りて右に曲がった突き当りです」
「ありがと」
しばらく雑談に耽っていると、ユウがそう言って静かに立ち上がり、一旦部屋を出て行った。
ボクはその隙に結城さんの白猫――おこめに少しでも触れてみようと手を伸ばしてみるが、やはりスッと避けられてしまった。
……もしかしてボク、動物に嫌われる体質なのかな?
そういえば子供の頃にもやたら近所の犬に威嚇されていた。その度にユウがボクを庇って安心させてくれたのを、今でも覚えている。
「ごめんなさい氷室先輩。おこめ、私以外の人と会うのは初めてで、多分警戒してるんだと思います」
「ううん、大丈夫だよ。いつか絶対撫でて見せるからっ!」
そんなボクの言葉に、おこめが微かに目を細めた気がした。そして、短くなぁ~と鳴いて結城さんの方へ擦り寄っていく。
「ん~? えへへ……どうしたのかな、おこめ~?」
結城さんがおこめを自分の膝に上げて背中を撫でる。
美少女が可愛い猫を愛でている光景があまりにも尊くて、思わずスマホを取り出して写真を撮りたくなる。けど、結城さんのことだ。お願いしたら断れないだろうからやめておこうかな。
ただ、そんなことより…………
「ねぇ、結城さん」
「はい?」
「家には誰もいないの?」
「両親とも仕事で……母は夕方頃には帰ってくるかと」
「なるほど……」
結城さんは放課後、学校の玄関でユウを待っていた。ユウがボクと一緒にいることまでは想定していなかったはず。
ということは、結城さんは誰もいない家にユウを招くつもりで待ってたってこと……だよね……?
そのことに気付いた瞬間、妙に胸の奥が痛くなってくる。何だかよくわからない感情が、ボクを黒く塗っていくかのような感覚。
「えっと……ボクがこんなこと聞いて良いのかわからないけど……」
尋ねるのが少し怖い。恐る恐るという表現以外の何物でもない感じでボクは結城さんに聞いた。
「ユウのこと、好き……なの? 恋愛的な意味で?」
すると、結城さんが僅かに目を大きくして、何度か瞬きを繰り返した。しかし、すぐにいつも通りの穏やかな表情を取り戻すと、微かに頬を赤らめながら答えた。
「……はい。好きです。恋愛的な意味で」
「そ、そうなんだ……」
ズキリ、と先程より胸の奥の痛みが大きくなった気がする。なぜか結城さんの顔を見づらくなって、曖昧に笑いながらテーブルの上のグラスに手を伸ばす。
「でも、宮前先輩は氷室先輩のことが好きなんだそうです」
一瞬グラスに伸ばしていた手を止めてしまったが、すぐに動きを再開してグラスを口元まで運び、冷たいお茶を喉に流し込んだ。そして、再びテーブルにグラスを置き直してから「知ってるよ」と短く答える。
「小四の頃から毎日しつこく告白され続けてるからね~」
「むっ……それを言うなんて氷室先輩はイジワルです」
「あ~、ごめんごめん! 別にマウント取りたかったとかじゃないんだよぉ~!」
結城さんが半分ほど目蓋を下ろして見詰めてくるので、ボクは慌てて弁明した。
それにしても、結城さんってこういうむくれたような顔もするんだなぁ。普段の穏やかな表情とのギャップがあって、何か可愛い……。
あぁもう! 何でユウはこんな可愛い女の子からの告白を断ったんだよ!?
「というか、氷室先輩は何で宮前先輩と付き合わないんですか? 凄く仲良さそうなのに……」
「あぁ、えっと……」
その質問に少し困った。
でも、別に隠すようなことでもないし、結城さんになら全然教えても良いかな。
「ボク、恋愛感情って言うのがよくわかんないんだよね」
「え?」
「ボクだってユウのことは好きだよ? そりゃ物心ついたときから一緒にいるんだもん。嫌いなはずないよ」
でも――と続ける。
「それはあくまで友達として好きなだけ。ユウと手を繋いでも、一緒に遊んでいても、『好き』って言われても……ボクは全くドキドキ出来ないんだ……」
ボクが苦笑いを向けると、結城さんはしばらく驚いた顔を保っていた。だが、そのあとに何かを決意したように一度唇をキュッと結んでから、ボクに真っ直ぐ視線を向けてきた。
「じゃ、じゃあ……」
琥珀色の瞳がボクを射抜く。
「宮前先輩は、私が貰っても良いです……よね……!?」
「……っ!?」
それは、これまでで一番ボクの胸の奥を痛くした言葉だった――――