第三話
そもそも父子をこの場に呼びつけたのは、迫りくる後白河天皇方とこれからどう戦うか、意見を聞くためなのである。
「ふむ。左様……」
男は相変わらず仁王立ちのまま、悠然と腕を組んだ。礼や作法なぞ、相変わらずまるで念頭にないらしい。
「されば早々に酒肴を片付け、出陣の宣下を為されませい。聞けば、天皇方の総大将は我が長兄・下野守義朝とのこと。兄者であればもう今頃まさに、こちらに向かい馬を進めつつある筈。もはや一刻の猶予もなかとばい」
男の言葉に、たちまち場が騒然となった。
居並ぶ者、ほぼ全てが公家である。敵が攻めて来ると聞くだけで腰を抜かさんばかりに慄き、四つん這いでオロオロし始める者までいる。
騒ぎに負けじと、男はさらに語気を強める。
「これなる白河北殿は、ただの平地に塀を囲つのみで、まるで防御に向きませぬ。ましてや背後の熊野神社など、寺社も幾つか立ち並ぶ。それらの境内に鬱蒼と繁りたる木々に、火でもかけられようものならばどうなるか。風向き次第ではたちまち火がまわり逃げ場を失い、我が方はあっさり全滅しましょう。……つまり我が方の勝機は、攻めらるるより先に、こちらから打って出るより他なし」
そう言うと、上座の御簾の奥を見透かすかのように視線を向け、
「畏れながら、直ちに出陣のご決断をば!」
と迫った。
場が、さらにざわめいた。
――夜襲じゃ。敵が来る。
――火攻めを喰ろうたら、逃げられぬそうじゃ。
誰もが、男の言う通りだと感じた。上皇もそう感じた。が、その瞬間、
「馬鹿者っ!!」
と、頼長が再び鋭い声を上げたのである。
「御前である。皆、静かに致せ!」
たちまち、水を打ったように場が静まった。
「八郎為朝とやら。どうやらその方は、田舎者同士の卑しき野戦しか、経験しておらぬようじゃのう」
「ん!?」
「恐れ多くも新院と天皇方の戦いが、左様な下卑たる戦であろう筈がないではないか。まことの戦とは吉日、方位を選びて互いに大軍を出し合い、日の下で正々堂々正面から対峙し戦うものぞ。それを卑怯にも、夜討ちなぞ……有り得ぬわ! 一〇騎や二〇騎そこらの、田舎の小豪族共の小競り合いとは事情が違う」
「はあぁ!?」
「明日、明後日になれば、興福寺勢や吉野の勢力も集結する。然る後に出陣じゃ」
「そぎゃん、こちらの都合良う、敵方が待っくるっわけがなか」
「黙れっ!! 皆の者も、此奴の妄言に惑わされ狼狽えるな! 今宵、敵襲なぞ無いわ。有り得ぬ」
ぴしゃりと断言した。
(ふむ……。それはどうか?)
上皇は密かに首を傾げたが、場の意思を制したのは左大臣頼長である。切れ者と名高い最高権力者がそこまで言い切ると、もはや誰にも覆せない。
いや、覆せる人物がひとりだけ居た。他ならぬ上皇自身である。しかし温厚な上皇は一瞬だが逡巡し、逡巡したがために頼長を窘める機を失った。
その男――わずか十代にして早くも九州一円を手中にした源氏の若武者――の進言は、こうしてあっさりと却下された。上皇としては、敢えて左大臣頼長の面目を潰すような決を下せなかった。
「今宵の出陣は、無いらしい」
すぐにその決が全軍に伝わり、早速北殿のあちこちで酒盛りが始まった。
なにしろ久々に顔を合わせる者達が多く、これ幸いとばかり、酒を酌み交わし旧交を温め合ったのである。