シーと無垢な声
《序章 少し《オモタイ》手さげ紙袋》
すべてが眩しかった。
お腹が空いたため迷わずWATASHIは、空港内のオシャレなカフェに入った。両手に、CHANELのやや大きめのバッグと少し《オモタイ》手さげ紙袋を持って……
あまり目立ちたくなかったので、いちばん奥の席へ腰かけ、アップルパイとチョコレートのスムージーを注文した。すぐにCHANELのコンパクトミラーでメークのチェックをする。とくにアイメイクがWATASHIの重要チェック項目。
滑走路や待機中の旅客機が見渡せる大きな窓から陽光が店内を豊潤に満たし、少し離れた席ではピンクオレンジのマッシュボブの若い母親が、乳児にミルクを与えていた。薄いピンクのベビー服を着ているから女の子だろう。とても愛らしかった。
アップルパイとチョコレートのスムージーがくるとInstagramにアップするため、スマートフォンで食べている様子をしっかり自撮りした。とても美味しく満足できた。
席から立ち上がる際、手さげ紙袋がやはり少し《オモタイ》と感じた。今までになかったような感覚とともに、やはりすべてが眩しかった。
《第1章 ミニのフレアワンピースの裾が靡く、一瞬の煌めきのように》
ラブホテルの403号室のチャイムを押すとすぐにドアが半分ほど開き、瞬時に部屋の光を背景にした中年男性が、舐めるような目つきでWATASHIを凝視した。男の視線がつま先のスリングバックパンプスからWATASHIの顔に戻ったタイミングでにっこり微笑むと、ようやく納得したように中年男性は軽く頷いた。
黒のレザーのソファに並んで腰かけ、笑顔のまま90分25000円になりますと告げると、恰幅のいい中年男性は、やや派手な柄のネクタイを緩めタバコに火をつけながら、よくある交渉を当然のごとく持ちかけてきた。
もう1万円だすから本番いいかな
WATASHIは、ギンガムチェックミニスカートのフリルのついた裾をなおしながら、ある程度金銭に余裕のある男だと判断し、いつものセリフでさらりと返した。
お客様、当店のようなデリバリーヘルスでは、本番行為は禁止されております
しかしながら、内緒でとかたくお約束をしていただけるなら、前金3万円の追加料金でお受けいたします
ライトグリーンでリーフ柄のカーテンが彩光によって明るくなり、愛犬のチワワがベットに昇ってきた。共働きの両親は、すでに仕事に出かけたようだ。
洗面台の鏡にうつるすっぴんのWATASHIは、冴えない顔をしていた。とくに低くひらべったい鼻が気にくわない。先日はじめて仲の良い友人とホストクラブに行ったときも、友人の方がチヤホヤされていて、WATASHIはうつむき加減のまま、手で隠しながらなるべく鼻を見られないようにしていた。大学の級友のなかには整形をしている子も数人いるし、今の時代整形は当たり前になっている。
地元の一貫校だったため、内部進学でそのままその地方都市の私立大学に入学できた。偏差値の低いお金持ちが通うお嬢様大学と噂されていたが、実際、噂どおりほとんどが裕福な家庭の子どもだった。大企業の役員や個人経営者、医師等々のお嬢様たち……
WATASHIの家庭も裕福ではあったが、整形手術の費用まで両親に頼るわけにもいかず、風俗で働いて鼻の整形をしようと考えた。
半年ほどして、ようやく貯まったお金で鼻の整形手術ができた。ウソのように生まれかわったWATASHIは、すっきりと高く美しくなった鼻に自信を取り戻し、ブランド物を身に纏いホストクラブに通いはじめた。ホストからチヤホヤされるのがとても心地良かったが、またしてもお金が必要となりもはや風俗から抜けられなくなっていた。
予定日から1週間が過ぎても生理がこなかったため、妊娠検査薬でチェックしたところ陽性反応が出た。採光のためかライトグリーンでリーフ柄のカーテンがなぜか白っぽかった。思い当たるのは1ヶ月半ほど前、デリバリーヘルスで恰幅の良い客とセックスをした際、コンドームを装着しないまま射精されたことだ。その中年男性は、必ず外に射精するという約束をはじめから守るつもりがなかったのだ。
その夜もホストクラブの担当と会う約束をしていたため、迷いなくWATASHIは、お気に入りの薄いピンクでミニのフレアワンピースを着て出かけた。
繁華街の煌びやかなネオンや明かりがWATASHIの渇いた心身を満たし、そこはまるで生まれかわったWATASHIの新たなステージのようだった。舞台の幕が開くのを渇望していたWATASHIは、整形手術によって高く美しくなった鼻に、夜のとばりの風を感じながら煌びやかなステージを歩きつづけるのを望んだ。
ミニのフレアワンピースの裾が突風に靡く、一瞬の煌めきに永遠を求めるように……
《第2章 夜空にはなぜ星たちが煌めいているのだろう》
タイプの顔をした担当ホストが、WATASHIのなかで二重の瞳がいちばん可愛いといってくれた。それからアイメイクが、いちばん重要なチェック項目になった。
その頃、WATASHIは、市内の中心部にある担当ホストの自宅マンションに頻繁に通うようになっていた。昼は大学に通い夜はデリバリーヘルスの仕事をつづけていたため、かなり時間に追われる生活を余儀なくし、やがて妊娠検査薬の陽性反応が間違いだったのではないかと都合良く考えるようになった。しかし、体調を崩して産婦人科を受診すると、医師から即座にこういわれた。
周囲の人と相談する必要がある
すでに中絶可能な22週目が過ぎていた。
すべてが真っ白になった。
WATASHIはとても細身だったため、裸になってもまだ担当ホストに気づかれていなかった。マンションのマルチストライプのカーテンを開けると、夜の窓ガラスに映るWATASHIの裸身は充分に均整のとれたものだった。コンドームなしで彼とセックスをしながら、彼の精子がWATASHIの懐妊を洗い流してくれることを望んだが、現実にそんなことが起こるわけもなく現実逃避がひどくなっていった。
11月に入り、まだ就職が決まっていなかったWATASHIは、とても大切な企業面接を受けるため旅客機に乗って東京へ向かった。離陸後しばらくすると激しい陣痛がはじまり、歪んだ表情を悟られないため顔を伏せたままじっと痛みに耐えつづけた。予定日はまだ1ヶ月先だったはずなのに……
空港に到着すると、すぐに空港ターミナルの多目的トイレに駆けこんだ。
すべてが真っ白だった。
しかし不思議なことに多目的トイレから出ると、すべてが眩しかった。
両手に、CHANELのやや大きめのバッグと少し《オモタイ》手さげ紙袋を持っていた。その少し《オモタイ》ものは、たったいま多目的トイレで出産したへその緒がついたままのWATASHIの女の赤ちゃんだった。
WATASHIの強い意志によって、もう赤ちゃんは呼吸をしていない少し《オモタイ》ものになっていた。
お腹が空いたため、午後の日差しが反射する大きな窓を備えた通路を進み、迷わずオシャレなカフェに入った。
あまり目立ちたくなかったので、いちばん奥の席へ腰かけ、アップルパイとチョコレートのスムージーを注文した。すぐにCHANELのコンパクトミラーでメークのチェックをする。とくにアイメイクがWATASHIの重要チェック項目。
滑走路や待機中の旅客機が見渡せる大きな窓から陽光が店内を豊潤に満たし、少し離れた席ではピンクオレンジにマッシュボブの若い母親が、乳児にミルクを与えていた。薄いピンクのベビー服を着ているから女の子だろう。とても愛らしかった。
アップルパイとチョコレートのスムージーがくるとInstagramにアップするため、スマートフォンで食べている様子をしっかり自撮りした。とても美味しく満足できた。
席から立ち上がる際、手さげの紙袋がやはり少し《オモタイ》と感じた。
今までになかったような感覚で、やはりすべてが眩しかった。
それからWATASHIは、予約していたホテルにチェックインし、部屋の窓から夕暮れを迎えた高層ビル群が、赤く色づきはじめる壮大な光景を羨望の眼差しで眺めた。何かを叫ぼうと思ったが何も言葉が出なかった。
そして、スマートフォンの地図アプリで付近の情報を検索し、高級マンションが並ぶ付近の公園が目的地として最適だと確認すると、真っ白なシーツのベットで少し仮眠をとった。
落日した大都会の喧騒から死界となっている公園だった。
夜の21時頃、外国風に整備された公園に入り、通りから死界となる花壇の奥にある樹木の付近に手で穴を掘った。なかなかうまく掘れずマニキュアも剥がれとても焦ったが、なんとかある程度の深さの穴ができると、絶えず少し《オモタイ》と感じていた手さげ紙袋のなかの、コンビニ袋に包んでいた少し《オモタイ》ものを震えながらやっと埋めた。
紺碧色の夜空には、星たちが煌めいていたが、WATASHIには、なぜ星が煌めいているのか理由がわからなかった。
わかったとしても今のWATASHIには、なんの役にも立たなかっただろう……
WATASHIは跪き、星明かりの届かないまっくらな木陰に埋められた、へその緒がついたままのWATASHIの赤ちゃんに向かって合掌した。
ほんとうはお腹を蹴る赤ちゃんが愛おしくて、名前も考えていたのだけれど……
ほんとうにごめんなさい
《終章 無垢な笑い声》
愛犬シーズーのシーが、つぶらでくもりのないまなこを永遠に閉じたとき、すぐにおれもよごれきってにごったまなこを永遠に閉じるだろう。
そうして、奇跡によってともに寝ていた布団に鉄の車輪が設けられ、そのままその《銀河鉄道布団電車》に乗って、宇宙の果てまで永遠の旅へと出かけるだろう。
おれとシーを、照明のように明滅させている宇宙のちからに導かれて、すべてを照らす宇宙の照明、まことのひかりをもとめて……
ある11月の、紺碧色の南の夜空に、一等星よりもはっきりと明滅している不思議なものが飛んでいた。光のなかに車輪が見える。
その《銀河鉄道布団電車》には、ベージュの髪にTiffanyのサークルピアスをしたおとこと、かれの愛犬の白にゴールドの体毛の小犬が乗っていたが、やがてへその緒がついたままの女の赤ちゃんが乗ってきた。
へその緒が眩くひかり、ほんの小さな首にむごたらしいアザがある赤ちゃんは、激しく泣きつづけていた。
おとこが頷くと、小犬が赤ちゃんのまだ真っ赤な頬をやさしく舐めはじめた。すると赤ちゃんの泣き声がしだいに弱まり、終いには、陽光のような笑顔になって手足を動かしはじめ、へその緒のひかりも首のアザもきれいに消えた。
南の夜空に、星たちの煌めきに負けない、赤ちゃんのほんの小さな無垢な笑い声が生まれた。