263.素手でもめちゃくちゃ強い謎の男
「その男は、引っかかっていたレイグラードを掴んだ俺の手を掴んだんだ。それも窓から少し離れたベッドのそばにいたはずなのに、気がついた時には手を掴まれて俺が逃げられないようにしてきた」
「距離があったのに掴んだ? 足音はしたのか?」
「したようなしなかったような……」
自分でも気づかないレベルで一気に距離を詰められたトークスは、思わず身震いをするしかなかった。
それも、引っかかっていたレイグラードを取ろうとする自分の姿を見ることができない死角だったはずなのに、気配でそれに気づかれてしまったらしい。
『……おい、誰だ君は』
「くっ……」
しかもこの男の掴む力は異常に強い。
傭兵として活動する自分も生半可な鍛え方はしていないはずなのに、男の親指の方から手首を引き抜こうとしても、男のその親指が全く動いてくれないのだ。
なんにせよ気づかれてしまったことには変わりないので、こうなったらこの男の手首を斬り落としてでも逃げるべきだと自分の本能が告げているトークスは、掴まれていない左手でナイフを取り出した。
「けど、それでもその男は顔色一つ変えなかったよ」
そのナイフを見ても動じないどころか、面白いものを見るような目でトークスがどう出るのか興味深そうに見ている男。
一方のトークスは冷静さを取り戻し、自分の手首を掴んだままの男の右手を斬り落とすべくナイフを振るったが、そのナイフを持つ左手首を下から上に向かって掴む。
そして、トークスの両腕を自分の方に引き寄せてその手の甲同士を思いっきりぶつけた。
「ぐっ……!?」
一瞬怯んだトークスの顔面に、男から強烈な両手の一撃が入る。
しかもかなりのパワーがあるその一撃で、自分が立っている屋根の上に尻もちをつく形で倒れ込むトークス。
その動きだけを見てもかなり腕の立つ人間だというのがヒシヒシと感じられたが、レイグラードを目の前にして諦めたくなかった。
普段は不利だとわかれば割とあっさりと撤退するトークスだが、武器を持っている相手ならまだしも素手の相手にいいようにされたのと、ここまで来てレイグラードを諦めたくない気持ちが再び彼を黄色い男に向かわせる。
だが、男の方はあっさりとレイグラードを部屋の中にあるベッドのそばに立てかけると、なんと自分から屋根の上に出てきたのだ。
『やるんだったらやってもいいけど、怪我しないうちに帰った方がいいと思うけどなあ、私は』
「……っ!!」
完全にバカにされている。
ヴァレルほど頭に血が上るタイプではないものの、そこまで言われたら今度は容赦はせず、速さに速さをかけた抜刀術で勝負をかけるトークス。
対する黄色い男はそれを見ても動じないどころか、ゆったりと手を腰の後ろに組んでいる。
だったらその身体を真っ二つにしてやる、と光の軌跡を残す抜刀術を繰り出したトークスだったが、腕を振り抜いた瞬間に視界が突然回転したのだ。
「うわっ!?」
『むん』
「ぐっ……!?」
抜刀術の軌道よりもさらに低く……地面に寝そべる形で回避した男はその姿勢から一気にカエルのように飛び上がり、トークスのアゴを下から突き上げる拳の一撃で撃ち抜いたのだ。
その痛みが襲ってくる前に、頭を中心にして後ろに回転したトークスは腹から屋根に落下。
黄色い男はそれでもロングソードを手放さないトークスの右手首を掴んで、バキッと音をさせて手首の関節を二の腕側に折り曲げた。
「ぐああああっ!?」
『ふっ』
「うわ……あああっ!?」
折れた手首を両手で掴んだままトークスを立たせた黄色い男は、そのまま反時計回りに回転して遠心力を使って屋根の下に彼を投げ落としたのであった。
『まったく……用があるならドアからノックをして入るもんだぞ、人間』
それだけ言い残した男は、今度は窓を閉めてカギをしっかりとかけ、再びルギーレの看病に戻るのであった。
そして完膚なきまでに叩きのめされて路地裏に落とされてしまったトークスは、ほうほうの体でウィタカーとヴァレルのもとに戻ることしかできなかった。
「そんなに強え奴がいたのかよ? 死神とまで呼ばれているお前が手も足も出ないようなのが……」
「ああ……上には上がいるもんだ」
ウィタカーに回復魔術をかけてもらいながら、トークスはその男について覚えた違和感を口に出す。
「だけどあの男、普通の人間ではない気がする」
「なんでそう思うんだ?」
「わからない……でも、見た感じとか雰囲気とかからするとなにか人智を超越しているようなそんな感じだった」
折れた手首は元に戻ったが、折れた心は当分戻りそうにない。
レイグラードすり替え作戦は早くも前途多難の様相を呈していた。




