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視線を交わして 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやは、「無関心のマナー」って聞いたことあるかい?

 ほとんどの場面で持つことを求められる、他者への関心。しかし場合によっては、関心を向けないことが、かえって望ましいとされるきまりだ。

 有名どころとして、「すれ違う人とは、目を合わせないようにする」というものがある。

 知らない人が向こうから来るとき、視線を合わせ続けてはいけない。顔を視認し合える間合いに入ったら、さりげなく目をそらしていく。それが相手に不快な気持ちを持たせないマナーになるんだ。


 どこか、猫を相手にするときを思わせるな。

 猫と仲良くなりたいなら、目を合わせない方がいい。なぜなら、猫にとって目線を合わせるのは、けんかをおっぱじめる合図だから。

 猫のけんかは、まず遠くから威嚇し合った後、近づいてにらめっこへ移ることが多いようだ。目をそらせば負けで、どちらも譲らなければ取っ組み合いが始まる。目は口ほどになんとやらというわけか。

 この視線をめぐる話、昔からぽつぽつあるようでね。私も最近仕入れた話があるのだけど、聞いてみないかい?



 真っ向から視線を合わす、と考えたとき、ぱっと浮かぶのは「にらめっこ」じゃないだろうか?

 もともとは「目くらべ」といわれ、戦の訓練の一環として使われていたという。

 相手の目をしっかり見据えて、打ち倒す。視線をそらした時点で、それはもう負けというか、死を意味する。

 戦が激しくなる、源平のころに生まれたものだという話だ。当時の取り組みといったら、現在の比ではないくらいシリアスなものだったろうね。


 それが平和な時代へ移っていくにつれ、「笑わせたら勝ち」という穏やかなものへ変じていった。

 視線のみならず、その顔を緩ませたり、突っ張らせたりして、そこから生まれるおかしさを武器に相手を倒す。手軽にできる勝負事として、子供たちの間でもたびたび流行していたんだ。

 そして時は、江戸時代に入る。


 その日、町人の子供が買い物がてら、町の大路をずんずんと大股で歩いていた。

 昨日、友達うちでのにらめっこで惨敗してより、特訓しようと思って、多く人とすれ違う、この道の真ん中を闊歩していたんだ。


 向こうから人がやってくると、そのうちの一人に狙いを定める。そしてすれ違う直前に、おかしな顔をして相手の反応をうかがうんだ。

 もちろん、相手は選ぶ。刀を帯びているお侍さんなどもっての他だし、コワモテやうさんくさい顔をした男も、何をされるか分からない。

 自然、女子供を相手にすることが多くなった。反応は様々で、無視される、驚かれる、笑われる、明らかに引かれるなどなど。

 子供本人の理想には、まだまだ遠い。彼が望むのは、選んだすべての相手への勝利。すなわち笑わせることなのだから。

 特に無視なぞは、はじめから歯牙にもかけられていないというわけで、この壁をいかに超えるかが当面の課題となっていた。


 ――かつて平清盛は、どくろのまやかしを目の力のみで消し去ったと聞く。もっともっと、にらむ力を鍛えないと。


 用が済んだ後も、彼は歩く道を変えながら、ひたすらに相手を求めていたんだ。



 そして、夕方へ差し掛かったころ。

 上り坂の道を歩いていた子供の向こうから、陽が出るようにして、手ぬぐいを巻いた頭が少しずつのぼってきた。

 こぼれる前髪。その下から出てくるのは、ほっそりとした若い女性の顔だ。鼻が高く、両目も細まって、どこか動物じみている。

 少しおじけづき気味の子供だが、やがてぐっと相手の目を見据える。近づくにつれ、見えてくる女性の全身もまた、自分の母親とは段違いの細さだ。


 ――あんなにきゃしゃな体つきなら、たいしたことはしてこないはず。


 そう、どこか心の中であなどる気持ちもあったらしい。


 女性が上りきった坂を、そのままこちらへ向かって下ってくる。その目線もまた、子供に合わさったまま。けれどもぶつからない間合いで、こちらとすれ違わんとしてきた。

 その最接近した瞬間、子供は思い切り変な顔をした。顔中の肉を真ん中に集め、鼻の穴を広げて、口をすぼめて突き出した、不細工きわまりないひょっとこ顔だ。

 だが視線を外さない女性は、思わぬ返しを放ってくる。


 頭に巻いた手拭いだ。

 すれ違う間際、風もないのににわかにそよぎ出し、同時に女の口が言葉を紡ぐ。


「――に〜らめっこしましょ。に〜らめっこしましょ……」


 あたりにはばかる小さな声と共に、女の手拭いの内側から、同時に何カ所も突き出し、うねうねと動くものがあったんだ。


 ヘビ。巻いた手拭いに空いた穴たちより、首をもたげてこちらをにらむ無数の目。

 子供はその光景に一瞬固まり、遅れてぞわぞわと立ってくる鳥肌に任せて、ついっと目をそらして、逃げ出してしまったんだ。


「ま〜け。ま〜け……」


 ねっとりした声で、何度もそうつぶやく女性。その声を背中に受けながら、子供は一度も振り返ることなく、自宅へ逃げ帰ったんだ。

 このことは話さずにいた子供だが、その日の眠る段になって。

 まぶたを閉じてしばらくすると、あの女性の声が響いてくるんだ。昼間と同じ、遠くからどんどん近くへ寄ってくるように、声量は右肩上がりに増していく。


「――に〜らめっこしましょ。に〜らめっこしましょ……」


 それを聞き、何回飛び起きたか分からない。見開いた目は、変わらない自分の部屋の天井を映していた。

 だが、声を出すことができない。胸が上から押しつぶされるように圧され、手足もまた糸がぷつりと切れているかのように、ピクリとも反応しなかった。

 息をしようと必死になる子供の前で、ぶれる視界に新しく映るのは、宙で輝く金、金、金……の二つぞろいの小さな光。

 それは昼間に見た、無数のヘビたちのまなこの光を感じさせたんだ。



 その子はどうにか息詰まる前に、肺が動き出し、思い切り空気を吸えるようになったらしい。その呼吸と共に、手足の自由は戻ってきて、金の光たちもどこへともなく消えていく。

 だが様子をうかがったのち、また目を閉じかけたりすると、あの女の声がするんだ。


「――に〜らめっこしましょ。に〜らめっこしましょ……」


 今度はすぐに目を開けたが、それでも手足には強いしびれが走り、のどにも大きな握り飯がつっかかるような、苦しさがとどまっていた。

 そしてただひとつ。あおむけの自分を、真正面から一瞬だけにらんで消えた、大きい黄色の双眸があったんだ。



 一夜明け、親にようやく事情を話した子供は、さっそくお寺へ向かった。

 用意されたのは、一個のだるま。そのだるまと、にらめっこをするのだと。


「いまのあなたは、ヘビににらまれたカエルのごときもの。やがて手足もすべて潰され、かのものの餌食となるでしょう。

 しかし達磨大師ならば。

 座禅の修行の末、手足を失ったと伝わる達磨大師ならば。

 身動き取れなくなる定めである、あなたを受け止めることができるでしょう。

 呼びかけなさい。『だるまさん、だるまさん。にらめっこしましょう』と。

 そして伝えなさい。目を通してあなたの真剣さを」


 皆の見守る中、窓際のふちに置かれただるま。その真正面に座る子供は、息を軽く吸ったあと、仲間とにらめっこするように声をかける。


「だ〜るまさん、だ〜るまさん、に〜らめっこしましょ。わろたら負けよ、あっぷっぷ」


 いつもの変な顔じゃない。すっと据わった目線を、子供は入れられたばかりの、だるまの黒目へ注いでいく。



 どれくらい経った時か。

 だるまの黒目が、少しだけキラリと輝いた気がした。「ん!」と、気づいた子供が口を結んだままうなると、それに応えるようにだるまはプルプル震えたらしい。

 間を置いて、それが繰り返されること三度。だるまの目が何度もまたたいたかと思うと、その目から頬にかけて、ピリピリピリとひびが入っていったんだ。

 文字通りの「破顔」。もしやだるまさんが負けてしまったのかと、不安になる子供たちだったが、お坊さんはこれで大丈夫なのだという。


「これはあなたの負うものを、受け取ることができたという合図。笑うことができたから、『負けて』くれたというわけです。

 代わりに背負うという、『おまけ』をもって」


 だるまさんは、その日のうちにお焚き上げされる。

 そしてかの子供も、もうあの金縛りや金色の瞳に悩まされることはなくなったらしいのさ。


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