002「貴族の朝は遅い」【Se001】
僕に近付いてくる女は、家名と資産に目が眩んだ、ただの玉の輿狙いばかりだ。僕個人を好きになる女なんていない。
そういうものだと、思ってたんだけど。
*
チュンチュン、ピーチクパーチク、あるいはチーチーパッパ。
ともかく、雀が鳴くような明け方遅くのこと。
「坊ちゃま。セレン坊ちゃま。起きてくださいまし」
「ん、クロムか? タングステンに、王子は体調が優れないと伝えてくれ。今日の公務は中止だ」
メイド服を着た二十そこそこの女が、羽根布団から頭だけを出し、窓に背を向けるようにして丸くなっている少年を揺すって起こしている。
そこは、高台に建つホテルの二階にある部屋で、開け放たれた窓からは、さきほどのパン屋の煙突も少しだけ見える。絹糸のように細く艶やかな髪が、そよ風になびいて少年の端整な顔にかかる。
「仮病はいけませんぞ、セレン殿下」
音も立てずにドアを開け、五十がらみで燕尾服を着た男が現れ、メイドと場所を代わる。そして、懐から手帳を取り出して開き見ながら、説教を始める。
「これから一週間は、この国の主幹部を担う人物に表敬訪問をせねばならぬのですぞ、王子。今日は軍部大臣、明日は中央銀行総裁、明後日は……」
「あー、はいはい。朝から気が滅入ることを言わないでくれよ」
王子は枕を後頭部に載せ、その両端を両手で掴むように持ち、手前に引っ張って耳を塞ぐ。
その様子を見た燕尾服の男は、手帳を懐にしまいながら大きなため息を吐き、その横では、メイド服の女がクスクスと忍び笑いをする。
「まったく。いつまでも子供のような真似をするようでは、困りますぞ」
「まぁまぁ。セレン坊ちゃまは、まだ十四歳なのですから、そうガミガミ言わずともよろしいじゃありませんか」
「クロム。君が、そうやって甘やかすから、殿下は成長しないのですぞ。ゆくゆくは一国を背負って立つ人物が、こんな朝寝坊では、嘆かわしい……」
「あー、もう、うるさい! わかった、起きるよ。着替えるから、二人とも部屋を出てていってくれ」
布団を足ではねのけると、少年はスリッパを履いてベッドから降りて二人の背後に回り、その背中を押して追い出しにかかる。
「はいはい、坊ちゃま。ごゆっくり、お着替えなさいまし」
「二度寝してはなりませんぞ、殿下」
「わかってるって。わかったって、言ったろう? 鬱陶しいから、僕が良いと言うまで、入ってくるなよ」
静かに微笑む女と、しかめっ面をする男が部屋を出ると、少年は乱暴にドアを閉める。
そして、再びベッドの方へ向かうと、ズルズルとシーツをベッドパッドから外し、細長く丸め始める。
セレン【Se】:異国の王子。十四歳。刺激欲しさに、変な思い付きを考え無しに実行するところがある。呪文は、うろ覚え。