013「呪文には呪文を」【Se006】
門外不出の秘薬の一つに、惚れ薬というものがあるらしい。効果は一時的なもので、主に大人たちが情熱的な一夜を過ごすために用いられるとか。
その噂を社交パーティーで聞いたとき、なんて馬鹿馬鹿しい話だと思ったものだけど、どうやら、そうばかりも言えなくなってきた。
*
塗りの剥げたテーブルに腰かける女と、柱に拘束されたテルルが見守る中、女の子分である男とセレンが、十歩ほどの距離を空け、ステッキを片手に戦っている。
≪タンツェン≫
≪カンターレ≫
ほぼ同時だが、ほんのひと呼吸早くセレンが詠唱すると、杖先から出た火花が二人の中間地点から男側に向かって移動し、男は唐突にタップダンスのような動きを始める。
「ハハッ。かかったな」
「うわっ、なんだコレ? 足が止まらねぇ」
「アハハ。変なの~」
「こんな呪文があるなんて、知らねぇよ。どうやって解くんだ?」
「えぇい、使えない男だな」
≪ソー≫
女が短く唱えつつ、男に向かってステッキを振ると、男は糸が切れた操り人形のようにパタッと動きを止める。
「フゥー、助かった。さすが、親分!」
「情けない子分だね、お前は。もういい。わたしが相手に立つから、イスに座って見学してなさい」
「へーい」
言われたままに、男は革が破れたイスに座る。それと入れ替わりに、女はテーブルからスッと床に降り立ち、敵意を剥き出しにしてステッキを構えているセレンに近付きつつ、余裕の笑みを浮かべて話しかける。
「へぇ。歳の割には、いろいろと呪文を覚えてるじゃないの。少しは楽しめそうだわ」
「えぇい、黙れ。その子は無関係だ。解放しろ!」
「どうして、そこまでしてあの少女を助けようとするのよ。テルルと言ったかしら? 彼女、貴族のあなたと違って、どこにでもいるただの庶民の小娘よ?」
「うるさい。庶民の暮らしを守ることも、貴族の務めだ」
「あら、ご立派な理由だこと。でも、それだけじゃないでしょう?」
「……何が言いたいんだ?」
「分かってるくせに。まぁ、いいわ。自分で口にするのが恥ずかしいようだから、わたしから言ってしまいましょう。――あなた、あの子に惚れてるわね?」
「なっ!」
何を、と言いかけ、セレンはキッと口を真一文字に引き結び、我慢ならないとばかりに荒々しい声で詠唱する。
≪クリスタリザツィオーン≫
「……アレ?」
「オホホ。図星をさされて動揺したのかしら? 呪文を間違えたみたいね」
「なら、これでどうだ!」
「させないわ」
≪ドルミール≫
≪ゲヴィッター≫
ほぼほぼ同じタイミングだが、ほんのひと呼吸早く女が詠唱すると、杖先から出た火花が二人の中間地点からセレン側に向かって移動し、セレンは酔拳使いのようにふらつき始め、瞼をこすったり、頬をつねったりしはじめる。
「チッ。眠り魔法か」
「ご名答。さぁ、そのまま睡魔に身をゆだねてしまいなさい」
「ガッ八ッハ。こいつは傑作だぜ」
「寝ちゃダメよ。起きて!」
テルルの応援もむなしく、セレンはガックリと膝をつき、そのまま身体を横向けにして床に寝っ転がってしまう。女は、その様子に満足したか、口の端にニヤッと下品な笑みを浮かべると、とどめを刺そうとステッキを構える。
もうダメか、とテルルが内心で諦めかける。
その時である。
≪ブレッヒェン≫
出入り口でバリケードのように積み上げられていた廃材が、まるで象でも突進してきたかのように、ガラガラとけたたましい音を立てて崩れる。
埃が立ちのぼり、部屋から逆光になっている廊下側には、燕尾服を着た人物のシルエットが浮かんでいる。




