012「吉報と凶報」【W001】
犬も歩けば棒に当たるということわざには、二つの意味がある。
旧来は、でしゃばると災難にあうというマイナスの意味だが、昨今では、思いがけない幸運にあうというプラスの意味で使われている。こういう例に出くわすたびに、つくづく、言葉は水物であると実感させられる。
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「坊や、大丈夫? どこか、痛いところは無い?」
「おいらなら、ヘッチャラだよ。ありがとう」
「やれやれ。前方不注意ですぞ、二人とも」
ほのぼのと会話を交わす二人に対し、タングステンはヤレヤレとばかりに肩を竦めて嘆息する。それを意に介さず、クロムとアルゴンは話を続ける。
「それにしても、どうして下を向いて歩いていたの?」
「エヘヘ。アリの行列を追っかけてたんだ。なんでか知らないけど、ずーっと一列になって行進してたから、どこかに美味しい餌でもあるのかと思って」
「へぇ~。おおかた、誰かがキャンディーか何か、甘い物でも落したのね」
「クロム。我々は、ホテルを出た人物を追っているのですぞ」
タングステンが小言を挟むと、アルゴンは小声でクロムに囁き、クロムもアルゴンに耳打ちを返す。
「あのおじさん、お話の輪に入れないから僻んでるのかな?」
「ウフフ。そうかもしれないわ」
「オッホン。聞こえてますぞ、二人とも。私は断じて僻んでなどおりません」
咳ばらいとともに、タングステンが話を切り上げにかかろうとすると、アッと小さく叫び、アルゴンが何かを思い出したかのように尋ねる。
「ねぇ、クロム。テルルって女の子、見なかった? おいらのお姉ちゃんで、十一歳なんだけど」
「テルル? さぁ、見てないわね。探してるの?」
「ううん、探してない。けど、オレンジと砂糖を買いに行ったきり、お昼まで戻ってこなかったんだ。だから、すれ違ってないかと思って。――わっ!」
世間話をするような何気ない調子で二人が喋っていると、思案顔だったタングステンが何かを閃いたように小さく拳で掌を打ち、そしてアルゴンにずいッと詰め寄って問いただす。
「君。さきほど言っていたアリの行列は、どこへ向かっていたかね?」
「え? あぁ、あのアリたちなら、コッチだよ」
アルゴンは、出し抜けの質問に驚いて戸惑いつつも、薄暗い路地に向かって駆けだしながら案内する。その三歩あとを、タングステンとクロムが追いかけはじめる。
「な~んだ。アリの行列が見たかったのなら、素直にそうおっしゃれば良いじゃありませんか」
「馬鹿なことを言うんじゃありません。これも捜索の一環です」
「あら、そうなんですか? アリの行列が、セレン坊ちゃまの行方と、どう繋がるというんです?」
「今に分かります。それから、濫りに殿下の御名を口にしないように」
背後でゴチャゴチャと呟いてるのに気付かないまま、アルゴンは路地を抜け、蔦が絡まったレンガ塀や割れたガラス窓がうら寂しさを醸し出している廃墟の前に立ち止まる。
「ココだよ。ほら、まだアリたちが向こうへ連なってるだろう?」
アルゴンが指差すと、たしかに黒い点々が一列になり、塀の割れ目から向こう側へと連なり歩いている。
タングステンは、割れ目の向こうに見える古ぼけた洋館を見据えると、クロムに短く命じる。
「様子を見て来ます。クロムは、その坊やと一緒に、ここで待っていなさい」
「わたしも、お供します」
「あっ、おいらも見たい!」
「これは、遊びではないのですぞ。ヘタしたら怪我では済まないかもしれません」
「それでも、わたしも一緒に行きます」
「おいらも、おいらも!」
意志を曲げないクロムと、聞き分けのないアルゴンにおされ、タングステンは再び肩を竦めて嘆息すると、懐からステッキを取り出しながら言う。
「ついてくることを許可しますが、私が逃げろと言ったら、すぐに元来た道を戻るように。良いですね?」
「はい!」
「やったね! いいトコあるじゃん、おじさん」
「ぐっ。おじさん……」
「ウフフ。タングステンですよ、坊や」
「坊やじゃない。アルゴンだい」
お互いの名前が判明したところで、まずタングステンが塀の隙間をくぐり、続いてアルゴンとクロムも塀の向こう側へと移動していった。




