お互い見知らぬ私達
「ただいまー」
大きな声で言うも、返事はない。母は専業主婦だったはずだが、買い物だろうか。
何となく淋しくて心地よい風の通るリビングのソファでみんなの帰りを待つことにした。
「うぅ、どうなってるのよこれー。詩くんも律くんもいないじゃなーい! 詐欺だー!」
クッションを抱きつつ、うだうだ言うも、だんだんと虚しくなってくる。
「お母さん、遅いな……」
兄と父は夜になるまで帰らないので気にしてはいないが、母は以前の世界では殆ど学校帰りには家にいた。たまに買い忘れたものを買いに出かけていたりすることもあるけれど、大抵すぐに帰ってきた。遠くに出かけるような時は、朝の内に知らせてくれるはずである。
「そういえば……」
朝、遅刻しそうな自分に気付いて慌てて家を飛び出したが、その時、母はいただろうか? 姿は見ていない。私は制服もばっちり着ていたし、お腹も減っていないという、朝の支度が終わった状態で意識が覚醒したのだ。だから、そのまま玄関に直行して出かけてしまった。慌てて叫んだ「いってきまーす」に、いつもの「いってらっしゃーい」は聞こえただろうか?
更にいえば、おかしな部分はまだある。私、家に帰る時、鍵開けた記憶がない。
その時は母がいると思っていたから、開いているものだと思っていた。けれどおかしい。母が留守なら、さすがに家に鍵をかけずに出かけているというのは不自然だ。
ついうっかり忘れた……も考えられなくもない。けれど、リビングの窓すらあいている。出かけるというのに、そこまで全て忘れるものだろうか?
ひょっとして、親戚にでも何かあって慌てて飛び出したのかもしれない。
それなら、全て開けっ放しなのも分かる。
「そうだ、メモ……」
母が急に出かけるような時、机にメモを置いていくことを思い出し、ダイニングを見る。けれど、それらしきものは見当たらない。
ひょっとして、メールが、とスマホを取り出す。そして、母を探し……。
「え……?」
母が連絡帳にない。父も兄もない。どころか、あるのは『こいうた』で情報提供キャラだった子の名前のみ。なにこの専用回線。
私は、空恐ろしくなってスマホを放り投げた。
その日、四人分の夕食を用意して待ったが、家族が帰ってくることはなかった。
眠い眼をこすりつつ、学校へ行く。途中、近所の人と出会って挨拶したけれど、なんだかオート世界に比べて反応が悪い。中にはこちらを胡散臭そうに見るだけの人もいて、ちょっぴり傷付く。ひょっとして私、表情おかしい?
家に帰ったら笑顔の練習をしようと思いながら教室まで来た時点で気付く。昨日は遅刻寸前で駆け込んだ挙句、攻略キャラがいないことにショックを受けていたため気にしていなかったんだけど。……私の中学時代の知り合い、誰なんだろう。
前回のオート時代では、中学が同じ友達もいた。最初の内は、同中だよねーってことで話していたりもした覚えがある。けれど、登場人物が全く変わってしまった現在、私は誰が知り合いだか分らなかった。
「ねぇ、初めまして。私、鈴原琴音。あなたの名前は?」
途方に暮れながら席に着くと、前の席の女の子に声をかけられる。
「え? あ、私は海野奏。初めまして……って鈴原さん?」
それは、私のスマホに唯一ある名前。ちょっぴり印象が変わっていたけれど、言われてみれば確かに面影がある。思わずほっと息をついて、同じクラスとなった喜びを分かち合おうとしたら。
「うみの……かなで? うわぁ、すごい偶然。中学の時、同姓同名の子と友達だったんだー。しかも、その子もこの高校に入ったはずなんだけど」
「ちょ、ちょっと待って? それ、私でしょ?」
「え、違うよ。だって奏はもっと……あれ? 奏って……どんな子だったっけ?」
鈴原さんが首をひねる。私を見る眼は、昨日会ったおばさんそっくりだった。




