願いを叶えてあげようか?
そうして、毎日熱心にお祈りすること数十年。私は寄る年波には勝てず、老衰死した。振り返っても、色々やり遂げ、満足できる人生だったとは思う。
しかし、人生のほぼ大半を天之御中主神様に捧げ、今際の際までお祈りしたというのに、それでも駄目だったのか。もう絶望しかない、死のう。あ、いやすでに死んでた。
死後、身も心も若返った私が絶望していると、玉祖命がくっくっと笑いながら声をかけてきた。
「私も神だから、創造神ほどじゃないけれど力が使えるよ。どうする? 頼んでみる?」
「いえ、結構です」
間髪入れずに答えると、ますます楽しそうに問いかけてくる玉祖命。
「どうして? 言っとくけど、天之御中主神はいくら待ったって今から来るなんてことないよ? 君の願いを叶えたいなら、今がラストチャンスだと思うんだけど」
さすがは神。とても痛いところをついてくる。けれども、私にだって引けないものはあるのだ。
「それでも、私の神は天之御中主神様です。今はちょっと心まで若返った気がして変な感じですが、数十年来の信仰は変えられないので、他の方にお願いできる立場にないんです。残念ですけど」
ぐぐっと我慢で答えたのに、玉祖命はまるで堕落を促す蛇のように甘い誘惑の言葉をなげてくる。
「でも、ここで諦めたら君、願いは叶わないよ? 一生をかけたのに無駄になっちゃってもいいの?」
「無駄……ではないです。確かに望みは叶いませんが、天之御中主神様のおかげで充実した人生を送れましたから」
そう、充実していた。数少ない女の宮大工として一心不乱に仕事をしたことも、理想のお宮のために材料を探して駆けずり回ったことも。毎日お宮を磨きながらお祈りしたことも、受け継いだ技を後世に残すべく、後進を育てたことも。全て、楽しかった。
確かに、通常の女の子とは少し異なる人生だったのかもしれない。けれど、願いのために人生を無為に潰したわけではなかった。結婚しなくても、財産がなくても、私は十分に満足して逝ったのだ。
にっこりと笑う私を、玉祖命は慈愛を込めた瞳で見つめた。
「うん、合格」
「……はい?」
「いやぁ、ここで願いを叶えてくれるなら誰でもいいやって言ってすぐに鞍替えするようなら、君の人生の集大成ともいえるお宮を自然災害で破壊しちゃおうかな、と思ったけど、やっぱり人は一途が一番だよね」
「はいぃー!!?」
何かさらっと恐ろしいこと言いおったぞこいつ! 何そのトラップ! 私のあの愛と努力と執念の結晶が、壊される危機だったなんて!
守り手である私がいなくなることで、ひっそりと段々朽ちていくことは覚悟していたけれど、人為的(神為的?)に壊されるなら黙っちゃいられない! あれを破壊していい神は天之御中主神様だけだ!
勢い込んだ私の頭を、玉祖命が撫でる。
「まぁまぁそんなに怒らないで。お詫びに願い叶えてあげるから」
「へ?」
「さぁ、願ってごらん?」
「え、あの、私の信仰は天之御中主神様だけのもので……」
ごにょごにょ言いながら断ろうとしたのに、玉祖命ってばあっさりぶった切ってくださった。
「いいよ、許してあげる」
「へ!?」
いや待っておかしいでしょ。神様って自分を信仰してる者にしか興味ないんじゃなかったっけ?
「ふふっ。普通はそうだけどね。だけど君、全国回って色んな神様に挨拶してるじゃない? うちにも来てたから知ってるよ」
全国の神って……、あれは天之御中主神様に相応しいお宮を作る参考にするために神社を回る際、ちょっとお邪魔します、と挨拶しただけなんだけど。
「そうそう、それ。私達もさ、自分のところに来ておきながら一切願うことなく、かといって形だけ手を合わせて何も考えないのとも違って『こんにちは。理想のお宮作りたいので見学させていただきますね!』なんて宣言されて、後は本当に建物だけなめるように見てはスケッチしていくなんての珍しくてさ。君、神々の中で結構有名人だよ?」
な、なんだってー!?
いや、確かに願いはしなかった。我が神を天之御中主神様と定めたからには、他に浮気はしないと決めたから。とはいえ、神の住まう場所に無断で入って素通りは、いくら信仰してないとはいえ失礼だろう、と五円玉を放り投げて一応挨拶だけしてたんだけど。まさかそれで神々の目を引いていたとは!
「いつだったかな? 保食神が『この間うちに面白いのが来た』って言ってたんだけど、その話を聞いてちらほら『あ、それうちにも来た』って噂になってね。その子がどこまで行くんだろうって皆で話し合ったもんだよ。君、結構頑張ったよね」
おぉう……。私の努力、神様にとって酒の肴になるようなものだったとは。……とすると、天之御中主神様も私のことを楽しんで!?
「いやぁ、天之御中主神は引きこもりだからね。会合にも滅多に来ないし、そんなに自分の宮を気にする神じゃないしね」
上がった気分が一気に引きずり落される。そうか、天之御中主神様にはお楽しみいただけなかったのか……。
目に見えてがっかりした私に焦った玉祖命が、思い出したかのように言う。
「い、いやでも、話題になってた時は珍しくいたし。『うちには、立派な家を用意すると宣言しに来た』って言ってたから、認識はされてたと思うよ」
ぱぁっと視界が明るくなった。
天之御中主神様が……。我が神がお宮を作る前から私を認識していてくださった事実に打ち震える。喜びと恥ずかしさにもじもじする私を見ながら、玉祖命はにっこり仰った。
「まぁそんなわけで、君はどこまでやるのかって、神々の暇t……興味を引いていたんだよ」
今、暇潰しって言った……。えぇえぇ、構いませんとも。神々が喜んでくださっているのなら、悪い方にはいかないと思うし。
「そうそう。君が宮大工になって最高のお宮には最高の材料を、と言い始めた時には、流石にそれは無理だろうって神が多かったんだけど。いやぁ、あの御柱の時は凄かったね。あれは一瞬たりとて判断がずれてたら、絶対に手に入らなかったっていうのに。これこそ奇跡だって、神々も拍手喝采してたんだよ」
それはようございました。というか、そんなところまで見られていたとは……。他にどんなの見られてたんだろう?
戦々恐々としている私と視線を合わせ、にっこりと笑った玉祖命は幼子にするようにやさしく問いかけた。
「だから、そこまで頑張った君のために、ご褒美だよ。さ、願ってごらん?」
「え、えーと。お願い叶えていただいても、私は天之御中主神様を信仰し続けますが、それでも……?」
「いいよ、許そう」
怒って天罰を下されるかという自分勝手な宣言にもあっさり頷かれる。
「願いを叶える代わりに、代償を、とかは……」
「ないよ。君は思い通りに生きてくれればいい。私はそれを見て勝手に楽しませてもらうから」
びくびくと聞く私に、これまたあっさりと否定を返す玉祖命。
「ご、ご期待に沿えなかった場合には……」
なおも疑り深く聞く私に、玉祖命は首をすくめながら言った。
「自分が見当外れだっただけ。次はご褒美あげないけど、罰だのなんだのはないよ」
私は考えた。大いに考えた。
出来るならば、今でも天之御中主神様に叶えていただきたい。今更他の神になんて考えられないし、むしが良すぎる。けれど、甘い蜜のような誘惑にグラグラと揺れる自分もいるわけで。
「悩むことはないよ。ここは高天原に近い場所。君には見えないだけで、今も大勢の神が君を注目しているんだから。その中には当然……」
含みを持たせるような笑みに、ぞくりと期待が湧き上がる。恐る恐る聞くと、玉祖命は頷いた。
「あ、天之御中主神様も?」
「天之御中主神はこの会話の全てを聞いているよ。天之御中主神は曲がりなりにも創造神だ。多少なりとも反対する気持ちがあれば、私なんてここから弾き飛ばされているだろうね」
そっか……。天之御中主神様は、どうでもいいのか。そっかぁ。
思ったより落ち込んだ自分に驚く。
最初にはっきりと天之御中主神様は私と関わる気がない言われていたというのに、心の中ではまだ勝手な希望を持っていたらしい。私を見れば少しは気にしてもらえるのではないか、と。
けれど、玉祖命は無情にも私の希望をばっさりと切り捨てる。
「だから、君が私に願っても、天之御中主神は気分を損ねないし、君の信仰が揺らぐことにもならない」
変わらない……。どうでもいい……。でも、見ていてくださっている……。なら……。例え、願いを叶えたいとは思えなくとも、少しくらいは足掻く私を楽しんでいただける……かな?
そう判断した私は、覚悟を決めて自分の望みを玉祖命に言った。
「私を乙女ゲーム、『こいうた』の世界のヒロインにしてほしい……です」
「分かった、なら目を閉じて。楽しんでおいで」
こうして、私は望みの世界に転生したのだった。