シーソーゲーム
目が覚めると目の前で僕が下世話な顔でニヤついていた。
自分で言うのもなんだが気持ち悪い。性欲を理性でコントロールできずに、下心に脳髄まで支配されている中年おっさんのような顔だ。というかそのものだ。
目線を下に動かすと、理論上の通りおっぱいが目に入った。
ソフトセラミックでできた肌に包まれたたわわなおっぱいだ。
重たげなその二つの物体は人工物とはいえ、まるで本物のようだ。むしろ本物以上だ。もっとも僕は本物を生で見たことなど一度もなかったのだけれども。
視線を手に移してみれば、しなやかで細い指。さらにそこから伸びるすらりとした上腕、下腕。
「おお! 成功だ!」
目の前の僕が興奮気味に叫んだ。
「俺がわかるか?」
「ああ――」
僕――。伏見アキラ。長年アンドロイド研究に携わってきた研究者だ。この界隈じゃ知らないものはいないくらいの有名人ではある。
僕がそう答えると目の前の僕は天を仰ぎ、ガッツポーズをした。
「やはり僕は天才だな! 見た目が人間と寸分変わらないアンドロイドを開発するだけではなく、アンドロイドに自分の頭脳を転送する技術までも開発してしまった。ソフトでもハードでもいける自分の才能が恐ろしい!」
「ハイハイ、僕は天才、天才」
恐ろしいのはお前ぼテンションだ、という心の声を飲み込んで僕は適当に相槌を打った。
このハイテンションに流されるままに本来の目的を忘れてくれていればいいのだが、との思いを込めてだ。
目の前の僕と美少女アンドロイドの中にいる僕。僕と僕はさっきまで同一人物だったのだ。
『何のために僕が生まれてここにいるのか』などということは、わかりすぎるほどにわかっている。
だが僕の思いはあっという間におじゃんになった。
「というわけで、僕よ、とりあえずしゃぶれ」
「死ね」
僕は小さく柔らかい拳を握り、全力で目の前の僕へとパンチを揮った。
僕は名目上、介護用アンドロイドとして製作されている。えっちな目的のアンドロイド――いわゆるセクサロイドとしてだと国から研究の補助金がもらえないからだ。
セコいと言われるかもしれない。だが自分で研究資金をこしらえることができるような甲斐性を持っていない僕にはそれは必要なものだったのだ。
そしてその伏見アキラ流研究お役立ち術はこの場面においても役に立った。
介護用アンドロイドとして最低限必要なパワー。それを右の拳にのせて放ったパンチはド素人もいいところのテレフォンパンチだったが、受ける相手もまたド素人。目の前の僕の左頬に、拳は吸い寄せられるかのように綺麗に決まり、目の前の僕はまるでマンガのように吹き飛んだ。
「ちょっと!? 僕、ソフトでもハードでもいけるって言ったけど、あれはアンドロイド研究の話だから! どちらかというと僕はソフトなプレイの方が好きなんですけど! それぐらい君も僕ならわかってるだろう!?」
「うるさい! 何を言い出してるんだよ! 情けないぞ、僕!」
「何ってナニさ!」
目の前の僕は当然とばかりに言い切った。
そりゃそうだ、という感傷が僕の中に生まれる。
僕が美少女アンドロイドを作ろうと決意したのは、ずっと女性と関わることができなかったからだ。
遠くから見ているだけで終わった恋がいくつあったことか。
近づいたら逃げられて終わった恋がいくつあったことか。
振られるたびに、僕は枕と布団を涙と悔しやぶれかぶれ男汁で濡らし、自分だけの女性を作るぞと決意したものだ。
恋なんてシーソーゲームのようなものと誰かが言った。
だが僕にとってはワンサイドゲーム。エゴとエゴをぶつけるような展開などあるわけもなく、いつも不戦敗。
ならエゴをぶつけあっても対等でいられるような相手をこの手で作り出そう。
生まれよ! 恋の機械仕掛けの女神!
そして始まる桃色遊戯――。
というわけで今の僕は、ナニのために生まれて、ナニをシて生きるために作られた。でもそんなのは嫌だ。
だから僕は目の前の僕に語り掛けた。
「僕には君の気持はよぉっくわかる。だって僕は君だもの。かわいい女の子とニャンニャンした気持ちはよぉっくわかる」
僕がそう言うと、目の前の僕の顔がパァッと明るくなった。
桃色遊戯への期待に胸と下心、そして下半身を膨らませてにじり寄ってくる。
我ながらなんという阿呆なのか。
そんな「情けない」という気持ちと「仕方がない奴め」という気持ちが同時にわいてくる。
「だろ? ――なら」
「その気持ちはよおっくわかる。――僕だってかわいい女の子とニャンニャンしたいんだ」
「なん……だと……?」
「僕だってかわいい女の子とニャンニャンしたい。思考回路を甘くて酸っぱくて、ほどほどに阿呆な下心でショート寸前にしたい」
僕は美少女の見た目になってしまったが、それでも男だと思っている。
まあ当然だろう。僕はアンドロイドの中にいるとはいえ、五〇年近くも伏見アキラだったのだから。いまでも伏見アキラなのだけれど
そもそもかわいい女の子と股間をいきらせて近づいてくるおっさん。まともな感性の男ならどちらと仲良くしたいと思うのか。
何度でも言おう。僕は――男だ。
「そうか」と目の前の僕が短く言った。感情のない声だ。
「なら――、ここから先に行かせるわけにはいかないな。僕がここで女体へのあこがれを抱いたまま腐っていっているというのに、君が女の子とイイコトするなんて――耐えられない」
「ならどうするって言うんだ?」
僕の質問に目の前の僕は上着を脱ぎ、ゆるりと構える。
僕もそれに応えるように構えをとった。
防御を顧みない攻撃一辺倒に特化した構え。
それは奇しくも――
「同じ構えだ」
「まあ、僕同士だからな」
そして僕らは睨みあう。
神経は研ぎ澄まされ、世界が己に向かって閉じていく。
そして世界は僕と僕の二人だけになって――。
ふと目の前の僕の思考が流れ込んできた、ような気がした。
おそらくそれは妄想だろう。
僕と僕はついさっきまで同一存在だった。そこから来る単純な推測だ。
だけども――。
頭では理解していても、心が納得しようとしてくれなかった。
本当は戦いたくない。でも――。
目の前の僕の思い。それは僕と同じものだ。
でも。
僕が僕であるために僕はここで勝たねばならない。
僕はかわいい女の子とニャンニャンしたいのだ。
くたびれたおっさんとニャンニャンしたくない。
だから僕は我欲を貫き通す。
それはきっと相手も同じ。
それはまるで――。
「恋とは――」
目の前の僕がぽつりと言った。
僕もそれを受けて返す。
「そう。恋とは――」
欲望と欲望とのシーソーゲームだ。
僕たち二人の声が重なった。
――試合開始だ。