第八話 放蕩不羈
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「ったく、くっそ詰まんねぇ事してんじゃねぇよ」
出逢いと別れの季節は、ゆっくりと移り変わる。既に晩春が始まって、三日と言う月日が経った。
大成功の内に終わったファーストライブから三週間。一月近くが過ぎ去っても、続く舞台は未だ開かない。
梅雨入り前に一度はと思いながらも、未だ予定は決まっていない。活動的な結城恭介にしては、珍しく大人しい状況と言えるだろう。
セカンドライブの先延ばし理由は、彼曰くとても単純な事だった。
新メンバーの歓迎会も兼ねて行いたい。故に先ずは四人目なのだと、そんな拘り故である。
確かに新規メンバーは必要だろう。西行寺玲菜が人の目に映らぬ以上、彼らは二人組バンドに過ぎない。
最低限の数でも出来る事は確かにあろうが、人が揃うに越した事はない。標準的なバンドチームで考えるなら、四人は舞台に立つ人間が必要となろう。
それは響希にも分かる。新規メンバーが必要なのだと、そうでなくば次の舞台は開けないとは確かに分かる。
だからと言って、これはないだろうと嘆息する。小首を傾げて覗き込む半透明な少女を見上げて、響希は押し付けられた任務に情けない顔を晒すのだった。
――新メンバー勧誘は、響希。お前に任せる!
ぐっと親指を立てて、全てを響希に押し付けた結城恭介。彼の言い分も、まあ分からないでもない。
恭介は顔が広く、多くの人に慕われている少年だ。彼が一声掛ければ、それこそメンバーは直ぐに集まるだろう。
余りに多く集まってしまう。最小限で良いのに、恭介目当ての人が集ってしまう。それが嫌なのだと、結城恭介は妙に拘っていた。
彼曰く、俺達の主役は響希である、だ。龍宮響希と言う人間を中心としたバンドであればこそ、結城恭介を求める者は其処には要らない。
そんな妙な拘りを見せる恭介にとって、己の名で人を集める事は無駄手間なのだ。だからこそ響希に一任する。それが効率的であると、理屈の上では納得しよう。
「だからって、さ。丸投げは酷いと思うんだ」
龍宮響希が、自分で選ばなくては意味がない。そんな風に語った恭介は、協力するでもなく姿を消した。
一体何処で何をしているのか。人と関わる事が苦手な自分に、一体何を期待していると言うのか。嘆息する響希に対して、彼の背後霊は小さく両手を握って口にした。
「取り敢えず、今日も頑張りましょう! 響希さん!」
「……うん。そう、だね」
にっこりと笑って、言葉を掛ける西行寺玲菜。ほわほわとしたその笑顔に、陰鬱としていた気持ちが上向く。
やる前から出来る筈がないと、そんな風に落ち込んでいた気持ちが少しだけ前向きに。やるだけでもやってみようと変わるのだ。
だから、響希はこの三週間。確かに努力を続けられた。自分から率先して、他人に声を掛ける。言葉にすればそれだけだが、続ける事が出来たのだ。
今日も誰かに話し掛けよう。他者と関わる機会を、少しでも良いから増やしていこう。少しずつでも前に進めば、何時かは勧誘の言葉も掛けられる様になれるだろう。
怖くても、一人じゃないから大丈夫。良しと小さな手を握り絞めると、龍宮響希は前を見た。
そうして、彼のいない教室を見回す。食事休憩。昼休みの時間となっては、教室内に残っている人の数は少ない。
それでも零ではないから、話掛けられる人は居る。寧ろ少ないからこそ、話やすいと言えるだろう。
さあ、今日も誰かに声を掛けよう。腹を括った響希が一歩を踏み出した所で――その決意に泥を塗る、無粋な邪魔が其処に入った。
「龍宮。アンタさ。最近、調子に乗り過ぎじゃない」
「え?」
声を掛けようと踏み出した響希を、遮ったのは甲高い女の声。椅子から立ち上った彼を囲む様に、数人の女性徒が其処に居た。
「ちょっと顔貸しなさいよ。躾けてあげるからさ」
女達に取り囲まれて、半ば強制的に連れ出される。人気のない校舎裏へと連れ出された響希は、先導する女性徒に軽く突き飛ばされた。
校舎の壁に叩き付けられて、困惑する瞳を少女らへと向ける。見つめられた彼女達はニヤニヤと、嫌らしい嘲笑を浮かべて彼の姿を見下していた。
「なん、で」
憑いて来ている背後霊は右往左往とするだけで、この今に役立つ訳ではない。
故に響希は腹を括って、どうしてこんな事をするのか問い掛ける。声の震えを隠せぬ彼の言葉に、女達はニヤリを嗤って口にした。
「アンタさ。最近、生意気なのよね」
「クラスメイトに話し掛けたり、コンサート開いたり、何か勘違いしてるんじゃない?」
「アンタみたいなウザいのはさ。ずっと一人で居れば良いのよ」
彼女達に、大した理由がある筈ない。その言動に、背負う任などある訳ない。所詮は一時の感情発露だ。
彼女達は、白鳥明日香とは別グループの虐めっ子達。自分より弱い相手を探しては、槍玉に挙げて悦に浸る者らである。
そんな彼女達にとって、龍宮響希とは自分達よりも下に居なければいけない人間だ。
それなのに、最近の彼は調子に乗っている。クラスで一番の美男子に目を掛けられているだけでも気に入らないのに、多くの歓声を受ける姿が許し難いのだ。
故に躾ける。己の悪意を自認せずに、その悪性を認識せず、感情を叩き付ける玩具と他者を扱う。
ノートや教科書を破ったり、机や上履きをゴミ箱に捨てたり、存在を無視する。結城恭介にバレないように、彼女たちはそんな小さな事しかできなかった。
だがそんな些細な事では我慢がならなくなったから、此処に彼女達は実力行使に踏み出したのだ。
「ほら、そろそろ分を分からせる必要があるでしょ? 結城君もいないみたいだしさ」
「ぼ、僕は」
数人で取り囲んで、残る数人が空き教室から道具を持ち出す。箒やモップと言った棒状の物を、彼女達は一体何のために使う心算か。
具体的な用途は思い浮かばずとも、碌でもない事であると予想は付いた。ニタリと嗤って囲む十人近い集団が、加虐の意志を浮かべているとは分かったのだ。
追い詰められて、逃げ場がない。そんな状況に響希の瞳に涙が浮かぶ。
涙で揺らいだ少年の姿を見詰めながらに、女達は悪い笑みを浮かべて手にした物を振り上げた。
抵抗の二文字も浮かばずに、眼を瞑って震える響希。慌てて助けを呼ぼうとして、離れる事が出来ない事に焦る玲菜。
彼らは何も出来ず、ならば結果は当然の形となる。振り上げられたモップは、少年の頭部目掛けて振り下ろされて――
しかし、その直前で止められていた。
「……おい。テメェら、何やってんだ」
少女が振り下ろした金属製のモップを片手で掴んだ男は、下手人の顔を睨み付ける。
響希よりも、少女らよりも、一回り以上に大きい巨体。高校生とも見間違う程に大柄な男子生徒は、詰まらなそうに彼女らを見下していた。
「べ、別に、アンタには関係ないでしょ」
着崩した制服がなければ、中学生には見えなかっただろう。それ程に大柄な男子に睨まれて、怯えながらも虐めっ子のリーダー格は口を開く。
確かに恐怖を感じている。その長身で筋肉質な身体に、怯えを隠せてはいない。それでもあからさまな見下す視線に、彼女は耐えられなかったのだ。
だから反意を示す女に、男は分かり易く力を示す。苛立ちを隠そうともしない男子生徒は、モップを掴む右手に力を込めた。
「……あるんだよ。クソ女ども」
「きゃぁっ!?」
ボキリと音を立てて、モップの柄が圧し折れる。中身がスカスカで古い物とは言え、間違いなく金属製。それを彼は、握力だけで握り潰した。
その光景に、周囲を取り囲む彼女達は悲鳴を上げる。次はお前達がこうなるのだと言わんばかりに、犬歯を剥き出しにした男の怒り。それを前にして、些細なプライドを恐怖が上回っていたのだ。
「くっそ詰まんねぇ事しやがって、騒がしくて寝れねぇし、起きて直ぐに気分が悪くなったじゃねぇか」
「な、なによ。そんな理由で」
「テメェらが言ってた事も、要約すりゃ同じだろうが。だったらよぉ、俺が同じ理屈でテメェらの頭カチ割っても問題ねぇよなぁ? あ゛あ゛っ!?」
ドスの聞いた声で、掌にある金属片を握り潰しながらにメンチを切る。
そんな事が出来る筈はないと、そう思いながらももしかしたらと恐怖する。それだけの凄みが、彼にはあった。
ドンと校舎の壁を叩いて、それだけで壁土が零れて沈み込む。拳の痕を残しながらに、俺に楯突く気かと見下す獣の様な男子生徒。
その顔を怯えながらに見上げる女の取り巻きは、震えながらに彼の顔を見た事である噂を思い出していた。
それは二年の別の組に、学校始まって以来最悪の不良が居ると言う噂。間違いない。この男がその噂の不良生徒であるのだと。
「ま、不味いよ。コイツ、C組の武梨だよ!」
「ぼ、暴走族を一人で壊滅させたって、あの!?」
「先生でも怖がって、目も合わせないとか。マフィアと繋がりがあって、逆らった人間に臓器売らせるとか」
尾びれ背びれ所か、両手足に翼まで生えてそうな噂に男は嗤う。人身売買できる立場なら、今の自分はこれ程金に苦労はしてないと。
だが半分以上は誇張であろうが、全てが嘘偽りと言う訳ではない。それにビビっているなら好都合。彼女らの噂に乗らせて貰おう。ニィと暴力的に嗤った武梨は、底冷えする声で口にした。
「んで、テメェらも売られたいのかよ?」
一瞬で顔を真っ青に染めて、蜘蛛の子を散らす様に逃げていく少女達。
先導していた少女もまた、味方が消えた事で背を翻す。負け犬の遠吠えを重ねながらに、彼女達は逃げ去って行った。
「ったく、くっそ下らねぇ噂に踊らされて。マジ詰まんねぇ奴ら」
そんな木っ端に下らないと、鼻を鳴らして吐き捨てる。そうして欠伸を噛み殺すと、武梨は何も言わずに背中を向けた。
立ち去って行く不良少年。一拍の時間をおいてから、彼に助けられた事を理解した響希はその背中を呼び止めた。
「あ、あの」
「あん?」
振り向いた少年は如何にも不機嫌そうに、しかめっ面を浮かべている。
そんな彼に僅か怯えて言葉を飲み込み掛けながらも、何も言わない訳にはいかないと踏み出し告げる。
「ありがとう、ございます」
言葉にしたのは、感謝の想いだ。あのままだとどうなっていた事か、分からないからこそ感謝する。
涙を拭いながらに、そう口にする少年。その視線から顔を逸らして、そっぽを向くと武梨は吐き捨てる様に口にした。
「はっ、お前の為じゃねぇよ。ダアホ」
あれはお前の為ではない。そう語る少年の胸に、他意などは一切ない。
本当に機嫌が悪かっただけなのだ。だから彼に響希を助けたと言う認識はなく、その感謝は筋違いの的外れ。感謝される由縁がないと、汚い言葉で吐き捨てる。
そんな武梨の様子に少し怯えながらも、響希はそれでもと言葉を口にした。
「……それ、でも」
「あ?」
「それでも、僕は助かったから」
「……ちっ」
だからありがとうと、そこまで言われて感謝を拒絶する事など出来はしない。
其処までする必要もないのだから、むず痒いと思いながらも受け入れるしかないのである。
慣れない感謝に背を向けたまま、武梨は溜息交じりに言葉を口にした。
それは何処か不器用ではあったが、他人に過ぎぬ彼を僅かに慮る言葉である。
「テメェもテメェだ。野郎が女に囲まれたくらいで、泣いてんじゃねぇよ情けねぇ。何もやり返さねぇから、ああいうアホが付け上がるんだろうが。馬鹿か?」
「あ、うぅ」
「ちっ、マジ気分ワリィ。くそったれなもんを、寝起きに見せるんじゃねぇっての」
とは言え、皮肉交じりの心配が誰に対しても通じる訳ではない。
字面通りに受け止めて情けない表情を晒す響希に、通じていないと理解した彼は説明するのも気恥ずかしく感じて舌打ちする。
そうして背中を向けたまま、校舎裏から歩き去って行くのであった。
「だ、大丈夫ですか!? 響希さん!!」
「う、うん。僕は、大丈夫」
虐めっ子と不良が立ち去って、一人残された響希の下へと玲菜が近付く。
何時もより気持ち早い速度で傍へとやって来る少女に、響希は如何にか笑顔を返した。
その笑みに心の底から安堵して、玲菜は響希を救った恩人の背中を見詰めて語る。それは純粋な彼女らしい。他意の一切入らぬ言葉。
「あの人、良い人でしたね」
「良い人、なの、かな? ……少なくとも、噂みたいな人じゃなさそうだけど」
学校始まって以来、最低最悪の不良生徒。その悪い噂は、響希も確かに耳にした事があった。
その噂の人物は確かに、噂通り怖い人物ではあった。善人と、良い人と言い切るには癖があり過ぎる人物だった。
それでも全てが噂の通りではなく、必ずしも悪人ではないと思えたのだ。
人の噂は意外とあてにならないものだと、響希はそんな風に考えながら小さくなっていく背中を見送るのであった。
武梨が立ち去って、数分後。彼の背中が完全に見えなくなった時になって、校舎裏の木がガサガサと揺れる。
大きな虫でも居るのだろうかと、それだと嫌だなと思いながらに、視線を向ける響希。そんな彼の目の前で、とうと人影が木の中から飛び出して来た。
「C組の武梨綾斗か。中々侮れない男だな!」
「って、恭ちゃん!? 何処に居たのさっ!?」
大きな木に上って、木の葉の影に隠れていたのは結城恭介。
いざとなったら助けに入ろうと、ギリギリまで控えていた彼は己に先んじた不良男子を大した奴だと褒め称える。
「何、大した事じゃない。そんな事より、だ」
そんな恭介に何処から出て来るのかと、突っ込みを入れる響希。
彼に大した事じゃないと笑い返しながら、結城恭介はにこやかに告げるのだった。
「決まったな。四人目のメンバー」
「へ?」
「えっと、誰の事、ですか?」
何時も通り唐突な発言。何を言い出すのかと首を傾げる二人に向けて、恭介はニヤリと笑みを深める。
そうして彼が立ち去った方向を指差すと、新たにメンバーへ加えると決めた男の名を告げるのだった。
「武梨綾斗。アイツの背中に、ティンと来たのさ!」
「えぇぇぇぇぇっ!?」
2年C組の武梨綾斗。学校一の問題児として知られる不良生徒。
恩義はあっても苦手なタイプ。そんな相手を引き込めと、一体彼は何を言い出すのか。
「あららー。あの人、声を掛けて、頷いてくれるんですかねー」
「知らん! それを何とかするのは、響希の役目だっ!!」
「無茶振り来たぁぁぁぁぁっ!!」
引き込む方法すら丸投げして、高らかに宣言する結城恭介。
一度決めたら決して振り返る事のない彼の性格を知るが故に、響希は頭を抱える。
「一体、どうすりゃ良いのさぁぁぁっ!?」
核心を隠す少年も、天然ボケな幽霊も、この件では頼りになるまい。
新たな問題を押し付けられた龍宮響希は、悲鳴にも似た叫びを上げるのであった。