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第五話 積土成山

バンド名は結局、リアルで決まらなかった。




「我々はバンドである。名前は未だない」




 時間を掛けて思考を錯誤。ああでもないこうでもないと、悩みに悩んでしかし決まらなかったバンド名。

 有名な文学作品の導入を真似て、そう口にした結城恭介。決まらないなら仕方がないと、彼が諦めた日から早一週間。彼らは今、各自に分かれて動いていた。


「はぇ~、綺麗になりましたね~」


 水が入ったバケツを片手に、雑巾をもう一つの手に。頭には三角巾。腰には叩きと箒と塵取りと無数のゴミ袋。

 そんな清掃用の完全武装。フル装備で事に当たる響希の直ぐ傍で、空に浮かぶ少女が感嘆の声を漏らす。


 西行寺玲菜が見上げる先、窓を覆っていた蔓は切り取られ、暖かな光が差し込んでいる。

 窓から除く庭の雑草は切り取られ、縁に積もった埃は全て叩き落とされ、洋館の各所にはゴミを纏めた袋が山の様に詰まれていた。


「まだまだ、だよ」


 水に濡らした雑巾を絞りながらに、少年はそんな風に返す。

 濡れた雑巾で窓の汚れを拭う少年の言葉は謙遜ではなく、彼なりの本心が籠った発言だった。




 やると決めたなら、直ぐに行動に移るのが結城恭介の流儀である。

 準備期間は最低限に、次の週末。日曜日の昼間に早速ライブをしようと決めたのだ。


 バンドに必要な音響機器や楽器の類は既にあり、それでも必要な物はまだ多くある。

 場所はこの洋館を使えば良いとして、それでも土地の権利所有者に使用許可の交渉くらいは必要だろう。


 歌う歌にオリジナルを用意する余裕なんてない。ならば必然、楽曲の権利を持つ会社への打診も必要だ。

 噂を塗り替える為には人を集める必要だって其処にはある。となればポスターチラシを用意して、其処でもまた交渉の必要性は出てくるだろう。


 そんな対人交渉の雨嵐。学生行事の範疇を超える活動を、支えるのは恭介の意欲と能力だろう。人好きのする好青年は、広告活動と許可申請に動き回っているのである。


 対して響希は、そちらの分野ではまるで役に立てない。

 軽度の対人恐怖症である彼に、見知らぬ人との交渉などは無理がある話だ。


 故に与えられた役割は、この洋館を整備する事。

 最低限に整えて、中庭をライブ会場代わりに使える様にして欲しいと言う事であった。


――掃除の語源は祓い清める。響希がやる事に意味があるんだ。


 何処か意味深に笑ってみせて、そう語った結城恭介。

 こんな単純作業でしか役に立てない事を悔やみながらに、響希はこうして廃洋館の清掃を行っているのである。


 とは言え、この少年は唯の中学生。

 一般などを遥か後方に置いて来た逸般人な恭介とは異なって、平均的な男子中学生にも劣る響希では大した事など出来はしない。


「窓は罅が入っているし、床の穴は塞いでない。僕がやった事なんて、本当に唯の掃除だけだよ」


 出来る事など草むしりと、箒で掃いて雑巾を掛けるくらいである。

 窓の罅はそのままで、床の穴は塞がらず、日曜大工レベルの補修すらも響希は出来ない。


「多分、キョウちゃんなら、窓ガラス換えたり、板で補修したりとか、そういう事だって出来たと思う」


 図工や技術の授業は何時も赤点。そんな彼が大工道具を持ち出したとて、結局危ないだけで何も作れない。

 彼に出来る事なんて大した事は一つもない。愚直に一つずつ、小さな事を時間を掛けて積み重ねていく事しか出来ていない。


「だから、僕がやれた事なんて、大した事じゃないんだ」


 そんな少年の言葉は、自信の無さから来る物だ。

 どうしても傍らに居た人物と、己を比較してしまうからこその自虐に近い言葉である。


 自信がないのだ。実力もない。それで何を胸に張れるか。

 何とかしたいと思っても、一日二日で変われる理由も何処にもない。


 悔しくは思っている。悔しくは思えている。誰かの為に何かをしよう。そう決めて、動き出して直ぐなのだから、まだ悔しいと思えている。

 だけど、だからと言って他には出来ない。度胸も能力も経験も、何もかもが足りていない。だからこそ響希は悔しがっている。だけど出来ないと諦めている。


 そんな自責ばかりの少年を、首を傾げて玲菜は見る。

 そうして何も考えていない天然幽霊は、それでも真理を口にした。


「でも~、綺麗になりましたよ~?」


「え?」


 でも綺麗になった。響希がどれ程に鬱屈しても、この洋館は綺麗になった。

 微笑む幽霊少女の言葉は真実だ。誰が此処で何を言おうとも、覆される事はない事実であるのだ。


「窓から差し込むお日様を、久しぶりに見れました。埃や汚れが取れた床板を、ホントに久しぶりに見れました」


 顔を動かし、周囲を見回す。日差しの入らなかった廃洋館は、祓い清められて綺麗になった。

 確かに床に穴は開いている。確かに窓や壁に罅が入っている。だがもうこの場所に、陰鬱とした暗さと冷たさはない。


 祓い清められた今になって、この洋館は綺麗になったのだ。


「響希さんが頑張ってくれた事、知ってます。沢山沢山、頑張ってくれた事分かります」


 この洋館の水道は、当の昔に止まっている。この洋館の電気は、もうとっくの昔に流れていない。

 だから響希は遠く学校の水場から、大量のバケツに水を入れて運んできた。掃除機一つも使えずに、大きな屋敷を掛けずり回った。


 一日に掛けた時間は二時間程度。バケツの水が黒ずむまでに掃除をして、一週間と続けて来たのだ。

 やって来た事は小さくとも、その努力が並大抵の事ではないと知っている。誰でも出来る事であっても、続ける大変さは分かっている。


 だから西行寺玲菜は、ニッコリと笑って感謝を言うのだ。


「だから、ありがとうです。響希さんのお陰で、私のお家が綺麗になりました~」


「……う、うん」


 それは温かいお月様。凍れる程に冷たい躯に、浮かんだ笑みは向日葵の如く。

 優しい笑みに裏などない。天然気味なこの少女に、そんな複雑な遣り取りなど出来よう筈もない。


 この感謝は本心なのだ。だからこそ、響希の鬱屈した心を拭い去る。

 素直な感謝の情を受け、それを拒める程に歪んでいない少年は、何処か恥ずかしそうに受け止めた。




 ニコニコ微笑む少女から顔を逸らして、響希は掃除を再開する。

 春先の肌寒さを感じながらに水気を絞る少年に、玲菜はふと思い付いた様に口を開いた。


「響希さんは、お歌が得意なんですよね~」


「お歌って、……まぁ、うん。得意、かな」


 玲菜の子供っぽい言葉使いに、響希は苦笑交じりに言葉を返す。

 歌を歌う事。それは響希にとって数少ない、誰かに誇れる特技であった。


「本番では~どんな歌を歌うんですか~?」


「キョウちゃんが許可貰いに行った歌を少し、アニメの主題歌が幾つか。カラオケの持ち歌を歌う、事になると思う」


 誰もが褒めてくれるから、だから自信が持てるたった一つ。龍宮響希にとっての歌とはそんな物。


「ライブ会場は中庭予定だし、まだ肌寒い時期だから余り長くならない、と思うから、一曲か二曲か、歌って御終い、程度の小ライブになるんじゃないかな」


「はぇ~。からおけですか~。ハイカラですねぇ~」


 一曲二曲の小ライブ。会場となる場所は廃洋館の中庭に。

 この後に合流する予定の恭介が仮設の小さな舞台を其処に作って、座席代わりに椅子とクッションを並べたならば完成だ。


 一日一日と迫っていく開始予定日。その日を響希は、どうしても意識してしまっている。

 人前で歌う経験など音楽の授業かカラオケくらい。歌は得意であっても趣味の範疇を超えてないのが本人の自覚。だから日付が近付く度に、響希の不安は強くなっていくのだ。


「響希さんがどれくらい上手いのか、ちょっと気になります」


「……歌うの? まぁ、良いけど」


 そんな彼の不安に気付かず、少女は目を輝かせて口にする。


 キラキラとした少女の視線に、響希は苦笑交じりの了承。

 どうせ掃除は未だ掛かるのだからと、彼は一つ息を吸うと歌を此処に紡ぎ始めた。


 小さな唇より、零れ落ちる音は旋律となる。

 変声期を迎えていないその声は、小鳥の囀りの如くに高い音色で紡いでいく。


 時に熱く、時に静かに、紡がれる音が世界を変える。


 特別、彼は外れていると言う訳ではない。リズムのズレはなく、声は鼻に掛からない。発声呼吸も言う事ないがそれだけだ。

 技法は未熟。歌は借り物。機械で採点したなら百点満点に僅か届かない。普通に上手いがそれだけで、魔性や神秘と言うには足りていない。


 もっと上手い歌手は居る。もっと美しい声はある。

 或いは特異な経験を積んだ後ならば、魔性の美歌か天上の讃美歌にもなっただろう。


 だがこの今は未完成。彼の歌はその程度、上手いは上手いが、特別と言う要素はない。

 そんな歌を少年は歌う。未完の大器と思わせるその歌を、たった一人の観客に向けて紡いでいた。


「……と、まあ、こんな感じ」


 そして、歌い終わる。何処か恥ずかしそうに、赤らめた頬で呼吸を整える響希。

 そんな彼を見詰める少女は呆然と、呼吸一拍を置いて彼女は強い感動と共に言葉を発した。


「凄いです! 凄いです!」


「少し落ち着いて! 大した事じゃないから!」


「大した事ですよ! だって、だって、凄かったんですもん!!」


 震えている。心が震えていた。

 そんな少女は詰め寄る様に、キラキラとした目で少年に近付く。


 幽霊少女が重なる程に近付いて、顔を赤面させる少年は慌てて言葉を掛ける。

 龍宮響希にとって、これは何も特別な事じゃない。彼の歌は自他ともに認める程に、まだ未熟なそれである。


「技術的にはまだまだだし、所詮趣味の範疇でしかないから……」


「けど、でもっ! 凄かったんですよ!」


 だが、それでも少女にとっては特別だった。

 それは何年も亡霊として、過ごして来た孤独が理由だけではない。


 それはきっと機械では分からぬ、確かな肉声だから感じる物。

 技術じゃない。優れた技術などではなくて、それでもきっと一番大切な物が其処にはある。


「上手く言えないですけど、心が籠ってました! 何ていうか、歌が好きだって、凄い感じたんです!!」


「心が、籠る」


「はい!」


 心が籠っていた。歌う歌には、確かな力があったのだ。

 技術は未熟で、パフォーマンスなんて何にもなくて、それでも感じる想いがある。


 これが龍宮響希の持ち味。心を音に変える事。歌に想いを込める事。そしてそれを伝える事。それがたった一つ、彼にある才能なのだ。


「これなら大丈夫です! 絶対、皆好きになってくれます!!」


「流石に言い過ぎだよ。それは……」


 キラキラと輝く瞳で、自信ありげに少女は語る。これならきっと大丈夫だと、満面の笑みで保障する。

 そんな彼女の過剰な言葉に苦笑を漏らしながら、それでも感じるのは確かな嬉しさ。認められる歓喜と共に、少年は一つ思う。


「けど、うん」


 たった一つの歌だけで、こんなにも輝かしい瞳と笑みを見せる少女。

 西行寺玲菜が笑顔になってくれた様に、こんな自分の歌でも沢山の笑顔を作れたならば――それはきっと。


「そうなったら、良いな」


 とても素晴らしい事なのだ。そう龍宮響希は想う。

 アンコールを求める幽霊の言葉に応えながら、響希は確かにそう想ったのだった。






DTS本編ヒビキの歌声が魔性なのは、生きたままに地獄を見たから。


そんな過程を体験していない、もしドラの響希は未完の大器。

技術的にはのど自慢で優勝狙える程度であって、ただ想いを歌に込めるのが得意と言うだけの少年です。



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