第二話 日々日常
◇
「ねぇ、幽霊屋敷って知ってる?」
日は沈んでまた昇る。東から登った太陽は、西日に変わって地平線へと。窓から見上げる空色は、茜色に変わった夕焼け模様。
黄昏色に染まる教室の中で、少年は小さく溜息を零す。ホームルームが終わって暫く、龍宮響希は挙動不審に周囲を見る事しかしていない。
(バンドメンバー集めろって、言われてもさ)
少年は人付き合いが苦手だ。恐れていると言っても良い。
それこそたった一人の友人が不登校を決め込む今日などは、終日誰とも会話をしていない程に対人経験が不足している。
(そもそも僕、誰が楽器弾けるとか、バンドに興味があるかとか、そんな事も知らないし……)
知らないのは当然だ。龍宮響希は真面に会話もしていない。
分からないのは当たり前だ。誰とも向き合わずにいて、それで分かるなど一体どんな異能者か。
人と直接関わらずにして、その人の経験や要望を知れる筈もない。
会話も真面に出来ないのだから、周囲の人間関係にも当然詳しくなんてない。
分からないのだ。誰に話し掛けたら良いのか。だから周囲を観察して、しかしそれでも声を掛ける事も出来ていない。
(……結局、こんな時間になっちゃった)
教室に残った影はもう疎ら。話し掛けるべき人など残っていない。
これではいけないと分かっている。何をするべきかなど、最初から分かってはいた。
必要なのは勇気だ。先ず言葉を投げ掛ける事、それが重要だったのだ。
会話は成立しないだろう。拒絶の意志を示されるだろう。其れでも先ず、話掛けないと何も始まらない。
そんな事は分かっていて、それでも響希は無理だった。
(……明日。また明日、頑張ろ)
結局結論はそうなってしまう。明日やれば良い。それで無理ならまた明日。次へ次へと先延ばす。
期限ギリギリまで引っ張って、きっとそれでも出来ずに友に縋り付く。それが何時ものパターンで、今回も同じくなるのだろう。
学校指定の鞄に教科書を仕舞いながら、響希はそんな逃げを選択する。
駄目駄目な自分の弱さに辟易しながらも、それでも変わる為の選択肢なんて選べなかった。
(……せめて高台で、歌の練習くらいはしておこうかな?)
唯逃げたのではないのだと、そう言い訳する為の代償行為。
そんな事を思い浮かべながらに、足早に教室から出ようとしたその時に――
「何、まだ居たの。龍宮」
開いた扉のその先に、タイミング悪くその人物は立っていた。
「……白鳥、さん」
ビクリと震えて、凍り付いた様にその名を呼ぶ。
目の前にある不機嫌そうな金髪の少女に、響希は今直ぐ逃げ出したくなっていた。
「相っ変わらず、腹立つ顔。……結城君が来てないのに、金魚の糞が一人で何やってんのよ」
「……僕は、その」
白鳥明日香。とある財閥の令嬢である彼女は、以前より響希を敵視している。
率先して先導する訳ではないが、顔を見ると不機嫌になって暴言を吐く。集団の槍玉に挙げられていると、其処に加わって響希を責め立てる。
一言で言えば虐めっ子。主犯格ではないが、唯流されているだけでもなく明確な悪意を向けて来る相手。故に響希は、この少女を酷く苦手としていた。
「ちょっと、止めようよ。明日香」
睨み付けられてしどろもどろと、泣きそうになっている龍宮響希。
そんな彼の姿に更に苛立ちつつある明日香に、止めようと口を挟むのは彼女と同じく教室へと入って来た少女だ。
「龍宮君も御免ね。ちょっと明日香。今、苛立ってて」
何処か申し訳なさそうに、言葉を挟む栗毛の少女。名を明石優。
白鳥明日香の幼馴染であるこの少女は、場に居合わせると彼女を止める為に動いてくれる人物だ。
彼女が傍に居るからこそ、明日香は虐めの主犯にはならないのだろう。
だが優は明日香の友人で、心優しくはあっても響希にとっては味方と言えない。
明日香が響希を嫌う理由を知って尚、それを止めようとはしても正そうとはしないのだ。
彼女の友人が抱えるのは、年頃の少女らしい嫉妬である。
女性よりも可愛らしい少年に、想いを寄せる少年が構い続ける姿が気に入らない。そんな明日香の内心を知るからこそ、強く口を出す事もしない。
毒にならないが、薬にもならない。そんな中途半端な人物でしかなかった。
「変な話聞かされて、ムキになって言い返したら面倒な事になって……ほら、明日香って素直じゃないから」
「ちょっと優。余計な事言わないでよ」
済まないと思うなら、今直ぐに道を開けて帰して欲しい。
そう心底から願う少年の感情を無視したままに、不機嫌そうな少女と穏やかそうな少女は言葉を交わす。
「……ああ、そうだ。そう言えば龍宮」
余計な事を口にすると、友人を睨め付けながらにふと思い付く。
少年の事情を思い出した白鳥明日香は、虐めの口実を見付けたと嫌味な笑みを浮かべた。
「アンタ昔、幽霊が見えるとか言ってた事があったわよね」
「……っ」
その言葉に、響希は小さく歯噛みする。
ぎゅっと握った手が震える。その程度には、トラウマとなっていた。
龍宮響希は物心付いた頃より、時に人には見えない景色が見えていた。
あり得ざる物。あってはならない幽玄の物。神の贄たる神籬の、その瞳には見えてはならない物が映る。
幼い時分の響希は、それが異常と気付く事もなく。誰もが当たり前に見ている景色と思っていた。
故に当たり前の様に口にして、そして当たり前の様に否定された。ムキになって口にして、返って来たのは罵倒の言葉だ。
嘘吐き龍宮。嘘吐き響希。
そんな呼び名と嘗ての記憶は、今も拭えぬ嫌な思い出。
「嘘吐き龍宮。ホントに見えるって言うなら、丁度良いわ」
「ちょっと明日香、もしかして?」
その呼び名で少年を嗤って、白鳥明日香は彼女の理由を口にする。
彼女を不機嫌にさせていた物事に、龍宮響希を利用すると決めたのだ。
「幽霊屋敷。この街にあるとか言う馬鹿が居んのよ」
明日香はオカルトを信じない。お化けの存在を馬鹿らしいと笑っている。
そんな彼女に話を持ち込んだ女生徒は、しかし何と言われようと自分の意見を覆さなかった。
曰く、街外れにある廃墟。其処には確かにお化けが出ると。
その幽霊屋敷に行ってみれば分かる。確かに其処には化外が居るのだと。
「アホらし。お化けなんて居る訳ないじゃない。なのにアイツ、何度言っても信じないんだもの」
所詮は唯の嘘。だが確かに見たのだと主張する友人未満達。
その姿に嘗て強弁を振るっていた気に入らない少年を思い出し、不機嫌になった少女は完全否定の為に断言したのだ。
「だから、私が行って証明する事になったの。そんなオカルト、ある訳ないって。だってそうでしょ? 死んだ人間が残るなら、それこそ世界中幽霊で鮨詰めになってないと変じゃない」
自分が行って、それを確かめて来よう。そう明日香は知人達に宣言したのだ。
冷静になってから、面倒な発言をしてしまったと後悔した。
だがだからと言って、この負けず嫌いに行かないと言う選択肢は存在しない。
面倒だ。面倒だと不機嫌になりながら、仕方がないと割り切った。
そんな少女は其処に新たな愉悦を見出して、その為に虐められっ子を巻き込むのだ。
「嘘吐き龍宮。丁度良いから、アンタの嘘も次いでに暴いてあげる」
「……僕は、嘘吐きじゃない」
「それも嘘じゃないの。金魚の糞」
悪い笑みを浮かべた少女に、響希が返せた言葉はたったそれだけ。
そんな小さな反抗などは歯牙にもかけず、明日香は鼻で笑って切り捨てた。
「止めとこうよ、明日香。龍宮君は関係ないし、もし危ない場所だったら――」
「幽霊屋敷って言っても、所詮唯の廃墟でしょ。どうせオカルトなんて嘘なんだし、危険なんて何もないわ」
優が止めようと口を挟むが、明日香はそれに聞く耳持たない。
長い付き合い故にこうなったら止まらないと、そう知る明石優は説得を諦める。
内心で響希に詫びながらも、それで何をする訳でもない。
この少女にとって優先順位はハッキリしている。友人と知人を比べたならば、どちらに寄るかは明白なのだ。
「んじゃ、これから行くわよ。異論はないわよね」
「……」
「ま、あっても聞いてやらないんだけどさ」
答えられない響希の前で、明日香は歪んだ愉悦に浸る。
嘘吐きの嘘を明かしてやる。そんな使命感と優越が混じった感情で、少女は少年を見下している。
「面倒な事引き受けたと思ってたけど、これで少しは退屈じゃなくなるわ」
常世以外などありはしない。この現実に差し込む異常などはない。
迫真の表情で語った顔見知りのクラスメートも、この目の前に居る少年の発言も、全て嘘だと証明してやろう。
その時にどんな表情をするのかと、白鳥明日香は暗い笑みを浮かべていた。
「アンタがどんな無様晒すのか、精々嗤ってやるわよ。嘘吐き龍宮」
嗤い見下す発言に、無理矢理に手を引くその力。
言葉一つ返す事も出来ずに少年は、揺れる瞳で不運を嘆く。
(……最低だ。ホンット、どうしてこうなるのさ)
こんな事なら、さっさと帰るべきだった。
自分の不幸を嘆きながらに、それでも流され続ける少年は幽霊屋敷へと向かって行く。
其処で、彼は出会うだろう。
何時か彼の世界を変える、そんな大切な出会いが待っている。