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第十三話 他力本願

他力本願――自分の力でなく、他人の力によって望みをかなえようとすること。本来の字義は仏の本願によって救われる事。決して他人だけを当てにして、望みを果たそうとする事ではない。

 鈍よりと濁った空の下、鉄の扉が音を立てながら開いていく。古びた金属が擦れる異音は、疲れていようと気にしてしまう、癇に障る雑音だ。

 瞼を閉ざしていた少年の意識は表層へと、身を横たえたままに片目を薄く開く。視界に映る姿は二つ。どちらもつい先日に見知った者らで、さて彼らは果たして何をしに来たのか。


「武梨。ちょっと面貸せ――」


「あ゛?」


 などと、戯ける余地などありはしない。先陣を切る茶髪の少年は、見るからに分かりやすい表情をしているのだ。

 その瞳に映った色が怒りのそれである以上、明確なまでの敵意を感じる口調である以上、その目的などは一つしかあるまい。


 警戒しながら、武梨綾人は起き上がる。一体何を理由としてかは分からずとも、何を目的としているかは分かる。

 だから直ぐに対処できる様にと意識を切り替えながら、ゆっくりとその場に起き上がる。顔を貸せと言う以上、先ずは会話を望んでいるのであろうと。彼のそんな当然の判断はしかし――


「――なんて、言わねぇよッ!」


「がッ!?」


 彼を相手にするならば、甘いと言わざるを得ない。人の予想を外すのが、結城恭介の常である。故に恭介の放った右の拳を避けられず、起き上がったばかりの綾人は顔を殴り飛ばされる。

 放たれた拳の鋭さは、その道のプロをして目を剥くであろう程に優れた一撃。重心が安定していなかった事も手伝って、綾人の身体は大きく跳んだ。


 大きな音を立てて、屋上のフェンスが歪む。歯は折れていないが、口の中を切ったのだろう。綾人は唇から血を流しながら、鋭い視線で恭介へと問い掛けた。


「て、テメェ……行き成り、何しやがるッ!」


「いや、何。どうせ口先だけじゃ決裂するんだ。それじゃ結局、時間の無駄だって思ってよ」


 殴った片手から力を抜いて、その場で軽く振りながらに語る。殴った拳の痛みに頑丈な奴だと、嘯きながらに意志を伝える。

 利を語ろうと、理を語ろうと、綾人は決して止まらぬだろう。言葉にするだけ時間が無駄だ。必ず決裂するのなら、最初から決裂させてしまえば良い。


「馬鹿やってるお前を、直接ぶちのめしに来た。要件なんてそれだけだ」


 そうとも、力尽くでも止めると決めた。力尽くでなくば止められないと感じていた。だから最初から、こうして止める為に来た。

 例え意志を揺るがす事が出来ずとも、動けなくなれば進めはしない。言葉による説得など、その後からで十分なのだ。結城恭介は、そう判断して此処に居る。


「……はっ、何言ってんのか意味分かんねぇけどよぉ。要はテメェ、喧嘩を売りに来たっつー事だよなぁ。おい!」


「何だ。空っぽの頭の割に、理解出来てるんじゃないか。そうだよ。お前が気に入らないから、俺は喧嘩を売りに来たんだ」


 綾人は意味が分からない。恭介の目的を理解できない。それでもこの今に、敵意を向けられている事は分かる。ならばそれ以外は余分である。

 何時もと同じだ。何時だってそうだった。最初は孤児だと馬鹿にする奴らを相手に、何時しか名を売る格好の獲物とされて、それでも綾人は何時だって同じ様に対処してきた。


「は、ははっ! 上等! ぶっ潰す!!」


 拳を握り、振り被る。相手の理由が変わろうとも、自分の為す事は変わらない。己達を害する者らは何時だって、力を使って黙らせてきたのだ。

 誰にも頼らず、誰にも頼れず、己の身一つで状況を打破する。生まれついてのポテンシャルにも恵まれていたから、綾人が頼りとしたのは拳の暴力。


 何時もと同じだ。何時だって同じだ。恵まれた長身から放たれる一撃は、同年代では耐える事すら出来ない物。誰だって、この一撃で沈んできたから――


「…………」


「――っ! テメェ」


 それでも、恭介は倒れない。迫る拳を前にして、瞬きをする事もせず、その一撃を額で受ける。

 殴打の摩擦で皮膚が切れて、額からは一筋の赤が流れ落ちる。それでも恭介は倒れなかった。だがそれ以上に、綾人にとって理解出来なかった事が一つある。


「何で、避けようともしなかったッ!?」


 拳の振りは見えていた筈だ。ならば普通、躱そうとするか防ごうとする物であろう。

 見えていない筈がない。そんな程度の奴ならば、己を殴り飛ばす事など不可能だ。なのにどうして、この相手は唯棒立ちを続けていたのか。


「一発は一発だ。余計な策も裏技もなし。お前には真っ向から、対等の条件で向き合ってやる」


 理解出来ないと語る綾人に、恭介は彼の瞳を睨みながらに言葉と語る。理由の一つは、先の不意打ちに対する対価である。

 真っ向から、対等の条件で殴り合う。卑怯な策は要らない。星の息吹を借りる様な裏技だって使わない。そうでなければ、意味がないから。


 それが理由の一つであれば、もう一つの理由は即ち――


「それに、だ。避ける? 俺が、お前の(こぶし)を? 馬鹿か、いや馬鹿だったな」


「何を言って――がぁっ!?」


「お前の拳に、避ける程の価値なんてねぇんだよッ!」


 対等の立場で向き合って、だがしかし断言しよう。綾人の拳は軽いのだ。彼の拳には、避ける程の価値もないのだと。

 言って拳を再び振るう。胴に打ち込まれた一撃は、紛れもなく強靭無比な打撃であった。綾人は腹を抑えながら、数歩後方へと蹈鞴を踏んだ。


 忌々しいと歯を噛み締める。許し難いと屈辱に震える。それでも痛みは慣れた物、飲み干した後に綾人は拳を握り締めた。

 これでは倒れないと、侮辱の代償は高く付くぞと、怒りを湛えた瞳で睨む。まだ戦う意志を見せるその姿に、そうでなくてはと笑って恭介は手招きする。


「舐めてんじゃねぇぇぇぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」


 来いよ、と言わんばかりの態度。恭介が見せる余裕に更なる怒りを燃やして、綾人は雄叫びと共に大きく一歩を踏み込んだ。




 不意打ちからの挑発で、完全に切れている武梨綾人。そうする事を目的としていた結城恭介は、怒りを隠す笑みと共に迎え撃つ。

 子供の喧嘩と言うには振るう力が剣呑な、しかし刃傷沙汰にはなり得ない殴り合い。行き成りそれを始めた彼らに、残る者らは呆気に取られる。そうして数瞬呆けた後、玲菜は漸く状況を飲み込んだ。


「あ、あわわわわ~。行き成りなんて、聞いてないです~!?」


 理解して、抱いたのは混乱と困惑。殴ってでも止めるとは聞いていたが、行き成り殴り付けるだなんて聞いていない。

 玲菜はそう戸惑いながら、どうしたら良いのかと傍らに居る響希に視線を向ける。彼女を安心させるかの如く、響希は笑って言葉を返した。

 

「うん。大丈夫。僕も聞いてない」


「それの何処が大丈夫なんですか~!?」


 自分も聞いていないと、そんな言葉は慰めにもならない。更に慌てる玲菜に対し、しかし響希は慌てない。

 常の彼ならば寧ろ、この状況で慌てていない筈がない。そんな彼が動揺していないのは、直ぐ傍に自分よりも混乱している人が居るから――ではない。


「大丈夫なんだよ。玲菜」


 信じているのだ。信用し信頼し確信している。龍宮響希は何時だって、目の前を駆け抜けていくあの背中を信じている。

 恭介が本気で進むと決めて、走り出したのならば必ず事態は好転する。それは盲信に近い思考であったが、それでも響希にとっては当たり前の認識だ。


「キョウちゃんがやる事には、何時だって意味がある。どんな事が起きたって、キョウちゃんに任せておけば解決するんだから」


「あううう~。凄い信頼ですけど~、玲菜は心配ですよ~」


 何時だって、何があっても、結城恭介ならば如何にか出来た。だから今回だって、必ず上手く行く筈だ。

 そう語る響希に対し、玲菜は其処まで盲信出来ない。安心し切った響希と落ち着かなそうにしている玲菜。正反対の感情を抱いた二人が見守る中、少年たちの殴り合いは続いている。




 殴る。殴る。殴る。殴る。殴られる。殴られる。殴られる。殴られる。拳を握って振り被り、ノーガードでの殴り合いを続けている。


(くっそ、意味分かんねぇ)


 躱さない理由は一つ。防がない理由は一つ。どちらも共に、相手がそうとしないから。舐めるなと啖呵を切って、だから足を止めて殴り合っている。


(何で俺は、この野郎と殴り合ってんだ)


 それでも理解出来ないのは、何故にこんな無駄をしているのか。怒りで煮えくり返った頭とは別の部分で、何処か冷静になってしまっているのを綾人は感じた。


(時間がねぇっつーのに。身体休めとかねーと、持たねーっつーのに)


 時間がない。今日の放課後もまたバイトがある。今の内に寝ておかなくては、明日の朝まで身体が持たない。

 こんな事になるのなら、学校をサボってしまえば良かった。そう考えながらも休めなかった理由は、彼の出自の問題だ。


 学校を休めば、施設に連絡が入る。如何に普段は見向きもしない職員達であっても、学校からの依頼があれば動くであろう。

 事実、以前に一度サボった時は、面倒な追及があったのだ。年齢詐称で働いている以上、同じ様な事が起きれば仕事が出来なくなる危険性が存在している。


 金が稼げないのは駄目だ。そんな状況は最悪だ。その点で言うのなら、この今に学校の屋上で殴り合いをしている事だって最悪なのだ。

 始まったのは昼休み。今は授業中だからこそ、人の目が向いてはいない。だが長引けば発見される危険性が上がり、そうなれば芋蔓式に全てが露見してしまう。


 だから、適当な所で、殴り飛ばされて負けるべきだ。怒りながらもそう考え始めた綾人に対し、恭介は拳と共に嘲笑の言葉を吐き付けた。


「今考えてる事、当ててやろうか? 空頭」


「あ゛あ゛ッ!?」


「コイツとやり合っても時間の無駄だ。適度な所であしらって、夜に備えないと身が持たない。詰まりはあれだ。――逃げる算段立ててんだろ? だから軽いんだよ」


「はっ! 好き勝手抜かしやがって、誰が逃げるってぇッ!? 頭湧いてんのか糞野郎ッッッ!!」


 図星を突かれて、僅か動揺する。そんな弱さを隠す様に、怒りを叫んで拳を振るう。殴り潰す。その意志で放たれた打撃はしかし、恭介の手で止められていた。


「――っ」


「言ったろ。逃げ腰の拳は軽い、ってよ」


 タイミングを合わせる様に動かしながら、真っ直ぐな拳を掴み取る。握力で握り潰すかの如く、閉じる五指に綾人は顔を歪めた。

 それでも苦悶の声は出さない。動揺を如何にか飲み干して、彼は左腕を大きく振るう。振り解こうとする動きに対し、恭介は抵抗せずに手放した。


「そうだ。お前の拳には何も乗ってない。お前は唯、逃げてるだけだからだッッ!」


 そして、手放した右手に代わり、握り締めていた左の拳を打ち放つ。上体が大きく揺らいでいた綾人は反応出来ず、顎を下から突き上げられた。


「俺からッ! 小春ちゃんからッ! お前を取り巻く状況からッ! 逃げてるだけだから、軽いんだよッッッ!!」


「ぐっ、おっ……」


 衝撃と共に顎が閉じ、口腔内に血が満ちる。呻きながらに吐き捨てたのは、中途半端に砕けた歯の欠片。

 満ちた血と共に零れ出す。感じているのは怒りより、理解出来ないと言う動揺。口元を抑えながらに綾人は、恭介を睨み付けて言葉を紡ぐ。


「……テメェの、口から、何で、春の、名前が」


「知ってるからだよ。お前の理由を。お前がやってる事を。――言ったろ、気に入らないから喧嘩を売りに来たって。お前のやってる事の全てが気にいらないから、ぶちのめしに来たんだよッ!」


 お前の拳は軽いのだ。青痣と裂傷だらけになりながら、それでも恭介はそう断じる。痛くとも、辛くとも、軽いのだと断じて見せる。

 断じながらに拳を振るう。武梨綾人の弱さを指摘して、罵倒しながら拳を振るう。口にする言葉は恭介の本心ではなく、綾人の本心を暴く為の物。


「逢いたくねぇんだろ? 助からないって、認めたくなくて!」


 名を知っている事は伝えた。事情を知っている事も伝えた。その上で、事実を一つ突き付ける。

 どうして逢おうとしないのか。逢いたくないのではないかと、逃げているのではないかと、だから拳が軽いのだと。


「向き合えねぇんだろ? だから助ける方法探すって、自分の生活削って悦に入ってるんじゃないのか!」


 もしそうだとするのなら、武梨綾人は碌でもない。為すべき事から目を逸らしている。そんな弱い人間だ。

 もし違うのだとするのなら、結城恭介は余計に許せない。人の弱さには怒りを向けるべきではないと、彼は知っている。だからこそ“理由が弱さの真逆”であったのならば、綾人を余計に許せなくなるのだ。


「認めろよ! お前は逃げてる! だから拳が軽いんだってよぉッ!!」


 だから認めろと、お前のそれは弱さであると、そんな決め付ける様な言葉は――


「……は、はは、はははは」


 武梨綾人にとっては最大級の、地雷と言うべき物だった。


「誰が、逃げてるって? 誰が、逢いたくねぇって? 勝手に決め付けてぇッ! ふっざけんねぇぞッ!! 糞野郎ッッッ!!」


「――っ」


 重い。先ず感じたのはその感覚。踏み込みから放たれた一撃は、恭介の身体を大きく後方へと飛ばしていた。

 音を立てて給水塔に打つかって、咳き込む恭介を追い掛ける。立ち直るよりも早くに続く追撃を、恭介は咄嗟に躱していた。


 鈍い音を立てて、古びた給水タンクが大きく凹む。壊れたタンクから水が噴き出して、二人の身体を纏めて濡らした。


「たった一人の妹だ。逢いてぇに決まってんだろ! ずっと傍に居てやりてぇよッ!!」


 水に濡れた姿はまるで、涙を流しているかの様に。己の血で拳を赤く染めながら、綾人はその拳を振るう。

 加減はない。容赦はない。余裕なんて欠片もない。最も大切な想いを侮辱された今、後先を考える事などは出来なくなったのだ。


「向き合えねぇだと!? アイツが死ぬのが許せねぇから、如何にかしようと足掻いてんだろッ!!」


 先まで拳が軽かったのは、後先を考えていたからだ。全力を出せば不都合で、最愛の為には負ける事すら手段の一つ。

 それでも、その想いを穢された以上はもう退けない。最大の地雷を踏み付けられた以上、武梨綾人はもう止まらない。この場がどうなろうとも、知った事かと暴れ狂う。


 それは宛ら暴風雨。嵐を思わせる程の強烈な暴力が、恭介に向かって振るわれる。

 慌てて躱す恭介を、追い掛ける拳が被害を量産する。コンクリートの地や壁が、綾人の拳によって削り取られた。


 文字通り、壊しているのだ。鉄を砕ける程に、彼は恵まれた体を有している。そしてそんな己の身体を、顧みる意志が既にない。

 打撃の反作用を受けて、既に指の骨は折れているであろう。完全に限界を超えている。そうと確信させる姿で、武梨綾人は暴れている。


 一撃でも受ければ、その瞬間に骨の一本二本は持っていかれる。躱さなければ、防がなければ、その瞬間に終わると確信出来る暴力が其処にはあった。


「俺は兄貴だッ! だったら、アイツの事を、俺は守らねぇといけねぇんだよぉぉぉッッッ!!」


 拳がフェンスの金網を突き破って、そのまま腕力だけで屋上のフェンスを根こそぎ引き抜いて、綾人は血に塗れるのも構わず拳を振るい続ける。

 如何に場慣れしているとは言え、体格と言う点で恭介は綾人に劣っている。裏技を禁じている以上、真面にやっても勝てはしない。それだけの差が其処にある。


 それでも、その言葉は駄目だ。妹への想いを罵倒する事が武梨綾人にとっての逆鱗ならば、今の彼がその言葉を口にする事が結城恭介にとっての逆鱗に他ならない。


「守る。守る、ね。はは、ははは、ははははははははは」


「何を、笑ってやがるッッッ!!」


「お前が余りに、嗤える事を言うからだろうが大馬鹿野郎ッッ!!」


 暴風を思わせる拳を前に踏み込んで、片腕で受けながらに残る片手を前に打ち込む。

 余りにもあっさりと、折れるのは拳を受けた左腕の骨。それでも右の拳が放つ一撃は、痛みで鈍る事などない。


「なぁ、おい武梨ッ! あんまり言葉を軽くしてくれるなよッッ! お前みたいな馬鹿野郎が、守る!? 守るだと!? そんな事、言って良いと思ってんのかッ!!」


 結城恭介の許せない事。彼が武梨綾人に感じる怒り。それは誰かを守ると言う事、誰かを救うと言う事、それを軽視し過ぎている点だ。

 想いは確かなのだろう。そうしたいと願うのは本心なのだろう。だがその想いに反して、余りにも行動が合っていない。そんな事をしながら何を、恭介の怒りは即ちそれ。


「足りねぇ頭で理解しろ! 空っぽな中身に叩き込め! お前のやってる事は、結局何の役にも立ってねぇッ!!」


 口では強く言いながら、行う事はその真逆。武梨綾人がしている行為は、努力の空回りよりも遥かに性質が悪い。

 絶対に達成できない目標に向かう為、本当に必要な事をしていない。金を稼いでも助かる程に集まらないのに、それを理由に守るべき人の心を傷付けている。


「金を稼ぐ!? 足りる訳ねぇだろ!! 都合良く間に合うなんざ、楽観視してんじゃねぇッッッ!!」


 なのに、彼はそれを考えていない。そんなにも狂える程に大切なのに、何故に其処で思考を止めてしまうのか。

 少し考えれば分かる筈。少し調べれば分かる筈。分かったのならば改善する為に、本当に大切ならば、そう動くべきであろう。なのに綾人は、それをしていない。


 結城恭介はそれを許せない。他でもない。彼が同じ願いを抱いて、守る為に在ろうとしているから。だからこそ、彼は安易にそう語る奴を許せない。


「きっついんだよ、守るってのはッ! 大変なんだよ、誰かを助けようとするのはッ!」


 幼き日に、守ると決めた。最初は格好付けだったが、それでも確かに守ると決めた。その為に結城恭介は、その全てを賭けて来たのだ。

 守りたいのは一人の友達。神籬と言う特別な生まれをして来た彼は、極まった聖性故にあらゆる魔性を引き寄せる。あらゆる不幸を呼び寄せる。恭介はその全てと、向き合いながらに生きて来た。


「その場その場で対処してるだけじゃ、何時しか雁字搦めになっちまうッ! 何かが少し足りないだけで、零れ落ちそうになるなんてざらなんだよッッ!!」


 何度も心が折れそうになった。何度も足は挫けそうになった。一つを解決したかと思えば、すぐさま別の問題が出て来る。何時だって何時だって、恭介は必死に対処をし続けた。

 それでも足りなかった。何度も何度も力不足を突き付けられて、全てを乗り越える為に自分を鍛えて、それでもやっぱり足りなかった。結局どれ程真摯に祈ろうと、自分一人じゃ何も出来ない。その事実を突き付けられて、今日この日までを生きてきた。


「考えろよ! 守りてぇって言うなら!! このまま進めばどうなるか!? もっと別の術はないのか!? 考えて考えて考え尽くせよ!!」


「考えたさ! 考えて考えて考えてッ! それでも俺には、これしか浮かばなかったッッ!! だから、何としてでもッ!!」


「だから、それじゃ間に合わねぇって言ってんだよ!!」


 嵐を前に立ち向かう。心が決して折れないのは、これ以上の恐怖を知るから。まるでその身は白鳥だ。何度だって何度だって恭介は、誰にも見えない場所で挫折し続けてきた。

 その度に頭を下げた。必死に必死に考えて、如何にか出来る人を探して、彼らに頭を下げ続けた。失いたくはないから、守りたいから、その為には何でもすると決めていたから、恭介はずっとそうやって生きて来た。


 何でもする。何だってする。その為に作り上げた策は、至るべき道筋は、漸くに形になって来てくれた。

 清らか過ぎて魔性を引き寄せるのならば、最初から魔性を宿して濁らせてしまえば良い。その為にこそ、西行寺玲菜と言う亡霊が必要だった。


 事実、あの日から彼の周囲は変わった。毎晩の如く押し寄せていた怪異は見えなくなり、その聖性に無意識の畏れを感じていた人の心も変わってきている。

 それでも所詮は対処療法に過ぎないのだろう。神の贄と成れる程に器に、唯の亡霊などは不釣り合い。そう遠くない内に破綻すると感じていて、だから今も考えている。全ては唯、一人を守る為だけに。


「守ると決めた奴の怠慢は、守られる側に降り注ぐんだ! これしかないからって思考停止してッ! それで諸共に破滅するかよ馬鹿野郎ッッッ!!」


 そうとも、守りたいと望むなら、怠慢などは許されない。兎角、世は理不尽なのだ。いざと言う時に、何か一つが足りなくて、取り零すなどざらにある。

 自分を高め続けなくてはならない。多くを知らなくてはならない。いざという時に助けとなれる人を、見付けておかなくてはならない。そうでなくては、守りたい人を守れなかった。


 だからこそ、そんな恭介だからこそ、武梨綾人を許せない。そんなにも大切なのに、どうして其処で迷走するのか。それが彼には理解できない事なのだ。


「だったら、どうしろって言うんだよッッッ!!」


 本気の想いは必ず伝わる。本心からの怒りと共に、打ち込まれた拳に心は震える。それでも、止まれぬ理由が確かにある。

 守りたい。そう想うのは真実だ。それでも、その方法が分からない。どうすれば良いのかが分からずに、時間だけが減っていくのだ。武梨綾人には、迷った時に、頼れる人が居ないから。


「孤児院の大人達は頼れねぇ! 俺らは所詮腫物扱い。学校から連絡が入らなければ、アイツらは知らぬ存ぜぬで通す様な連中だッ!」


 幼くして、両親は事故死した。親戚筋は碌でもなくて、遺産の多くを騙し取られた。その果てに兄妹揃って、孤児院へと押し込められた。

 残ったのは一つ、父が昔に使っていた楽器。大型のドラムは古い物だから、金にならずに渡された。捨てるのも金が掛かるのだと、だから残された一つだけ。


 あの日から、誰かを信じる事が出来なくなった。妹以外は全て敵だと、そう噛み付く彼に返る物など決まっている。悪意を向けたのなら、返って来るのは悪意だけなのだ。


「学校の教師に相談して、それで一体何になるッ! 残念だ、可哀そうに、元気を出せよ、ってよぉ。無責任に好き勝手語るだけで、それで終わっちまうんだよッ!」


 父母を亡くした時がそうだった。大人も子供も揃って語る。可哀そうだと口にしながら、思うは所詮他人事。

 好き勝手な事しか言わず、困った時には助けてくれない。だから綾人にとっての周囲とは、全て敵でしかなかったのだ。


 何時だってそうだ。自分や妹を馬鹿にする奴を殴り飛ばして、可哀そうだと見下す奴を殴り飛ばして、暴れ狂った果てに孤立した。

 それでも良い。一人が居るならそれでも良い。だからこそ、その一人だけは守らなくてはならない。その感情に、嘘偽りなど一切ない。


「だから、俺が一人でやるしかなかった! 俺がやらねぇで、どうしろって言うんだよ!?」


 思い出すのは、古い約束。小春が生まれる直前に、母と交わした嘗ての約束。大きなお腹を撫でながら、母は確かに言ったのだ。


――ねぇ、綾人。もう直ぐ生まれるこの子の事を、貴方が守ってあげるのよ。だって貴方は。


「俺は春の、兄貴なんだよッッ!!」


 叫びながらに、僅か思う。どうして小春なのか。どうして俺ばかりが。考えても無駄だと分かっていて、でもそう考えてしまう。

 だから、考える事は嫌いだ。思考をすれば碌でもない場所でループするから、考える事をして来なかった。その影響が此処に出ていたのだと、綾人は漸くに認めていた。


「だったら“何をしてでも”、俺は春を救うんだよッッッ!!」


 真面に金を稼いでも、届かないと言うなら道は決まった。例えどんな罪を犯してでも、治療費分を稼いでみせる。

 そんなそれは短絡思考。強盗か、窃盗か。手段がどうあれ、そうすると決めた。その感情が真ならば、拳と共に伝わる物。恭介は綾人が本気で言っているのだと、確かに此処で理解していた。


「そんな短絡思考で、上手く行くとでも思うのかよッ!? 仮に上手く行ったとして、それをあの子が喜ぶかよッッ!!」


 犯罪で得た金銭は、足が付く可能性が高い。銀行強盗犯だって、盗んだ金をそのまま使う事など出来ない。

 金を洗う当てもなく、ならば至る結果は今より泥沼となるだろう。本当に碌な事にはならないと、なのに綾人は語るのだ。


「それでも、俺は――春が生きていてくれればそれで良いッッ!!」


 例えそれで破滅したとて、本当に最後の一人からも恨まれたとしても、それでもあの子が生きてさえいてくれればそれで良いのだと。

 だから、先ずは此処でこの相手をぶちのめす。そうして奪えるだけの物を全て奪って、直ぐに次の犯罪に移ろう。この時綾人は、本気でそう考えていた。


「……お前、本当に分かってねぇよ」


 迫る拳に痛みを感じて、それでも何処か冷静に。恐れず前へ踏み込む事で、恭介は受ける被害を最小限に変えている。


「守るってのは、難しいんだよ。簡単じゃねぇんだ。お前のそれは、余りに何もかもを考えて無さ過ぎだ」


 必要なのは、この大馬鹿野郎を止める一撃。それを放つ為に腕一本。それ以外の全てを此処に、唯の囮と捨てていく。


「言ってやるよ。考えなし。お前は絶対、間に合わない」


 迫る嵐の如き拳撃を、折れた腕を使って弾く。歯を食い縛って痛みに耐えて、足の筋が千切れる程に力を込めて更に踏み込む。

 求める物は一撃だ。たった一度の全力だ。その一撃で決着を付けるだけの、全力攻撃を此処に行う。何としてでも、彼は此処で止めなくてはいけないから。


「言ってやるよ。考えなし。お前じゃ絶対に成功しない」


 そうとも、此処で止めてやらねばならない。余りに間違えた選択を、余りに履き違えた行動を、同じ願いを持つからこそ止めねばならない。

 ほんの少しの風が吹く、蒼い風はしかし何も起こしはしない。恭介はそれを望んではいないから、彼の動きが僅か早くなったのは、彼の意志が成した事。


「金を稼ぐ為に身体を酷使して、お前自身が病院行きか。犯罪行為に手を染めて、警察に捕まって少年院行きか。どっちにせよ、お前じゃあの子は救えない。お前は最初から――やり方を間違えてるんだからよッッ!!」


 その速さが拳に乗る。打ち放たれる一撃は、今まで以上の重さを宿して。まるで弾丸の如く、武梨綾人の顔を打ち抜いていた。


「頭を冷やしやがれッ! 大馬鹿野郎(タケナシアヤト)ッッ!!」


 そして、その大柄な体躯は吹き飛ばされる。全力の一撃をその身に受けて、綾人の身体は入口扉直ぐ傍の壁に当たって崩れ落ちた。




 打ち付けられて、血を吐き出す。そうして倒れた武梨綾人。その嵐の如き膂力は、火事場の馬鹿力と同じ類。綾人は生まれつき、脳のリミッターが外れやすい人間だった。

 だからこれ程に恐ろしい膂力を持ち、だがしかし、だからこそ彼の力はその身を蝕む。全力を出せば己が傷付くからこそ、脳はそれを制限する。それを外すと言う事は、保険を捨てると言う事でもあるのだ。


 自分の力で、自分の身が傷付いていた。腕の筋が引き千切れる程の力で、彼は殴ってしまうのだ。故にこそ、綾人は既に限界だ。崩れ落ちた身体から流れる血は、まるで池の如くであった。


「それ、でも――俺、は」


 それでも、立ち上がる。今にも意識を失いそうなのに、しかし綾人は腕を動かす。諦める事を、彼は自分に許さない。

 足が震えている。それは脳が異常をきたしているから。腕が上手く動かない。それは腕の健が断裂し掛かっているから。それでも彼は立ち上がる。


 いいや、立ち上がっただけではない。其処から動こうとしている。誰が考えても無理だと思う状態で、それでも前に行こうとしていた。


「間違い、だとしても、俺、は」


 そうとも、諦めるなんて不可能なのだ。どんなに間違った事であっても、それでも助かって欲しいと思うのだ。

 守りたい。救われて欲しい。幸せになって貰いたい。それこそが生きる理由であって、それだけが生きている理由であって、だから彼は止まれない。


 まるで生まれたての子山羊が如く、ふらつく足で前に行く。怒りを宿した瞳で敵を見る。全てを怒り憎む様な姿に、しかしもう嵐の様な恐ろしさは存在しない。

 だから、己の役割は此処までだろう。恭介はそう判断すると、握り締めた拳を解いた。そうして、響希の瞳を見詰める。此処までが自分の役目で、此処からが彼の役目だろうと。


 そうとも、恭介も綾人と同じく守る者でしかない。守られる立場の人間ではないから、その本心など本当の意味で理解は出来ない。

 だからこそ、恭介に出来るのは此処までなのだ。牙を奪った獣を落ち着かせる事が出来るのは、その獣が守ろうとする者の想いに共感できる者だけだから。


 語らず共に、それが分かった。そう望まれていると分かったから、響希は一つ頷き一歩を踏み出す。ゆっくりと進み続ける彼の前へと、足を踏み出し言葉を紡いだ。


「ねぇ、武梨くん。小春ちゃんは、寂しそうだったよ?」


「…………」


 ピタリと、足が止まった。血だらけでも進み続けたその身体が、そんな言葉一つで止まった。

 血が滲んで、内出血で腫れ上がって、上手く開かぬ瞳で見詰める。其処に映る姿は朧気で、届く言葉も曖昧だが、それでも本気の想いは伝わるのだ。


「守るとか、救うとか、僕には分からない。何時だって僕は、守られる側の人間だったから」


「…………」


「だけど、だからさ。分かるんだ。守られるだけなのは、寂しいよ?」


 何となく、本当に何となく、少女の様な容姿に影が重なる。寂しそうに微笑む姿が、最愛の誰かと確かにダブった。

 だから、まるでその人に言われている様な気がした。そう思った瞬間に、綾人は膝から崩れ落ちる。そう思ってしまった瞬間に、肉体が疲弊を理解してしまった。


 だから、もう動けない。立ち上がって進もうと、そう思う事が出来なくなった。地面に膝を付いた綾人は疲れた様に、その言葉を紡いだ。


「…………間に合わねぇ、のか」


「ああ」


 まるで泣いている様に、濡れた水と流れる血が地面を染める。そんな綾人の泣き言に、冷たい言葉を返すのは結城恭介。

 同じく傷付き疲弊しながら、それでも立っている彼は無情に告げる。お前のやり方じゃ間に合わないのだと、それを確かに理解させた。


「…………俺じゃ、守れねぇのか」


「え、っと、あの、その」


 想いだけでは守れないのかと、呟く声に慌てるのは西行寺玲菜。声が届いてないのだとしても、何を言ったら良いのか分からない。

 その姿は先の暴風が如きそれがまるで嘘だったかの如く、余りにも弱々しく儚い物であったから。玲菜は何も言う事が出来なかった。


「…………春は、寂しがってるのか」


「うん」


 分かり切った事を聞く。答えなんて分かり切っているから、龍宮響希は迷わず返す。

 守られる想い。待たされる想い。それを響希はとても良く、本当にとても良く知っていたのだ。


「……ほんっと、俺。何やってんだ」


 呆れる様に二度三度、嘆息してからそう呟く。自分が間違っていた事は、痛い程に理解した。この身に負った傷よりも、遥かにその事実の方が痛かった。


「訳分かんねぇ。意味分かんねぇ。けどよ、それでもよ。――諦められるか。認められるか。だって俺は、兄貴なんだぞ。だって春は、まだ十歳にもなってねぇんだ」


 自分が守らなくてはいけない。自分が救わなくてはいけない。だって武梨綾人は兄貴で、武梨小春はたった一人の妹だから。

 けれど、どうして良いのかが分からない。綾人は頭が悪いから、考える事が苦手だから、どうすれば大切な人を救えるのかが分からないのだ。


「どうすりゃ良い。どうすりゃ、良いんだよ」


 空を見上げて、そう呟く。諦める事は許せない。認める事など出来はしない。だが一体、己は何をすれば良いのか。

 寄り添いながらに励ます事しか出来ないのか。だがそれでは結局失われる。そんな結末など、武梨綾人には耐えられない。


「……お前はさ、頼るべきだったんだ」


 同じく空を見上げて、恭介はそんな言葉を言う。綾人に対する助言を此処に、恭介ならば何をしたのかを語るのだ。


「言っただろうが、頼れる奴なんて、いねぇよ」


「本当に? 世界中探して、その結論か?」


「あ?」


 綾人は容易く、誰にも頼れないと語った。彼にとっては世界の全てが敵だったから、味方などはいないと嘯いている。

 だが恭介は、それを真正面から否定する。本当に味方はいないのか。世界中をくまなく全て探して、その結論であったのかと。


 仮にそうであったとしても、結城恭介ならば一人で背負いはしなかった。一人では出来ない事があるのだと、彼はもう知っているから。


「周囲に居る人が助けてくれないなら、手を貸してくれる人を探すべきだった。誰でも良いからと、手を伸ばすべきだった。世界中の誰もが、悲劇を前に見て見ぬ振りをする様な人間と言う訳じゃない。そこまで、人間って奴は終わっちゃいない」


 助けになれる人に頼るべきだった。そんな人が居ないのなら、探すべきだった。探しても見つからないのなら、作り上げるべきだった。

 人は悪意に満ちていて、世には理不尽が溢れている。それでも人は悪意だけの存在ではなくて、確かに綺麗な物を持っている。世には理不尽だけではなく、奇跡の様な救いもあるから。


 結城恭介はそう信じている。人の心の光を確かに見届けた彼だからこそ、心の底から信じている。人はそれほどに、終わっている存在ではないのだと。


「力は及ばないかも知れない。取るに足りない事しか出来ないかも知れない。それでも、出来る限りで助けたいと思う。そういう人は、居た筈なんだ。そういう人を、お前は探すべきだったんだよ」


 そうして作れる人は、役に立たないのかも知れない。特別な資質なんてなくて、自分より遥かに劣っていて、足を引いてしまう者である可能性も確かにある。

 それでもそうはならないかも知れない。塵も積もればと言う様に、掻き集めれば何かが出来る。自分一人で背負うより、出来る事はきっと増えていく筈なのだ。


「武梨くん。君達兄妹の事を知って、僕には大した事が出来ないけど、それでも何か出来る事があるなら、何とかしたいと思ったよ」


「玲菜も~、協力できるなら、頑張ります~」


「もちろん、俺もな。――ほら、ちょっと探しただけで、こんだけ居るじゃないか」


「…………」


 数は力だ。少なくとも、一人より出来る事は増える。そうして増えた手段の中に、解決の糸口があるかもしれない。

 それを探そうともせずに、端から諦めていた事こそが綾人の過ち。踏み出す一歩は大切だが、踏み出すだけでも駄目なのだ。


「なあ、武梨。お前みたいな空頭でも、知ってんだろ? こういう時、何て言えば良いのかさ」


「……空頭は、余計だ。糞野郎。行き成り、喧嘩売って、上から目線で、説教、しやがって、ほんっと、腹立つし、頭に来る」


「けど、お前はこうでもしないと、止まらなかっただろう?」


「……ちっ、いけ好かねぇ」


「奇遇だな。俺もさっきまでのお前は、見ていて頭に来るくらいに気に入らなかった」


 勇気を出して一歩を踏み出した後は、踏み出したその道が正しいのかを考えなくてはならない。他に何かないのかと、考える事を止めてはならない。

 それは唯の惰性であるから、怠惰に対する罰は何時か必ず訪れる。分からなければ、時に人を頼る事も良いだろう。誰かの目で見て初めて、理解できる事は確かにあるのだ。


「でも、今は少し違う。だろ?」


「……本当に、いけ好かねぇ、野郎だ」


 真っ直ぐ前へ、進み続けていた足は折れた。膝立ちになったまま、空を見上げていた綾人はもう一度息を吐く。

 長く、本当に長く、息を吐いたのはある種儀式の様な物。これまでの日々で募りに募った価値観を、崩す為の行為であった。


「名前、教えろ」


「結城恭介。んで、こっちが」


「僕は、龍宮響希」


「西行寺玲菜です~」


「そうか。……覚えた」


 目の前の光景と聞こえる音。其処に僅か違和を感じて、綾人は一人小さく笑った。

 そうして、聞こえた音を繰り返す。口に出して語る名は、彼が確かに聞いた音の反復だ。


「なぁ、結城。龍宮。西行寺。……俺にはよぉ、守りてぇ人がいるんだ」


 意識が朦朧としている中、それでもその名を聞き零しはしなかった。三人も助けになってくれると、だから自分も確かにそれに応えよう。


「けど、俺一人じゃ、何をすりゃ良いか分かんねぇ。だから、さ。頼むよ。お願いだ」


 三人を視界に入れて、その両手を地面に付く。そうして綾人は、その場で頭を下げた。


「小春を助ける為に、手を貸して下さい」


 土下座をして、頼み込む。助けて欲しいと言う方法を、綾人は他に知らないから。そうするのが筋だと、彼は本気で思ったから。

 そんな不器用な姿に苦笑して、それでも返す言葉は変わらない。決まっている。それ以外にはないのだと、想いは確かに一つであった。


「もちろんです~」


「決まり、だな」


「約束するよ。武梨くん。僕は、僕らは、小春ちゃんを助ける為に全力を尽くす」


 出来る事は少ないのかも知れない。一人では、大した事が出来ないのかも知れない。決して救えないと、そんな状況なのかもしれない。

 それでも、三人寄れば文殊の知恵だ。此処には四人も居るのだから、きっと何かが出来る筈。たった一人で背負うよりも、きっと未来は良くなる筈だ。


 だから、約束を。腰を下ろして視線を合わせて、響希は微笑みながらに誓うのだ。


「知ってる? 約束は絶対なんだよ」


 微笑む響希と玲菜。そんな彼らに、少し驚く恭介の姿。響希が語った言葉は嘗て、恭介が彼に伝えた物だ。

 恐ろしい事がある度に、怯える響希を落ち着かせる為に約束した。絶対に守ると己に誓って、そんな言葉を語る姿に笑みを零す。


 確かに何かが変わっている。それはきっと、とても良い事なのだろうと。

 そして、何かが変わったのは、響希だけの話じゃない。その価値観を壊されて、確かに綾人も変わったのだ。


(ああ、そうか。こんなにも簡単な事だったのか)


 誰かに助けを求める事。誰かを頼りにする事。それはきっと、決して悪い事ではないと。

 助けてくれる誰かを望む。それだけではいけないだろうが、どうしようもないなら頼るべきであるのだろう。


 そして、それは決して難しい事ではない。助けてくださいと言葉に出せば、想いは確かに届くのだから。


「……あり、がとよ」


 笑みを浮かべる彼らに向かって、綾人は確かにそう呟く。

 恥ずかしそうに紡いだ音は決して大きくなかったが、それでも皆に伝わっていた。


 そうして、笑顔と共に差し出された小さな掌。綾人は血だらけの手で柔らかく、けれど確かにその手を握り返していた。






┌(┌^o^)┐<やっぱりキョウちゃんは……



……割と真面目に、美少女にしか見えない男の娘って、ジャンル的に同性愛扱いなのか悩む。

エロが絡むと確定で同性愛だが、エロスのない純愛なら見た目の問題で異性愛と言い張れない気がしなくもないし、割とその辺が分からない作者です。

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