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語られるのは空白。語る必要のない空白。明らかなジャンル違い。

これは“もしもドラゴンじゃなかったら”と“Dragon Travel Story”の設定を繋ぐ為の話です。




 これは語る必要などない事。物語にすらならない断片。

 幻想を旅する悪なる竜と、此処に生きるIfの彼ら、それを繋ぐ為にある断片で――結局、唯の蛇足である。




 重苦しい空気が満ちる建物の裏。龍宮桜は一人、堅苦しさから解放されて息を吐いた。

 蝉の声が聞こえる季節。着慣れぬ喪服は息苦しいし、この気候には気が滅入る。だがそれ以上に、周囲に満ちた空気が唯只管に面倒だった。


 ボトルキャップを捻る。傾けた飲料水で喉を潤して、壁に背を預けて息を吐く。背後の建物では、告別式の準備が粛々と進んでいた。

 それを知って尚、面倒だとしか感じない。故人を悼むより前に、明日が期限の英文課レポートを如何するか考えてしまう。そんな自分は心底から冷たい人間なのだろう。


 だがだからと言って、治そうとも思えない。そもそもこの腐り切った性根が、そう簡単に変わるとも思えなかった。

 そもそも故人に対する思い入れが薄いのだ。数度しか逢っていない相手。冷たいと自認する桜でなくても、真に迫った情は抱けまい。


 相手は年の離れた姉の再婚相手。一人目と死に別れてから数年して、見目整った姉が漸くに見出した男性。これから家族になる相手は、確かに好青年ではあった。

 姉の連れ子にも隔意なく接し、その子に纏わる悪い噂すら笑い飛ばす。結婚式を前に顔見せした時に、その善良さは理解した。それでも泣けない程に距離があるのは、事故が新婚直後の出来事であったからだろう。


 二人っきりの新婚旅行を終えて、次には家族サービスをと新たに義兄となる男は奮発したらしい。

 再婚相手の連れ子と、その子が一緒に居たいと言った友人。四人連れで二泊三日の旅行に出かけて、帰って来たのは三人だった。要はそういう話である。


 気丈に喪主を務める女はしかし、二度目となる連れ合いの死が流石に応えた様で人気が失せた場所では涙に暮れていた。

 それでも、桜は姉の気持ちに同情出来ない。同情が出来る程に近くはなくて、そもそも姉の家族に対して特別な感慨などは抱いてなかった。


 例えばTVで報道された事件や事故。ああそうかとしか思えない。感情など抱けぬ感想。或いは通勤ラッシュ時に起こった人身事故。何か理由があったのかも知れないが、巻き込まれた側としては勘弁してくれとしか感じない。

 姉の婿に関しても同じ事。大して面識がない相手に感じる情は、TV報道や電車で耳にした人身事故の放送と同程度。同じく然したることじゃない。惰性で大学院にまで進んだ女は、多くの物事に惰性以上の情を抱けない女であった。


 それを口にしないだけ、有情であると思って欲しい。そうとすら考えてしまうのは、桜の人格が徹底的に冷めているからだろう。

 流石に父母を失えば泣けるとは思うが、そうでなければ涙も流れない。そんな身内に向けるべきではない冷たさは、姉の息子に対しても変わらなかった。


(災厄を呼ぶ子供、ね)


 漸く二桁になったばかりの小学生。龍宮響希には、幼い頃から悪い噂が纏わり付いている。

 曰く、災厄を呼ぶ子供。曰く、疫病神。不吉を呼び込む程に、陰気を惹き付ける程に、彼の少年は陽の気質が強過ぎるのだと。


 幼稚園の時、彼ら一家が乗った遊覧船が転覆した。姉にとっては最初の夫、少年の実父は其処で命を落としている。

 原因究明の為に回収されたブラックボックスには、異常な程に低い声の怨嗟が只管記録されていたのだと実しやかに語られた。


 小学校の低学年時、遠足のバスが横転した。生存者は唯の一人。それ以外は全滅した。

 山道から落ちたバスのフロントガラスには、真っ赤な手形がびっしりと張り付いていたと言われている。


 そして今回、停止信号を見落とした電車が事故を起こした。機械トラブルを起こしていた前方車両に激突して、脱線して横転した。

 運悪く義兄は命を落とした。運悪く姉は後遺症が残る程の傷を負った。運悪く子の友人は両腕を骨折した。そして残った一人の子供は、しかし全くの無傷であった。


 生き残った運転手はいまや精神病院に。狂った様に、怯える様に、譫言を口にし続けている。

 それ程に凄惨な事件が、一度や二度ではない。死人や重症者が出ていない件も含めれば、それこそ数え切れない程だ。


 その全てに関わって、しかし全てで無傷だった少年。霊が見えると語る彼は、誰から見ても異常であった。

 だからこそ、口さがない大人達は少年が元凶だと罵った。有名な神社の神主であった少年の祖父がその異常性を肯定したからこそ、その悪い噂は現実味を持ってしまった。


 特別な血筋。無数の事件を呼び込んでいる。それでも無傷。ならば、もしも、もしかしたら――

 そう思ってしまえば、排斥に至るのは簡単だ。今は未だ裏で噂される程度であろうが、次に何かあれば確実に悪化するだろう。


 悪い噂と鼻で嗤い飛ばした再婚相手は、その噂の一部となって命を落とした。

 それでも愛そうとしていた姉は、だが何処か恐怖を抱き始めている。そんな節が確かにあった。


 そんな噂に対して、龍宮桜が思い抱くは一つの情だ。それは詰まり――


(ほんっと、アホくさ)


 馬鹿みたいだ。抱いた感情はそれ一つ。心の底から下らないと、素直に思う。

 女は冷静だ。冷血と言っても良い程に、そんな彼女は現実主義者。直接目にしたならば兎も角、噂だけで踊らされようとは思わない。


 現実に目にした訳ではなく、巻き添えを受けた訳でもなく、騒ぎ立てる自称良識ある人間たち。

 心底から軽蔑する。直接確かめようともせずに、小さな子供を拒絶し始めている大人たち。それを情けないとすら思わぬ厚顔無恥さが、嘲笑どころか失笑させる。


 彼らは汚物だ。龍宮桜と言う冷血な女は、冷めた思考でそう捉える。その行いに対し、冷たい情しか抱けない。


(……それでも、何とかしてやろうとも思えないんだけどね)


 それでも彼らが汚物なら、それを見過ごす己は唯の屑であろう。そんな自覚も確かにあった。

 ハッキリ言って、女にとってはどうでも良いのだ。これから排斥され虐待されるやもしれない子供も、それに石を投げ付ける大人もどうでも良い。


 噂は十中八九嘘だろうが、それでも一か二程度は真実であろう可能性がある。そうだとすれば、少年に関わる事は重大なリスクだ。

 そうでなくとも、それを真実と信じている者が居る。今回の一件で、必ず増える。そんな馬鹿な連中の相手をして、無駄に疲れる様な趣味などない。


 故に彼女が思う事など一つだけ。どうか己を巻き込んでくれるな。

 二度も夫を亡くした哀れな姉や、噂が真実だとしても罪がある訳ではない被害者でしかない少年や、善意を気取る醜い第三者に対して思う所はそれだけなのだ。


「……さってと、そろそろ戻りますかねぇ」


 水を二度三度と口に含んで、キャップを締めると背を伸ばす。このまま帰ってしまいたいが、社会的な生活を送る為に少しの我慢は必要だ。

 姉の家族に想う所は欠片もなくとも、姉本人に対してならば多少は情がある。涙を隠して気丈に振る舞う彼女の為に、少しは手伝うべきだろう。


 そう結論付けた桜は式場に戻ろうと、緩めていた服の第一ボタンを締めると身を翻す。そうして、其処で――意外な顔を見た。


「あらら? 君は」


 其処に立っていたのは、女の腰にも届かぬ小さな少年だ。茶色の髪に、力強い瞳。彫が深い顔立ちに、真剣な表情を浮かべている。

 名前も覚えていない甥っ子の、これまた名前を覚えていない友人。骨折した両の腕を包帯とギブスで固定した子供が、桜の顔を見詰めていた。


「たっしか、あーっと、……姉さんの子供の友達、だったよね。どしたん? 桜さんになんかようかい?」


 甥っ子の名前を思い出そうとして、失敗する。それ程に興味がない仕草を、笑顔に隠して戯けてみせる。

 誰しもその笑みに誤魔化される。そんな道化芝居を演じる桜を前に、しかしその幼い少年は誤魔化されはしなかった。


「アンタに、頼みがある」


「……ふーん。何だい、少年?」


 演じた笑みに惑わされて心を許す事もなく、真剣な表情で見詰めたままに頭を下げる。

 そんな少年の雑な言葉使いに、一瞬眉を顰めてから問い掛ける。桜の言葉に対し、子供――結城恭介は頼みを告げた。


「アイツの――響希の傍に、居て欲しいんだ」


「……色々疑問はあるけど、先ずは一つ。どうして、桜さんなのかい?」


 龍宮響希の傍に居て欲しい。そう言って頭を下げる茶髪の少年。

 そんな少年の言葉使いに苛立ちながら、龍宮桜は笑いながらも冷たく告げる。


「父親を亡くした子供と、夫を亡くした妻。傷を舐め合うなら、凹凸ピッタリな相手じゃないか。ぶっちゃけ、桜さん要らんでしょ?」


 笑うと言うより、嗤うと言った方が近いだろう。悪い笑みを浮かべた女に、少年はしかし怯まない。

 人生経験の浅い子供が、隠れた悪意を向けられて、気付きながらも怯えていない。そんな恭介は、彼女の言葉に首を振った。


「……楓おばさんじゃ駄目だ」


 少年は決して、特別な存在ではない。それでも、そんな彼にも何となく分かる事がある。


「上手くは言えねぇけど、あの人じゃ駄目だ。響希も楓おばさんも、どっちも駄目になっちまう」


 何処か変なイントネーションの日本語と瞳の色。数ヶ月前までアメリカに暮らしていた少年は、まだ日本に慣れていない。

 そんな拙い日本語では、どう例えて良いのかも分からない。時折英語の発言を混ぜてしまいそうになりながら、それでも身振り手振りで必死に伝える。


 龍宮響希の母親――龍宮楓では駄目なのだ、と。


「アンタだけだ。この場で唯一、アンタだけがアイツを色眼鏡に掛けないで見てる。アンタしか居ねぇんだよ」


 愛する我が子。愛する人を殺した我が子。上手く産んであげられなかった子供。

 龍宮響希は先天的なホルモン異常を有していて、彼は災害を引き寄せる体質をしていて、だからこそ彼の母親は色眼鏡で見てしまう。


 愛さなくてはいけない。その感情が義務となってしまっている時点で、彼女に任せてしまえば碌な事にはならないだろう。恭介は何となく、そんな風に悟っていた。


「アイツの傍に居てやって、アイツの家族をやってくれる。そんな人がこの場には、アンタ一人しかいなかった」


 だからこそ、彼はこの葬儀の中で必死に探していた。彼ら親子を支えられる第三者を。

 自分では駄目だ。余りに幼過ぎる。だから必死に探し続けて、目を皿にする程に探し続けて、そうして見付けた。


 少年は決して、特別な人間なんかじゃない。人を見抜く眼など、持っている訳ではない。誰よりも酷く凡庸だ。

 それでも後がないからこそ、そんな必死の想いが結果を繋ぐ。一人だけ冷めた思考で見詰めている人を、彼は確かに見付け出せたのだ。


「正直、さーくらさんの柄じゃないと思うんだけどねぇ。そもそもさ、なーんで桜さんがやんないといけないの?」


 そんな少年の想いの熱量。言葉と視線に籠るそれを感じながらに、しかし流される様な女ではない。

 身内の死にすら多少の情しか動かぬ女。冷たい彼女を動かす熱にはまだ足りぬ。故にこそ、演技を止めた女は冷たく本音を告げた。


「ぶっちゃけ面倒。正直、嫌よ。噂を信じる馬鹿の相手をするのも、どうでも良いガキの面倒見るのも、命を危険に晒すのだって全部嫌」


「……アンタも、あの噂を」


「信じてないわよ? でも、頭ごなしに否定はしない。そういう事もあるかも知れないって、だったらそれはリスクじゃない?」


 唯の子供が災厄を引き寄せると、そんな噂を桜は信じてはいない。だが特別否定もしていない。

 故にそう言う事もあるかもしれないと、その程度には思っている。その程度の考えだろうと、その程度の小さなリスクであっても、桜が関わらない理由としては十分だ。


 排斥や拒絶はしないが、それでも許容もしない。親交を結ぶなど真っ平御免。それが女の結論なのである。


「嘘だとしても、面倒な事。もし万が一本当だったら、それこそ取返しが付かないじゃない。そんなの、誰が手を貸すもんですか」


 信心深い龍宮の家に生まれ育って、最初の夫と結婚する前は巫女としての修行も詰んでいた龍宮楓。

 そんな姉を冷めた目で見続けていた妹は、何処までも現実的なのだ。その冷たく鋭利な思考は、無駄なデメリットを許容しない。


「あ、ここの話はオフレコでね。周囲にはさ、ノリが良い桜さんで通っているの。正直アイツらの程度に合わせんのも面倒なんだけど、態々牙を剥くのも馬鹿のやる事でしょ?」


 故にそれだけを口にして、女はそのまま歩き出す。無駄な労力は掛けさせるなよと、取り付く島すらありはしない。

 直ぐ傍らを横切って、式場へと戻っていく喪服の女。情ではなく論理で動く怜悧な女の背を見詰めて、それでも恭介は口にした。


「俺が、守る」


「ん?」


 唐突なその発言に、僅か疑問を抱いて振り返る。その視線の先には、揺るがぬ程に強い瞳。

 子供がするとは思えぬ目力に、桜は一瞬飲み込まれた。彼の意志の強さは、大人の女が無意識に一歩を引く程だった。


「今度は、俺が守る。必ず、絶対、今度は亡くさない。亡くさせなんかするもんかッ!」


 その気迫に飲まれた女に向けて、少年は誓う様に口にする。いいや、それは確かに真実誓いであった。

 少年は巻き込まれたのだ。崩れ落ちる列車の中で、悍ましい世界を垣間見た。それでも、だからこそ、彼は退かないと決めた。


「アンタも守るからッ! アンタも守れるくらいに、強くなるからッ! だから、頼むよッ!」


 逃げても良かった筈だ。拒絶しても良かった筈だ。それでも守ると心に決めた。

 それこそがきっと、凡人でしかない少年が持つたった一つの特別だ。この意志の強さこそが、彼が持つ唯一にして最大の輝きなのだろう。


「アイツには未だ家族が必要で、俺は守ろうとは出来ても家族にはなってやれない。だから、お願いだ。アンタの力を貸して欲しいッ!」


 彼は守ろうとしているのだ。心も、身体も、全てを守りたいと願っているのだ。

 だが自分一人では、片方を守る事が限界だと理解している。故にこそ、協力者が必要だった。


 大切な友達を守る為に、一緒に動いてくれる協力者。この親族が集まった場において、協力者に成れそうなのは桜一人であったから、膝を大地に付いて頭を下げる。心の底からの想いと共に、少年は此処に土下座していた。


「……アンタ、何でそこまでするの?」


 頭を土に擦り付けている少年の想いに飲まれて、口に出した音は震えていた。

 冷たいと自認する女は此処に、己の情が動いているのだと実感する。それ程に、真摯な想いであったのだ。


 そんな彼女の問い掛けに、少し恥じらう様に黙った後、恭介は素直に胸の内を明かした。


「……最初はさ、綺麗な子だなって、想ったんだ」


 初めて公園で見た時、一人ぼっちで黄昏る姿に心の底から見惚れてしまった。

 一目惚れと言う奴だろう。まるで絵画の世界から飛び出して来た様な美しさに、生まれて初めて恋をしたのだ。


「そりゃ、俺も男さ。格好良い所を見せて、好かれたいって、そんな想いだったさ」


「うわっ、コイツ真正かよ。ガキの癖に同性とか、業が深いな。おい」


「最初は女の子だって思ってたんだよっ!? あれ絶対詐欺だろッ!?」


 格好を付けて仲良くなって、そうして絆が深まった頃に知らされた無慈悲な現実。

 恥ずかしがりながら一緒に入った浴室で、股間に付いてた見慣れた何か。その日の夜、恭介は失恋の痛みに枕を濡らした。


「けどさ、最初は勘違いの恋愛感情でも、今は違うんだ」


 それでも、彼らの関係は其処で終わりじゃなかった。恋慕の情は薄れても、友誼の情は確かにある。

 惚れた女が女じゃなかった。その程度で掌を引っ繰り返す程に、結城恭介は浅くはない。恋は叶わなくとも、友であるのは事実であるのだ。


 だから、彼はこう思う。友達ならば、決して見捨ててはいけないのだと。


「まだ一年も経ってないけど、アイツは俺のダチなんだよ。俺はアイツの友達で、兄貴分なんだよ。だったら、ここで見逃すのは、辛い時に見過ごすのは、絶対やっちゃいけねぇ事だろう!?」


 怖い。恐い。こわい。コワイ。嗚呼、確かに怖いさ。認めよう。

 結城恭介は凡人だ。龍宮響希の様な特別ではなく、身の安全に保障はない。


 悍ましい呪詛で呪う無数の悪霊。妖魔としか語れない怪物の群れ。あの日に見たのは、そんな光景。

 響希に触れれば、消滅していく無数の化け物。まるで誘蛾の如く、死ぬと分かりながらに群がってくる邪妖共。


 恐れぬ筈がない。怖がらぬ理由がない。それでも、震え続ける道理もない。怯え戦くのは、たった一度で十分だ。


「困っているなら、助けてやる。辛いって言うなら、抱き締めてやる。立ち上がれないって言うんなら、この手で確かに支えてやる」


 一度目は出来なかった。先の旅行で初めて経験したオカルトは、子供の心を折るには十分過ぎる。

 それでも、響希を見捨てて離れると言う選択肢は端からない。ならば結城恭介は、強くならねばならぬのだ。


「俺に力がねぇなら、強くなる。手を引けるくらいに、引き続けられるくらいに、もっともっと強くなるッ!」


 一緒に居る為には、生き残れるだけ強くなる必要がある。ならばそうとも、強くなってみせるとしよう。

 どうせ強くならねばならぬと言うならば、それこそ必要以上に強くなろう。何もかもを守れるくらいに、必死に生きて駆け抜けよう。


「アイツの体質が原因の被害者は、もうこれ以上出させねぇ。俺はそう決めた。そう生きるって、決めたんだよッ!」


 それが結城恭介が、己の心に誓った想い。あの列車の中で何も出来なかったから、もう二度と取り零さないと決めたのだ。


「……ふん」


 その想いは、確かな熱量を持っていた。冷たい胸を震わせる程に、確かな熱を持っていた。

 だから、僅かな沈黙の後に、桜は一つの結論を出す。この少年の熱意を前に、血までも凍った女の心が動いた。


「口の利き方。ガキに言う事じゃないけどさ、頼み事するなら気を付けなさい。次にタメ口きいたら、何一つ聞いてやらないからね」


「次、に?」


「今回だけよ。今回だけは、年に免じて見逃してあげる。次からは敬語じゃないと、頼みはきいてあげないから。必死に勉強して頭に詰め込んどきなさい」


「――っ! あ、ありがとう。マジで、本当に、ありがとうッ!」


 感謝の言葉を何度も口にする恭介に、しかし桜は冷たく返す。

 それ程の情熱を向けられる甥っ子を何処か羨ましく思いながらに、女は鼻で嗤うと口にした。


「礼を言う暇があるなら、必死に動きなさい。次に犠牲者が出る事件が起きたら、私は尻尾を巻いて逃げるからね」


 少年の必死の頼みに応じて、女は自分の進路を定める。少しでも傍に居れる様な職業を、頭の中で探していく。

 同時に姉にどう頼み込もうかと考えながらに、見切りを付けた際の対応も思考する。多少心が動いた程度で、人の本質は変わらない。龍宮桜は、そういう女だ。




 姉を支えると言う名目で同居を希望した桜に対し、龍宮楓は彼女の存在を歓迎した。

 元々精神的に追い詰められていたのだ。故に、これ幸いと息子を任せて彼女は仕事に傾倒した。


 そんな母親の姿にこんな物かと胸中で吐き捨てながら、家族以外の大人に対し怯えた瞳を見せる甥に生活の全てを投げ付けて、桜は龍宮邸の居候となった。

 もう何年も前の出来事。ソファに寝転がりながらに、クッキーをボリボリと齧る。そんな駄目な姿を見せる彼女は、それでもあの日以来ずっとこの家で暮らしている。


 結城恭介は宣言通りに、あの日以来、犠牲者を一人も出してはいなかった。


「……全く、大したガキじゃない。あの時以来、ほんとに全部解決しちゃってさ」


 最初は本当に、事件や事故が起きる度にボロボロとなっていた。それでも、一つずつ身に付けて成長を続けた。

 霊障に関する知識なんて何一つなかったであろうに、現場で学んでいったのだ。身体を鍛えて、知識を蓄え、意志の力で乗り越えた。


 どれ程に努力を積んだのだろうか。まるで湖面の白鳥が如くに、それを誰からも隠し通す。

 知らぬ人は彼を完璧少年と語るが、裏側を知る龍宮桜はそれを鼻で嗤う。彼は完璧なんかじゃない。


 そう見える程に、必死に己を支え続けただけの一途な男でしかないのだ。


「うーん。桜さんがあと十年若ければ、抱かれてやっても良かったかもねん」


 もう少し年が近ければ、そんな彼にイカレていたかも知れない。

 そんな風に笑ってから、最後の一枚を飲み込む。空っぽになった皿を机に置いて、桜はキッチンに立つ少年へと言葉を掛けた。


「ねー、響希くーん」


「何ですかー、桜さん?」


「髪の毛、ちゃーんとお手入れしてるー? 折角綺麗なんだから、崩したら桜さん泣いちゃうぞー」


「分かってますよー。ってか、桜さんこそ、今日はお風呂に入って下さいねー」


 軽い遣り取り。中身のない言葉。そんな日常会話が、どうしてか心地良いと感じている。

 龍宮桜は冷たい女だ。その本質は変わらない。それでも一つ、変わった物があるのだとすればそれは。


「冷たい桜さんが、家族の情を抱いちゃうくらい近付いちゃったのはあのガキの所為だしさー」


 甥っ子に向ける感情だろう。あの日の姉と同程度には、確かな親愛を抱いている。

 それは一般の親兄弟に向けるそれとは比較にならぬ程に薄くとも、冷たい桜にしてみれば強いと言える感情だ。


 そうとも、今更に投げ出せない。自分に不利益を齎す様になったとしても、桜はもう響希を見捨てられはしない。

 そうなったのは、同じ家屋で数年間を共に過ごしたから。そうなる程に、一番近くに居続けたから。そして、何よりも――あの少年に魅せられてしまったからだろう。


 だからこそ、龍宮桜は一つ彼に嫌がらせをしている。三年前より一つ、結城恭介へ続ける嫌がらせこそ先の遣り取り。


「ウケケケケ。女の子的に綺麗になっていく初恋の相手を見て、精々己の常識と理性と性別の狭間で苦しむが良いー」


 少女趣味と誤解させているが、その本質は即ちそれだ。無感動だった自分を感動させた、勇気ある少年への嫌がらせ。


 惚れた相手が同性だからと割り切ろうとする度に、女装させた姿を見せ付ける。恋心に決着を付けようとする前に、女性的な所作や趣味を甥に仕込んだ。

 その姿に見惚れて、しかし自分はホモではないと影でのたうち回る。ドキリとする度に、裏で頭を壁に叩き付けている。そんな少年の苦悩が、今の桜にとっては一番の娯楽であったのだ。


「あー! そだ、響希くーん! ハンバーグのチーズはInですよー。桜さんはOnなんて邪道は認めませんからねー!」


 さて、手作りのお菓子を見たあの少年はどんな表情をするであろうか。

 或いはそれが別の男に贈られる物だと知れば、どれ程味わい深い顔を見せてくれるか。


「桜さん、お腹空いたー! 早よっ! ご飯早よーッ!!」


 想像するだけで御飯が三杯はいけそうだ。邪悪な笑みを浮かべた桜は、キッチンで調理に励む響希を急かすのだった。






桜さんは性悪女。響希くんは存在が厄い。周囲を思いっきり巻き込む厄さ。

努力家な恭ちゃんはホモじゃないけど、響希くんを守る為にストーカーみたいなことしてるから、実質ホモみたいなものだと思う。


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