第三話
辺境の地まで延びるの街道は、それだけで帝国の力を表していた。
百数十年に渡る拡大期を経て、帝国は今、安定期を迎えていた。大陸の南東部に端を発した帝国は、少しずつ、少しずつ、その勢力を広げてきた。
東と南に広がる大海を、強大な島嶼商業連合に阻まれ、内陸部に進出するしかなかったかつての帝国は、街道の整備が最も重要であることに気が付いた。始めは、土を踏み固めただけの粗末な道。ついで、石造りの道。そして、焼き固められたレンガの道。最後には、そこに瀝青さえ用いられた。
もちろん、全ての道が最高の状態に保たれているわけではない。街道の重要度に応じて、その造りが変わってくる。しかし、この北部辺境の小さな城塞に至る道でさえも、形の整った石が敷き詰められていた。
その街道が馬車の車輪がすべり動くごとに、コトコトと小さな音を鳴らしていた。
馬車の台数は十五台。そのうち、キャラバンが構成するのが五台で、残りの十台は北部辺境軍管区から、傷病者と市民の移送用に派遣されたものだった。
アシュロンは、その馬車の一台に乗っていた。
キャラバンの馬車は幌馬車であり、その造りは、軍の馬車が荷馬車であることに比べれば、比較的頑丈であった。アシュロンが護衛隊として雇われているキャラバンは、帝国でも指折りの陸運商会が指揮していたもので、今回も城塞への物資輸送をその主な任務としていた。
城塞に対する物資を陸運商会が輸送するというと奇妙に思えるかもしれないが、そもそも城塞には軍属でない市民も大勢いた。彼らの多くは、なにも命令されて城塞にいるわけではない。人間が営みを行う場所では、どんな場所でも、例え戦場でも商売は成り立つ。雑務は幾らでもあるし、娼婦や酒といった娯楽の需要もある。それら全てを軍だけで賄うことは難しい。それ故に、そこに商機を見出す者もいた。ただし、それはある程度の安全が保障されている場合、ではあるが。
ちなみにアシュロンは軍の荷馬車に乗せられていた。キャラバンの馬車は重傷者に当てられていた。本来アシュロンもそこに乗ることになっていたのだが、不思議なことに、あれほどの傷にも関わらず、体調がすこぶる良い。始めは異様な倦怠感を感じたものの、普段より大量の食事を取ると、瞬く間に回復した。傭兵仲間達は、アシュロンが麦粥を六杯も食べたのを見て、目を点にしていた。「腹の傷からこぼれるぞ」とはガルの言である。もちろん、腹部の傷は今だに残っているが、動けないほどの痛みではなかった。
輸送隊は中央をキャラバンの馬車、そして軍の馬車がその前後に五台づつ、という陣容で進んでいた。また、中央部には、城塞を離れることにした市民の集団もいた。アシュロンの乗る荷馬車は列の最後尾だった。その後ろに、さらに護衛の兵士が三十名ほど徒歩で続いていた。
アシュロンの乗る荷馬車には他に五人ほどの人間が座っていた。歩けないというほどではないが、長時間の移動が困難という程度の傷を負った者達。そもそも、動けないものは城塞で引き続き治療を受けていた。
馬車の面々は、皆一様に暗い顔をしていた。傷を負って明るい顔を見せる者などいないだろう。口数も少なく、押し黙っていた。しかし、アシュロンにはその重く淀んだ空気が好きになれそうになかった。景色でも、と思っても、周囲は森に囲まれ、気を紛らわすようなものはなかった。
アシュロンはふと前方の荷馬車に目を向けた。一台前の馬車はここと似たような雰囲気だったが、二台前の馬車は様子が違った。
武装した兵士四人と少年、少女。
不安げな少年を、年上らしい少女が気丈に振舞って、肩に寄り添わせていた。
彼らの容姿は透き通るような白い肌と燃えるような赤毛。一目見れば彼らが北方人種の特徴を有しているとわかる。そして、少年の顔には複雑な刺青が彫られていた。
蛮族。
アシュロンはその言葉を口にはしなかった。
蛮族とは大概な言葉である。下品で乱暴。未開。そういった言葉を相手に投げかける時、相手はどんな反応を示すだろうか。おそらく、敵意だろう。
帝国は今、西方と北方、さらに北西に広がる広大な地で蛮族に相対していた。
北方の地では小規模な部族が深い森を根城にして、至る所に暮らしていた。西方の地では広大な砂漠に暮らす遊牧民がいた。北西には天を衝くような山脈が連なり、山岳民族が点在していた。
彼らはまとまりに欠け、帝国を害するような規模にはならないと考えられている。そのため、帝国は基本的に、領土の外縁部では防衛を優先していた。そもそも、帝国は十分広大な領地を有している。これまで取り込んできた、小王国や都市国家のように旨みのある土地でなければ価値を見出していなかった。
辺境に手を出すくらいなら、南方の半島と周辺地域を支配する国家郡と戦う方が幾分か価値があった。
アシュロンが少年らの様子を見ていると、少年と目が合った。
少年。まだ、成人すらしていない、つまり十五にもなってないだろう幼い顔は、どこと無く中性的な容姿で、成長すればさぞかし美男子になるだろう。その、少年の不安げな瞳がアシュロンを見つめた。
アシュロンは、その純粋で、まだどのような色も宿していない無垢な瞳に見つめられて、居た堪れなくなった。
そんな目で、見ないで欲しい。それがアシュロンの素直な気持ちだった。
アシュロンは少年から目を逸らすと、自然と馬車の床を見つめた。
見るな。聞くな。口外するな。とは、軍の正規兵だった時に、口を酸っぱくして上官に言われたことだった。軍という組織は稀に不可思議なことをする。単なる兵士がそういったことに疑問を差し挟むことは、あまりよい行いとは言えない。それは、傭兵になっても同じで、明らかな不正義や倫理的に間違った行いでなければ、口を出すのはご法度だった。
少年達は手荒な真似をされているわけではない。どちらかと言えば、賓客扱いだろうか。
どういった事情なのか分からないアシュロンにとって、口の出せる領分ではないし、明らかに、出すべきではなかった。