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美しい鼻血  作者: 子々
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第4章 それぞれの現場


流血がありますので苦手な方はご注意ください。



「連続無差別通り魔が近辺で相次いで出没しております。夜道を歩く際は十分ご注意ください」と書かれた看板や貼り紙を街中でよく見掛けるようになった。学校でも街中でも通り魔事件の話ばかりが飛び交っている。


「無差別に人を切りつける通り魔が出没しているらしいから、夜道は一人で歩いちゃ駄目よ」

 近所のおばさんにそう言われ、僕は愛想よく、

「はい、気をつけます。おばさんも気をつけてください」

 と言った。きっとその時の僕の笑顔は最高に輝いていただろう。


 大人たちは得体が知れない通り魔に怯えている。いつ自分が被害にあうか分からない状況のなかで、仕事を休むことも出来ずにもがき足掻く姿を僕は恍惚と眺めている。「無差別」だから僕にだって次の被害者が誰なのか分からない。次の被害者は僕を心配し、注意をしてくれたこの主婦かもしれないのだ。


 犯人の正体を知った時、僕の周りの人々はどう思い、環境はどう変わるのだろうと、真っ暗な押入れの中で僕は考えた。最後の結末は僕が勝つのか、大人が勝つのか、それは誰にも分からないからこそ、止めることが出来ない。いつしか「復讐」の中に「快楽」が生まれ始めているようだ。それは、人を一人切る度に成長していく。その「快楽」の赤ん坊が、堪らなく愛しい。


 次の日の夜、僕と哀子はまたナイフを持って、静まりかえった住宅街へ向かった。ターゲットは男でも女でもどちらでも良かった。でも、捕まってしまっては僕たちの復讐劇が終わってしまうため、極力酔った人か、疲れている人を選んだ。僕はあまり女の人は切りたくなかったが、哀子が女の方が切りやすいと思う、と発言し、特に拒否する理由もなく、そうだね、と肯定してしまった。


 だから、今僕たちが狙いを定めているのは「女性」だった。コツコツとヒールの音を響かせて、少し早足に歩く女性は、辺りをキョロキョロと挙動不審に見渡していた。どうやら「少年リッパー」の存在を恐れているらしかった。怖がっている。僕らの存在を恐れている。それが分かると、身体中がうずいた。怖がっている人間ほど、ターゲットにしたくなる。まさに犯罪者の性癖がもう僕の中にあるようだった。許しを請う人質を、笑いながら撃ち殺してしまう犯罪者と似ている。そう思うと、背筋がゾクッとした。


 僕と哀子はナイフを構えた。わざとローラーの音を大袈裟に響かせて、僕は女のところまで滑った。その音に気付いた女は驚いて振り返り、僕たちの姿を見つけると、走り出した。凄く走りにくそうに駆けた。そんな靴で、そんなスカートで逃げきれるつもりなのだろうか。僕は少し、スピードを落とした。女は大声で叫んだ。何度も、誰かー! と叫び、助けて、と息を切らしながら何度も呟いていた。


 僕は追いかけるのを止めた。女が逃げ惑う様子がおもしろくて、出来るだけ見ていたくてスピードを落とし続けていたら、いつしか止まってしまった。僕の後ろから滑ってきた哀子は、怪訝な声色で、どうしたの? と呟いた。僕は何だか虚しい気分になった。


「草太がやらないのなら、私がやるけど?」

 哀子はそう言って、ナイフを光らせた。僕は哀子の手を掴み、ナイフを下ろさせた。哀子がサングラス越しに僕を睨んでいるのが分かった。


 もう女の姿は数十メートル先にあった。だけど、僕なら追いつける自信があった。哀子は何も言わずに、ナイフをポケットにしまい、僕の背中を叩いた。早くしないと、誰かが出てくるかもしれない。僕はナイフの柄をしっかりと握りしめて、ローラーを滑らせた。あんな走り方じゃあ、僕に追いつかれるのは時間の問題だ。女のヒールの音が段々近づいてくる。女は僕の姿を見ると、また大声で叫んだ。僕はナイフを構えた。


 あと少しで二の腕を切る、という時に、僕の視界は一瞬奪われた。女は持っていた、携帯電話のライトを僕に向かって当ててきたのだ。一瞬間僕は怯んだ。サングラスのお陰で転倒まではいかなかったが、僕の手元が狂ってしまった。切ろうと構えられた手はそのまま止まることなく女目掛けて向かっていき、肉の切れる感触がナイフから掌に伝わり、身体中を駆け巡った。女の痛々しい叫び声が、僕の鼓膜を振動させる。女は脇腹を抑えて、地面に転がり、泣き続けた。僕は女の携帯電話を取り、一一九を押し、救急車を呼んであげた。女は僕を鋭い目付きでずっと睨み続けていた。僕は携帯電話をバキッと折り、女の上に放った。そのまま、哀子の元へ引き返し、


「帰ろう。今日は少し、血を見すぎた」

 呟いて、僕たちは公園で血を洗い流し、家に帰った。






 僕は死んだっていい。親もいらない。友達も欲しくない。金も、愛も、何も何も、消えて、僕を見放しても構わない。だけど犯罪を行う意味だけは、消えられたら困る。ヘビースモーカーにとっての煙草や、アルコール中毒者にとっての酒や、麻薬中毒者にとっての薬のように、僕には人の傷が必要なのだ。人の傷がないと、僕は「自分を傷つけて生きる人間」に戻ってしまう。それがとても恐ろしかった。


「きっとあなたは産まれた時からこういう道を行くことが決まっていたのね」

「産まれた時代と産まれた環境がいけなかっただけだよ。今はもう明るい未来が待っている、とか簡単には思えない時代だし。幼い頃は“希望”のない世界なんて有り得ないと思っていたけど、今じゃあ“希望”の意味すら分からなくなった……。だから、僕は大人の希望を奪うんだ」


 哀子は哀れんだような瞳で僕をレンズに映した後、膝小僧に目を押し当てた。そして小さく、素敵ね、と呟いた。哀子の二の腕には赤黒い痕ができていた。首にも点々と、痕が虫の群れのように無数に存在していた。避けて避けて、避け続けた疑問を僕はうっかりと尋ねてしまった。


「これ、どうしたの?」

 哀子は膝小僧から目を離し、僕に一瞥くれてから、自身の腕を指でなぞった。表情が一気に強張った。しばらくの沈黙。僕の唇はぶるぶると震え、その空気の悪さに息を吐くことすら難しく感じた。しばらくすると、哀子の目からボタボタと涙が零れだし、鼻水もダラダラ流れだし、すごく惨めな表情になった。それを見た僕は何故か震えがおさまり、自分でもゾッとするほど穏やかな心身で哀子のダラしない泣き顔を見ていた。


「もういいよ。答えなくていい」

 泣きながら哀子は土管から抜け出して、砂場で嘔吐した。そしてその場に蹲ってしまったため、僕は哀子を背負って家まで送っていくことになった。


 哀子の家はアパートだった。何十年もそこに立ち尽くしているのか、ボロボロで陰気だった。哀子の汚れた身なりと、とても似ている。


 哀子を背中から下ろし、彼女の背中をポンと押してあげた。哀子は僕を赤く腫れ上がった目で一瞥してから、階段をゆっくりゆっくりと上がっていった。哀子が家へ入るのを見送り、踵を返した。後ろから何かが暴れるような音と叫び声が聞こえた。僕は哀子の家のドアを一瞥し、その場から走り去った。自分の無力さに嫌気がした。




お読みくださりありがとうございます。


何かありましたらよければコメントお願いします!



2007.10.15. 子々

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