エピローグ
男の背後に人の気配がした。男はゆっくりと振り返り、自身の背後に立つ人物を見た。男はしばらく黙した後、思い出したように目を大きく見開いた。
「洋平……?」
「よ、久しぶり」
洋平と呼ばれた男は、金髪で、耳には数個のピアスがしてあった。
陽気に笑みを浮かべる洋平を男は気まずそうに見ながら、久しぶり、とぼそりと呟いた。
「いつ帰って来たんだ?」
「ついさっき……」
洋平は、そうかそうか、と怪しく微笑を浮かべながら、男に近づき肩を軽く叩いた。
「今から飲みに行かないか? 昔話でもしようぜ」
「いや、止しておくよ。すぐにまた違うところへ行くから」
男はそう呟いて、慌しい足取りでその場を去ろうとした。しかし、洋平に腕を掴まれ、足を進めることが出来なかった。
「お前、今十九か?」
「……そうだけど」
「いつ二十歳になる?」
「今月の二十一日に」
「そうか、そうなると来週でお前も大人の仲間入りってわけか」
洋平は頭を掻きながら、口角を吊り上げて言った。男の顔色が徐々に青白く変色しだし、額にじんわりと汗が滲み出す。
「覚えているか? 六年前の事件。今この付近でまた発生してるんだぜ? それも、あのときと同じで大人ばかりを狙った無差別殺人事件がさ」
男には人一倍、その事件には覚えがあった。
洋平がその殺人鬼を「正義」と讃えたこと。担任の先生が被害に合い、殺されてしまったこと。そして、その犯人の正体も。
さき程まで緊迫していた男だったが、ふと表情を変えた。今にも舌打ちをして洋平に殴りかかりそうな剣幕になり、それでいて瞳に光りが宿っていなかった。男の無造作に伸びた髪を突風が揺さぶり、乾いた土から砂埃が舞い上がった。
洋平はポケットに入れていた両手を出した。
「俺は六年前からずっと考えていたんだ。先生は一体誰を見たのかって……。それがずっと頭の中に残っててさ、あのときは単なる噂だと思っていたけど、もしかしたら本当に先生は犯人を見たんじゃないかって。それも、先生が見た犯人は……自分のうけ持っていたクラスの生徒……」
男は俯いたまま、静かに洋平の話を聞いていた。土で汚れた掌を指先でなぞりながら、弄くっていた。
「少年リッパーって、お前なんだろ?」
ゆっくりと頭を上げた男は、不適に笑みを浮かべ、声をあげて笑いだした。男は、汚れた髪の毛をバサバサ掻き、それがどうした、と呟き、ポケットに手を突っ込んだ。
洋平は唇を噛みしめ、眉間に皺をいくつも作った。
「洋平は、いつ大人になるの?」
「…………今月だ」
洋平の額を汗が一筋伝う。
洋平の手に握られた小型ナイフに、彼の姿が反射し映し出される。惨めなほど、動揺した表情を引きつらせていた。
「この辺で最近起きている事件……。洋平が犯人なの? 六年前の僕に憧れて、洋平は僕になりたがっているんだね。可哀想に」
洋平の手は小刻みに震え始め、男はそれを冷ややかに見つめた。そして、ポケットから手を出す。そこには六年もの間、何十人もの大人の血を吸い続けたナイフが握られていた。
「洋平、君は見落としていたようだけど、僕はナイフを二本所持しているんだよ。僕がナイフを埋めたのを見て、声を掛けたんだろうけど、残念だったね」
先に大人になる方が、犠牲になるっていうのはどう? そう言って、男はにんまりと口角を吊り上げて笑んだ。洋平もそれに同意し、お互い握りしめたナイフを構えた。
ひとつの男の死体がある。
それはこれでもかというほど切り込まれ、元々公園だった土地の、土管があった場所に棄てられていた。
どこから生まれた喜びなのか、男の表情は晴れやかだった。
その死体はまるで、全ての悲しみから抜け出せたように、幸せそうに笑みを浮かべていたそうだ。
ここまで読んでくださってありがとうございました。これで「美しい鼻血」は終わりです(^^)
次回はもって明るいお話を書きたいです。
2007.10.23. 子々