第9章 解体
親愛なる「AI」へ
僕が見つかるのも時間の問題みたいだ。だけど、君がまだ辛そうだから、僕は捕まるわけにはいかない。君は知らないだろうね、僕がこんなことをしているのなんて。でもいいんだよ、君はいつも通りでいればいい。罪は全て僕に任せて。
愛しの「AI」へ
君が僕の隣でそっと独り言を呟いた。「あんたも殺されればいいのに」って。君の望みでも、それは出来ないんだ、ごめんよ。僕が殺されることはないんだ、ごめんよ。でも、君の目の前から、僕が消えればいいのだね? それが望みなんだね? それなら良い考えがあるよ。楽しみにしておいておくれ。きっと、君は泣いて喜ぶだろうから。
公園が解体され始めると、僕と哀子はその様子を眺めて過ごした。危ないから近くに寄らないでね、と注意されながらも、僕たちはそこでぼんやりと潰れていく僕たちの基地を名残惜しく見ていた。工事は五時まで続き、それが終わると大きなショベルが土管を見下ろして立っていた。この公園が潰れると、次には家が建つそうだ。
「これからどうしようか、私たちの基地」
「もう、いっそのことここで縁を切ってしまおうか」
「……それもいいわね」
もう土管の姿が見えなくなった公園を、寂しそうに見つめて哀子は言った。お互いの縁が切れてしまうことに何の名残もなかった。ただ、お互いを利用して、自分の楽しみを作っていただけだ。友情も愛情も何もない。それはそれで、おかしい。じゃあ、僕たちはどんな情を相手に感じていたのだろうか。
「一人でも大丈夫?」
「いままでずっと独りだったもの、大丈夫よ。草太の方こそ、一人で大丈夫?」
「僕にはそれなりに友だちっていうのがいるからね。大丈夫だよ」
哀子は僕を見て笑んだ。
僕たちはそれからぱったりと会わなくなった。
「少年リッパー」を名乗る殺人鬼もその日からぱったりと犯行を止めた。
やはり、僕か哀子かのどちらかが殺人鬼だったのだろう。それでも僕は爽やかな気分だった。ほんの二ヶ月間の復讐遊びだったけれど、それなりに楽しめたし、当初の目的を果たすことも出来た。それだけで僕は満足だった。引き出しにしまったナイフを見るたびに今までの遊びが鮮明に脳裏に思い出され、僕に軽い目眩を起こさせるが、それは“普通の人間”に戻ってきたせいだろう。世間を騒がせた「少年リッパー」はもう死んだのだ。
公園も予定通りに潰れて、哀子とは一ヶ月ほど会わなかった。学校でも、先生の死がなかったかのようにみんなに笑顔が戻り、新任の先生は、すぐに僕たちのクラスに馴染んだ。前までは「少年リッパー」の信者並に語っていた洋平も連続殺人鬼の話を一切しなくなった。僕の生活は、哀子と会う前に戻ったのだ。僕は押入れの中でぼんやりと考え事をして、時に無性に傷を見たくて、自分の皮膚に刃をむけるけれど、それもまた元に戻ったというだけだ。
だけど、そんな生活もすぐに潰れてしまった。ぐしゃりと音を立てて、ガラガラと崩れていった。もう終わったと思っていた「少年リッパー」が復活したのだ。最初の頃はニュースでただの殺人事件として取り上げられていたが、次第に「少年リッパー事件」と似ていることから、犯人は同一人物だと判断された。そのニュースを観て、真っ先に頭に浮かんだのは哀子の存在だった。「少年リッパー」の犯行は徐々にエスカレートしていき、切り刻んだあと、死体の体の一部を持ち帰っていた。それは、耳だったり、舌だったり、指だったり、様々だった。少なくとも僕の家にはそんなものはない。だったら、やはり犯人は哀子と考えるのが筋だ。
殺人鬼が復活して、十体目の死体が出たとき、僕は哀子の家まで出向くことにした。あのおんぼろのアパートだ。
辺りに街灯がなく、アパートの周りは雑草だらけで、空き缶やチラシなどのゴミがあちこちに落ちていた。僕は階段を登り、「笹上」と標識のある部屋のドアの前にいった。新聞やチラシがポストに溜まっている。不思議なぐらい静まり返っていた。僕はしばらく悩み、インターホンに手をかけた。そのとき、中から何かが暴れる音がし、がしゃんと物が割れる音と叫び声が響き渡った。僕は驚いてのばした手を引っ込め、後ずさった。強く鳴る心臓を必死に抑えながら、震える足のせいで立っているのがやっとだった。逃げろ! と僕が僕に命令して、僕の足が階段の方へ向いたとき、ドアが勢いよく開いた。中から雑巾のようにボロボロになった哀子がお腹を抑えながら出てきた。哀子は玄関から一歩出てから、その場に崩れ落ち、倒れてしまった。
僕は目を見開いてその様を見ていることしか出来なかった。すると、中から大人の女の人が出てきて、倒れている哀子の髪の毛を掴んで、人形のように持ち上げた。
どうしてそうしたのか今となっては分からないけれど、僕は無意識の内に、その女の人の首を切りつけ、哀子を担ぎ上げて走り出していた。こういうのを火事場の馬鹿力ということをそのときに知った。それでも足は震えて、途中何度も転んだが、僕は走った。走っている最中、僕はずっと泣いていた。涙と鼻水と涎を垂らしながら無我夢中で走っていた。哀子の鼻から流れる鼻血が僕の首筋にたれてきたが、僕はとにかく必死に走った。
僕の足は自然と取り壊された公園の跡地へと向かった。立ち入り禁止と書かれた看板の立つ空き地へ入ると、僕の体力も底をつき、思い切り倒れてしまった。その拍子に哀子も投げ出された。僕の隣で、仰向けになって気絶する哀子を霞む視界の中見ていた。哀子はやはり至る所から血を流していた。僕は哀子と会う前までの普通の日常に戻ったけれど、哀子はいつもの通り、虐待される毎日を送っていたんだ。
「哀子……。哀子……」
哀子の頬を軽く叩きながら、哀子の名前を呼んだ。哀子は咳きこみながら顔を歪めて、目を覚ました。瞼を上げても、哀子の目は虚ろで、まだ意識がはっきりと戻っていないようだった。星のない空を見ながら哀子の脳が起きるのを待った。
「……草太?」
「うん」
僕は哀子の顔を上から覗き込んだ。すると、哀子は泣いた。泣いて、泣いて、つられて僕もまた泣いた。
この復讐遊びが何の意味を果たしたんだろう、何で僕たちは泣いているんだろう、何も変わっていないじゃないか!
「どうして人は人を傷付けるのかなぁ……」
「生きていくため……かな」
「じゃあ、私も人を傷付けて、恨まれて、生きていくことになるのか……」
「哀子は、人を殺したいと思ったことがある?」
「そんなこと、思う暇さえないわ」
哀子はずっと目を腕で覆っていた。僕は真っ暗な空をずっと見ていた。
「今、ナイフ持ってる?」
哀子はおもむろにポケットからナイフを取り出した。
「僕も持ってる。ねぇ、一緒にこれ捨てちゃわない?」
哀子は黙って頷いた。
僕たちはナイフを空き地の隅に埋めた。全てをこのまま封印したかった。
埋め終えて、僕は哀子をどうすればいいか考えた。またあの家に帰すのは危ないだろうし、だからといって快適な場所があるわけでもない。夜になると大分冷えこむから外に放置するわけにもいかないだろう。
「……僕の家の押入れの中でもいい?」
哀子は笑って頷いた。
僕の憩いの場所だった押入れを哀子に与え、僕は普段通りの生活を行った。窮屈な生活だろうけれど、哀子は前の家よりも住み心地がいいと言っている。僕たちはほとんど会話もせず、顔を合わせることも多くはなかった。食べる物をあげるときぐらいしか、僕から襖を開けることはなかった。
ある日、襖の奥から哀子が僕に話しかけてきた。
「あのね、考えたんだけど、どこか遠くに行かない? いつか二人で」
「どこにそんなお金があるのさ」
僕が笑いながら言うと、哀子の声はそこで途絶えた。僕はベッドに寝転がりながら、天井を眺めて哀子の返事を待っていると、数分後、何かを思いついたらしい哀子が声を弾ませて、
「走って走って、疲れたら歩いて、それを繰り返していたら、いつか遠くに行けるよ」
「うん、いいアイディアだね。無一文で旅に出るのも悪くない。いつ力尽きるか分からないけれどね」
「こういうのはどうかしら。私が死んだら、草太が哀しんで泣くの。草太が死んだら、私が哀しんで泣くの。そうすれば、死ぬのは怖くない」
「残された方は誰に泣いてもらうのさ」
僕は笑った。哀子は「ああ、そうか」と呟き、また沈黙した。僕は目を閉じて、そのまま眠りについた。哀子が僕を呼ぶ声が微かに聴こえた。