出会い、そして今
頭を押さえながらベッドから起き上がった。横に寝ているのは黒髪ツヤツヤな寝顔は天使な男の人。
あくまで、寝顔はだが。
起きて動いている奴は鬼畜だ。人のことを考えもしない。いや、実は考えているのかもしれないが私にはそうは見えなかった。
日中は人をからかって遊び。私の文句を鼻で笑い。人の予定も聞かずに家に連れ込むような奴だ。そこでナニをされるかは簡単に説明させてもらう。ドラマや携帯小説などに描かれる描写のように、私達の間にはそんな愛情は存在しないしないし、甘ったるい空気もない。向こうの事は知らないが、されている私がそう思っている、つまりは伝わっていないのだからそうなのだ。嫌だと言っても、泣いても、それにかまうことなく(むしろ嬉しそうに)襲ってくるコイツに愛を感じる奴は居るのだろうか。
いや、いない。そこに愛を感じる事ができる奴は真正のマゾだ。ドMだ。一応言っておくけど私はいたってノーマルである。キスの最中に私の鼻を摘まんで息を止めさせて笑っている奴なんかに愛を感じない。(あの時は本当に死ぬかと思った。)
その時でた生理的な涙をぺロリと舌でなめ、目を細め、しかし獲物は逃がさんといった強い目でこちらを見ながら舌なめずりをされた時は思わずドキッとした。その妖艶な笑みに。ゾクッともした。この感覚は恐らくこれから捕食されてしまうという恐怖だったのではないかと今は思う。それで蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった私は、不埒な動きを始めた手に気付くのが遅れ、その日も抵抗空しくおいしく頂かれてしまった。
意識を失うまで追い立てる奴は蛇のごとくしつこい。あれではいくら顔が良くても逃げられてしまうと思う。また、私が意識を失う寸前に見せる勝ち誇ったような顔がまたムカツク。ムカツク。いつか他の女に刺されてしまえばいいのに。そしたら病室で「ざまぁぁぁぁっ」って指差して笑ってやるのに。(もちろん恥ずかしいから小声でですけど)
そして私たちは付き合っているわけでもない。ただ、そう。体を求められているだけ。それが何故私だったのか良く分からない。顔のいいコイツなら、より取り見取りなはずだ。アレか、出会った場所がいけなかったのか、あの時選択を間違えたのか。
「酒臭い……」
酒の匂いと、アイツとの出会いを思い出したことで、必然的に最悪な記憶も思い出してしまった。
それは私がまだ大学生の時、私の研究が教授に認められて有頂天になっていた頃だった。
先輩や、同級の人達はみんな一緒に喜んでくれた。人生の中で一番嬉しい出来事だったために、お祝いに遊びに行こうと言った先輩の、何か企んだ顔に気付けなかった。
連れて来られたのは、有名なカラオケの個室。最初はみんなで楽しく飲んで、歌っていたのだが、気分が悪いとか、用事があるとかで、少しずつ人が減っていった。少し酔っていた私は、順番が決まっているかのように去っていくみんなを不審に思えなかった。最終的に残ったのは、先輩2人と同級の子が人。カレカノだったらしい二人はいつの間にか消え、先輩と二人個室に残されたのに気がついたのは、先輩が私にもたれかかるように寄ってきたからだった。
「せ、先輩? 気分でも悪いんですか?」
その先輩の奇行とも言える行為に驚き、そう声を掛けた。そうすると先輩は楽しそうに笑い
「うん。悪いよ。………キミのせいで、ね」
最後の言葉が聞こえた瞬間私はソファの上に倒された。そしてその上に先輩が乗っかる。腕を押さえられ、完全に組み敷かれた状態だった。一気に酔いが覚める。先輩が向ける冷たい目に、ドクドクと心臓の音が大きく聞こえた。
「どうしてキミのなんかが選ばれるのか。盆暗なキミのが」
「せ、先輩……?」
「どうして俺じゃないんだよっ!!!!」
声を張り上げた同時に、私の服を破るような勢いで捲し上げた。そんな経験もなければ、そんな目を向けられる経験もない。そんな私は、声を出す事もできずにただ震えていた。
「君の事、結構好きだったんだけどなぁ。………しょうがないよね?」
なにがしょうがないのか。そんな冷静なココロの声が聞こえたが、今の私はそれどころじゃなかった。
「いやぁっ!」
「何やってるんだっ!!」
勢い良くバンッと扉を開けて、誰かが入ってきた。それに驚いた先輩の隙をついて先輩の下から逃げた。ドテッと下に落ちてしまったけど。捕まえられそうになったとき、入ってきた誰かに引っ張られて抱きしめられた。
助けられてのはわかったけど、また仲間なのかと思うと怖かった。だけど、震えていた私を慰めるように背中を優しく撫でてくれていた。
「なんだよ、お前。邪魔するな」
「はぁ? 彼女嫌がってるだろ。これ、立派な強姦未遂。偉そうにするなこの犯罪者が」
「なっ!」
不機嫌そうな声を出した先輩に、不機嫌そうな声で返した男の人。ふっと上を見上げると、その人はとても顔の綺麗な男の人でした。年下に見えなくもない。ジッと見ている事に気が付いたのか私を見ると、安心させるように微笑んだ。その笑みは、天使のようでした。男なのに。
「警察よんだから。もう大丈夫。怖かったね」
その低くて安心する声に、背中を撫でる暖かい手に、不覚にも泣いてしまった。
それから来た警察に先輩は取り押さえられ、私は事情聴取を受けたのだがやっぱり男の人が怖くて、その助けに来た店員さんにしがみついたまま行った。その人は困り顔だったけど、優しかった。それにドキドキした。ずっと勉強、研究に青春を費やしていた私は恋愛に関心がなくて、これを恋だとなかなか認める事ができなかったけど、きっと一目惚れだったんだろう。
その日は家まで送ってくれた。優しい人だと思った。惚れてしまった私はお礼といって彼を食事に誘ったりした。彼は笑顔で受け取ってくれた。何故、あの時助けにこれたかといえば、
「昔、こういう事件がここで起きたんだ。だから再発防止で監視カメラの映像に張り付いてる」
とのこと。彼は「暇だけど給料いいから始めたんだ。でも、おかげでキミは助かったし良かったよ」と笑ってくれた。アイドル顔負けのキラキラの笑顔。ドキドキしないほうがおかしかった。
私達はメアドを交換して、『お友達』となった。きっかけは思い出したくもないけど、少しずつ傷は癒えている気がした。
だけど、今思えばそれも彼の作戦のうちだったと思う。もう、他が考えられないくらい自分に惚れさせて、いいように使おうとする計画の。
都合のいい女になるのは嫌だといっていたはずなのに、私はまんまと彼の罠に嵌ってしまった。罠だと気がついたのは、お友達になって半年。私が彼との食事を終え、珍しく私が先に帰っていった時だった。
帰る途中に忘れ物を思い出して、店へと踵を返した。まだ彼はいたらしく、私が忘れたポーチもそこに置いてあった。声を掛けようとして、止まった。彼は電話で話しているようだった。
「いいオモチャを見つけたんだ」
聞こえてきたその言葉に、私は動きを完全に止めた。まだ、自分の事とは言い切れないのに、自分の事を言われているような気がして。
「他の女と違って、俺の言う通りに動かないし、自分の意見を通そうとする。面白い女だ」
いつも私と話す時とは違う口調。2コ年上な彼だったけど、私に対してずっと優しい口調だった。あんな冷たい話し方じゃなかった。もっと優しい声だった。こんなに冷たい声じゃなかった。私に向けていたのは全部、ウソ、だった………?
ここが個室で、店員も、他の人も通らなかったのが私の救いだった。多分、私は酷い顔をしているはずだから。彼も、私がここにいる事に気がつかない。彼は、私のポーチを弄びながら会話を続ける。私のポーチを見つめる目は、心底楽しげだった。私はその場から逃げ出すように立ち去った。
家に着いたときには、息が切れていた。走ったような気がするけど、本当に走ったのかもどの道を通ってきたのかも分からなかった。このまま、さっき見た事は自分が生み出した悪い想像だったのだと言い聞かせたかった。だけど、頬を流れる涙がそれを現実だったのだと主張する。着替える事もせず、そのままベッドに倒れこんだ。
「男運悪………」
そんな呟きがもれた。乾いた笑い声がそこから漏れ、少しずつ嗚咽に変わっていった。その時に携帯がブー、ブーと振動し、メールが来た事を知らせる。そのメールはもちろん彼からで私の忘れ物のお知らせだった。最後に、体調には気を付けてとお休みの言葉。前まではこんな言葉で一喜一憂していた自分を思い出し、また笑えて来た。
「も、さいあ、く……。あんなのの為に泣く必要なんてない。どうせ奴とはただの『お友達』、なんだから」
口に出して言い聞かせても、涙は止まらなかった。その日は泣き疲れて寝てしまうまで、ずっと泣いていた。
案の定、朝起きれば目は腫れていた。学校に行く気にもなれなかった。あの時のことに関わっていた人達とは連絡はとっていない。顔もあわせていない……と言いたいけど、学科は同じだから見かける事はある。こちらを睨んでたり、ビクビクと様子を覗っていたりするが気に留めなかった。
彼はいつもはすぐに返していたメールがなかった事に不審に思ったのか、朝にもメールが来ていた。私はただ『いつも通り』にメールを返し、彼はもう働いているので、ポーチは明日の夜に返してもらう事になった。
ずっと不貞寝していたがさすがにやばいと思い買い物に出かけたが、すぐに出かけなければ良かったと後悔した。それは、出かけ先に彼を見かけたからだ。彼の腕には派手な化粧と格好をした女が絡みついていた。どう見ても邪魔で、歩き辛そうなのに彼は笑顔を崩さない。他の人にぶつからないように誘導する姿は淀みがない。どう見ても手馴れていた。つまり私は、彼の周りにいる女の一人に過ぎなかった。そりゃ、あんなに顔がよければ人は沢山寄って来ると思う。
私はもう何も見たくなくて、家に帰った。
その日は食欲がわかず、ヨーグルトだけお腹に入れて寝た。この日、私の恋の熱は一気に冷めた、と感じた。
次の日、彼と約束をした居酒屋に行った。仕事の後と一目で分かる。彼はスーツ姿だった。そこで彼に挨拶する。いつも通りに、と自分に暗示をかけて。彼の顔を見て思い出した言葉を、自分はなにも聞いてないと言い聞かせて。
「お待たせしました」
「大丈夫だよ。ほら、敬語取って、って前も言ったじゃないか」
「そうですね。じゃなかった、そうだね?」
「そうそう」
そうやって軽口を交わす。彼が笑ったのを見て、私も笑った。だけどその時、彼は怪訝な顔をして私を見ていた。私はなんでそんな顔をするのかと不思議に思った。
「……なんかあったの?」
その言葉に、飲んでいたビールを吹いてしまうところだった。なにかあった?なんて、私は貴方に振り回されただけです、と原因は貴方なんです、それも他の女の子に使う言葉なんですか?と思うと笑えてくる。実際に少し笑ってしまった。その笑った私に、さらに怪訝な顔を向けてきた。
「いいえ? 若木さんがその台詞を何人の女性に言われたのかなぁと思いまして」
「えっ?」
「あ、ポーチありがとうございます」
目を見開いている彼――若木――の前においてあったポーチを取った。ポーチをさっと取ったことにも驚いた様子だった。その後に言った私の言葉に、彼はさらに驚いていた。
「明日早いので、今日は早めに切り上げたいのですが……すみません」
もちろん嘘だ。でも、いつも彼と長く居たい私が早く終わらせて欲しいなんて言えた事が、今までが盲目だったんだなぁと思った。この半年とちょっとの間、私は彼が帰ろうと言うまで一緒に居た。こんな顔が良くて、洗礼された動きをする彼の彼女の座を一瞬でも願ったのが馬鹿だったのだ。だから私は、彼の彼女の中の一人じゃなくて『ただの友達』として接する。嫌なら、もう会わない。彼のハーレムには加わらない。不毛な、叶わない恋なんてしない。私は新しい恋をする。そう覚悟を決めたときだった。
「ソレ、いつ知ったのか分からないけど、俺の事幻滅した?」
そこにはいつもの柔和な笑みを浮かべた彼は居なかった。ただ捨てられた犬のように瞳を揺らしていた。ハーレムがあっても、きっとこうやって面と向かって(遠まわしだけど)女たらしだと言われた事はなかったのだろう。特に女性からは。
完璧と思わせるような雰囲気をかもし出していた彼の、いきなり犬のように揺らす瞳をみて、そのギャップに驚きながらも、つい慰めるように声を出してしまった。きっと、この瞬間に全てが決まったのだと思う。
「いや? 完璧な人間なんて存在しないからべつにいいんじゃない?それに私を助けてくれた事には変わりないし」
貴方のつくるハーレムはお世辞でも良いとはいえませんが。とは、さすがに言えなかった。
そう言った瞬間、彼の瞳に光が宿った。口元を良く見れば口角が上がっている。彼は楽しそうに、うれしげに立ち上がって、私のほうに来た。困惑している私をよそに、彼は口を開いた。
「ホントに……本当にキミは面白い女だ」
面白い。そう言われたのを聞くと私は『オモチャ』と言われたことを思い出して、ピクッと動いて体を固まらせてしまった。彼はそんな事を気にも留めず、意地悪な顔をして呼んだ。
「しの。紫乃香」
ゾクッとした。絶対、この人は自分の声が相手にどんな風に聞こえるか分かっている。分かっててそんな声で私を呼んだんだ。
「おいで」
そんな魅惑の誘いに、私はただ瞳を揺らすだけだった。彼は私の返事を聞く前に手をとると、私のかばんを持って、店から出た。彼は、何所かに電話を掛けると、すぐに一台の車が到着した。何がなんだか分からない私に「乗って」と一緒に車に乗せた。車の中でも繋がれたままの右手。彼は放してはくれなかった。
連れてこられた場所は、高級住宅街にあるマンション。いや、オクションといってもおかしくはないのかもしれない。私の価値観でははっきりとは分からなかった。分かったのは、ただ恐ろしく値段が高いという事。厳重なセキュリティを抜け、連れてこられた部屋。その部屋は広く、ただ最低限の家具が置かれた、生活感のない部屋だった。私は言われたとおりに靴を脱いで、彼とは手を繋いだまま、そこをさっさと通り抜けた。そして、入ったのは部屋に大きなキングサイズのベッドが1つ。ベットルーム?と思ってあたりを見渡した。そこで、何故ここに来たのかを考えてみる。………え? いや、まさか。
そう考えているうちにベッドに押し倒された。 わぁいふかふか。私のベッドと全然ちが……じゃないっ! 落ち着け自分。おおお落ち着け。……無理だ。
「しの。お前みたいな奴は初めてだ。俺に突っかかる奴。俺から離れていこうとする女は。当分、お前を手放すつもりはない。覚えとけ」
いや、なにを。当分っていつまで?口調変わってるって……
「んむっ」
急にふさがれた唇。彼の手は私の頭の後ろに回され、もう一方の手は私の輪郭をなぞっていた。目を閉じた彼はやっぱり綺麗で、驚いたまま固まっている私を、唇を塞いだまま悪戯っ子のように笑うと片手で私の視界を塞いだ。そして何を思ったのか私の鼻をつまんだ。当然息ができなくて、口をあけるとその瞬間に鼻から手を離し、代わりに口の中に舌が入ってきた。
蹂躙される口内。頭の中は、初めてなのにディープって……とされた事より、そっちの事で頭いっぱいだった。
私の力が抜けたのを確認すると、彼は唇を離した。その表情は私の知らない顔だった。知らない、男の顔――――――
なんだか恐くなって、彼の名を呼んだ。
「わ、若木さ―――」
「悠史」
「え?」
「呼んで」
「ゆ、ゆうし……」
何故だか彼に逆らう事ができなくて、言われるがまま彼の名を呼ぶと、彼はうれしそうに微笑んだ。
そして、
「え、あっ。ちょ、ちょっとまっ」
「待たない」
私はその日、守ってきた全てを彼に、悠史に暴かれた。
何故かその日から、悠史は私にかまう様になり(名前呼びは何故か強制)、猫かぶりな態度はしなくなった。時々、私を呼び出したり、会社に迎えに着たり。そのままお持ち帰りされて頂かれてしまったり。やたらかまう。私が会社の話をすれば、必ず不機嫌になって、その日はかなりしつこい。オモチャを手に入れた子供のようにすぐに飽きるかと思えば、こんな事が数年もの間続いている。
光っている携帯を見れば、送られてきたメールは同僚の梨香からと親友の紗江からで。梨香からは、昨日悠史が私を拉致りに来た時に、一緒に居たから、「説明しろっ」とお達しが来ていたし。紗江からは「いつでも愚痴りに……相談しにおいで」と来ていた。
梨香はともかく、紗江のメールにうれしくなって微笑むと、横に居た奴に引っ張られて、ベッドの中に引きずり込まれた。悠史は寝ぼけているようだが、私をギュッと抱きこんだ。私も手を回すと「しの……」と声を漏らした。このときだけ、私は愛を感じているのかもしれない。
友達でも、彼女でもない、宙ぶらりんな位置にいる私。どうなるか分からないけど、同僚が居て、親友が居て、この温かい腕と、私を呼ぶ優しい声があれば安心できる。悠史には不安にさせられるばかりだけど、それでもいいと思っている私はよほどこれに惚れているらしい。一度は冷めた筈なのに、と思いながら、彼の腕の中でもう一度眠りについた。
この後、寝すぎて遅刻ギリギリになって文句を言う私を、悠史が鼻で笑って私をいびるといういつもの日常が始まった。それでも幸せだと感じるのは、彼が好きだからだ。彼も、そう思ってくれていると良い。
願わくば、この日常が続きますように。貴方の隣に、私が居ますように。
――――そう願わずにはいられなかった。不変など無いと、知っていたはずなのに。
遅刻しそうになっている二人
「あぁぁぁっ。遅刻しちゃううぅぅぅぅ」
「じゃ、先行くからな。紫乃、戸締り頼んだ」
「ぐぅぅぅ。何でそんなに準備早いの~?」
「俺が早いんじゃなくて、お前がのろまだからじゃないのか?」
「もっと優しい言葉かけれないのっ?………もうっ、いってらっしゃいっ!」
「………いってきます」