6.青年の死
祖父は言うことを聞かない体をなんとかして這って縁側に辿り着いた。庭にある柳の木が伐り倒される瞬間を、どうしてもその眼で見届けたかったのだ。祖父の呼吸は乱れていたし、すごく発汗していた。彼はとても苦しそうに、庭を見上げた。
複数いる男達が掛け声をあげている。柳の木が、今まさに倒されようとしている。
そうして――、物凄い音を立てて、あの立派な柳の木が倒れた。
あの柳の木が多くから大切にされていると知っていたから、祖父は言い知れぬ罪悪感に苛まれていた。
しかし、それでも祖父は、これが紗枝を幸せにする為にするしかないことだったのだと信じていた。いつだって、祖父はそういう生き方をしてきたのだ。
紗枝には恨まれるだろう。柳を切ることに反対していた筈の祖父が助言したために取り返しのつかない事態になったのだから。きっと、口も利いてくれまい。けれどいつか解ってくれたらいい。
母や父には柳に対する特別な想いは無かったが、二人とも祖父と同じように紗枝の幸せを思ってしたことだった。
祖父は再び顔を上げた。庭が騒々しくなっている。一体どうしたのだろう。
父が走ってきた。彼は縁側で苦しそうに喘いでいる祖父を見て、ぎょっとしている。
「父さん! 」
「……向こうは何の騒ぎなんだ? 」
父は騒動が起こっている方を一瞥して言った。
「実は、柳が倒れたまま動かなくて、困っているんだ。まるで根を張っているようで、少しも動かせない」
祖父が何度も頷き、頬で汗と涙が混じった。
「ああ、ああ、柳の気持ちがわしにも分かるよ。紗枝はまだ病院におるんだろう」
「そうだけど、それが? 」
「最期に会いたいんだろう。何か言いたいことがあるのかもしれん」
「なに父さんまで訳の分からないことを――」
その時、突風が吹き荒び、木々がざわめき、窓がガタガタと鳴った。砂埃と風の圧迫で目も開けていられない。
父は、祖父がこの強風の中で人差し指を庭に向けて何かを喋っているのに気が付いた。しかし、強風のせいでよく聞こえない。
父は腕で風を遮るようにして、庭を振り返った。
――紗枝だ。
紗枝は柳に駆けつけた。そして震える手でその幹に触れ、号泣した。
強風が、周りから紗枝と柳を守るように強く、しなやかに吹き荒れた。
「私も、連れて行って。一緒にいたいの」
紗枝は柳に額を擦り当て、消え入るような声を出した。
「……お願い」
涙にぬれる頬に、冷たい手が触れた。青年の手だ。
「なに言ってるんだ」
「お願い、一人にしないで!」
彼は蒼白い顔をして倒れていた。だが、少し体を起こすと厳しい顔をして紗枝を見つめ、「だめだ」ときつく答えた。紗枝は唇を噛んで彼を睨む。
彼はため息をつき、ふらりと体を倒して辛そうに目を閉じた。
少し黙った後で、彼は「紗枝」と優しく呼びかけた。
「きみがこの家に生まれたとき、きみのお祖父さんや、ご両親や、彼らの友人たちや……、色んな人たちが紗枝を祝福していた。それから、僕も紗枝の誕生を祝福した。紗枝はみんなに祝福されて生まれてきたんだ。
子供の頃のことを覚えているかい? 僕は、紗枝と遊ぶのが大好きだった。きみは小さいころ、将来は木になりたいと言っていたんだよ。それを聞いたときは本当に嬉しかった。けれど、きみは逃げたいから言うんじゃないかと疑った。きみは人と接するのが苦手だったから。
でも、きみが僕のせいで苛められていたとき、それでもきみは僕を恨みはしなかった」
青年の目から一筋の涙が流れた。
「……紗枝には幸せになってほしい。これからも、僕はずっと紗枝のことを見守っているよ。だから、紗枝がどうか幸せになれるよう、祈っている」
紗枝は泣くのを堪え、死に行く彼に聞こえるように、はっきりとした口調で言った。
「私は、あなたの傍にいられて、今までずっと幸せだったわ」
青年は嬉しそうに微笑を浮かべ、死んだ。
強風が止み、柳の木が男達によって運ばれて行った。紗枝は運ばれていく柳の木を見ることもできず、ずっとその場に座り込んでいた。
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次話は、青年視点のお話です(^O^)




