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3.私の中の天秤

 「紗枝」

 祖父の呼ぶ声で我に返った。今、紗枝は祖父にご飯を食べさせていたところだった。祖父がお粥をこぼしているのに眼がいき、直ぐに布巾で拭き取った。

「なに、おじいちゃん」

「昨夜は大変だったなぁ」

「やだ、おじいちゃん聞こえていたの? 」

「そうよ、母さん達はよく話し合いをしているから立派だが、今回のは酷かったのう」

 紗枝は、母が祖父のことを随分酷く言っていたのを思い出した。

「ごめんね、おじいちゃん。お母さんを悪く思わないでね」

 祖父は一瞬きょとんとし、少年のように無邪気に笑った。

「そんなことはどうでもいいわぃ。柳のことよ、わしが言うのは。切り倒すなんて言いよったなぁ」

 紗枝は頷き、閃いた。

「あ、そっか、お母さん達の話を聞いているから、昨日も、私が柳の木が大好きだって知っていたのね。私、どうしてだろうって不思議だったの」

 祖父は再びからからと笑った。そしてそれには答えずに明るく言う。

「しかし娘に死ぬとまで言われたら、さすがに柳を伐ることはできんだろうなぁ。よかったわい、わしもあの柳の木が大切だから」

 祖父は蒼い血管が浮き出たごつごつした手を紗枝の手に重ねた。紗枝は祖父の手を見つめ、まるで木のようだと思った。祖父はだんだん木になっていくんじゃなかろうか。

 祖父は紗枝の手に手を重ねたまま、突然話題を変えた。

「なあ紗枝、いつも有難うの。こんなジジイに優しくしてくれて、本当に感謝しとる。有難う。有難う」

 祖父の目が潤んでいた。彼は何度も繰り返し丁寧に礼を言った。

 昨日といい、今日といい、祖父は一体どうしたのだろう。紗枝は祖父の様子に戸惑った。

 祖父はあまり話さない人だった。否、話せなかったのだろう。呆けているようで、家族の名前、存在を忘れていた。

 そして自分の世話をしてくれる孫の紗枝の事を、「お母さん」と呼んでいたのである。

 「紗枝には幸せになってほしい……」

 祖父はそう言い残して眠りに落ちたようだ。気が付くと、紗枝は祖父を見つめながら微笑んでいた。

 

 その日は気持ちの良い晴天だった。食事の後片付けをしてから紗枝は庭に出た。

 庭の花々はいつもより、一層美しく咲き乱れていた。それはまるで昨夜の紗枝を慰めるかのように。しかし昨夜のことを考えると、頭がくらくらするほど痛くなった。柳の木を伐ると言った母の言葉を思い出すと、不安で仕方がなかった。

 紗枝はゆっくり歩いた。一歩一歩、確かめながら歩いた。そうすることで気持ちを落ち着かせようと思った。だが、気持ちは一歩進むごとに高揚していくようだった。涙がにじむ。胸が高鳴り、体中の血液が沸き上がる。

 心の中に閉まっていた様々な思いが、紗枝の前に顔を出す。ちゃんと鍵を掛けていた筈なのに、じわじわともう一度沸き起こる思い。

 いじめられた記憶、腹の立つ噂話、陰口。そして親でさえ、紗枝を理解しようとしない。言い表せない怒りが、体中を駆け巡っている。

 そんな最悪な気分からいつも救ってくれるのは、彼だ。今も顔を上げると、清らかな風が紗枝を撫でた。

 そこでは、青年のさらさらな黒髪が風に靡いていた。彼は眼を細め、口角を少し上げていた。泣いている子供をあやすような、優しさに満ちた顔だ。そんな彼を見ると、出口を探していた怒りがくすぶり、新たに別の感情が湧き起こった。

「紗枝、どうしたんだい、おいで」

 青年は首を傾げ、両腕を広げた。


(このくすぐったいような気持ちは、一体何だろう)


 考えるより先に紗枝の体はその腕の中に飛び込んでいた。

 彼は温かく、とてもいいにおいがした。胸いっぱいにその空気を吸い込み、大きく吐き出した。紗枝をすっぽり包み込んでしまう背の高い彼は、慈しむような瞳で紗枝を見守ってくれている。

 もちろん、嫌なことや辛いこと、腹立たしいこと……、それらは依然紗枝の中でくすぶっている。それらのことを考えると頭痛がひどくなってしまう。 

 そしてなによりも、そういったことにいちいち悩む、弱い自分。

 「馬鹿みたい」


(馬鹿みたいだ。惑わされないで、気にせず、生きたい。私の中の天秤は、思いっきり彼に傾いているじゃないか)


 他の誰もしてはくれないけれど、青年は紗枝を抱きしめてくれた。




ま~だ続きます(^^)

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