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2.紗枝の決意

 その夜、紗枝はなかなか寝付けずに考え事をしていた。それは主にあの青年についてだ。彼がした話や、彼がした様々な表情など――。思い出していると止まらなかった。

 寝返りを打ち、少し笑い声を漏らす。好きなヒトのことを考える時間は、とても幸福だった。

 しかしその後、母のヒステリックな大きな声が響き、はっとした。母が何を言ったのかは判断できずに、また静寂が戻る。紗枝は起き上がり、部屋を後にした。

 

 「――そうね、みんな私が悪いのね。あなたはいつだってそう、全部私の責任にするのよ! 」

 母と父が居た。母は台所にいて、一方父はテレビの前のソファに座り、朝読んでいたのと同じ新聞を広げていた。

「もううんざり。職場でも家庭でも文句言われて!」

「話を変えるな。今は、紗枝のことを話し合っていたんだろう。お前の愚痴なんか後でいい」

「本当に後で聞いてもらいますからね! 」

「……ああ」

 紗枝は思わず笑った。きっと、今夜父はコーヒーでも飲みながら、永遠と続く母の愚痴に耳を傾けるのだろう。両親は、喧嘩はするけれど仲が良いのだ。

 一安心し部屋に戻ろうとしたのだが、次の言葉が彼女を引き止めた。

「――紗枝はこのままだと駄目だと思うの」

 心臓に矢が突き刺さったんじゃないかと思うほど、ドクドクと大きな動悸がした。紗枝は胸を押さえてその場にゆっくりとしゃがんだ。

「近所でも勝手なこと言われているのよ! 紗枝がシンナーを吸っているのを見たとか!」

「ああ。知っている」

「本当に腹立つことばっかり! 」

 母が首を振り、「ううん、違うのよ、そういうことが言いたいんじゃなくて」とソファへ近寄った。

「そういう酷い噂が流れる程、あの子はおかしいのよ」


(――鎮まれ、鎮まれ、鎮まれ、紗枝!)


 紗枝は深呼吸をした。


(大丈夫、他人がなんと言おうと、気にしない)


「あの子は小さい頃から、庭の柳の側にいる子だったね。何時間でも、ずっと……」

「ああ」

「テストで良い点をとっても一番に柳に見せに行ってた。柳に褒められたなんて言って。

 ……馬鹿みたい、今でも柳と話すって言っているのよ。あの子やっぱり頭がおかしいのね」

 母は苦笑した。

「医者は、あの子の頭がおかしいなんて言わなかったじゃないか」

 両親は紗枝を、まだ小さい頃から何度も、精神科や脳外科などの病院に連れて行っていた。それがどんなに紗枝の心を傷つけたか。しかし、何処の病院でもこれといった病名は聞かされなかったのだった。

 母は夫の背中を見つめていた。そして、静かに口を開いた。

「とにかく全てはあの柳があるせいなのよ。もしかしたら、あれに悪霊でも憑いてて紗枝を惑わしてるのかもしれない」

「ばかな」

「とにかく柳のせいなのよ! ……もう、柳、伐りましょ。そうしたらきっと、紗枝は良くなると思うの」

 あまりの話に、紗枝の目の前が真っ暗になった。

「だが、父さんが許さないだろう」

「娘が大事じゃないの? お義父さんだって毎日毎日、紗枝に面倒見てもらってんのよ。紗枝のために、それ位させるべきよ! 」

 父が大袈裟に新聞をめくった。母は幾分抑えた音量で続ける。

「それに、お義父さんはずっと寝たきりで私たちに迷惑かけてるのよ。文句が言える筋合いないじゃないの」

 堪えきれず、紗枝は勢いよくドアを開けた。両親は彼女を見て慌てているようだった。けれど紗枝の方も酷く取り乱していた。彼女は今にも泣きそうな顔をして、何度も詰まりながら喋った。

「い、嫌だから! 」

 適当な言葉が思いつかない。じれったい、彼女は唇を噛んだ。

「柳の木を伐るなんてやめて! そん、そんな酷い事しないで! 」

「……紗枝、いつから聞いていたの? 」

「絶対に駄目なんだから! 」

 恐怖と不安から、紗枝の眼からは涙が溢れた。

 母はその場に立ち尽くし、父はソファで固まっていた。誰も紗枝を抱きしめてはくれない。

 

 星が瞬く空の下で、痛々しい嗚咽が風に運ばれ、家を出て、庭に佇む青年へと辿り着いた。

 青年は静かに泣いていた。それに気づいた周りの木々や草花が彼を慰めた。

「ありがとう。だけどどうか紗枝の方を慰めて欲しい」

 さわさわ、さわさわ、柳の木が泣いた。

 紗枝はふと、体が温かくなった気がした。顔を上げると、何かがひらひらと舞い降りて来た。

 これは、柳の葉だ。

「紗枝、部屋に戻りなさい」

 父が背中で言った。その近くに母の背中も見える。どうやら二人とも紗枝の顔を見たくないみたいだ。

 紗枝は柳の葉を握り締めた。

「私は、頭がおかしくなんかない。シンナーなんか吸ってないし変な薬も使ってない。だけどお母さんたちが私を変だと思っているのは前から知っていたわ。だってあなたたちには彼が分からないんだもの。だから変に思われても仕方ないと思ってる」

 紗枝は夜の澄んだ空気を大きく吸い込み、決心した。

「もし、柳の木を切り倒すのなら――」


(彼が居ない世界なんて意味がない。悲しく虚しい毎日を過ごすだけだ)


「そうなったら、私も死にます」




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