決着の時
さてと、なんとか金の工面が段取り出来たので私は嫌々ながらも交通整理に励んでおられる顔面凶器のもとに舞い戻った。 とりあえず、これ以上、奴の気分を損ねては厄介なのでご機嫌を取っておく。 「いやはや、どうもすみませんね。すっかり渋滞も捌けて流石ですな。おかげでうちの車もバック出来てやれやれですわ」とナオチャンがバックしている車の姿を目で追いつつお世辞を言ってやった。
しかし、よくよく考えると、あれだけ頑なに道を譲る事を拒んでいたナオチャンが、よく気持ちが折れてバックしたものだ。どうにも腑に落ちない気がしないわけでもない。また妻の貴子が意外とすんなり示談金を払ってもいいと承諾してくれたのはどういった風の吹き回しがあったのだろうか。まぁ、考えたところで本人達に聞かないと答えが出ない問題なので、ここは事態が収束に向かっている事を良しとしよう。
「兄ちゃん、ほんで家族会議は終わったんかいな。金持ってきたんやろうな」
顔面凶器はいきなり本題に入ってくる。
「はい。なんとかお支払い出来る方向での話になりました。示談金はここを出てから払うって言ってましたから……」
「そっか、ご苦労やったな兄ちゃん。ほな、さっさとここ片付けて広いとこにでも移動しようやないかい」
そう言うと顔面凶器は残り少なくなった渋滞の列を再び整理し始めた。全くもってして、顔面凶器のがなり声は街で交通整理している警官やガードマンの「ピィーピィ」と吹く笛のように効果的で見る見るうちに糞詰まりだった道路の渋滞は解消されていった。そうして、ほどなくすると、先ほどまで罵声が飛び交い修羅場と化していた路上は嘘のように静寂を取り戻し顔面凶器の乗っていた高級外車だけが浮いた形で路上に放置されてる状態まで事態は改善を見せていた。
「ほな兄ちゃん。道も捌けたし、俺も車に乗ってくるわ。この先の二車線になったとこで車停めて待っといてやぁ。そこでいろいろと話つけようか。あ、それと、えぇかぁ~逃げんなよ」
ここにきて最後の最後で逃亡される事への予防線を張っておくところが恐ろしい。
私はそれを受けて頬に緊張が走った。なぜなら、妻達を信用してるとは言えども、もしかしたら私を置いて「逃亡」するかも知れないと思ったからだ。
「それじゃ、この先の大通りでハザード出して待ってますので……」
それだけ言うと、私はこの場から見えなくなったナオちゃんの車を追って駆け出していた。
走りながら、この先でナオちゃんの車が万が一にもいなかったらなどと、ネガティブな思考が頭の中を駆け巡る。その負の考えは、先ほど妻達に直談判した時の彼女達の聞き分けの良さと言う裏打ちがあったものだから、ますます「置いてけぼり」にされてるのでは……と私の気持ちを不安にさせていった。そう言った思いから私の足取りは自然と駆け足からダッシュへと変わり、足をもつれさせながら来た路を逆走しながら大通りを目指した。慣れない走り込みから悲鳴を上げてる足腰など気にしてる余裕はなく必死である。ダッシュをして数十秒後、あの角を曲がれば大通りとなった時、私の気持ちはすっかり負に取り込まれていて「どうか、待っていてくれ~」と祈りになっていた。
そして、大通りに出る角を曲がった時に私が見たものは……。
ハザードをつけて、私の帰りを待っていてくれたナオちゃんの車の姿であった。
立て続けに疑心暗鬼になるような事があったといえ、妻達を一瞬でも疑った自分が恥ずかしい。車確認した私は走るのを止め、すっかり上がってしまった息を整えながらハザードの点滅に近づいていった。
安心して車に近寄っていくと、私の視界に車外に出ている妻の姿が映った。最初は一仕事を終えて戻ってくる私を出迎えてくれてるのかと甘い事を思ったのだが、どうもそのような理由で外にいるのではないのがすぐに分かった。それは、妻が知らない男性と何やら神妙な面持ちで立ち話をしているのが見えたからだ。この男性は誰なんだろう? と思いながらさらに車に近づいていくとナオちゃんの車の数メートル先にセダン系の車がハザードをつけて止まってるのが見えた。どうやらこの車は男性が乗ってきたもののようだ。もしや、急いでこの場から立ち去ろうとしたナオちゃんの車が何かの弾みでこの男性の車と事故でも起こしてしまったのだろうか。なんとも嫌な予感がする。しかも、この男性の風貌をよく見ると頭はスキンヘッドで顔は日焼けで黒々とし眼光なんかも鋭い。服装はスーツを着ているのだが、がっしりしたいかり肩体型で某引退した強面野球選手を彷彿させるようないでたちである。どう見てもカタギじゃないような身なりをしていて、先程まで対峙していた顔面凶器にも負けず劣らずといった印象を受けるものだった。ここで、またあらぬ不安が頭をよぎってしまう。この強面男性は顔面凶器の仲間じゃないのかと……。いずれにしても、その答えは数秒後には判明することなのだが、なんとも不幸の連鎖を考えると恐ろしい。
「どうかしたのか? 貴子」
ようやく妻の元に私は恐る恐る聞いてみた。
「あんた、いいとこに戻ってきたわ。あいつに金銭要求されたんやね。その事、この刑事さんに説明してあげて」
「刑事って……」
「うん。こんな事もあろうかと思って、私があんたがあいつとやりあってる時に警察に電話しといたんよ」
私はまさかの展開に言葉がなかなか出てこない。
「わたくし、こういうもんなんです」
その様子をみかねた強面男性が私に名刺を手渡した。
名刺には「生活安全課」と書かれていてこの刑事さんの役職である警部補と名前が記されていた。ご丁寧に民事暴力撲滅とまで名刺には刷ってあった。
ようやく、にぶい私でも事の成り行きが理解出来た。しかし、この刑事さんは本職だけあって誠にややこしい風貌をしておられる。でも、こんな事をやって顔面凶器の逆鱗に触れて、さらにややこしい事にならないのだろうか? なんかも頭によぎってしまう。不安の顔をしてる私の顔を読み取ったのか刑事さんは口を開けた。
「ご主人、怖かったでしょうけどもう大丈夫ですよ! 後で事の成り行きによっては署で事情を聞かせてもらうことになるかも知れないでしょうけど、ご主人が被害届を出さないのであれば、この場でそいつを絞ってやって、もう二度とご主人たちに迷惑かけないようにしますから、私に任せてもらいますか。まぁ、だいたいの事は奥さんから聞いてますので……」
そう言うと、刑事さんは私の肩をポンポンと叩いた。
どうしたものかと、私は自然と妻の顔を見る。
「あんた、刑事さんもそう言ってるから、任せたらどうなの? 被害届出して変に恨まれるのもあれだし、ここで丸く納めてくれるのだったら御の字じゃないの」
妻は外面を気にする性格なのか、こういう時だけ私の体裁を保つような聞き方をしてくる。なんか、いろいろとやられた感はいっぱいだったものの私の答えは一つしかない。
「お願いします」
私は深々と頭を下げて言っていた。
そんな、やり取りをしてると、タイミングよく顔面凶器がクラクションを一回鳴らしてナオちゃんの車の後ろにやってきた。
「じゃ、あとはこちらでやっときます。まぁ、万が一何かあったらさっきの名刺に書かれてるとこに電話くださいな」
刑事さんは、それだけ言うと顔面凶器の車に向かって行った。
「ほな、私らも行くよ」
妻は私の袖を引っ張るとナオちゃんの車に戻るように促した。
車内に戻ると、ナオちゃんは笑顔で「うまいこといったみたいだね」と言い楽しそうに車のエンジンをかけると家電量販店に向かってハンドルを切っていった。
あの後、顔面凶器がどのような転末になったかはわからないが、車内では妻とナオちゃんがこの出来事の話で盛り上がったのは言うまでもない。こともあろうに私の勇気ある行動を「60点」となどと点数をつけて笑っていたのには憤りを覚えてしまったのだが、妻に尻を敷かれてる身分の私が文句を言えるはずもなく「いつか見てろよ」と心の中で負け惜しみを言うのが精一杯の抵抗であった。
掌の孫悟空状態居心地は……めっちゃ悪い。




