再会
少し離れた駐車場に車を止め、歩いて動物園へと向かう。
「美穂。何処から行く?」
犀川氏が私に手を差し伸べながら尋ねてきた。
「混んじゃう前に、ライオンバスに乗りたいな。」
その手に自分の手を重ねて答える。
デートに誘われればホイホイついていって、手を差し出されると簡単につなぐ。私は犀川氏にどれだけ『簡単な女』と思われているだろう。
別に、地に足が着かないくらい浮かれてデートに応じたわけでも、手をつないでドッキドキなんてコトもない。イヤ、ちょっと強がった。
ちょっとだけならするかも、ドキドキ。
だって。手だけだけど、異性との触れ合いなんて、久し振りなんだもん。
やっぱり『簡単な女』なのか!?
動物園に着き、入場券を買う。
ゲートをくぐり、目的のライオンバスへ向かった。まあまあ混んではいたけれど、チケットがすぐに買えたのでバスに乗り込む。
「犀川氏、乗ったことあります?」
「いや。」
ワクワクしてる私の横で、犀川氏も興味深そうにキョロキョロしている。
「バスの外に、肉がぶら下がってた。ライオンがアレを食いにくるのか。」
「サファリパークなんかだと、バスの隙間からライオンに肉をあげられるんですよ。」
「へぇ。面白そうだな。じゃ、今度サファリパークにも行こうぜ。」
む?
流す!
流すよ、私は。
聞こえなかったふり。
ちょうどバスも発車して、話はうやむやになった。
一体どういうつもりなのよ。
はっ!もしや私の魅力の虜?
…ばかばかしい。ないない。
もういいや。考えたって分かんないし。
意識を切り替え窓の外に目をやると、ライオンが今まさに肉を!
「おー!」
乗客達は皆、あまりの迫力に、感嘆の声をあげた。
私も一緒になって、
「うぉー!」
と叫んだ。
色気ないね。
「ふー。」
額の冷や汗を拳で拭い、犀川氏を見やる。
女以外に苦手なものってないのかな。平然と、腕を組み窓の外を見渡している。
私の視線に気付き、見つめ返してきた。
私も視線を外せない。
これじゃあ、端から見たらバカップルだよ。
二人の間には、もうライオンも他の乗客も存在すらしていなかった。
見つめる。
見つめられる。
見つめ返す。
次第に犀川氏の顔色に変化が現われてきた。
耳まで真っ赤になった時、彼は、やっと視線を外した。
「勝った。」
闘う理由は分からなかったけど、この勝負、私の勝ちだよ。
犀川氏、ムッとして何かを言い掛けたけど、ハイ時間切れ〜。ライオンバスは一周して、元の場所に戻ってきた。
他の乗客と共にバスから降ろされ、またしても、うやむやになってしまった。
ふふん。
「あ〜!楽しかった!次、どこ行きますか?オススメは昆虫館ですよ。」
「おう。受けてたつぜ。」
お?これも勝負ですか?
意外と負けず嫌いな犀川氏を発見。
でも、嫌な感じじゃない。素の犀川氏を見つけたようで、ちょっぴりこそばゆかった。
でも、昆虫館でナニ勝負すんの?
温室になっているんだろうな。昆虫館は温かく、緑に溢れていた。放し飼いの蝶が、ヒラヒラと舞を舞っている。
捕まえようとすると、スルリと手を擦り抜けて、高く高く飛び去ってしまう。
水場にはゲンゴロウ。
芝生にはバッタ。
ここは一日居ても飽きないかも。和む〜。
蝶と戯れていた私の手を、犀川氏が急に引っ張った。
「危ない!」
私の足元に、三歳くらいの男の子がいた。
蝶に夢中になっていて、ちっとも気付かなかった。
「あ。ごめんね、ボク。」男の子にお詫びをし、犀川氏に向き直る。
「良かった。ぶつかってたら、潰してた。ありがとうございました。」
犀川氏、ニヤリとして、
「俺の勝ちだな。一勝一敗な。」
これも勝負なのか…
「大丈夫か、ボク。このおばちゃんに潰されないで良かったな。」
「お、おばちゃん!?」
「こんな小さい子から見たらおばちゃんだろ?」
私達の言い争いをよそに、男の子は照れて、少し離れたお母さんらしき人の所へ駈けていった。
そして何かを話したかと思うと、お母さん(?)の手を引っ張って、こちらに戻ってきた。
「あの…。うちの子が何かしましたでしょうか?申し訳ありません。」
私はあわてて手を振り、否定する。
「違うんです。私がはしゃいで、チョウチョを捕まえようとしたんです。そしたら、お子さんにぶつかりそうになって…。謝るのはこちらです。申し訳ありませんでした。」
ペコリと頭を下げた。
「まあ。そうだったんですか。」
ニッコリ笑ったお母さん。ボクちゃんによく似ていて、エクボの浮かぶ笑顔がとても素敵だった。
かわいらしい人だな。
「涼太」
男性の声が聞こえ、男の子…涼太君が振り返る。さっきのお母さんに負けるとも劣らない笑顔で。
「パパー!」
走り寄って抱きついたのは、赤ちゃんを抱えている男性…
こんな偶然、ホントにあるんだ。それを警戒して、立ち入り禁止区域に指定したんだっけ。
すっかり忘れてたなぁ。
あんまり楽しくて。
家、この辺なんだよね。
表情が凍り付くのを感じながら、今さら思い出しても仕方のないことばかり思い浮かべていた。
一年前、たった三ヶ月で別れたカレだった。
身体から力が抜け、心は何も感じない。
涼太君のママ…カレの奥さんが困惑しながら再び口を開いた。
「この子が、『お姉ちゃんだよ』って言ってるんですけど、何の事でしょうか。わかりますか?」
「ああ。」
お母さんの問い掛けに、犀川氏が、笑ってさっきのやりとりを説明した。
「俺が彼女の事を『おばちゃん』って言ったんですよ。『こんな小さい子から見たらおばちゃんだろ』って。それを聞いて、責任感じたのかな。小さいのに女心を良く理解してるな、涼太君は。」
犀川氏は、カレの足にしがみついている涼太君の頭を、ポンポンと軽く撫でた。
「パパがね、いつもママに『もうおばさんなんだから』って言うの。そうするとママは『失礼ね!』って怒るんだ〜。女の人に歳の話をしたらダメよって、パパいつも怒られるの。」
「り、涼太!」
慌てた声で、涼太君のママは涼太君を制した。
続いて低い男性の声がした。優しい声。懐かしい声。
「涼太。パパがママに怒られるの話をしても、お兄さんもお姉さんも困ってしまうよ。」
「お姉ちゃん、困っちゃった?」
「あ…。」
何も言えない私に代わり、犀川氏が答えた。
「大丈夫だよ。涼太君はパパとママが大好きなんだなって思っただけだよ。」
目線を合わせるようにしゃがんで。
そして立ち上がると私の横に来て、小さく、
「涼太君に免じて、勝ちを譲ってやるよ。」
と囁いた。
私はそれにも答えることができず、俯くばかりだった。
「ご家族のお邪魔をして、申し訳ありませんでした。」
ペコッと頭を下げて、出口へと足を向けた。私の肩を抱いて。私も笑顔で『さようなら』と言ったが、上手く笑えていただろうか。
涼太君とお母さんは笑顔で手を振ってくれた。
でも、カレの事は少しも見ることができなかった。
昆虫館を出ると、外は肌寒く感じられた。まだ日は高いし風もないのに。
ああ。心が寒いのか。
犀川氏が肩を抱いてくれているのに、まるでひとりぼっちで歩いているよう。
「美穂。寄りかかっていいから、もう少し歩くんだ。自分の足で。」
その言葉がなかったら、へたりこんで泣きだしていたかもしれない。
犀川氏は、私の様子がおかしいのに、気付いてくれていたんだ…
そうだ。今みっともない姿をさらせば、後から来る涼太君や奥さんに見られてしまう。
知らなかった。私が壊し掛けたのが、あんな素敵な笑顔の家族だったなんて。あんなかわいい子どもから、パパを奪おうとしてたなんて。
今私にできることは、消えることだけ。
カレの家族の前から。
「後で思いっきり泣いていい。今は歩け。できるな?」
瞬間、ギュッと抱き寄せられた。
コクリと頷き、犀川氏に歩調を合わせる。
優しい犀川氏の言葉が胸につまる。
後でなら、泣いていいんだ。
自分のために。
多摩動物公園の記憶はかなり前のもの。
改めて訪れる時間もなく、結局インターネットを頼りました。
間違えた記述があったらごめんなさい。そして、教えていただけましたら幸いです。
作中の『昆虫館』とは、『昆虫生態園』の事です。
因みに、館内の昆虫は捕まえてはいけません。