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思いがけないプロポーズ

律さんからのメールは、6時過ぎに届いた。


『今から会社を出るけど、美穂はすぐ出られる?』


『はい。出られます。』


速攻返信して家を出て、軽い足取りで待ち合わせの駅へと向かった。


待ち合わせの場所につき、キョロキョロと辺りを見回す。

ふむ。まだ来ていないのか。

改札を出て隅っこを陣取り、彼が来るのを待った。

少しすると、電車が到着したようで大勢の人の波が改札に押し寄せてきた。

首を伸ばして彼を探してみたけど、これにも乗っていなかったようだ。

がっかりして俯いていると、肩をガシッと掴まれた。

「ごめん! 遅くなった!」

息を弾ませた律さんが、汗をかいてどこからか現れた。

「わっ! どこにいたんですか?」

「悪い。ちょっと用があって外に出てた。」

「大丈夫です。そんなに待ってないですよ。」

そう言ってハンカチを出し、律さんの額の汗を拭った。

「ありがとう。この間と反対だな。シャワー浴びてきたのか? いい匂いがする。」


そこで私の悪戯心がムクリと頭をもたげた。

ふふん。仕返しですよ。

「律さんは律さんの匂いがしますよ。痛っ!」

デコピンが飛んできた。

「いつも汗臭いわけじゃねぇ。」

自分だって言ったくせに〜!


「行くぞ。」と私の手を取り、ずんずん歩きだす。

先日とは逆に南へと進む。駅へ向かう人の群れと、駅から出ていく人の群れに揉まれ、ボロボロになって律さんを追う。

途中彼が気が付いて、抱き抱えるように前を歩かせてくれなかったら、絶対に遭難していたよ!


そして一軒の小料理屋の前までくると、「ここ、魚が美味いんだ。」と言って、引き戸を開けた。

「あら。律くんじゃないの。お久しぶり。」

和服美女の女将がカウンター越しに迎え入れてくれた。


「二人なんだけど、空いてる?」

十人入れば満席の店内。見渡せば、辛うじて二つ席が開いていた。

「どうぞそちらへ。あら。珍しい。」

私の顔を見て、女将がニヤリとした。

「律くんが女の子と二人で来るなんて、初めてじゃない?」

「いいから。ビールちょうだい。」

「ふふ。照れちゃって。ビンでいいの?」

「グラス二つね。」

女将が手際よく、ビールとグラスとお通しを出してくれた。


律さんオススメの料理を注文し、ビールで乾杯。

「よく来るんですか?」

「前はね。最近は忙しくて全然顔を出してなかったけどな。」

「あ、女将さんも『お久しぶり』って言ってましたもんね。でも、びっくりしちゃいましたよ。『律くん』?」

ぷぷっと吹き出すと、律さんは苦虫をつぶしたような顔でため息をついた。

「絶対突っ込むと思った。」

「だって。律さん、女将さんの弟みたい。」

「弟っていうより、息子かな。」

息子〜っ!?

「どれだけ図々しいんですか。律さん。自分の歳をよく考えてくださいよ。そんなに変わらないじゃないですか。すぐに歳を誤魔化すんだから!痛っ!」

そしてすぐデコピンする!

何で!?


「俺と同い年の息子がいるんだよ。」

はあ?

「孫もいるわよ。小学生の。」

「ええっ!」

びっくり顔の私に、女将は妖艶に微笑んで、料理を差し出した。

「キンキの煮付け。どうぞ。」

素直に受け取ってテーブルに置くが、目は女将から離せない。

どう頑張って見ても40歳が限度。それ以上には見えない。


「騙されるな、美穂。こう見えて五十は軽く過ぎてるぞ。」

「うるさいわよ、律くん。美穂さんておっしゃるの?」

「はい。立川美穂です。」

「律くん、優しくしてくれる? お付き合いしてるんでしょ?」

「はい。」

照れる私に、女将さんはニッコリ笑って「良かった」と言った。


そしてもう一本ビールを出してくると、私のグラスいっぱいに注いでくれた。

「ほら。律くんも。」

律さんのグラスも満タンにすると、棚から二つ新しいグラスを出してきて、そちらも溢れそうなくらいなみなみと注いだ。

着物の袂を押さえ、零さないように気を付けながら、片方のグラスを高々と持ち上げ、私達に突き出す。


「出会った記念に。そして二人の未来に。乾杯。」


チンとグラスを合わせ、女将さんは優雅にビールを飲み干した。

「じゃあ、ゆっくりしていってね。」

そう言うと、忙しなく、また料理を作りに戻っていった。


「素敵な女性ですね。」

あれぞ美魔女だな。何なの、あの若さは!

女将の若さに驚嘆しながらも、キンキの煮付けに舌鼓を打つ。

他の料理も楽しみだな。

これぞおふくろの味。


「律さん…?」

一つだけ残った手の付けられていないグラスを食い入るように見つめていた律さんが、ハッとしてこちらを見た。

「ああ、ごめん。」

「どうしたんですか?」

ボンヤリした様子の律さんが気になり、箸を置いて彼の様子を伺う。


「このビール、誰の分なんでしょうね。」

「昇太郎だろうな。美穂を紹介してくれたつもりなんだろう。」

「昇太郎?」

「俺と同い年の女将の息子。亡くなってるんだ。この店は元々昇太郎がやってた店だったんだ。」

「名前で呼ぶほど仲が良かったんですか?」

律さんは頷き、ポツリポツリと昇太郎さんについて教えてくれた。


彼ら親子が母一人子一人だったこと。

大学で同じゼミに所属してたこと。

一流と言われる企業に就職したのに、わずか三年で退職し、板前修行に出たこと。

それが、当時雇われママだった女将さんと一緒に働くためだったこと…


「女将は昇太郎の友人ってだけで、今でも俺を息子のように可愛がってくれているんだ。」

「そうだったんですか…」

相槌を打つ以外何が言えるだろう。

下手な慰めも、分かったような言葉も、言いたくなかった。自分ができる事を自分の言葉で伝えたい。


「私は、律さんの傍にずっと居たいです。」

悲しい時も辛い時も。いつでも傍で見守りたい。そして律さんよりも一日でも長く生きるよう、頑張るよ。


律さんは目をまん丸にして、驚いていた。

「プロポーズ?」

「へ?」

プロポーズ?

もう一度自分の言った言葉を思い出してみる。


『私は、律さんの傍にずっと居たいです』

…あっ。言ってる。


「いや、そうではなく、あっ、イヤって言ってるわけではないですよ。えっと、そうじゃなくて、今の気持ちを表してみた…みたいな?」

律さんはフッと表情を緩ませて、私の頭を抱き寄せた。

「分かってるよ。ありがとう。お前の気持ちがまだそこまでいっていないのも分かってる。今はその言葉だけで十分だ。」

そして体を元に戻し、続ける。ニヤリと笑って。

「だけど、ほんの少し縛らせてもらうよ。」

縛る?


「実は、今日、これを渡そうと思っていたんだ。」

そう言うと、ポッケから何かを取り出し、反対の手で私の手を取った。

私の掌にそれを乗せて握らせると、自分の大きな掌で包み込んだ。


瞳が甘く交差して、耐えきれなくなった私が視線を逸らすと、

「逸らすなよ。お前の瞳に俺は映っているんだと、安心したいんだ。」

と言った。


ずるい。

そう言われてしまったら、逸らす事さえ叶わない。

瞳の奥まで覗き込まれて、全て見透かされているような気がして落ち着かないよ。


醜い嫉妬に身を焦がしたこと。親友に彼を奪われたくなくて躍起になったこと。これらは全て、隠しておきたい心の一部だ。

こんな心の恥部、彼には知られたくないよ。

何より、自分がどれだけ彼を欲しているかを、彼自身に知られるのが恥ずかしかった。

気持ちが溢れて、うっかりプロポーズしちゃったけど。


「そんなに見つめないでください…」

小さく体を震わせて哀願する。

律さんは微笑み、視線を絡ませたまま、指先で私の腕の内側をスーッとなぞりながら離れていった。

同時に視線も外されたはしたものの、官能的なその動きに背筋が震え、顔が火照るのを感じた。

お願いだから、無駄に色気を振りまかないで!

私の心中などお構いなしに、彼は澄まし顔でビールを流し込んでいた。


動揺を鎮めようと、自分もグラスに手をやろうとしてふと気が付く。

手中に収まった、彼から受け取ったモノ。

掌をそっと開いてみると、真新しい鍵が銀色に輝いていた。

「これ…」

「うちの鍵。さっき作ってきた。」

それで汗だくだったんだ。走って作りに行ってくれたんだね。


「え? え? 貰っていいんですか?」

「お前のだ。ただし、受け取ったら、飯作りに来るんだぞ。それから、今後一切返品はナシだ。」

「もちろんです! 返せったって返しませんよ。これはもう私の物です!」

あわててキーホルダーを取り出し鍵をつける。二つの鍵が重なって揺れている。

目の前でそれをヒラヒラさせ、チリンと鳴る音に耳を傾けた。


「来たいときに来ていいよ。来るときも連絡は入れなくていい。」

ええっ! いつでも人を呼べるほどキレイなの?

私なんて、事前に連絡貰わなかったら、扉の前で30分は待ってもらわないと。凄い人だ!


「あれ? 律さん、ケータイ鳴ってませんか?」

胸ポケットからケータイを取り出し、ディスプレイを覗いた目が大きく見開かれた。

「誠二?」

「えっ?」

思いがけない名前に律さんを振り返ったが、彼はもう店の外に出た後だった。


誠二くんが律さんに何の用だろう。

仕事のこと?

それとも…


『許せないんだ。信頼してたのに。』


絞りだすように言った誠二くんの言葉を思い出す。


『秘密』の件があったから、誠二くんにはまだ不倫は誤解だと伝えていない。

自分の知らないところで妻が他の男性と秘密を共有してるなんて、不倫じゃなくてもショックだろうから。誤魔化すにも、上手い言い訳なんて浮かばないし。


不安に席を立とうとしたとき、店の引き戸が開き、律さんが戻ってきた。

心なしか青い顔をしている。

「律さん…」


彼は私の目を見つめ、厳しい口調で言った。

「帰るぞ。亜美が…」

彼は一度口を閉ざしたが、決心したように再び同じ口調で言葉を繋いだ。


「亜美がいなくなった。」


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