思いが通じ合えるとき
桜並木を歩いて、あまりの長さに驚いた。
もう20分は歩いてるのに、まだ桜は続いている。
駅から離れれば、人もまばらになるだろうと予想したんだけど、それどころか、ますます混んできたように思う。
「すごい人手ですね〜。」
律さんに話しかけると、こちらを向いて困った顔をした。
「すまん。想像以上に混んでるな。」
「そんな。謝らないでくださいよ。こんなに綺麗なんだもん、人だって集まって来ますって。私は堪能してますよ、桜。」
「そうか。なら良かった。」
律さんは、ホッとしたように息を一つ落とした。
そんな様子を見ながら、混んでることを幸いに、そっと彼の肩に顔を寄せた。
混んでるのも、楽しいデートの要素なんデス。
ほらね。こんなに近寄っても「混んでるから」って言い訳できるでしょ。
人の波を避けながら、私達は他愛もない話に花を咲かせ、歩み続けた。
「ところで律さん。律さんって幾つなんですか?」
こんな基本的なことさえ、まだ知らなかった。
「幾つに見える?」
これはね、ずっと考えてたの。だから自信があるんだ。
「35歳。」
「そんなジジイじゃねえ。」
「え〜っ! 自信あったんだけどな。降参。教えてくださいよ。」
「34歳。」
一つしか違わないじゃん。しかも、一ヶ月もしないうちに誕生日だって。
「じゃあ、来月には『ジジイ』認定ですね。痛っ!」…何もデコピンしなくても。大人気ないなぁ。
額をさすり、痛みに耐えて歩いていると、一際賑やかな場所にたどり着いた。
「公園?」
「そうだよ。」
「大きな公園ですね。」
一歩中に踏み入れると、まず目に留まったのは、桜。ピンクの可憐な花をつけた桜が、ぐるりと一周、公園を彩っていた。
桜の下では会社帰りのサラリーマンやOLが、花見を楽しんでいる。
「いいですね〜。会社帰りにお花見か〜。」
「お前だって、今、それやってるだろ?」
「全然違いますよ。」
もう。全然わかってないんだから!
「私は小さい会社だから、同期っていないんです。だから、『おう、今日飲みに行かないか〜?』なんて事もないんです。『早く終わったから、今日花見でも行こうぜ〜』って、やってみたかったんです。」
「その口調だと、同期ってのは男か?」
なんか…ムッとしてる?
「イメージですよ。イメージ。男でも女でも、どっちでもいいんです。ポイントは仲良し同期ってトコですから。」
そんなどうでもいいトコに食い付かないでよ。
「そんな同期、いなくて良かった。」
「ひどい〜。」
「かわいそうなお前のために、俺が誘ってやるよ。」ハハッと笑って、また私のおでこを指ではじいた。
「犀川さん?」
後ろから律さんを呼ぶ声がして、二人で振り返る。
律さんよりちょっと若目の男性が、ラフな格好で佇んでいた。
「大町? 何してんだ?」
問いかける律さんも、大町さんとやらも、ビックリして目を丸くしている。
「花見です。子どもが通っている保育園の、家内のママ友家族と。」
大町さん、チラッと私を見ると、ニヤッと笑った。
「そちらは? 犀川さんも、いよいよ年貢の納め時ですか? こんなに綺麗な恋人がいるなら、うちの女性陣に勝ち目はありませんね。あ。申し遅れました。僕は犀川さんの下で働いている、『大町』と申します。犀川さんにはいつもお世話になってます。」
恋人とか綺麗な人とか言われてパニくったが、律さんの会社の人に悪く思われたくなくて、一生懸命平静を装った。お世辞だとしても、やっぱり綺麗って言われるのは嬉しい。
「立川美穂です。」
ペコリと頭を下げて、ハッと気付く。
手。
恋人繋ぎのままだ。
手を離そうとしたけれど、律さんにギュッと握られて離せない。
目で合図をするが、涼しい顔をして、一向に気付く様子もない。
「良かったら一緒に飲みませんか? 家内もひさしぶりに犀川さんにお会いしたら、喜ぶでしょう。」
「野暮なこと言うなよ。いや…」
遠くを見つめ少し間を置いて、
「顔だけ見てくか。良いかか? 美穂。こいつの嫁さんも部下だったんだ。」
思いもしていなかった成り行きに、頷くことしかできなかった。
大町さんの案内で、ご家族のいるシートへと向かう。
途中、大町さんと奥さんは社内恋愛で結ばれて、現在二歳と一歳になるお子さんがいることを知った。
二人目のお子さんの出産を機に、会社を退職されたのだそうだ。
「あ、あそこです。」
そう言って大町さんは、奥さんのいるシートへと走りだした。
「由香!」
奥さんはどうやら『大町由香』さんというらしい。
仲間と談笑していた由香さんが振り返って、「もう〜。パパ遅いよ!」と言っているのが聞こえた。
「そこで、今、犀川さんに会ったんだ。」
大町さんがそう言うのと、私達がそこに到着するのと、ほぼ同時だった。
由香さんはこちらを見ると、目を見開いて、
「犀川さん〜!!!」
と、絶叫した。
「久し振りだな。元気そうで良かった。」
「わ〜っ! 懐かしい。ん?」
由香さんは、犀川さんの左手に繋がれてる私を見つけた。
「そちらは?」
さすがはご夫婦。見事に同じ反応です。
ニヤッと笑って、
「いよいよ年貢の納め時ですか?」
息、合ってますね。
「これを知ったら、社内で泣く子が大勢いますね。」「ば〜か。そんな奴いねぇよ。」
由香さんは呆れたように律さんを見て、私に向き直った。
「気をつけてくださいね。仕事中は『鬼の犀川』ですけど、社内では子雀達が狙ってますから。」
モテモテなんだ〜。
ふ〜ん。
何か面白くない。
でも、ホントの恋人じゃないからな、私は。怒る筋合いもないよね。
「おい。変な事吹き込むなよ。これで振られたら、どう責任とってくれるんだ?」
由香さんは、ペロッと舌を出して、
「すみません! その時はうちの娘を差し上げます。」
「二歳だろ!!」
おどけてみせた由香さんに、律さんがすかさず突っ込んだ。
改めてお互い自己紹介をして、新たに判明したことが一つ。
「え。由香さん、同い年?」
同い年でしっかりお母さんしてるんだ。
自分が世話をしなければ、命の存続さえ危うい、小さな子ども達。
その子ども達にしてみれば、誰も代わりなんてできない、唯一の存在。
すごいな、由香さん。
泣いてる子どもを、平然と抱き上げる彼女を見て、
尊敬せずにはいられなかった。
ん?
待てよ。
同い年ってことは…
「え。誠二くんと同期ですか?」
「誠二くん? って誰?」
「高橋だよ。」
律さんが補足説明。
「高橋誠二?」
コクンコクンと頷く。
「同期ですけど…お知り合いなんですか?」
またコクンコクンと頷く。「誠二の嫁の友達。」
再び律さんが補足説明。
「じゃ、高橋くんの紹介でお付き合いを?」
「ま、そんなとこだ。」
「でも、犀川さんが恋人繋ぎで街を歩くとは…」
ううっ。恥ずかしい。だからさっき手を離そうとしたのに!
普通は会社の人に偶然会ったりしたら、「友達」とか「知人」とか言って、ボカすよね!?
噂が広がってモテモテ生活に終止符が打たれても、知らないんだから!
律さんは、憤慨する私にフッと笑い掛け、
「そろそろ行くか?」
と言った。
「美穂?」
ダンマリを決め込んでる私の顔を覗き込み、律さんが話しかけてきた。
「嫌だったか?」
首を横に振る。
「何を怒っているのか、教えてくれないか?」
そう言って、大きな石の滑り台に腰を下ろした。
「お前も座れよ。」
私の顔を見上げて、律さんが微笑む。
その笑顔が、どれだけの破壊力か自分で知ってるのかな。丸め込まれたみたいで、なんか悔しい。
それでも、言いなりになってしまうんだ。
律さんの隣に座り、黙って彼の靴の先っぽを見ていた。
「怒ってなんていません。」
結局、沈黙に耐えられない私。
今は律さんの視線にも耐えられない。
「律さん、明日会社に行ったら噂になってますよ。いいんですか?」
「いいよ。」
「モテモテ生活じゃ、なくなっちゃいますよ。」
「モテモテ? 何だって?」
「女の子たち、寄ってこなくなっちゃいます!」
口調がきつくなる。怒ってないのに。
サーッと風が吹き、桜の花びらが舞い散る。
「…きもち…?」
「え?」
言葉が風に攫われて、なんて言ったのか聞こえない。「何て?」
「やきもちを焼いたのか?俺を狙ってる奴がいるって聞いて。」
「そ、そんなわけないです!」
そんな筋合いないもん。
「美穂。」
顎を持ち上げられて、視線に曝される。
「この、涙のわけは?」
「泣いてない。」
「頑固だな。」
律さんは苦笑しながら、私の頬に唇を寄せ、涙を吸い上げた。
「好きだ。お前も俺が好きなんだ。 」
熱い吐息が頬にかかる。
「認めろよ。」
え? ええっ!
「ち、ちょっと待って!」
頭が混乱して上手く働かない。
「私が律さんを好きなのはわかるけど。『好きだ』って? 律さんが私を?」
「やっと認めたか?」
むむっ。
「気付いてたんだろ?」
「だって! 我慢してつき合うって言ったじゃない!」
「我慢したよ。無理やり抱いちまわないように。俺はお前が好きだ。お前に触れていたい。お前の全てが欲しいんだ。」
差し出された手を、つかんでもいいの?
ずっと隣に並んでいてもいいの?
恐いけど。
でも、今が勇気を出すべき時。
「私も…好きです。」
「美穂。おいで。」
笑顔の律さんに手を引かれ、彼の足の間に座り直す。
恥ずかしい…。
フワッと後ろから抱き締められ、頬に唇を感じた。
「今日は帰さない。」
熱い息に、身体が痺れたように動かない。
コクンと頷くと、抱き締める腕に力が加わった。
「朝早くには、帰ります。仕事だから。」
「俺もだ。残念。」
耳元で囁き、そのまま甘く噛まれる。
全身に心地よい震えが走った。
「ん。こんなに人がいるのに。イヤ…」
「もう、逃がさないよ。」
頷くと、律さんは安心したように腕を解いた。
立ち上がり、私の肩に手を添え、軽くキスをした。
「行くか。」
「どこへ?」
「決まってる。俺の部屋。」
そして私達は、求め合い、思いの全てを重ね、二人きりの夜を過ごした。
手に入れた幸せを、確かなものにできると信じて。
その電話が鳴ったのは、お昼休みも半ばの頃だった。
事務所で同僚と笑い合い、持参したお弁当をつついていた。
携帯電話に浮かぶ文字を見つめて戸惑う。
誠二くん?
今まで一度も彼からはかかってきたことがない。
なんだろう。
亜美の事かな。
それしか話すことなんてないし。
事務所で話すにはデリケートすぎる内容だと思い、人気のない場所へ移動する。「誠二くん?」
『美穂? 久し振り。』
「どうしたの?」
『昨日、犀川さんと会ってた?』
「え?」
予想外の名前を聞き、心臓が高鳴る。
「大町さんから聞いたの?」
『うん。付き合ってるんだって?』
うん。と言おうとしたが、誠二くんが言葉を続ける方が早かった。
『やめなよ。犀川さん、亜美とデキてるよ。』
そして、誠二くんは小さく笑った。心に響く、悲しい笑い声だった。
私は何も言えず、時間ばかりが二人の間を過ぎ去っていった。