終わりと始まりのワルツ-2
翌日からサーヤは、沢山のフェアリー達を連れて滅んだシルフリアの街を歩いた。サーヤの近くにいるのは黒妖精たちだけだが、上空には何十というフェアリーがいてサーヤの後を追っていた。
サーヤは街で早速困っている人に出会った。子供が大破した家の前に立っていて、何とか家を建て直そうと金槌を振るう老人を見ていた。しかし、壊れた家は老人一人でとても建て直せる状態ではなかった。サーヤは子供のほうに近づいて言った。
「家、壊れちゃったんだね」
子供はサーヤはを見上げてから言った。
「うん、フェアリーに壊されちゃったんだよ」
「じゃあ、わたしが直すのを手伝ってあげるよ」
「お姉ちゃん、家直せるの?」
「わたしはあんまり役に立たないと思うけど、わたしのお友達が手伝ってくれるよ」
それからサーヤは上空に向かって言った。
「みんなーっ! ちょっと手伝って!」
サーヤが呼びかけると、上空に待機していたフェアリー達が一斉に降りてきて、壊れた家に群がった。一番驚いたのは家を直していた老人であった。
「何じゃこのフェアリー達は!? 一体どこから来た!?」
ほんの少し前にシルフリアがフェアリーの大群によって滅ぼされているので、老人はさすがに少し怖くなった。サーヤはすかさず老人の下に走って言った。
「心配しないで、みんなで家を直すのを手伝いたいんです」
「驚いたな、これは全部お嬢さんのフェアリーなのかい?」
「わたしのお友達です」
それからフェアリー達は、老人から工具を借りたりして家の直しにかかった。フェアリーは器用だし力もあるので、見る間に家が再構築されていった。サーヤは自分が言ったとおりに余り役には立っていなかったが、それでもやれることは何でもやった。そうして半日もしないうちに一戸の家ができあがっていた。
「何と、もう家が出来上がってしまった。フェアリーの力とはすごいものだのう」
「よかったね、おじいちゃん!」
そう言う少年の横には、一人のフェアリーが浮かんでいた。少年とそのフェアリーは、家が出来上がるまでに間に仲良くなっていた。サーヤはその少年に向かっていった。
「この子は貴方のことが好きみたい。良かったらこの子を貰ってくれないかな?」
「え!? もらっていいの?」
「フェアリーにとって、好きな人と一緒にいるのが一番幸せなの。それに、この子は貴方の為に一生懸命がんばってくれるよ」
「ありがとうお姉ちゃん! このフェアリー大切にするよ」
「これは有難い。フェアリーは良い労働力になる。じじいと子一人でこれからどう生活しようかと思っとったところじゃて」
老人も少年も大喜びしていた。
「いい人に会えてよかったね」
サーヤが別れ際に手を振ると、少年にもらわれたフェアリーも小さな手を振り返した。フェアリーは本当に幸せそうな笑顔を浮かべていた。
サーヤはシルフリアの街で困っている人をフェアリー達の力で助け、その度に助けた人々にフェアリーを託していった。壊滅したシルフリアでは困っている人などいくらでもいるので、サーヤは一日中フェアリーと一緒に走り回った。そんな日が三日も続くと、街中にフェアリーを使って奇跡を起こす少女がいるらしいという噂が広まり、街人の方からサーヤを頼ってくるようになった。もちろんサーヤは人々の為にさらに働いた。夜にはフェアリー達を呼び寄せ、明るくなったら誰かの為に働き、誰かにフェアリーを託す。見返りは人々の感謝である。リーリアやマリアーナも喜んで手を貸してくれた。そんな日々の中で、サーヤはクラインから託され、ガーディアン・ティンクシリーズと名づけられた妖精達を開放した。ガーディアン・ティンクのメープル、リリー、ルナルナは、サーヤを母と呼び、そしてウィンディを姉のように慕った。
シルフリア滅亡から三ヵ月後には、街は復興の兆しを見せ始めていた。人間の人口は十分の一程になってしまったが、人々の生活の到る所にサーヤが呼び寄せたフェアリー達が入り込むようになり、人と妖精が手を取り合って街作りするようになっていた。フェアリーは人間の何倍も良く働くので、街の中心部から広がるようにして、急速に街の再建が進み始めていた。そんな時にそれは起こった。
シルフィア・シューレでは子供とフェアリー達の笑い声が絶えない。親を失った子供たちにとって、フェアリーは大きな支えとなっていた。フェアリーは子供たちの友達であり、世話人でもある。フェアリープラントが無くなった事によって、学園は以前とは比べ物にならないくらいの賑やかさと明るさに彩られていた。
サーヤはウィンディとガーディアン・ティンクたちを連れて散歩をするのが日課になっていた。
「さあ並んで~お返事!」
「あう」「あう!」「あう……」
ウィンディの号令でメープル、リリー、ルナルナが順番に返事をすると、サーヤは思わず微笑む。
「ウィンディ式の返事だね。皆お姉ちゃんが大好きなんだね」
ウィンディはすっかりガーディアン・ティンク達のお姉さんになっていた。前はサーヤに甘えてばかりいたのに、最近はお姉さんとしての自覚が芽生えて、サーヤに抱っこを求めるような事が少なくなっている。サーヤが少し寂しくなるくらいに、ウィンディはしっかり者になりつつあった。
「さあみんな、散歩を続けるよ」
「お母さ~ん!」
「はい?」
呼ばれてサーヤが振り向くと、リリーがものすごい勢いでサーヤの胸に飛び込んできた。それに続いて、メープルとルナルナも突撃してくる。サーヤは三人の妖精を受け止め切れずにぶっ倒れる事になった。
「うわぁーっ!? ちょっと貴方たち!?」
サーヤは起き上がって、抱きついている妖精達を愛おしげに見つめた。それは正に愛する子を見る母の目であった。
「はぁ、変なところばっかりウィンディに似ちゃって」
「ウィンディ、そんな事しないよ」
頭上で得意げに言っているウィンディに、サーヤは苦笑いを浮かべた。
「いやいや、わたし何回ウィンディに倒されたか分からないくらいだよ」
「あう? そうなの?」
「分からないならいいよ……」
それからサーヤはフェアリー達と一緒に学校の周りを歩いて校庭に帰ってくる。その時に何やら妙な集団が門から校内に入ってきていた。彼らは手に鎌や桑などを持ち、鬼気迫る様子で口々に何かを叫んでいた。校庭で遊んでいた子供達は怯えて校舎の方に非難し、それと入れ替わりでマリアーナとリーリアが外に出てきた。
「あなた方は何なの!」
リーリアが激しい調子で言うと、人々の中から声があがった。
「魔女サーヤをここに出せ! この街を滅ぼし、我々から家族を奪った張本人をこの場で処刑するのだ!」
そんな恐ろしいことを言っている割には、挙動不審だったり怖がって萎縮しているような者が大半であった。
「サーヤはわたしです」
サーヤはその集団に近づいていく。
「危ないわ、サーヤ!」
「大丈夫ですよ、リーリア」
サーヤの身を案じるリーリアを、マリアーナが制した。
「よく見て下さい、彼らの姿を。みんなサーヤを恐れています。あの方達はサーヤを殺すことなんて出来ません」
サーヤが近づくごとに、魔女狩りに来た人間たちの表情に恐怖の色が濃くなっていく。
「あの、どうしてわたしが魔女なんですか?」
そう言うサーヤのすぐ近くで、ウィンディとガーディアン・ティンクたちが敵意をむき出しにしていた。彼女等の姿には、サーヤに手を出したら許さないという気持ちが口で語るようにはっきりと現れていた。一人の男が妖精達に戦きながら言った。
「お、お前はフェアリーを操ることが出来る魔女だ! お前がシルフリアを滅ぼしたに決まっている! それしか考えられない!」
「フェアリーを操るだなんて、それは誤解です。ちゃんとお話し合いをしましょう」
その時、シルメラとニルヴァーナを先頭に、学校中のフェアリー達がサーヤのところに次々と集まってきた。シルメラは魔女狩りの集団を目の当たりにすると、コッペリアの言葉を思い出した。彼女は言った、フェアリーに適さない人間を残せば、やがてはサーヤを苦しめることになると。シルメラには今の状況になってその言葉の意味を理解した。サーヤを魔女と呼んでいるのは、僅かに生き残ったフェアリーに適正のない人間なのだ。シルメラがコッペリアの邪魔をしなければ、この人間達はシルフリアの滅亡と共に一人残らず殺されていた。それが今、徒党を組んでサーヤの前に現れたのだ。彼らがサーヤに与えたものは、死でも暴力でもなく、心を深く抉る傷跡だった。
沢山のフェアリー達がサーヤの背後に集まると、全ての魔女狩り達の脳裏に、シルフリア滅亡の日の悪夢が蘇った。彼らはフェアリーから殺しの対象として追われ、逃げ惑っていたので、フェアリーから与えられた恐怖は半端なものではなかった。故に魔女狩りの何人かはフェアリーの集団の前に発狂して逃げ出した。
「うわあーーーっ!! 魔女だ、殺される!! 早く逃げないとあいつはフェアリーに俺達を襲わせるぞ!! 逃げろ!!」
一人が逃げ出すと、人々の恐怖は臨界点を突破し、全員が武器を投げ出して散り散りになった。みんなサーヤの事を魔女だの悪魔だのと狂ったように叫んでいた。何の害もないフェアリー達の存在だけで、事は済んでしまった。しかしサーヤは、フェアリーを受け入れる事が出来ない人間が居ることが悲しくて仕方がなかった。
「……どうして、フェアリーと人間が手を取り合えば、必ず幸せになれるのに……」
「サーヤ、ごめんよ……」
シルメラがサーヤの近くに下りてきて言った。シルメラは自分がサーヤにとても悪い事をしたように思えて、サーヤと目を合わせることが出来ずに下を向いていた。サーヤはそんなシルメラの頭をなでた。
「何であなたが謝るの? シルメラは何も悪いことなんてしてないよ」
シルメラはどういう事なのか説明しようとしたが、サーヤの笑顔を見て言葉が出なくなった。説明したところで何の意味もないと悟ったのだ。サーヤは笑って許してくれるだけだ。それに、サーヤを魔女と呼んだ人間達はシルフリアにはもういられないだろうと思った。
はたしてシルメラの考えた通りに、フェアリーに適応できない人間達はすぐにシルフリアをから逃げ出してしまった。住み慣れた街だとしても、彼らには今のシルフリアを受け入れる事はできなかった。フェアリーを虐げ、奴隷として扱っていた以前のシルフリアと比べると、今は人とフェアリーが手を取り合って街の復興を目指している。以前のように度重なる犯罪もなくなったし、シルフリアの一角には理想郷のような世界が広がりつつある。しかし、どんなに平和で美しい世界でも、フェアリーがそこにいるというだけで、彼らにとっては地獄なのであった。
サーヤは魔女狩りに合って、フラウディア王国を根本から変えなければ、フェアリーと人間が織り成す平和な国など成し得ないという事を悟らされた。その為に、今の自分には何が出来るのか。そう考えると、故人となった恩師クラインの言っていた事を思い出した。クラインは愛でる為にガーディアン・ティンクを創ったわけではない。何かを変えたいから彼女らを生み出したのだ。彼女等の母となったサーヤはその思いに答える義務があった。
ある朝の事、サーヤは黒妖精とガーディアン・ティンク達を連れて学園寮の屋上に出た。もう季節は真冬になっていて、強い朝の日差しの中でも刺すような寒気が身に堪える。
「メープル、リリー、ルナルナ、お母さんの前に来て」
三人のフェアリーは言われたとおりにサーヤの前に飛んできて並んだ。ウィンディ、シルメラ、ニルヴァーナの三人は逆にサーヤの後ろに並んでいた。
「みんな、ちゃんとお母さんの話を聞いてね」
フェアリー達が頷くのを見てからサーヤは言った。
「あなた達にはこれから旅に出てもらいます。わたしはあなた達と契約はできないわ。だから、旅に出てあなた達に相応しい人を探すのよ」
そう言われたフェアリー達は互いに顔を見合わせ、そしてリリーがいきなりサーヤの胸に飛び込んできた。
「やだっ!!」
「リリーったら、甘えんぼさんで困った子だね」
サーヤはリリーを抱きながら、本当に困り果てたような顔をしている。それを見ていたメープルは決意したというように強い意思を可愛らしい表情に表していた。
「わたしはお母さんの言うとおりにする!」
それを隣で聞いていたルナルナは、無言で首を何度も縦に振った。サーヤは三人がどんな性格なのかすっかり理解している。メープルは三人なかで一番のしっかり者で頭もいい。ルナルナは自己表現が上手くなく言葉少なだが内には強い意志を有している。リリーは甘えん坊だが負けず嫌いで悪戯好き、悪さをする時はメープル以上の知恵を発揮する事もある。三者三様である。
「ほら、メープルとルナルナはお母さんの言う通りにするてさ。リリーはずっと母さんに甘えてばっかりでいいのかな~」
「むぅ、じゃあリリーもお母さんの言う通りにするっ!!」
サーヤはリリーの負けず嫌いなところを逆手にとって、上手い具合に誘導した。
「ありがとう、リリー。さあ、二人もこっちに来なさい」
サーヤは自分が抱いているリリーを羨ましそうに見ているメープルとルナルナを呼び寄せた。サーヤは三人のフェアリー達を一度に抱いて言った。
「ほんのちょっとだけお別れするだけだからね。あなた達が大切な人を連れてここに戻ってくるのを待っているよ」
サーヤが三人を手放すと、メープルが片手を空に向かって上げた。
「お母さん、見て!」
メープルが言った途端に、急に強い寒気が流れ込んできた。何故かサーヤの周りだけ強く冷え込んでいた。そして、上空から白く輝く結晶が降ってくる。
「うわぁ、綺麗!!」
サーヤの後ろでウィンディがはしゃいでいた。
サーヤが開いた手に白い結晶が落ちてきた。それはサーヤの掌に被るくらいに大きな氷の結晶だった。サーヤの体温でそれは瞬く間に消えていった。
「これがメープルの力なんだね」
サーヤはこれがメープルの持つ力のほんの一端である事を知っている。ガーディアン・ティンクのフェアリー達の持つ力は、サーヤでも量りきれないのだ。その力がどういう時に発揮されるのかも分からないが、サーヤが思う確かな事は、このフェアリー達は多くのものを変える力を持っているという事だった。
「ウィンディ、この子達を導いてあげて、それはウィンディにしか出来ない事だと思うの」
「サーヤ分かった! みんなついて来て!」
ウィンディが青い翅を広げて飛翔すると、ガーディアン・ティンクはそれに付いていった。ウィンディたちの姿は、あっという間にサーヤの視界から消えていった。
それからウィンディはかなり高度を上げていった。そしてすぐ真上に雲が広がるくらいの場所で止まって、妹分達が追いついてくるのを待った。
「お姉ちゃん早いよぅ」
最初に追いついてきたのはリリーだった。リリーは黒妖精となったウィンディに追いつく程ではないが、三人の中では飛びぬけて高い機動力を持っていた。三人で鬼ごっこをすると、いつもリリーだけ全然つかまらずに、仕舞いにはメープルとルナルナはふて腐れてしまうのである。
続いてメープルとルナルナは一緒になって追いついてきた。みんなが揃うとウィンディは言った。
「みんな、これからどうしようかぁ」
それを聞きたいのは妹たちの方である。ウィンディの言っている事は、まったく本末転倒であった。それからウィンディは、さも難儀そうに腕を組んで考えてから、すごく適当な感じで北の方を指差した。
「メープルはあっち!」
続いてウィンディは、フェアリーラントのある方向の東を指した。
「リリーとルナルナはあっち!」
もしシルメラがその場に居たのなら、本当に大丈夫かよ、と言う所だが、ウィンディの妹分達は何の疑いも抱かずに素直に姉の指示に従った。
「お姉ちゃん、みんな、またね~」
まずメープルが姉妹に別れを告げてから先に立って北を目指した。一人が立つと、残された姉妹達も勇気が出て、リリーとルナルナは一緒に東を目指して旅立って行った。その場に残ったウィンディは、妹たちの姿が見えなくなるまでそこに止まっていた。クラインが希望を託し、サーヤが育てたガーディアン・ティンク達は、外の世界へと解き放たれたのであった。
荒涼とした真冬の草原を、旅装の令嬢が歩いていく。彼女は王宮の王女とでも言うような、余りにも場違いな気品と美しさに満ちている。その後に続くのは、フェアリーのメイルリンクである。
「ねぇシャイア、お姉たまはまだ元気にならないの?」
「まだよ、早くフェアリークリエイターを見つけなければいけないわ」
シルフリアが滅んだあの日から、シャイアは傷ついたコッペリアを抱いてずっと旅を続けていた。ニルヴァーナとの戦いで深く傷ついたコッペリアを癒す為には、フェアリークリエイターの力を借りる以外になかった。しかし、クラインは死に、セリアリスは行方不明、シャイアの近くにいたクリエイターは消えてしまった。だからクリエイターを求めて遍歴の旅を続けていた。
「苦労をかけるねぇ」
シャイアが抱くシルク製の布の中から声が上がった。傍から見ると赤子を抱いているように見えるが、中に居るのは言うまでもなく黒妖精のコッペリアである。
「貴方は余計なことを気にしなくてもいいわ、そこで大人しくしていなさい」
「あうぅ、ずるいよぅ、シャイアはお姉たまばっかり優しくしてぇ」
「当然よ、大怪我をしているのだから。あなたは我侭を言うよりも、お姉様の心配をしなさい」
「あうぅ……」
メイルリンクは不満そうに頬を膨らませていた。それからメイルは、遠くから何かが来るのを素早く察知した。人間ではとても知りえないような遠方の存在だが、メイルリンクには分かった。
「シャイア、何か来るよ、変な感じの人間が!」
「変な感じの…人間?」
シャイアが誰かと思って遠くを見ていると、確かに誰かがこちらに向かって走ってきていた。それはシャイアに向かってどんどん近づいていた。その人間に敵意はないと分かった。シャイアに害を加える存在であれば、真っ先にメイルが動いてその人間を攻撃しているはずだからだ。メイルは走ってくる人間を、興味深そうに眺めているだけだった。
「おお! おおお!! 女神様っ!!!」
走ってきたその男は、シャイアの前でいきなり平伏して言った。その男の行動が余りにも異様だったので、さすがのシャイアも唖然として見下ろしていた。
「ああ、女神様、またお会いできるなんて……」
男は顔を上げると、両手を組んで目に涙を浮かべていた。本当にシャイアを女神と思っているらしかった。そして、シャイアはその男の顔をよくよく見ると、瞬間的に悔恨の海へと投げ出された。男の正体はシャイアの復讐の最後の標的であった、カーライン・コンダルタであった。彼は上から下までボロボロの衣服を纏い、顔は薄汚れ、髭と髪の毛は伸び放題であった。フェアリープラント社のオーナーであった頃の面影など些かもない。シャイアは復讐の為に彼の顔から体つきまで克明に記憶していたので、何とか目の前の男がカーラインだと分かる事ができた。
「おい、何やってるんだお前! 馬鹿なことをしているんじゃない!」
カーラインの後を追ってきたらしい見知らぬ男が走ってきて、シャイアに向かって頭を下げた。
「いやあ、すまねぇ! この男は頭がおかしいんだよ、許してやってくれ!」
「……この人は?」
シャイアが半ば呆然としながら聞くと、男は言った。
「こいつはね、旅の途中で出会ったんでさぁ。余りにも哀れなんで、とりあえず連れて歩く事にしたんですよ」
「……そう、大変ね」
「あはは、何こいつ、変なの! えいっ!」
シャイアの横でメイルリンクが笑い出し、そしてすっかり狂ってしまったカーラインを押し倒した。
「ひいいぃぃぃっ!!?」
カーラインは尋常ではない叫びをあげ、地面に丸まって頭を抱え込んだ。メイルは丸出しになっている彼の尻を叩いた。
「あははっ、おもしろーい!」
「お止めなさいメイル!」
シャイアは自分でも意外に思うほどの強さでメイルを叱っていた。
「あうぅ、シャイアが怒った……」
「その人を虐めては駄目よ」
カーラインが倒れた拍子に、服のポケットから石ころがいくつか転がり出ていた。それを見たカーラインの連れの男は舌打ちした。
「ったく、またこいつは石なんて拾いやがって! 何度止めろって言ってもやるんだからなぁ、まったく困ったもんだ」
それを見ていたシャイアに、男は苦笑いを浮かべながら説明した。
「こいつはね、その辺の石ころを宝石かなんかと勘違いしてポケットに入れちまうんです、完全に頭がいかれちまってるんですよ」
「哀れだわ」
シャイアは心の底からそう思った。目の前の男が余りにも哀れすぎて、復讐心などどこかえ消えてしまっていた。
「あなた、これを差し上げるわ」
シャイアは皮袋に一杯の金貨を男に手渡した。
「ちょっとお嬢さん、これは多すぎますよ! さすがにこんな大金はもらえませんて」
「いいから黙ってもって行きなさい、その人の為に使ってあげるのよ」
頑としたシャイアの態度の前に、男は引き下がった。
「いやあ、ありがとうございます。それじゃあ有難く頂きますよ。この男の言うとおり、あんたは本当に女神様だ」
男は一礼してから、シャイアから離れたがらないカーラインを無理やり引っ張って連れて行った。それを見送ったシャイアはしばらくその場に立ち尽くし、やがて堪えきれずに涙を流し、コッペリアを抱きしめた。
「コッペリア、ごめんなさい。あなたが言った事が正しかった。最初からあなたの言うことを信じていれば……」
シャイアの涙で濡れた頬にコッペリアの小さな手が触れた。
「いいんだよシャイア。お前とわたしは今こうして一緒にいる、それが全てさ」
こうしてシャイアの復讐は終わった。
終わりと始まりのワルツ……END