地獄の季節-19
そして、彼女が来ると思った瞬間に、ニルヴァーナはワープでもするかのような速さで、コッペリアの目前に迫り、鋭い爪を叩きつけてきた。コッペリアは咄嗟の反応で光の剣を出してそれを防ぐが、強烈な衝撃が大きな花火を散らせるのと同時に後方に大きく弾き飛ばされる。
「うあっ!?」
ニルヴァーナは吹っ飛んだコッペリアに、また一瞬のうちに迫った。
「つああぁっ!!」
コッペリアも剣を振るう。剣と爪が交差する度に、無数に散る火花が二人の黒妖精を一瞬照らして闇を払い、見ている者に彼女らの存在を示した。一撃ごとに、コッペリアは押され少しずつ後退していく。明らかにニルヴァーナに力負けしていた。ニルヴァーナの攻撃は右手の爪だけで、それに対してコッペリアは剣を両手持ちにしているのに、それでも後退が止まらない。そして、剣と爪が合わさり停滞し、力比べとなった。コッペリアは息を荒げて汗をかいているのに、ニルヴァーナは平然としていた。その動きが止まった隙に、ニルヴァーナの左の拳がコッペリアの腹にめり込んだ。コッペリアは剣を両手で持っていたので防ぎようがなかった。狂気の妖精は低く呻いて腹を押え、憎々しげにニルヴァーナを睨み付けた。
「ニルヴァーナっ!!」
コッペリアは叫びつつ、急上昇した。そしてニルヴァーナを真下で見る位置で止まると、翅の切っ先を目前で向かい合わせる。もう一度先ほどと同じ強烈な光の魔法で攻撃しようとしていた。それに対してニルヴァーナは、両翼を大きく開いて前に向かって一振りした。その瞬間の衝撃で空気が渦を巻く。同時にコッペリアに目に見えない何かが迫った。それに気づいたコッペリアは魔法を中断し、自在の翅で自分の体を包み込んで守りを固めた。途端に途轍もない衝撃がコッペリアを打った。それは一撃によるものではなく、強烈な無数の攻撃が一つになって襲ってくる、そういう衝撃だった。
「うあぁっ!!」
余りの強烈さにコッペリアは叫び声をあげ、吹っ飛ばされて硬く閉じていた翅が開かれた。その時、コッペリアの周囲に無数の黒い針が飛散していた。ニルヴァーナが翼の内側にある羽毛を硬化させて放ったのだ。コッペリアは吹っ飛ばされながらも、翅を伸張させて反撃した。闇色を基調とした豊かな色彩の六枚の翅が獲物を襲わんとする蛇のようにうねる。ニルヴァーナはそれを華麗に避けながらコッペリアに接近していく。そして、急に止まると伸び切っているコッペリアの翅の一枚を両手で掴んだ。その次の瞬間、動物の肉や皮を引き裂くのに似た異様な音がした。
「きゃあぁーーーーっ!!?」
コッペリアの叫び声であった。それを聞いたサーヤは、心の痛みの余り胸を押えた。月明かりの中で戦う妖精達の姿はよく見えないが、コッペリアがとても痛い思いをしているのだという事ははっきりと分かった。
「ぐあぁぁ……」
コッペリアは強烈な痛みを受けて片目を閉じていた。背中にある右側の二番目の翅が中ほどで引き千切られていた。ニルヴァーナはコッペリアから千切った翅を闇の中に放り捨てて、標的に高速で接近する。激痛のあまり何も考えられなくなっていたコッペリアは、ニルヴァーナが目前に来るまで気づけなかった。刹那にコッペリアとニルヴァーナの目が合った。黒妖精二人の間にある時が瞬間的に凍結した。コッペリアにはその様に感じられた。そして同時に、自分に終焉が訪れた事を悟った。
ニルヴァーナは悪魔の如き片翼をコッペリアにしたたかに叩きつけた。コッペリアは声にならぬ悲鳴をあげながら、刹那的にレンガ敷きの路地に叩きつけられ、そこから路地を穿ちながら破片と粉塵で長い煙の道を作った。そしてコッペリアの小さな体が路上に転がっていた大きな石にぶつかり、跳ね上がって、その向こう側にある家屋の石壁に叩きつけられてようやく止まった。背中から叩きつけられたコッペリアは十字の形になり、その状態からゆっくりずり落ちて地面にうつ伏せに倒れた。
「ぐ…くはぁっ……」
コッペリアは倒れた状態で大量の血を吐き出した。ドレスも、六枚の翅も見るも無残な程にボロボロになっている。
コッペリアの頭上に気配が現れる。コッペリアは殆どいうことを利かなくなった体で壁に縋りながら立ち上がり、時間をかけて上を見上げた。ただ頭を上げるだけの動作でも苦労するような有様だった。
見下ろすニルヴァーナの眼前に軽く開いた五指から立つ爪が通っていた。
「……これで終わり」
そう言うニルヴァーナの声を聞いて、コッペリアは不意に笑みを浮かべた。今までのような邪悪な弧笑ではない。自分の意思とは無関係に現れた、諦めと寂しさをそのまま形にした穢れのない白亜の様な笑みだ。コッペリアは姉妹であるニルヴァーナに殺される事には恐怖も悲しみもない。極めて高い可能性でこういう事になるとはずっと前から思っていた。ただ、自分が唯一心を許した人間、信頼していた人間、愛していた人間、その人と最後まで一緒にいられなかった事が堪らなく寂しかった。
今までに見たことがないコッペリアの悲しげな姿に、感情を表に出さないニルヴァーナの心が疼き、赤い瞳が潤んだ。だが、彼女は与えられた使命にどこまでも忠実であった。躊躇わず、爪を前に突き出して急降下した。もう動くことの出来ないコッペリアの左胸、ピジョンブラッドのコアのある部分を正確に狙っていた。
黒妖精二人、狩る者と狩られる者、その間には何も入る余地はなかった。サーヤでさえ、それを止める事は不可能であった。しかし、その閉じられている世界の殻を、何者かの足音が突き崩した。夜になると感覚器官の能力が数倍になるニルヴァーナは、その存在にいち早く気づいていた。彼女はサーヤが来たのかと思ったが、まったく違う人間であった。その魔的な美しさの少女は、コッペリアの前に立ち両手を大きく広げた、シャイアであった。少女は迫り来るニルヴァーナの鋭い爪など微塵も恐れてはいなかった。ニルヴァーナが攻撃を諦めるのが当然と言わんばかりの姿でコッペリアを庇っている。その存在の中には、サーヤとはまったく違った成分だが、サーヤと同じくらい強烈に妖精を制する力があった。
ニルヴァーナは、自分の爪がシャイアの胸に突き刺さった瞬間に時が止まったかのように急停止した。少女とニルヴァーナの間に、小さな鮮血の玉が散り、それは月明かりを受けて赤珊瑚の数珠のように輝いていた。
地獄の季節……END