地獄の季節-13
シャイアはコッペリアがいなくなってからというもの、すっかり元気をなくしてユーディアブルグの屋敷に引きこもることが多くなっていた。
シャイアがベッドの上で仰向けになり、ただ漫然と天井を見つめていた。外からはメイルリンクが他のフェアリー達と遊ぶ声が聞こえている。
父の仇であるカーライン・コンダルタはどこかへ雲隠れしてしまったが、シャイアはそれを探し出して殺してやろうという気にはならなかった。『これで良かったんだよ』、カーラインを生かしたコッペリアが別れ際に言った事が、ずっとシャイアの中で引っかかっていた。シャイアはコッペリアが自分を裏切ったわけではないと分かっている。そもそも、フェアリーは主を裏切る事はできないのだ。どこまでも主のために尽くすのがフェアリーの本質である。コッペリアがシャイアに逆らってまでカーラインを殺さなかったのは、それがシャイアにとって最善の選択だと判断したからなのだ。
「コッペリア……」
シャイアは寂しくて堪らなかった。コッペリアの代わりに連れて来たメイルリンクでは、その寂しさを埋めることは出来ない。
シャイアがため息をついたその時、窓が開いてメイルリンクが入ってきた。何故かメイルは異様に興奮していて、シャイアの視界の中で天井近くでぐるぐると円形の旋回を続けていた。
「いきなり入ってきて何なの?」
「ねぇねぇ、シャイア! お姉様がすぐ近くまで来てるよ! 他にもいっぱいフェアリーがいて、すごく楽しいことが起こりそう!」
シャイアはそれを聞くと起き上がって言った。
「何ですって? コッペリアがこの近くに……」
シャイアは懐からピジョンブラッドのペンダントを取り出すと、宝石が淡く輝いて反応していた。
「メイル、コッペリアのいる場所が分かる?」
「うんとね、あっちの方だよ」
メイルリンクが指差したのは、シルフリアの街がある方角だった。シャイアの中に、何か重大なことが起こるという予感が生まれた。
それからシャイアはすぐにメイドのアンナを自分の部屋に呼んだ。アンナはノックしてから部屋に入ってくると、シャイアに向かって深く頭を下げた。
「お嬢様、何の御用でしょうか?」
「あなたに渡したいものがあるわ、受け取りなさい」
シャイアがアンナに手渡したものは皮袋に入ったずしりと重い物だ。アンナは中身を見ずともそれが金貨であることが分かる。それも相当な枚数だ。
「お嬢様、これは?」
「アンナ、あなたは今まで良く仕えてくれたわ。だから、そのお礼よ」
「お嬢様、おっしゃっている意味がよく分かりません……」
「わたしはユーディアブルグを出て行くわ、これでお別れよ。あなたはこれからは自分の為に生きなさい」
「そんな、お嬢様、わたしも連れて行って下さい!」
「駄目よ、わたしといたら必ず不幸になる。アンナは幸せになるべき人間よ。だからこれで、わたしたちの関係はおしまいよ」
「不幸になったってかまいません、お嬢様と一緒にいさせて下さい」
アンナが祈るような気持ちで両手を組んで言うと、シャイアが今までに見せたことのない優しげな目でメイドを見つめた。それは復讐によって現れた悪魔の仮面の裏側に隠れていた、シャイアの本来の姿であった。
「わたしに付いてくる事は許さないわ、これは命令よ。あなたには幸せになってもらいたいの」
その言葉を聞いたアンナは、シャイアの気持ちが嬉しくて涙が止まらなくなった。シャイアはそんなアンナを抱きしめて言った。
「わたしがどんなに恐ろしい人間になっても、あなたは何も変わらずに仕えてくれた。あなただけが、わたしの全てを理解して側にいてくれた。感謝しているわ」
そしてシャイアは、涙の光るアンナの目を見つめて言った。
「さようなら、アンナ」
「お嬢様……」
アンナはその場に泣き崩れた。シャイアはそのアンナを残して、メイルリンクと共に部屋を出て行った。アンナは、シャイアの為にも自分は必ず幸せになろうと心に誓った。
外に出たシャイアは急いで馬車に乗り込み、シルフリアへと向かった。今のシャイアはコッペリアの事しか考えられなかった。とにかくコッペリアに会いたい、そういう気持ちが抑えきれず、はやる気持ちで御者に急ぐように言った。
コッペリアがシルフリアに近づくごとに、彼女の力が及ぼす影響が大きくなっていく。
シルフリアにある娼館でも、恐ろしい異変が始まりつつあった。
「いつものを頼むぞ」
鼻の下に髭を生やし、丸々と太った貴族風の男が言った。しかし、男は貴族ではなく商人である。そこいらの貴族よりも遥かに大きな財産を有している。この男は度々娼館に来ては、フェアリーを使った遊びに興じていた。
支配人の女が出てきて男に言った。
「またあれですか? 嫌ですよ、フェアリー達が死んでしまうんですから。最近、ワーカーの値段が上がってきて手に入れるのが大変なんですよ」
「だからお願いしてるんだよ。フェアリーが手に入るうちに遊んでおかないとな。金ならいくらでも払う、早めに頼むぞ」
「仕方ありません。でも、出来るだけ殺さないで下さいよ」
男は少しだけ待たされてから二階の部屋に案内された。男が部屋に入ると、ベッドの上には薄着一枚のフェアリー達が敷き詰められるように横たわっていた。
「うほほほ、これだこれだ!」
男は奇声を上げながらベッドに飛び込んだ。フェアリー達は男の巨体の下敷きになって押しつぶされた。
「やはり、この肉のベッドの寝心地は最高だな」
これがこの男の趣味であった。フェアリーに対して何かするわけではなく、ただフェアリー達の上に寝て小さな体の感触を楽しみながら、食事をしたり酒を飲んだりとリラックスした時を過ごすのだ。そうして男は少なくとも百体以上のフェアリーを圧殺してきた。
「さて、今日は何をするかな」
ふと男が下を見たとき、下敷きにしているフェアリーと目が合った。そのフェアリーは憎悪のこもった瞳を光らせ、異様な笑いを浮かべていた。男はぎょっとしてベッドから離れようとしたが、下のフェアリー達に体中を掴まれて動けなくなった。
「な、な、何だこれは!? お、おい、支配人!! どうなってるんだ!! フェアリー共が勝手に動いてるぞ!!」
いつもなら大声を出しただけで支配人が飛んでくるが、この日は支配人の代わりに隣の部屋から凄まじい悲鳴が飛んできた。そこでは別の男が右目にフェアリーの手を突っ込まれていた。右目から血を吹きながら男はのたうち回る。フェアリーは窓辺の花瓶を両手で掴むと、天井まで飛び上がり、そこから急降下して男の後頭部に花瓶を叩きつけた。
「ごばぁっ!!?」
衝撃で男の目が飛び出しそうになり、鼻血が吹き出た。フェアリーは同じ動作を繰り返した。二回目で男は死に、三回目で男の頭が半分潰れて花瓶が砕けた。それからフェアリーは窓を割って外に出て行った。
異常すぎる物音と状況に、ベッドに釘付けにされた男は助けてくれと叫んだ。すると今度は、さらに多くの悲鳴や物が壊れる音が聞こえ始めた。一階の厨房では、料理長がナイフや包丁を手にした料理専用のワーカー達に四方八方から滅多刺しにされ、狭い厨房の壁や料理用具が真紅に染まった。娼館は一瞬にしてフェアリー達の起こす恐怖に支配され、ベッドの上の男が助かる可能性は、もはやなかった。男の下からフェアリーが一人はい出てきて、男の背中に乗って彼の頭を両手で掴んだ。そして、とてつもない力で頭を後ろに引っ張る。
「あがあ……があ……っ」
のけぞった男の頭は完全に背中に引っ付き、息ができなくなった。ベッドの下から数人のフェアリー達に掴まれて固定されているので、首が限界以上に伸びていく。
「が……は……」
男はやがて泡を吹いて事切れる。ここで死ねたのは幸運だった。背中の上のフェアリーはさらに頭を引っ張って、ついに首が引き切られて脊髄まで引きずり出されてしまった。辺りに血が飛び散り、フェアリーは背骨のぶら下がった首を見てから、それがつまらない玩具とでも言うように投げ捨てて、窓から外に出て行った。男の下敷きになっていたフェアリー達も、見るも無残な首のない死体を押し飛ばして、首を千切ったフェアリーの後を追う。彼女らが向かった先にいた者は、もちろん黒妖精コッペリアであった。
コッペリアが率いる妖精達は、シルフリアの上空に集まって地上の街並みを見下ろしていた。その頃に、シャイアの馬車はシルフリアの近郊まで来ていた。そこでシャイアは馬車を止めた。
「ここでいいわ」
シャイアがさっさと馬車を降りて歩き出すと、御者が慌てて言った。
「シャイア様、ここからですと、まだ街までは結構な距離がありますよ」
「かまわないわ。貴方はすぐに引き返しなさい、死にたくなければね」
そう言って振り返ったときのシャイアの目が、あまりにも鋭く冷淡で、御者は半笑いを浮かべたまま固まった。言いようのない恐怖が彼を襲ったのだった。
「待ってよシャイア!」
馬車から出てきたメイルリンクがシャイアの後を追った。それから御者はシャイアの姿が消えるまで見送ってから慌てて引き返し、何かにおわれているとでもいうような速さでユーディアブルグに向かって逃げた。
「さあ、ミミ、その子を渡しておくれ。それを売ればしばらく食べるのに困らないんだよ」
「いやよ! 少し前までゴミ扱いしてたくせに、リトは絶対に渡さないわ!」
シルフリアのある貧乏な家の前で、フェアリーワーカーを抱いた少女が母親に抵抗していた。フェアリーは少女が拾ってきたもので、いつも動かずに空ろな目をしていたが、それでも実の妹のように大切に可愛がっていた。母親は最近価値が跳ね上がっているフェアリーワーカーを娘から取り上げて売るつもりだった。
「ええい、めんどくさいね!! 渡せって言ってんだよ、この馬鹿娘が!」
母親はいきなり力いっぱい娘を殴った。吹っ飛ばされて倒れた娘は、身を挺して抱いているフェアリーを隠した。娘の頬は腫れ上がり、唇が切れて血が流れていた。
「渡せって言ってるのが分からないのか!!」
母親が娘の髪を掴んで引き上げる。娘は髪を無理やり引かれる痛みに耐えながら言った。
「嫌だ、絶対に渡さない!! わたしの大切なお友達なんだ!!」
「何が友達だ! 喋りもしない、動きもしない、ただの役立たずじゃないか! それでも売りゃあ金になるんだよ!」
「今までずっと一緒だったんだ! これからも、ずっとずっと一緒だよ!!」
「ありがとう、ミミちゃん」
娘と母親が固まった。その声は娘の懐から聞こえてきた。
「わたし、ミミちゃんにずっと感謝していたの。わたしはお喋りする事も、動くこともできなかったけれど、ミミちゃんがいつもそばにいてくれて、とっても楽しかった」
娘は抱いていたフェアリーを見つめた。空ろだった目には輝きが生まれ、しっかりと娘のことを見つめていた。
「リトが、リトが喋った!?」
娘は嬉しさのあまり飛び上がった。
「一体どうなってんだい……」
母親の方は、いきなり喋りだしたフェアリーを気味悪そうに見ている。
「リト、わたしこうやって貴方とお話するのがずっと夢だったの」
「ミミちゃん聞いて、世界は変わるの。とっても楽しい夢のような世界に、ミミちゃんは行くことが出来るんだよ」
「本当に? そんな素敵な世界にいけるの?」
「うん。でも残念、ミミちゃんのお母さんは行けないね」
妖精リトは、ミミの母親を見つめた。その目つきはミミを見る目とは明らかに異なり、まるで汚物でも見下げるかのようであった。
「あなたはすぐに死ぬからね」
「な、なんだい、何なんだいこいつは!?」
母親がそう言った直後に、開いた口から血を吐いた。
「あ、ああぁ……」
「お、お母さん……」
母親の背中から胸に緑色の輝きに覆われた槍が突き通っていた。その背後ではエインフェリアが槍の柄を握っていた。その次の瞬間、上空から飛来してきた二体目のエインフェリアが、槍の一薙ぎで母親の首を切り落とした。頭が前に飛び、首のなくなった遺体が娘の前でひざを付いてから前のめりに倒れた。首の付け根から大量の血が溢れて地面に円形に広がっていく。娘はフェアリーを抱いたまま呆然としていた。あまりにも突然であり、あまりにも悲惨である為に、ミミは衝撃ではなく、お伽の国にでも迷い込んだような不思議さを感じていた。このとき既にミミは、変わった世界の住人となっていた。
シルフリアに、無数の小さな影が落ちてきた。街人たちはどこからともなくやってきた、フェアリーの大群を見上げた。
「何だありゃ、フェアリーなのか?」
ずっと以前にウィンディを棒で叩き、いじめ殺そうとした商人も、荷車を止めて上を見ていた。彼の荷車を引いているのは、縄で縛られた三体のフェアリーワーカーである。彼女らは、商人が上を見ている間に、驚くべき行動にでた。三者三様に、胴をきつく縛っている縄を掴んで引き千切ったのだ。縄の繊維が切れる音で商人は気づき、その形相は見る間に恐怖に彩られた。馬代わりに使っていたフェアリー達が、言葉では言い表しようのない気味の悪い笑みを浮かべていた。男は何が起こっているのか分からずに混乱し、硬い表情でその場に佇んでいた。すると、三人のフェアリーがすばやく男の周りに集まり、男の腕や服を掴んだ。
「う、うわあぁっ!!? 何だ、何するんだ!!?」
フェアリー達は商人を掴んで飛び上がった。
「離せ、離しやがれてめぇら!! どうするつもりだ!?」
フェアリー達は商人の想像よりも遥かに早いスピードで上昇していた。彼がふと下を見ると、自分の荷馬車はゴマ粒ほどにまで小さくなっていた。彼は瞬間的に恐怖の衝撃を受けて悲鳴をあげた。
「離すな、絶対に離すなよお前ら!!?」
その声の悲愴な調子は命乞いに近かった。フェアリー達はさらに上昇し、その高度は街が小さく見えるほどにまで達した。
「うわ、うわっ、何なんだこれは!!? は、は、離さないで、絶対に離さないで下さい!!!」
商人はこれから自分に待ち受ける運命を予感し、恐怖の余り震えだし、それ以降は声が出なくなった。その時に喋れないはずのフェアリーワーカー達が話し始めた。
「こいつをここから落としたらどうなるんだろうね?」
「どうなるんだろうね、すごく楽しみ!」
「早く落としちゃおうよ!」
商人は恐怖にまみれた奇妙な叫び声をあげた後に、震える体から声を絞り出した。
「や、やだやだやだ!! やめて下さい!! お願いし」
懇願の言葉を待たずに、フェアリー達は手を離した。彼は凄まじい悲鳴をあげながら急速に落下していく。悲鳴はすぐに聞こえなくなった。そして数秒後、商人は自分の荷馬車の上に落下した。人一人の衝撃で荷馬車は破壊され、四つの車輪のうち三つがはずれ、千切れた両腕と片足が辺りに吹き飛んだ。凄まじい音がしたので、荷馬車の周りに人々が集まってくる。商人を落としたフェアリー達も上空から降りてきて、馬車の荷物に埋め込まれるようにして横たわる商人の姿を見つめた。体の到る所から壊れた馬車の木片や荷駄の木箱の破片などが突き刺さって飛び出し、叩きつけられたときの衝撃で目は飛び出していて、腹が破れて内臓が露呈し、残っていた右足は捩れている。全身が血まみれでもはや肉の塊のようにしか見えない。フェアリー達はそんな死体を見て喜んでいた。
「壊れちゃったね」
「人間てこんなに壊れやすいんだねー」
「もっともっと壊そうよ!」
フェアリー達は荷馬車の周りに集まった人間を見て、次に壊す玩具の品定めを始めた。