夢幻戦役-4
フェアリーとは、森の精霊力が宿った土と、コアという魔法の宝石から作り出される人工生命体である。コアは人間で言う心臓に当たり、それ以外の器官は人間と殆ど変わりない。契約を結ぶときは、フェアリーの持つコアと同種の宝石が必要になり、コアが良い宝石であるほど、フェアリーの持つ力も大きくなる。そして、瞳の色や輝きが、コアである宝石を象徴する特徴を持つ。
エリアノは、フェアリーたちを世に解き放った。エリアノが生み出した四人の黒妖精たちを元に、多くのフェアリーたちが生まれ、人間達の生活を支えるようになっていった。この頃のフェアリーは、クリエイターたちが一つ一つ丁寧に作っていたので、生まれるまでに時間はかかるが、その代わりに高い能力を持っていた。
それから数年後、フラウディアは史上かつてない不運に見舞われる。海の向こうから、バシュトールと呼ばれる帝国の軍が、フラウディアに侵略戦争を仕掛けてきたのだ。軍事力というものを殆ど持たないフラウディアは、ひとたまりもなかった。
抵抗らしい抵抗もなく、次々と主要都市が制圧され、残るは中心都市フェアリーラントだけとなった。その時、帝国軍に対抗し得るとして、密かに期待されていた戦力があった。それにいち早く目をつけたのが、その当時フラウディア王国の大臣だったクランセル・コンダルタだった。
クランセルは、エリアノが行方不明になる直前まで、フェアリーの軍隊化を唱えていたという。
「フェアリーはシフルリアで生まれた独自の生命体です。諸外国にはほとんど知られていない」
クランセルは、女王エリアノに冷笑を見せながら語った。
齢五十近い男の髪には白髪が混じり、人を小ばかにするような笑みには心底にある狡猾な性質が現れている。
「驚くべきは、フェアリーが人間以上の力を持っているということです」
目を閉じてじっと話を聞いていたエリアノは、目を開けてクランセルを見つめる。
「何が言いたいのですか」
「バシュトール帝国軍によって、フラウディアは風前の灯火です。今すぐクリエイターと妖精使いを集めるのです」
「彼らを集めてどうしようというのですか」
エリアノの視線が鋭くなり、眼光の刃がクランセルに突き刺さる。それでも彼は平然としていた。
「決まっています。フェアリーを戦わせるのですよ。小さな勇者たちは、帝国の魔の手から必ずやフラウディアを救ってくれるでしょう」
「フェアリーは人の心の支えになるべきものです。それ以上の事をさせてはいけないのです。特に武力として使うことだけは決して許しません」
「何故ですか? 女王様は、このままシルフリアが帝国に滅ぼされても良いと言うのですか?」
「滅びはしません。無条件降伏をするのです。そうすれば誰も傷つかずに済みます」
「国民が我々の言い分を聞いたらどう思いますかな」
クランセルの声には聞く者を圧迫するような重みがあった。エリアノは何も言えず、目を細めた。エリアノが思慮に苦しんでいる様子が、クランセルには愉快でたまらなかった。
「今だけを見るのではありません。国政というものは先の先を見極める必要があります。フェアリーを武力として使えば、百年……いえ五十年もしないうちに、人間は悲劇を生み出すでしょう。それこそ、一国を滅亡させるほどの悲劇です」
「もう良い。あなたの理想論は聞き飽きました。国を守る力がありながら、それを行使しないとは、あなたは女王失格です」
クランセルが指を鳴らすと、荒々しい足音をたてて武装した衛兵がなだれ込んできた。
「クランセル……」
「ふふふっ、愚かなる民衆出の女王には、この辺り降りていただきましょう。さらば、エリアノ。さらば、フェアリーの創造主よ」
エリアノは全てを予期していたように落ち着いている。ただただ、悲観に暮れた瞳でクランセルを見つめていた。瞳の奥には、これからフェアリーと人間に起こるであろう悲惨に対する哀れみが、深く深く刻まれていた。
「諸君、よくこの場に集まってくれた。礼を言う」
シルフリア王城内の広大な広場に、妖精使いが大勢集まっていた。そのほとんどが背丈が幼児程度の小人を連れていた。性別は男女共にあり、容姿は様々で、すべてが翅や翼をもっている。彼らを目下にしてクランセルは叫んだ。
「今、帝国の足音が近づきつつある。シルフリアに侵略する時は近い。しかし、奴らの思い通りにはさせん。我々にはフェアリーがいる! フェアリーの力を、素晴らしさを世界に知らしめる時が来たのだ!」
空気が重い。フェアリーが作られた理由は、人間の心の支えとなり、道徳的に導くという目的のためだ。多くのフェアリーがその為に働いてきた。障害者の介護、子供たちの遊び相手、人と心を通わせて人のために尽くすのが今までのフェアリーの在り方だった。当然フェアリーと関わりを持つ人間も、そう考えている。クランセルの言うようなことは受け入れ難い。クランセル自身もそれはよく知っていた。だから、彼は泣いた。
「頼む、シフルリアを救ってくれ! もう頼みは君たちしかいないのだ!」
湿った声が響き渡る。クランセルには芝居の才能があるようだ。その言葉は、その場にいる人間には心からの叫びに聞こえた。
「君たちがフェアリーを戦わせるのが不本意である事は良く分かっている。それでもあえて頼む! シルフリアを、人々を救ってほしい! 正義のために立ち上がってくれ、小さな勇者たちよ!」
クランセルは両膝をつき、両手を広げて天を仰いだ。渾身の演技である。まるで神に懇願するような姿に、見ていた人々の心は動かされた。
どっと歓声が沸きあがる。妖精使いたちは国を守るという正義に燃えた。力を使い切ったようにうなだれるクランセルは、俯いたままほくそ笑んでいた。
その日、百を超えるフェアリーの一団がフェアリーラントを発った。
民衆たちは光り輝く軍隊を見上げていた。
人々はフェアリーがどれほどの力を持つのか知らない。フェアリーたちは、ただ人間の生活に入り込み、人間の為に尽くしてきた小さな存在だった。それが戦う姿を想像するのは困難な事だった。だから心ある人々は祈った、彼らが無事に帰ってくる事を。
空を進むフェアリーの軍を上から見下ろす黒い姿が四つある。それはコッペリアとニルヴァーナ、その他に黒髪に蜂蜜色の猫目と黒い翼を持つシルメラと、銀髪にコーンフラワーブルーの瞳と群青の翅を持つテスラという黒妖精だった。
「一万や二万の軍隊なら、わたし達だけでも何とかなるだろう。でも、帝国軍は十万を超える軍隊がいるという。それが一気になだれ込んできたら、さすがにどうにもならないな」
シルメラが言うと、コッペリアが侮るように歪んだ微笑を浮かべる。
「帝国は完全に油断しているさ。今フラウディアに在るのは、主力部隊五千程と、予備の増援軍二千程度さ。再び兵を挙げるのにはかなり時間がかかるだろうねぇ」
「それまでに何とかしなければ……」
「わたしが蹴りをつけてやるよ」
コッペリアが言うと、他の黒妖精たちの視線が集中した。
「どうするつもりだ?」
「今に分かるさ」
コッペリアは、これから楽しいパーティーでも始まるような、いきいきとした表情をしている。ただ、真紅の目が獣的にぎらついて、シルメラはそれに嫌なものを感じた。
「……まあいい。わたしとニルヴァーナは夜になったら敵を叩く。わたしたちは夜の方が本領を発揮できるからな」
「承知……」
「あの、わたしはどうしたらいい……?」
テスラがおどおどしながら控えめに言うと、コッペリアが睨んだ。
テスラは、ひっと言って後退りする。明らかにコッペリアを恐れているようだった。
「戦う気があるのなら、シルメラとニルヴァーナについていきな」
「えっ?」
テスラは困惑の色を浮かべる。
「戦う気がないのなら聞くんじゃないよ。さっさとどっかにいっちまいな」
「ふうぅ……」
テスラは青い瞳に涙の輝きを加えて俯いた。シルメラがそれを慰めるように言った。
「まあ、そう言うなよ。わたしたちは人間と同じで、向き不向きってものがある。テスラは戦いが終わるまでマスターを守ってやれ。何が起こるか分からないからな」
ニルヴァーナがテスラの肩に手を置いて頷く。そのすました顔が、テスラは何よりも嬉しかった。
「ありがとう、姉様たち」
テスラはその場を去り、マスターの待つノルンの村に向かって飛んでいった。
「情けないねぇ。あれがわたしたちと同じ黒妖精なのかね」
「わたし達は戦う為に生まれてきたんじゃない。戦いを拒絶するテスラの方が、本来あるべき姿なんだ」
「フン、あんな奴、いてもいなくても同じだけどねぇ」
「……言い方よくない……・」
シルメラとニルヴァーナの責める視線を浴びても、コッペリアは鼻で笑うだけだった。
「妹思いな姉さん達か。わたしには姉妹なんて関係ないね。与えられた使命を全うするだけさ」
コッペリアは六枚の翅を開くと、姉達を爆風に晒して地平線の向こうに消えていった。
エリアノは、地下に建設された牢獄の最下層に幽閉された。
牢の出入り口は分厚い鋼鉄の扉一つだけ。何もない狭い部屋は、明りすらなく、息が白くなるほど寒い。生けるものの気配は何一つなく、食事もなければ、見回りの兵すら来なかった。普通の人間なら、入って一日で発狂してしまうような地獄だが、エリアノはさらに両手両足を鎖で縛られ、冷たい鉄の壁に磔にされていた。
この地下牢は静かなる処刑場だった。表立って処刑できない者を死ぬまで閉じ込めておくのだ。
エリアノが閉じ込められてから七日が経っていた。妖精の母は、強靭な精神力で今まで奇跡的に生き延びていたが、寒さと飢餓で命はあとわずかだった。
頭を項垂れ、もう意識は混濁して、寒さすら感じられない。どこからか聞こえてくる水滴の落ちる音も耳に届かない。彼女はこのまま死んでいくはずだった。
エリアノの遠くなっていく意識を呼び戻すように、今まさに戦いを始めんとするフェアリーたちの意思が、エリアノの中に流れ込んできた。
「ああっ!」
エリアノは突然叫び、鎖を引きちぎらんばかりの力で手足を動かした。彼女は目の前にフェアリーたちがいるような気がして、手を伸ばそうとしたのだ。手首と足首が擦り切れて、鎖が血塗られていく。
「わたしの可愛い子供たち、戦ってはいけません! 戦えば歯車が狂ってしまうのです! あなたたちは不幸になってしまうのです!」
エリアノは死んだように脱力して、弱々しく息切れした。そして、エリアノの中にあるあらゆる力が集中し、世界の外にある巨大な意思と精通すると、残された命を超える力で彼女は叫んだ。
「空よ、全てを創造する偉大なる命よ! どうか人間に英知を、優しさをお与え下さい わたしの可愛い子供たちをお守り下さい、どうか、どうかっ」
その命を懸けた叫びは、地下深くから、フラウディア中に広がった。その時、フェアリーの軍隊も、それぞれ行動していた黒妖精たちも、まったく違う場所にいながら全てが同時に止まって、フェアリーラントの方を見た。
殆どのフェアリーは、エリアノの声をはっきりと聞く事はできなかった。ただ、心の中に悲しみを誘う響きのようなものを感じただけだ。その中でたった二人だけ、エリアノの声を聞く事が出来たフェアリーがいた。
その一人であるフレイアは、フェアリーの部隊を率いていた。彼女は紫銀の髪にダイヤのように輝く緑の瞳と、背中には光り輝く翅を持つ流麗な姿をしたフェアリーだった。そしてミニサイズの防具を装着し、白いフレアスカートには深いスリットが入っていて、その姿は神話の戦乙女を彷彿とさせるものがある。
フレイアは、エリアノの手によって最初に作られた、起源のフェアリーである。
不意にフレイアが立ち止まってフェアリーラントのある方向を見つめた。同時に行軍も止まり、他の妖精たちもフレイアと同じ方向を見つめる。フレイアのように声は聞こえないが、何かを感じているのだ。
「お母様の声が聞こえます」
フレイアが言うと、側にいた七色の瞳と翅のフェアリーが、目を丸くした。
「今のは、お母様の声なの?」
フレイアは頷いて目を閉じる。
――確かにお母様の言われる通りかもしれません。このままではフェアリーは不幸になるでしょう。しかし、これもまた意味のある事だと思うのです。いつか必ずお母様の声は届きます。わたしはそれを信じて、今は戦おうと思います。
フレイアの手に光が宿り、それは矛の形を成して具現化した。フレイアは手にしたそれで、敵の待つ方角を指した。
「エクレア、行きましょう。今は戦うのです!」
七色のフェアリーが頷き、フェアリーたちは再び動き始めた。
もう一人、エリアノの声を聞いたのはコッペリアだった。コッペリアは海の上に浮遊して、遠くにあるフラウディアの海岸を見つめていた。
――お母様、人間たちが道を踏み外したならば、その時に必ずわたしは現れ、姉妹たちを救います。愚かな人間どもに、お母様の悲しみを、姉妹たちの苦しみを、思い知らせてやりましょう。
二人の声は、エリアノの心に届いていた。思いも性質もまったく異なるフェアリーたちだが、一つだけ確かな事は、彼女等がエリアノを心から愛しているという事だ。
エリアノはフェアリーたちの声を聞いたのを最後に、ゆっくり目を閉じて、穏やかな顔で眠った。それが、フェアリーの創造主と呼ばれたエリアノの最後だった。