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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅹ 地獄の季節
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地獄の季節-8

 翌朝、クラインが去った事に対しては、誰も一言も口にしなかった。サーヤもリーリアも、クラインが学院から去る事は予感していた。それに、フェアリーラントの王国議会が間近に迫っていて、色々と考えている余裕がなくなっていた事もあった。

 リーリアの負傷によって、フェアリーラントへの出発は三日遅れていた。

 セリアリスとマリアーナは朝早くに医務室に来てリーリアと話をしていた。リーリアの容態は安定していたが、傷は完治はしていない。一日中馬車に揺られて行く旅には心配があった。だからセリアリスたちは、リーリアに王国議会にはいかずに休むようにと説得しようとしたが、リーリアはそれを頑として拒んだ。

「先生達の言う事は分かりますけれど、わたしはフェアリーラントに行きます! わたしの大切な人たちの思いを背負っているのです、何としても行かなければなりませんわ!」

 そこまで言われると、セリアリスもマリアーナも駄目とは言えなかった。それにリーリアの怪我への心配はティアリーの一言が取り除いてくれた。

「リーリアの傷は治りかけてるんだし、わたしが馬車の中で治療してあるわ。それなら心配ないでしょう」

「ティアリー、本当に助かるわ」

 そう言うリーリアに、ティアリーは得意げな笑みを浮べて見せた。

「それならすぐに出発しましょう。議会で法案を通す為に向こうでやらなければならない事があるわ」

 セリアリスが言うと皆が頷いた。彼女等はそれぞれフェアリーを連れて、校庭に用意してある馬車に向かった。セリアリスは後から付いてくるニルヴァーナの他に、ニルヴァーナが前に捕えたエインフェリアを抱いていた。

 校庭にはサーヤを始め、学校に残っている全ての生徒が集まっていた。生徒たちの一番前にいたサーヤが言った。

「いよいよだね。リーリアは、会議のために今までずっと頑張って来たんだもんね」

「サーヤ、貴方がフェアリーの為に生きる姿に何度も励まされたわ、本当に感謝している。貴方は最高の友達よ」

「わたしもそう思ってる。リーリアは誰よりも綺麗で強くて頭も良い、わたしにはもったいないくらいの友達だよ。リーリアなら必ずフェアリーと人間が平和に暮らせる世界をつくれるよ、わたしは信じてるから」

「ええ、必ず実現させる、約束するわ。フェアリーの暗黒時代を終焉させて、お母様とあの方の夢を叶えてみせる」

 サーヤは笑顔で頷いた。それから今度はマリアーナとセリアリスの方に向かって言った。

「先生方も、どうかお気をつけて」

 その時にサーヤは、セリアリスが抱いているフェアリーが気になった。どっかで見たようなフェアリーだった。

「セリアリス先生、その子は?」

「この子の名前はルーシャ、学校を襲ったフェアリーよ」

「あ!? 何か見たことあると思った」

「ニルヴァーナが捕まえたの。この子にも会議に出てもらうわ」

「このフェアリーを会議に?」

「そうよ、この子が妖精保護法を成立させる鍵を握っているの」

 サーヤはセリアリスが何のことを言っているのかさっぱり分からなかったが、エインフェリアには興味津々だった。サーヤが頭をなでると、ルーシャは嬉しそうに微笑んだ。

「リーリア、リーリア!」

「はいはい、他にも言葉を教えたでしょう、話してごらんなさい」

 エクレアが自分を抱いている主の名前を連呼していた。まだそれしかしゃべる事が出来なかった。

「わたしと出会った頃のウィンディみたい」

「ウィンディ、もっと色々しゃべれるよ!」

「そりゃ、今はそうだけどね」

 偉そうに言うウィンディに、サーヤは苦笑いを浮かべていた。それからサーヤは、リーリアが馬車に乗り込む前に言った。

「リーリア、応援しに行くからね」

「応援って、何をするつもりなの?」

「何をって、だから応援しに行くんだよ、がんばれーって」

「何をするつもりか分からないけれど、あんまり無茶な事はしないでちょうだい」

「リーリアは心配性だね。大丈夫だよ、応援するだけだもん」

 リーリアはサーヤの言う応援を言葉だけのものと受け取った。そして三人の人間とそれに従うフェアリー達を乗せた馬車は走りだし、校門を抜けて出て行った。フェアリーラントまでは馬車で飛ばして一日程の距離であった。


 リーリアたちが出て行った後、サーヤは寮の自分の部屋に戻って、妖精たちと力を合わせて作ったものをベッドの下から取り出した。それは大きな旗だった。長い棒の先に水色の三角形の旗が付いていて、傍の真ん中には白い刺繍で翅を広げた妖精のシルエットが描かれていた。

「よーし、これを持ってリーリアの応援に行くよ! フェアリーラントまでは歩いてどれくらいかかるのかな?」

「えっと、歩いたら十日くらいじゃないかな」

 シルメラが言うと、サーヤは目を大きくして驚いた。

「えええぇっ!? 今すぐ出発しないと間に合わないじゃん!」

「まさかサーヤ、歩いてフェアリーラントまで行くつもりなのか?」

「そうだよ。だって馬車に乗るお金なんてないもの」

「……さすがはわたしのマスターだ、考える事が普通の人間の遥か向こう側だ」

「ウィンディも一緒に行く!」

「うん、みんなで一緒に行こうね」

 サーヤはまとめた荷物を旅嚢に入れて背負うと、ウィンディとシルメラを連れて外に出た。旗持ちになったシルメラが、校庭の真ん中に旗を立てた。学校に残った数少ない生徒達は、それを見て引き寄せられるように旗の元に集まってきた。するとサーヤは言った。

「これからリーリアの応援に行くの。ちょっと遠いんだけど、皆も一緒に行かない?」

 集まった生徒たちが顔を見合わせ、その中の一人の少女が言った。

「サーヤさん、一緒に行かせて下さい」

 ここにいる生徒全員が同じ気持ちだった。妖精を守ろうとした歴代の院長達は殺され、みんな辛く悲しい思いを味わってきた。だから彼らもサーヤと一緒に妖精の為に何かしたいと思ったのだ。

 サーヤを含めたシフルィア・シューレの十数人の生徒達は歩き出した。長い長い旅の始まりだった。

 シルフリアの街中でサーヤ達は奇異の目で見られたが、そんなのは気にもせずに堂々と行進していく。すると意思を持たないはずのフェアリーワーカーが数人集まってきて、そのフェアリーに関わりのある人間たちが後を追いかけてきた。

「急にどうしたんだい、ニル」

 フェアリーワーカーの後を追いかけてきた若者が、必然的にサーヤ達と出会った。彼は訝しげな目をしていった。

「君たちは一体なにをしているんだ?」

「わたし達は行進をしているんです」

「何の為に?」

「お友達の応援と、それとフェアリーと人間の幸せの為です」

 サーヤの声も言葉も一点の曇りもなく澄んでいた。その姿にも、見る者をはっとさせるような清冽さがある。若者はこの少女に嘘偽りはないと知らされた。

「なんだか面白そうだ、僕もついていこう」

「フェアリーラントまで友達の応援に行くだけですよ」

 サーヤはにこやかに微笑んで言った。その若者の他にも、何人かフェアリーと関わりの深い人間がついてきた。行進する人間と妖精が少し増えた。


 サーヤ達は街を出て、フェアリーラントへ続く道へと歩を進めた。街中程ではないが、旅人や馬車が行き交う賑やかな通りだ。やはり人々は奇怪な目でサーヤ達を見つめる。そんな中で、サーヤ達の横を通り過ぎた馬車が先で止まった。そして馬車の中から貴族と思しき凛々き令嬢と、それに付き従うように三人の少女が降りてきた。令嬢には鮮やかな六枚の青い翅を持ったフェアリーが付いていた。令嬢はサーヤに近づき、旗を持って飛んでいるシルメラを見て、まるで何かの輝石でも見ているかのように息を飲む。

「もしかして貴方は黒妖精では?」

「ああ、そうさ」

 黒い翼の妖精が答えると、令嬢の後ろにいた少女たちは色めき立った。

「すごいわ、黒妖精なんて初めて見た」

「綺麗ね」

 貴族の令嬢の後ろで少女たちが囁き合っていた。

「貴方が黒妖精のマスターなのですか?」

「そうよ。貴方のフェアリーはとっても綺麗だね、まるで青い宝石みたい」

 サーヤが言うと、令嬢の後ろから青い翅の妖精が出てきて、極北の氷塊を思わせるような冷たい印象の青銀の髪をかき上げた。サーヤはその妖精の吸い込まれそうな瞳の青さにうっとりした。言うなれば青の中の青、世界で最も深く美しい青はこの色だと言われれば納得してしまうような色だった。

「わたしはローズマリー、氷の妖精よ」

「よろしくね、ローズマリー」

 サーヤが手を出すとローズマリーはそれに答えた。氷の妖精と言うだけあって、サーヤと握手したローズマリーの手はとても冷たかった。

「申し遅れました、わたしはセシリア・メルビウス、ローズマリーのマスターですわ」

「わたしはサーヤ・カナリーと言います。この子はウィンディで、あっちがシルメラ」

 サーヤが自分が抱いているフェアリーと旗を持っているフェアリーを順に指して言った。

「貴方は何をしているのですか?」

「これからフェアリーラントまで友達の応援に行くんです」

「フェアリーラントですって? あそこでは十日後に王国議会が開かれますわね」

「はい、その議会に友達が出るから応援に行くんですよ」

「そのご友人の名は?」

「リーリア・セインよ」

 セシリアには聞き覚えのある名だった。リーリアと会った事はないが、リーリアから送られてきた手紙の導きで、彼女は故郷の遠い北国から今ここに至っている。プラントが崩壊したことを知ったセシリアは、目的がなくなり故郷に帰ろうとしていたところだった。

「リーリア・セインは議会で何をしようとしているのですか?」

「戦うんです、妖精を守る為に。そして、妖精と人間の平和の為に」

 セシリアは強く胸を打たれた。それはリーリアが戦う理由からではなく、サーヤの真剣な言葉と姿を見て体に電流の如く何かが走ったのだ。

「……わたくしも同行させてもらいますわ。貴方が何をしようとしているのか見てみたくなりました」

「本当に友達の応援に行くだけだよ」

 サーヤは笑顔をふりまきながらそう言うが、セシリアにはそれだけだとは思えなかった。セシリアは感じていた、目の前にいる黒妖精のマスターの少女には何かがある。何かと聞かれれば分からないのだが、感覚がサーヤに付いていけと訴えるのだ。

 セシリアとその友人達3人を加え、再びサーヤの行進が始まった。


 リーリアたちの乗っている馬車は夕日を浴びて紅蓮の輝きに包まれていた。リーリアは窓から山の向こうに沈もうとしている夕日を見ながら考えていた。

 ――あの人はお母様を殺したのはプラントではないと言っていた。だとすれば、考えられる事は一つしかない。お母様を殺したのは、わたしを殺そうとした輩と同一の者に違いないわ。一体何者なのかしら? プラント以外にわたし達の敵となり得る存在……分からないわ。

 その時、リーリアの思考を隣に座っているエクレアの声が中断させた。

「リーリア、リーリアっ! おなか空いた!」

「そういう言葉はすぐに覚えるのね。街に着くまでは我慢なさい」

「おなか空いたーっ!」

 エクレアはリーリアの足の上に乗っかってきて駄々をこね始めた。我儘を言う幼い人間の子供そのままの姿である。

「困ったわね……」

「わたしに任せなさい!」 

 エクレアの隣に座っていたティアリーが待ってましたとばかりに言った。彼女は下に降りると、座席の下から何かを引っ張り出し、座席の上にそれを置いた。全体は緑色で側面に翼の印が刻まれた大きなオルゴールだった。

「それはティアリーのオルゴールね」

 後ろの席に座っていたマリアーナが言った。エクレアはティアリーのオルゴールに興味を抱き、駄々をこねるのを止めていた。セリアリスとニルヴァーナも、ティアリーが何をするのか見ている。

「このオルゴールを開けませすれば」

 ティアリーはもったいぶってオルゴールをゆっくり開けていく。それが半分歩を開いた時、エクレアは輝く七色の瞳をさらに輝かせてすり寄った。中には山ほどのお菓子が詰まっていた。

「うわぁ、お菓子!」

「妹よ、姉からの計らいである、遠慮なく食べるが良い」

 ティアリーはすごく偉そうに言った。

「いただきまーす!」

 後ろの席のニルヴァーナとセリアリスに抱かれているルーシャも指をくわえて見ていた。

「そっちの二人もどうぞ、遠慮しないで食べてね」

 妖精たちが集まりお菓子をつっつく、微笑ましい光景だ。マリアーナはそれを見ながら言った。

「オルゴールにお菓子なんて詰めて、それでは寝る時に困るじゃないの」

「こんなの長い眠りに付くときにしか使わないんだから、空けといたらもったいないでしょ、だから物入れにしてるの。今オルゴールを物入れに使うのがトレンディーなのよ!」

「何なのそれ、聞いた事もないわよ」

「どっかの大金持ちのお嬢様のフェアリーがやってたって噂よ」

「変わったフェアリーね。どんなお嬢様のフェアリーなのかしら?」

 リーリアはそう口にした時に、シャイアとコッペリアの姿が思い浮かんだ。この二人の事でずっと気になっていた事があった。

 ――シャイアの側にコッペリアがいなかった。シャイアはコッペリアの事を愛していたはずなのに、何があったのかしら? それに、代わりに連れていたあのフェアリーは一体……。

 可愛らしさと狂気を(いつ)にしたメイルリンクの姿を思い出すと、同時にメルファスの死ぬ間際の叫びと無残な姿の死体も呼び戻された。それらはリーリアの心に鋭利な牙となって食いつき、忘れようとしても忘れられない記憶となっていた。リーリアはシャイアによって植え付けられた恐怖に体を震わせ、両腕で自分自身の体を抱いた。

「リーリア?」

 エクレアがお菓子を食べるのを止めてリーリアの事を見上げていた。マスターであるリーリアの恐怖を敏感に感じ取ったのだ。

「心配してくれているのね。大丈夫よ、エクレア」

 リーリアは頭をなでてエクレアを安心させた。

 ――今は目の前の事に集中しなくては。お母様とあの方が夢見た世界を必ず実現させてみせる。

 夕の赤光の中を馬車は走っていく。フェアリーラントは目前であった。


 二日、三日とサーヤの行進は続いていた。その間もフェアリー達の方がサーヤを見つけて集まり、フェアリーを追ってきた主達が行進を目撃した。ただ見送るだけの者もいれば、行進に加わる者もいる。確実に言えるのは、サーヤの後に続くフェアリーと人間が増えていっているという事だ。

 やがて農業地帯に入ると、集まってくるフェアリーの数が急に増えた。農業には労働力として多くのフェアリーワーカーが使役されているのだ。農村は貧乏人ばかりなので、少数のワーカーを家族同然に大切に扱っている人間が多かった。彼らは行進するサーヤの前に集まると、やはり何をやっているのかと聞いた。するとサーヤは友達の応援と妖精と人間の平和の為と答える。堂々とそう言い切るサーヤの姿に、人々はどうしようもなく惹かれて行進に加わっていった。そして五日目には行進する人間は千人を越え、それと同じ数のフェアリーも付いていた。その頃になると各地に噂が広まった、妖精の人間の平和の為にフェアリーラントに向かって行進をしている少女がいると。こうしてフェアリーを愛する人々がサーヤの元へと集まっていった。七日目には5千人を超える行進となり、噂は妖精王庁やフェアリーラント王城にまで聞こえる事となった。


 サーヤの行進が始まってから七日目の夜、人々は道のわきに開けた草原でたき火を炊いていた。人数が人数なので、たき数十という焚火があり、草原一帯が昼間のように明るくなっていた。その中にあるひときわ大きな焚火の周りには50近い人間が集まり、彼らは音楽を奏で、フェアリーと一緒に踊り、その中では拍手や笑いが絶えなかった。そこにはサーヤとセシリアもいた。サーヤは人と妖精が舞うワルツに拍手を送っていた。

「サーヤさん、食事が来ましたわ」

「ありがとう、セシリアさん」

 セシリアはポタージュの入った器を、ローズマリーがサラダとローストビーフとソーセージの乗った大皿にパンの入ったバスケットを持っていた。

「食料も用意せずに行進に参加する人がいるのには困りますわね」

「勢いだけで来ちゃってる人がいるわよね」

 ローズマリーがセシリアに言った。サーヤとシルメラと一緒にポタージュとパンを小皿に分ける手を休めずに言った。

「どうしてこんなにたくさんの人が集まっちゃったんだろう? わたしは学校のみんなと一緒にリーリアの応援にいくつもりだったのに……」

「みなさんはサーヤさんの事を信じてついてきているのです、責任重大ですわね」

「うーっ、そんな言い方しないでほしいな……」

「貴方は何も気にせずに前に進んで下さい。面倒な雑務は全てわたくしが引き受けますわ」

「セシリアさんって、わたしの友達のリーリアにそっくりだよ。綺麗だし何でもできちゃうし、頼りにしてます」

「お任せあれ。さ、食事にしましょう。ローズマリー、何でそんな離れた所にいるの? こっちに来て焚火に当たって温かいポタージュをお飲み」

 焚火からだいぶ離れて薄暗い場所にいたローズマリーは、セシリアに対して恨めしそうな顔をした。

「わたしは氷の妖精なのよ、熱いのは苦手なの! 何で今更こんなこと説明しなきゃならないのよ! ただの嫌がらせでしょ!」

「冗談ですわ。こっちに冷めているポタージュがあるから取りにきなさい」

 ローズマリーは憮然としながらセシリアに近づいて皿を取ると、焚火の熱を避けてセシリアの背中に隠れながら、冷めたポタージュに冷たい息を吹きかけて更に冷やしていた。そんな二人のやり取りを見てサーヤは微笑んだ。セシリアとローズマリーという新しい友達が出来た事が嬉しくてたまらなかった。

「お肉おいし~っ!」

 ウィンディがローストビーフを食べて歓喜の声を上げる。すると周りにいた人々の注目が集まり、楽しそうな笑いが起こった。みんなウィンディの事を愛情を持つ目で見つめていた。その時サーヤは、フラウディアの人間が全てこうならいいのにと心の底から思った。

 この行進の最中でセシリアはなくてはならない存在になっていた。セシリアは身銭を使って荷馬車と食料、医療品などを手配し、それを満載した荷馬車を行列に付随させていた。そのお蔭で数千の人間が集まる行列が滞りなく前に進む事が出来た。もしリーリアが行進に加わっていたら、やはり同じような事をしただろう。だからサーヤは、リーリアが近くにいてくれるようで本当に心強かった。


 行進が始まって八日目の朝、王国騎士団の騎兵隊がフェアリーラントへ続く道を塞いだ上に、上将軍、将軍、副将軍と高官が揃い踏みしていた。

「何も上将軍閣下まで来る必要はなかったのではないですか? たかだか暴徒の制圧ですよ」

 王国騎士団の副将軍シュウが軍の先頭に立つ女に言った。上将軍と言ってもまだうら若き乙女である。背中まで流れるレモン色の癖毛に羽根飾りを付け、アイスブルーの瞳が映える整端な顔立ちはいかにも育ちが良さそうなお嬢様という印象だが、その中に勇ましさを備えている。白いライトメイルを着込み、純白のマントの中には赤色で妖精が大きく描かれいる。白馬にまたがりハルバートを持つ姿は麗しく、そして右の耳にはフェアリーとの契約を表す大粒の真珠を飾ったプラチナのピアスを付けていた。彼女は王国騎士団の頂点に立つ存在、上将軍クリームヒルトである。

「宰相殿は暴徒の制圧と言ったけれど、本当にそうなのかしら?」

「何か気になる事でも?」

「噂では、たった一人の少女が多くの人々を引き連れているというわ。その少女はシルフリアから出発したらしいの。最初は数人でフェアリーラントに向かっていたのが、たった7日で数千人に膨れ上がっているという話よ。暴動ではなく、何らかの理由で少女の元に人が集まってきているだけなのでは」

「それが本当だとしても、どうでもいい事ですよ。宰相の命令は集団を率いている者が誰であれ必ず捕える事ですからね」

「そうね、首謀者の捕縛は至上命令、その点において集団の性質は関係ないわ」

「しかし、外から集まった数千人もの人間を統率するなんて、何者なんでしょうね」

「宰相にとってはよほど邪魔な人間なのでしょうね。何せ、その者を捉える為だけに王国騎士団の大半を出撃させているわ。……いえ、邪魔というよりも宰相はその者を恐れているのかもしれないわね」

「あの宰相が恐れるなんて、どんな人間なんだか」

 それから程なくして、栗色の長い髪をなびかせながら赤い制服の女騎士が前方から馬を駆って近づいてきた。

「来たわ、すごい人数よ。何だか暴徒って感じじゃないわね。遠くからしか見ていないけど、笑い声なんかも聞こえていたわ」

「そう。ファエリア将軍、斥候などしてもらって悪かったわね」

「いいのよ、わたしの方がやりたいって言ったんだから」

 それからクリームヒルトは上空に向かって言った。

「ブリュンヒルド、降りてきて、貴方の意見を聞きたいわ」

 上空には3人のフェアリーが飛んでいた。そのうちの二人は以前にサーヤの前にも現れた、ブロンドを三つ編みにした緑眼に若草色の翼を持つオリビアと、癖のある長い赤髪に赤眼、赤翼のヴァナだ。もう一人、ブリュンヒルドと呼ばれたフェアリーは白い羽根飾りを付けた銀色の長髪で、パール色の瞳に純白の翼を羽ばたかせている。そしてその身には、主と似たような白い鎧を纏い、腰にはミニサイズの騎士剣を差し、左腕には光のルーンが刻まれたスモールシールドを装備している。エイン・ヴァルキュリア・ブリュンヒルド、妖精使いならばその名を知らぬ者はいない。黒妖精に並ぶ伝説のフェアリーであり、最強と称されるフェアリーの一体でもある。

 白い翼をはばたかせてブリュンヒルドが近くに降りてくると、クリームヒルトは言った。

「ブリュンヒルド、何か感じた事はない?」

「集団の中には強力なフェアリーが2体存在している。我らエイン・ヴァルキュリアでも油断をすれば遅れを取る」

「それ程に強力なフェアリーが……」

「それ以外にも無数のフェアリーがいる。人間一人に付き一体のフェアリーが付いているようだ。夢幻戦役以前の人とフェアリーが共存していた頃を思い出すな」

 ブリュンヒルドは近づいている無数のフェアリーの気配から、それに寄り添う人間たちの姿を思い浮かべ感極るという様子だった。クリームヒルトは目の前の白い翼の妖精が昔話をしながら感情を露わにするのを見て驚いていた。こんな姿を見たのは初めてだった。このブリュンヒルドは実に優秀なフェアリーだが、普段は職務的で必要最低限の事しか口にしない。クリームヒルトは素早く思考した。何がブリュンヒルドに昔話などを口走らせたのだろうか? これからここに現れる集団を率いる少女に何かあるのではないのか? クリームヒルトにはそう思えてならなかった。


 ファエリアの報告から半刻程が過ぎ、ついにサーヤの行進と王国騎士団がぶつかる時が来た。フェアリーラントへの道を塞ぐ王国騎士団は鉄壁の布陣で、まるでこれから一戦交えるとでもいうような様相だ。先頭の行くサーヤが騎士団の先頭にいるクリームヒルトの目の前で止まり行進は停滞した。サーヤに付いてきた人々は王国騎士団を恐れた。どうして王国騎士団がこんな所に? そんな声が人々の間で囁かれた。前にいるサーヤとセシリアだけは毅然として騎士団を見つめていた。一方、シルメラとローズマリーは上空に注意を引きつけられた。翼を持つ3体のフェアリーがサーヤ達を見おろしていた。

「エイン・ヴァルキュリアが揃っているだと。まずい、まずいぞこれは……」

 シルメラの背中に冷たい汗が流れた。そんなシルメラの様子を見てから、サーヤも空を見上げた。低空を飛ぶ天使を思わせるようなフェアリーたちがサーヤの瞳に映る。するとエイン・ヴァルキュリア達は一様に悲しげな表情を浮かべた。

「オリビアの言う通りだったね、お母様はこの世界に生を受けて我々の前に現れた。エリアノであった頃とはだいぶ様子が違っているが、その内に宿す威光は変わっていない。それに黒妖精も一緒だ」

「ヒルド、お母様と戦わなければいけないのでしょうか?」

 オリビアが心配そうに言った。ヒルドというのはブリュンヒルドの愛称で、オリビアもヴァナも同様である。オリビアの本当の名前はオルトリンデ、ヴァナはヴァルトラウテと言う。いずれも伝説の戦乙女になぞらえて付けられた名前である。

「向こうには黒妖精がいるし、あの青い奴も相当にやばそうよ。フェアリー同士の戦いになったら、後からついてきてる人間の方に被害が出るわね」

 そう言うヴァナも戦いは避けたいという気持ちが強い。エイン・ヴァルキュリアはエリアノが初めて生み出したフェアリー、白妖精フレイアと深い縁がある。彼女等はエリアノの事も良く知っていた。サーヤと戦うという状況は、彼女等にとって苦痛でしかなかった。

「今は我が主がどう行動するのか見守るしかない」

 あらゆる視線がサーヤとクリームヒルトに向けられた。

「あの少女は!?」

 クリームヒルトの後ろで声が上がる。

「シュウ、どうしたの?」

「上将軍、僕はあの少女と会った事があります。オリビアがお母様と言っていた少女です」

 それを聞いたクリームヒルトは無言で振り返り、馬を出してサーヤに近づいた。サーヤを見おろす彼女の無表情の中で目だけが鋭く光る。そしてハルバートの槍先がサーヤの胸に突きつけられた。

「貴方をこれ以上前に進ませるわけにはいきません、引き返しなさい」

「どうしてそんな事をするんですか? わたし達はただ前に向かって歩いているだけですよ」

「これ以上進んでも良い事など何もないわ。フェアリーラントまで行けば貴方は確実に命を狙われます。悪い事は言いません、引き返しなさい。貴方の為だけに言っているのではありません、後ろをごらんなさい」

 見るまでもなかった。サーヤの後ろには数千の民衆が付いてきている。クリームヒルトが言わんとしている事もサーヤには理解できた。前に進めば行進する集団そのものが危険に晒されるかもしれないという事だ。

 自分だけではなく、他人まで危険かもしれないとなるとサーヤの心は揺れた。すると、サーヤの隣にいたセシリアが、それを察して言った。

「サーヤさん気にする事はありません。わたし達は勝手に貴方についてきている来ているだけなのです。貴方は心のままに行動するべきですわ。もしこれから先に危険があるというのなら、覚悟のある者だけがついて行けばいいのです」

 セシリアにそう言われると、サーヤは心が決まって頷いた。

「わたしは前に進みます!」

「止めなさい、フェアリーラントに行くのは危険だと言っているでしょう。それともわたしの言う事が嘘だとでも思っているの?」

 サーヤはクリームヒルトに対して首を横にふって否定の意を示す。

「わたしは貴方の言う事を信じます。だからこそ前に進みたいんです。わたしの友達も議会で命がけの戦いをしようとしています。だからわたしは友達を応援したいんです。もしそれで命を狙われると言うのなら望むところだわ」

 サーヤの最後の言葉はクリームヒルトに言い知れぬ衝撃を与えた。まるで偉大な女王が目の前にいるかのように錯覚させられそうだった。

 サーヤは大きく一歩前に進んだ。まだハルバートの切先は胸に向けられたままだ。更にもう一歩、切先がサーヤの胸に触れた。サーヤは構わずにまた足を踏み出す。これ以上進めば槍が胸に突き刺さる。クリームヒルトは慌ててハルバートを引くと、横に避けて道を開けた。サーヤたちの前方に列をなしていた騎士達は、クリームヒルトの動きに合わせて動きだし、左右に避けて人々が進むべき道を開いた。サーヤ達は左右に列する騎士団の中を堂々と歩いていく。まるで騎士団が民衆を見送るかのようであった。

 想定外の状況にシュウが憤然としてクリームヒルトに近づいた。

「上将軍、何をしているのですか!? 奴らが行ってしまいます!」

「…………」

 何も言わないクリームヒルトに、シュウは苛立ちを募らせた。彼は上空に向かって叫んだ。

「仕方がない、ならば実力行使だ。オリビア、集団の行進を止めろ!」

「マスター……」

「どうした? 僕の命令が聞こえなかったのか?」

 シュウは本当に命令が聞こえなかったのかと思った。オリビアが迷っているとは考えも及ばない。フェアリーにとってマスターの命令は絶対だ、それに迷うという事自体が異常な事なのだ。サーヤはフェアリーと人間の間にある絶対の法則を歪める程の力を持っている。しかし結局は、オリビアは苦しみながらもマスターの命令を実行に移した。

「……大丈夫ですマスター、聞こえています。命令を遂行します」

 オリビアは背中の槍を取ると、若草色の翼で羽ばたいて集団の先頭に向かった。他の二人の姉妹がその姿を悲しげに見送っていた。

 オリビアはサーヤの頭上に止まって槍を地上に向け、翼を大きく開く。すると彼女の槍を軸として空気がうねり、渦を巻き始める。

 地上では空気のざわめき、サーヤ達に向かって突風が吹きつけてきた。シルメラとローズマリーが空気の変化にいち早く気付いた。

「攻撃しようとしているわ!」

 ローズマリーが叫んだ。シルメラは黒い魔法陣を呼び出し、その中から大鎌を引き出した。

「くそ、間に合ってくれ!」

 シルメラが飛び立つ前に、オルトリンデはサーヤに向かって槍を突いた。槍にまとわりついていた凝縮された空気の渦が解き放たれ、大木を引き裂き岩をも砕く威力の竜巻がサーヤ達の頭上から迫ってくる。シルメラが大鎌を構えて飛び立とうとした瞬間、その前にブリュンヒルドが割って入った。

「光よ!」

 ブリュンヒルドのスモールシールドに描かれた光のルーンが輝き、シールドを中心にして広範囲に光の障壁が瞬時に展開される。オリビアの放った竜巻はブリュンヒルドの光の盾に阻まれて四散し、周囲に強烈な風の波動を広げた。サーヤ達の集団も王国騎士団も風に晒された。四散しているにも関わらず、人が前に進むのも困難な程の暴風だった。

 風が収まると嘘のように辺りは静まり返った。ブリュンヒルドはサーヤに近づいて言った。

「もう大丈夫です、行って下さい」

「ありがとう、綺麗な妖精さん。貴方の名前を教えてくれる?」

「ブリュンヒルドです」

「ブリュンヒルド、その名前絶対に忘れないよ。いつか必ずお礼をするからね」

「気にする必要はありません。貴方を助ける事が出来て本当に嬉しかった」

 ブリュンヒルドにとっては、サーヤとこうして話をする事自体が何よりもの喜びだった。

 一方、シュウの方は何がどうなっているのか分からずに怪訝な顔をしていた。

「どうしてブリュンヒルドが邪魔をするんだ……?」

「わたしがオリビアを止めるように命令しました」

「上将軍!!? 何を考えているのですか!?」

「わたし達の目的は暴徒の制圧よ。彼らは暴徒ではないわ」

 クリームヒルトの言う事に、シュウは首謀者の捕縛はどうなるのかと反論したくなったが言葉を飲み込んだ。

「王国騎士団は彼らの後について監視します。もし彼らが暴徒と化すようなら、その時に制圧すればいいわ」

「後から付いていくですって!? それでは我々があの妙な集団の味方をしているように見られますよ!!」

 シュウが気炎を上げている所に、ファエリアが割り込んできて言った。

「なんだか面白そうじゃない。ついて行きましょうよ、クリームヒルトに」

「下手をすれば王国への反逆罪にもなりかねません!」

「そう、じゃああんたは帰りなさい」

「ちょっと、お二方!?」

 シュウが騒いでいるのを置いて、クリームヒルトは手を上げた。その合図で騎士達は彼女の後ろに素早くかつ整然と整列する。

「これよりかの集団を追跡して監視します。もし妙な動きをするようならば、その時は彼らを拘束します」

「出立!」

 ファエリアが勢いに乗って言うと、数千の騎士たちが少し間を置いてサーヤ達の後に続く形になった。シュウは渋々クリームヒルトの後に付いていくしかなかった。

 サーヤは再びフェアリーラントに向かって歩き出した。彼女の行進を止める事は、もはや何人にも叶わない事であった。

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