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闇色の翅  作者: 李音
妖精章Ⅹ 地獄の季節
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地獄の季節‐3

 コッペリアがいなくなり、シャイアの周りは異様な静けさに包まれていた。コッペリアはいつもシャイアの側にいて、食事の時間には必ず腹が減っただの何だのとうるさい事を言っていた。今、シャイアの側には誰もいない。その静けさはシャイアの心に埋めようのない間隙を与えた。感覚的にはまるで体の一部がなくなったようだった。

 シャイアが自分の部屋でベッドに座って呆然としていると、アンナが扉をノックした。

「入らないで、今は誰とも話したくないの」

 シャイアが言うと、アンナは扉越しに話しかけた。

「お嬢様、お食事はどう致しましょう?」

「……食事はいらないわ」

「そうですか、ではコッペリアの食事だけ運ばせます。いつも通りの大盛りで!」

 それを聞いた瞬間、シャイアの心が異様な痛みに襲われた。シャイアが心の痛みを認めたくない気持ちが激しい怒りを誘発する。

「それもいらない!!」

「でも、お嬢様……」

「いらないと言ったらいらないのよ!! わたしはもう休むわ、誰も部屋に近づけないで、いいわね!!」

「はい、分かりました……」

 その日の夜、レアードがシャイアの夢の中にやってきた。暗闇の中で、シャイアとその父レアードだけが立っている世界、二人とも淡い光に包まれていた。

「お父様!?」

 シャイアは至上の喜びの中で喜色を浮べると、レアードは悲しげな顔をして首を横に振った。シャイアは父のその動作が意味する事を熟知している。生前のレアードも時々そういう姿を見せる事があった。悲しい事があると、少し顔を俯けてゆっくりと首を振るのだ。どうしてレアードはシャイアの前に現れて悲しみを訴えるのか、シャイアはその理由を知っていた。

 シャイアの無上の喜びは一転し、深い悲愴の奈落へと落ちていく。

「そんな、お父様……」

 レアードは悲しい表情のまま、娘から遠ざかっていく。それに気づいたシャイアは走って父を追いかけた。

「待ってお父様!! わたしはお父様の事を心の底から愛しています! 愛しているんです! だから、だから……」

 どんどん遠ざかる父に追いつけないと悟ったシャイアは、その場に泣き崩れた。夢はそこで終わった。

 翌朝、シャイアは目を覚ますと、不安の余り枕を強く抱きしめた。夢であったことは、全てをはっきりと覚えていた。それは夢から生まれた現実だった。

「……お父様……」

 半身起き上がったシャイアは、現実でも涙を流した。夢の示す意味がシャイアを恐ろしく痛めつけていた。

「……最初から分かっていました。お父様が復讐なんて望まない事は、分かっていたんです。でも……」

 シャイアはベッドのシーツをあらん限りの力で握った。

「わたしは、お父様を殺した奴らを許す事ができなかった!!」

 シャイアの涙が純白のシーツの上に点々と落ちて染みとなって広がっていく。

「お父様、わたしの気持ち、分かって下さい。どうかわたしを見捨てないで……」

 シャイアはたまらなく寂しくなり、泣きながらコッペリアの姿を探した。そして、自らコッペリアを追い出した事を思い出してさらに打ちひしがれた。

 それからシャイアは、ベッドの上であおむけになり、呆然として抜け殻のようになっていた。やがてアンナが来て扉を叩いて声を掛けるが、シャイアは一向に答えない。何度呼びかけても返事がないので、アンナは心配になって無礼を承知で扉を開けた。

「お嬢様、どうなさったのですか!?」

 シャイアの様子がおかしいので、アンナはベットの側まで駆け寄った。シャイアは動かず視線だけでアンナを捉えて言った。

「アンナ、出かけるわ、馬車の用意を」

「出かけるって、どこへいらっしゃるのですか?」

 シャイアは起き上がってベッドの端に座ると抑揚のない声で言った。

「……はやく」

「わかりました」

 アンナは承知した後、不審そうにシャイアの周りを見ながら言った。

「あの、お嬢様、コッペリアはどこへ?」

「……あの子はもういないわ。必要なくなったから追い出したの」

 シャイアは無感情を装いながらも、どこか辛そうに見えた。それでアンナは、シャイアの様子が異常な理由を全て悟った。


 シャイアは馬車が来る前に着替えると、部屋の隅にある金庫を開けた。その中には宝石箱が一つだけ入っていた。その宝石箱を開けると、中からプラチナの指輪が出てくる。指輪の枠には2カラット大のルビーともオレンジサファイアとも取れる色の輝石が輝いていた。それはシャイアが見出した奇跡の宝石、乙女の血であった。シャイアは指輪を右手の薬指に嵌めると、早足で部屋から出て行った。

 シャイアが庭に出て、すでに用意してある馬車に乗り込んだとき、アンナが来て言った。

「お嬢様、コッペリアがいないのでは、護衛を付けなければいけませんわ」

「……必要ないわ」

「いけません! 一人で外出するなんて危険すぎます!」

「いらないと言っているでしょう」

「なら、わたしも共に行きます」

「一人でいいわ」

 それからシャイアは、アンナには構わずに御者に馬車を出すように命令した。鞭を入れる音がして、馬が走り出す。

「お嬢様、お待ちください!」

 馬車は速度を増し、アンナを置き去りにした。アンナには離れて行く馬車を心配そうに見つめる事しか出来なかった。


シャイアが向かった場所は、フェアリープラントだ。そこにはコッペリアの代わりになる存在がいる。シャイアは自分を守っていたコッペリアがいなくなった事が、不安と寂しさに繋がっているのだと考えたのだ。

 シャイアはユーディアブルグからシルフリアの先にある森を越え、その日の夕方頃にフェアリープラントへと至る。馬車をフェアリープラントから少し離れた森の中で待たせておいて、シャイアはプラントの中へと入った。輝石炉の無くなったプラント内に人は少ない。今いるのは施設内に残った妖精を管理する僅かな研究員と衛兵のみだ。シャイアはプラントの関係者という顔で堂々と施設内を歩いていった。少し前まで研究員や衛兵に命令する立場だったので、途中で何人かとすれ違ったが誰も疑いはしなかった。

 シャイアは目的の研究室に入ると、部屋の中央にある筒型の水槽を見て微笑を浮べた。その中にいるのはクラインの作であるガーディアンティンクと黒妖精の融合によって生み出されたフェアリー、メイルリンクが眠っていた。

「起きなさいメイル、迎えに来てあげたわよ」

 シャイアが声を掛けると、メイルリンクはぱっと目を覚まし、朱の瞳を輝かせ、嬉しそうに無邪気な笑顔を見せた。

「貴方なら一人でそこから出られるはずよ。さあ、いらっしゃい」

 メイルリンクが水槽の中で四枚の翅を開いていく。向こう側が透けて見える闇色の翅に多彩な輝きが宿り、その輝きはオーロラのように常に形を変える。それはコッペリアの翅と全く同じものである。

 メイルリンクの翅が淡く光り始めた途端に水槽の分厚いガラスにひびが入り、一瞬後には水槽のガラスが全て弾け飛んで中の羊水が一挙に流れ出した。水槽から滝のように流れ出す羊水は、シャイアの足元まで濡らした。外に出てきたメイルリンクは、シャイアン周りを飛んで回ってはしゃぎまくった。

「わーい、わーい! おそとだ~」

 メイルリンクの可愛らしさにシャイアは無意識のうちに微笑みを零していた。コッペリアとはまったく正反対で愛嬌がある。

「ごめんなさいね、迎えに来るのが遅くなってしまったわ」

「全然平気だったよ。シャイアが迎えに来てくれるの分かってたもん」

「そう。いい子ねメイル」

「やった、褒められた~」

 メイルリンクはその場でくるりと回って満面の笑みを浮べると、シャイアの懐に跳び込んだ。

「さあ、契約よ」

 シャイアが乙女の血の指輪がある右手を差し出すと、メイルリンクは本能で理解して小さな手をシャイアの手に重ねた。途端に指輪の輝石が強く発光して赤とオレンジの中間の光が辺りを包み込んだ。その輝石の光はすぐに消えていった。

「これでいいわ」

 シャイアと契約を結んだメイルは、体の中から溢れてくる魔力を感じて異様な笑みを浮べた。その笑い方はコッペリアにそっくりだった。

「メイルね! お外に出たら思いっきり遊びたかったの!」

「すぐに遊ばせてあげるわ。丁度いい玩具が来たみたい」

 こちらに走ってくるような足音が近づいていた。それから研究室に長銃を携えた二人の衛兵が入って来た。彼らはメイルリンクが盛大に水槽を破壊した音を聞いて慌ててやってきたのだ。

 シャイアが新たな妖精を抱いて振り向くと、衛兵たちは怪訝な面立ちになった。

「お前は確か、社長のお気に入りの女……」

「その妖精はプラントの私物だぞ、勝手に持ち出されては困りますな」

 シャイアは自信に満ち溢れた態度で一歩前に出て言った。

「見て分からないの? この子はわたしの物よ」

 衛兵たちは脅すつもりで長銃を構えた。

「妖精を置いてさっさと出て行くんだ!」

 シャイアは銃を突き付けられたのが嬉しいとでもいうように笑みを浮べた。シャイアの優美さの中には、途轍もなく恐ろしいものが潜んでいる。衛兵たちはいつの間にか妖精を抱く目の前の女に見とれていた。そんな時にシャイアの懐にいるメイルが言った。

「ねえねえ、あのおじさんたちと遊んでいい?」

「いいわよ、じっくり遊んでもらいなさい」

 メイルはシャイアの手から離れると、空中で異様な輝きを帯びる四枚の翅を開いた。自分たちよりもずっと体が小さい全裸の妖精に見つめられると、男たちは足が竦んだ。コッペリアのものよりも更に鮮烈に輝く赤い瞳には、想像を絶する狂気が宿っていた。若い方の衛兵が本能に突き動かされてメイルリンクに銃口を向けた。メイルリンクは、銃を向けている衛兵を無視し、もう一人の中年の男の方を見て笑った。その時、4枚の翅が少し伸びたかのように見えた。次の瞬間、メイルリンクの翅の一つが鞭のようにしなり、中年の衛兵の腹の中心に突き刺さって貫通する。

「え?」

 あまりに一瞬のことだったので、中年の衛兵は数秒の間刺された事に気づかなかった。メイルリンクが串刺しにした男を翅を動かして高く持ち上げて宙吊りにすると、聞く者にまで苦痛を与えそうな恐ろしい悲鳴があがった。若い方の衛兵は理解不能の衝撃的な状況に、銃を構えたまま呆然と宙吊りの仲間を見上げていた。

「あがぁ!!? ぎにぃやあぁぁぁっ!!?」

 犠牲者となった衛兵は、苦痛の余り叫び、手足を激しく動かしている。

「あははっ、バタバタしてる、おもしろ~い」

 メイルリンクは大喜びしていた。人を殺すという感覚を全く理解していないのだ。この小さな妖精は遊んでいるとしか思っていない。その内にある狂気はコッペリアを遥かに超越していた。

「えいっ!」

 メイルリンクの掛け声と共に、更に2枚目の翅が蛇のような動きで伸びて、宙吊りの男の胸に突ささり肺腑を貫く。

「ぐはっ!! あぎゃあぁーーーーーっ!!?」

 男が悲鳴と共に吐き出した血が、下で見上げていた衛兵の顔にまともにかかった。彼は恐怖に精神を押し潰された。

「うわあーーーーっ!? 化物!!?」

若い衛兵は気が狂わんばかりに叫んで逃げ出した。

 メイルリンクの恐ろしい遊びは続く。小さな少女は宙吊りの男を何度も突き刺しては喜び、男の悲鳴はすぐに小さくなって掻き消えて死に絶えた。

「あれぇ、もう動かなくなっちゃった、つまんないの」

 メイルリンクが翅をしならせて男を放り捨てると、死体は廊下の壁に激突し、壁に濃く血の跡を残して床に落ちた。こと切れた男は舌を突き出し目を一杯に見開いている。どれ程の苦痛の中で死んだのか容易に想像できる姿を晒していた。

 メイルリンクの遊びの対象は、先ほど逃げ出した若い男の方に移った。

「わぁい、鬼ごっこ鬼ごっこ! お兄ちゃん、逃げたって無駄なんだからね~」

 メイルリンクはシャイアの側から離れ、しばらくすると銃声の後に、最初にメイルリンクの犠牲となった男のものと同じような凄まじい悲鳴が研究所内に轟いた。

 さすがのシャイアもメイルリンクの狂気の前に、硬い表情のままその場に佇んでいた。すぐ先の廊下には死体が転がっているが、そんな事は気にもならなかった。ただ、あのコッペリアをも越える狂気に驚いていた。

 間もなくシャイアは自身の心の闇を表す様な歪んだ微笑を浮べた。

「わたしには、あの位いかれている子が丁度いいかもね」


 シャイアがメイルリンクを連れ帰って馬車を出発させる頃には、辺りは暗くなりかけていた。

 メイルリンクはコッペリアとお揃いの色のドレスを着せられていた。色は同じでも、見た目はコッペリアのものよりもずっと子供っぽく可愛らしいものである。

 馬車が走り出してしばらく経つと、御者が馬に鞭を入れながら言った。

「お嬢様、間もなく夜になりますので、シルフリア辺りで停泊しなければなりませんな」

「そうなさい。丁度いいわ、シルフリアにも用事があったの」

「あうぅ、シャイア、お腹空いたよう」

 シャイアに寄り添っていたメイルリンクが、足を交互に動かしながら言った。

「はいはい、分かったわよ。もう少しだから我慢なさい」

「お腹空いて死んじゃう~」

「フェアリーは食べなくても死にはしないわ」

 メイルリンクに言い聞かせた後に、シャイアは疲れたように溜息を吐いた。メイルリンクを連れてきて安心感は得られたものの、心の中にある空虚さはまだ存在していた。シャイアは自分にとってコッペリアが無くてはならない存在である事を認めるしかなかった。

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