地獄の季節‐1
閑散としたフェアリープラントの施設内を、カーラインは今にも倒れてしまいそうな心もとない足取りで歩いていた。
「シャイア!! どこに行ったシャイア!! 出てこい!! お前がやると言ったんだぞ! うまくやると言ったから任せたのに! どう言う事なんだこれは、出てきて説明しろ、責任を取れっ!!」
オフィスから生産ラインを繋ぐ長い廊下にカーラインの声が轟いた。普段は忙しなく社員や研究員が行き来していた場所だが、今は誰もいない。社員や研究員は待機している。フェアリープラントは輝石炉が破壊され全てのシステムが使用不能となり、どうにも出来ない状態であった。
カーラインは誰もいない廊下で壁にもたれて座り込み、泣き出して言った。
「悪かったよシャイア、怒鳴ったりして悪かった、だから出てきておくれ……」
カーラインは藁にもすがるように神に祈るような思いであった。
「輝石炉がなくなったらプラントはお終いだ! わたしは破滅だ! お願いだよシャイア、出てきてわたしを助けておくれ……お願いだ、お願いだ、もうわたしにはどうしたら良いのかわからない…………」
カーラインは幼い子供のように泣きじゃくっていた。そんな哀れな男に答える者は一人としていなかった。
シェルリの葬儀が終わって数日が経った。妹を亡くしてからのセリアリスは、時々呆然と外を眺める事があった。そんな時は呼びかけても意思のない人形のように答えず、ただじっと景色を見ているばかりだ。唯一、ニルヴァーナの呼びかけにだけは反応した。
セリアリスの傷心を直に感じていたマリアーナは、セリアリスが辛そうな時は院長の代理として仕事をするようになった。
この日、珍しく郵便屋が来て小包を置いていった。シルフィア・シューレに贈り物が届くなどついぞない事だ。それはセリアリスに宛てられたもので、差出人の名前がなかった。セリアリスの代わりに小包を受け取ったマリアーナは中身が気になった。見た目は綺麗に包装された両手に納まる程の小さな箱だ。持ってみると中身はあるようだが軽い。マリアーナは院長室に戻ってセリアリスに声を掛けた。
「あなたにお届け物です、差出人の名前がないのですけど、書き忘れたのかしら?」
この時、セリアリスは外を眺めていて反応がなかったが、彼女の足元で主の事を心配そうに見上げていたニルヴァーナが振り向いて小さな小包をじっと見つめた。それからニルヴァーナの表情が急に変わった。驚くように緑の瞳を見開いて口を開いた。ニルヴァーナが無口でなければ叫び声をあげた事だろう。
ニルヴァーナは飛び上がってマリアーナから小包を受け取ると、急いでセリアリスの近くまで飛んで、主の目の前に小包を突き出して言った。
「セリアリス、開けて」
「貴方がそんな大きな声を出すなんて、それは何なの?」
「……開けて……」
セリアリスは小包を貰うと、自分の机の前に座って小包の包装を取っていく、すると中から小さな宝石箱が出てきた。ゆっくり開けてみると、中では大きなサファイアの裸石が美しく輝いていた。ご丁寧に鑑定書まで付いている。それには宝石がカシミールサファイアである事と、大きさが74.8カラットである事が記載されていた。その宝石が何なのか、セリアリスにはすぐに分かった。そして同時に大きな衝撃を受けた。妹が大切にしていた妖精の欠片を見て、妹がこの世界からいなくなったのだとようやく実感を持つことができた。
「セリアリス、それは?」
マリアーナとその近くを飛ぶティアリーが宝石箱を覗きこんでいた。セリアリスは宝石箱を閉じて俯いたまま答えた。
「これは、テスラのコアです。これだけは無事だったのね。送り主はきっと……」
セリアリスはその先は言わなかった。けれど、送り主がコッペリアの主だということは、はっきりと悟っていた。
この日を境に、セリアリスは学校の地下にあるクラインの研究室にニルヴァーナと一緒にこもってしまった。研究室のドアには鍵をかけ、何日間も誰の呼びかけにも応じなかった。
セリアリスは研究室に入って一週間以上経ってから、ようやく出てきて院長室に顔を見せた。精神的にも肉体的にも疲れ果てている様子のセリアリスに、マリアーナは安堵の中に少しだけ憤慨を込めて言った。
「セリアリス、心配しましたよ。研究室で何をしていたのですか? 鍵までかけて呼んでも返事もありませんし、みんな心配していたのですよ」
「……サーヤを呼んで下さい」
「え? サーヤですか」
「サーヤだけで研究室に来るように言って下さい。サーヤ以外の人とは話したくないの」
セリアリスはそれだけ言うと、心配していたマリアーナに対して謝罪の一言もなく去ってしまった。
サーヤが妖精たちを連れて研究室に行くと、セリアリスは奥の方にある、かつてクラインが仕事に使っていた机の上で伏せっていた。
「セリアリス先生、大丈夫ですか?」
サーヤが声を掛けると、セリアリスはゆっくりと顔を上げる。サーヤは彼女の表情の中に、肉体的な疲労よりも、暗く淀んだ精神の闇を見つけた。その闇は妹のシェルリの死によるものだけではない。サーヤは何か特別な事があると直感した。
「サーヤ、待っていたわ。あなたに見てもらいたいものがあるの、こっちに来て」
セリアリスの姿は研究室の奥にある書斎に消えた。サーヤも後から書斎に入る。サーヤにとっては思い出深い場所であった。ここでクラインからウィンディと契約する為の宝石を貰い、殆ど無理矢理にマイスタークラスに転入させられた。その時、サーヤは当惑したが、今ではクラインに深く感謝していた。そのクラインは未だに行方不明のままだ。
奥の書斎の机の上にはオルゴールが置いてあり、ニルヴァーナがそれを背にしてうとうとしていた。セリアリスが入ってくると、ニルヴァーナはぱっと目をさまし、飛び上がって主の懐に入った。セリアリスはニルヴァーナを抱くと言った。
「サーヤ、あのオルゴールの中を見て欲しいの」
机の上のオルゴールは一抱えもある大きさだ。言うまでもないが音楽を奏でるオルゴールではなく、フェアリーを眠らせる為の箱である。まずそれに近づいたのはシルメラとウィンディだった。二人は飛んできてオルゴールのすぐそばに降りた。ウィンディは興味ありげにオルゴールを触りまくっていたが、シルメラの方は信じられないというような面持ちで固まっていた。
「このオルゴールは……まさか……」
燃え上がる焔のような文様が入った鮮やかな青色の箱、シルメラにとっては見慣れた代物であった。
サーヤは青いオルゴールに近づいて蓋に手を添えると、ゆっくり箱を開けていった。すると、肩まで垂れた銀髪に透き通ったコーンフラワーブルーの翅を持つ全裸の妖精が姿を現した。
「やっぱり、そうなのか」
シルメラは中で眠っている妖精を見て言った。シルメラがどういう気持ちでそんな言葉を口にしたのか、サーヤには手に取るように分かった。箱の中の妖精は美しかったが、感銘を受けるよりも悲しくなった。ウィンディは何だかよく分からない顔で、箱の中の妖精とサーヤを何度も交互に見ていた。
「セリアリス先生、これは……」
「少し前にテスラのコアが送られてきたの。慰めになればと思って、テスラのコアから妖精を創ったわ。けれど動かない。そこにいるのは器だけの妖精よ」
サーヤには黙っていることしかできなかった。セリアリスが妹を亡くした悲しみを少しでも癒そうとやった事が、逆に傷口を広げるような結果となってしまったのだ。
「……バカよねわたし、本当にバカだわ。分かっていたはずなのに、テスラはあの子と一緒にいてくれてるって分かっていたのに……」
セリアリスの両の瞳から涙が零れた。シェルリを亡くしてから初めて流した涙だった。
「セリアリス先生……」
サーヤも涙を流した。セリアリスはようやく妹の死を受け入れて泣くことが出来た。その姿がたまらなく悲しかった。
「サーヤ、ごめんなさい。わたしは大丈夫よ。テスラとシェルリが一緒だってはっきり分かったから、むしろ安心しているの。だから、もう泣かないで」
セリアリスの瞳から涙は消えていた、それどころか本当に嬉しそうに微笑すら浮べていた。だからサーヤは頷きながら涙を拭いた。
「サーヤにお願いがあるの。この器だけの妖精を貴方に託すわ。わたしはそれが一番正しいと思うから、どうか何も言わずにこの子を受け入れて欲しいの」
サーヤは少し驚いたようで、黙って箱の中で眠る妖精を見つめた。器だけの妖精を見るサーヤの目は、まるで娘を見守る母親のように優しげであった。
「セリアリス先生、わかりました。この子、とっても大切にしますね」
「ありがとう、サーヤ。それとこれを、シェルリの形見よ。いつか役に立つはずだから」
セリアリスは自分の首にかけたあったペンダントを外して、サーヤの首にかけた。鎖の地金と枠はゴールドで、ペンダントには2カラットを越えるハートシェイプのカシミールサファイアが嵌っていた。それはシェルリとテスラを繋いでいた契約の宝石であった。
「セリアリス先生、シェルリの形見なんて、こんな大切な物もらえません」
「あなたが持っていなければ意味がないの。その妖精が目覚めたら必要になるわ」
サーヤはペンダントの宝石を手に取って握ると、握った手を額に押し当てて、今は亡き親友のシェルリへの思いを馳せた。
それからサーヤは、新しい妖精を託された事が心底嬉しくなり、思わず笑顔になりながら妖精の入ったオルゴールを抱えて出て行くのだった。
それからというもの、サーヤは器だけの妖精を毎日のように可愛がった。例え喋らない人形であったとしても、シルメラやウィンディと同じように扱った。セリアリスから貰ったテスラのお下がりのドレスを着せてあげて、毎日髪を漉いてあげたし、お風呂にも一緒に入った。いつか目覚めるに違いないと信じて、暇があれば喋りかけたりもしていた。そんなサーヤの姿を、ウィンディはいつも面白くなさそうに見ていた。サーヤはもちろんウィンディも可愛がっているのだが、ウィンディは妖精が一人増えた事で遊んでもらえる時間が減っている事が不満らしかった。
ある時、サーヤが青い妖精をベッドに置いて話しかけていた時、用事があって離れた隙に、ウィンディが羽ペンを持って飛んできた。サーヤが戻ると青い妖精の顔が大変な事になっていた。
「ええ!? なによこれ!?」
青い妖精の額と両方の頬に花の絵が落書きしてあった。サーヤは可笑しくて噴き出してしまいそうになったが、それを我慢して落書きした犯人を呼んだ。
「ウィンディ出てきなさい! あなたがやったのは分かってるんだからね!」
「あうぅ……」
ウィンディは物陰から顔だけ出してサーヤを見ていた。
「どうしてこういう事するの?」
「むぅ」
ウィンディがぷっと頬を膨らませると、サーヤは余りの可愛らしさに顔が綻んでしまったが、すぐに気を取り直して怒っている体を作った。
「何でウィンディが怒るの? 怒ってるのはわたしだよ」
そこにシルメラが来て青い妖精の有様を目撃した。彼女は遠慮なしに笑ってから言った。
「何だよこれ酷い落書きだなぁ。ウィンディがやったのか?」
「そうだよ、だから怒ってるの。ウィンディ、こっちに来てこの子に謝りなさい!」
「やだ!」
「何で嫌なの!? いい加減にしないと本当に怒るよ!」
ウィンディはサーヤに怒られて泣きそうになっていた。それを見かねたシルメラは言った。
「サーヤ、ウィンディを叱らないでやってくれ。ウィンディは怖がってるんだよ」
「それはわたしが怒ってるからでしょ?」
「そうじゃないよ、サーヤに捨てられるんじゃないかって思ってるんだよ」
「ウィンディを捨てるなんて!? そんなことあるわけないよ!」
「サーヤがその妖精をあんまり大切にするからさ、ウィンディはサーヤが自分から離れて行くんじゃないかと本気で心配しているのさ」
シルメラに言われて、サーヤは新しい妖精に随分気を取られていたことに気づいた。そうすると、ウィンディを叱る気はすっかり失せて、逆に可哀そうに思えてきた。
「そうだったんだね。ごめんねウィンディ、あなたの気持ちをちゃんと分かってなかった。もう怒ってないからおいで」
「あう!」
ウィンディは飛び出すとサーヤの胸の勢いよく飛び込んできた。
「きゃっ!?」
ウィンディがあんまり凄い勢いだったので、サーヤは後ろに倒れそうになって尻もちを付いた。それからサーヤはウィンディをやんわりと抱いて頭をなでてやった。
「よしよし。大丈夫だよ、わたしの命よりも大切な家族なんだからね、絶対に捨てたりなんてしないよ」
「あう、サーヤ、ごめんなさい」
サーヤはウィンディを抱きながら立ち上がり、ベッドの妖精に近づいた。
「この子もウィンディと同じ家族だから、悪戯なんかしないで仲良くしてあげてね」
「は~い」
ウィンディが手を上げて言うと、その姿があまりにも可愛らしかったので、サーヤは頬ずりしていた。不幸な事ばかりだけれど、今のこの瞬間はサーヤはとても幸せだった。