崩壊‐13
その夜、シルフリアの外に広がる草原にテスラとシェルリは佇んでいた。そこにはサーヤが弔ったフェアリーたちの墓が何十と並んでいた。墓は小さな山となっている土があるだけだが、全てに一輪の野の花が手向けられていた。その花々はほとんどが枯れかけていた。晩秋を告げる冷たい風が緩やかに渡り、虫たちの歌に草原の奏でる音が加わった。シェルリの見上げる夜空には星々が瞬いていた。
「テスラ、わたしの話を良く聞いてね」
シェルリが言うと、近くを飛んでいたテスラは必要以上に何度も頷いた。
「プラントを壊したいの。だから、わたしにあなたの力を貸して」
「え?」
壊す、という言葉がテスラを震わせた。シェルリはテスラのことを真剣に見つめていた。するとテスラは何だか怖くなってシェルリから少し離れた。
「これ以上プラントを野放しにはできないわ。もうあんなひどい事は二度とやらせない。全部壊して、戦う為のフェアリーを生産できないようにするのよ」
「ふうぅ、無理だよぅ、テスラそんな事できない……」
今にも泣きそうな顔をしているテスラにシェルリは両手を伸ばし、そして小さな体を抱き寄せてテスラの頭をなでた。
「大丈夫よ、あなたなら出来るわ。テスラは弱い子じゃない、本当は戦う勇気を持っている。わたしはちゃんと分かっているよ」
「ふうぅ、シェルリ……」
テスラは不安の拭えない顔で主を見ていた。
「テスラ一人で戦うわけじゃないよ、わたしも一緒に戦うの。わたしがいっぱい魔力を送るわ、そうすればテスラは誰にも負けない。お願いテスラ、戦って。お友達や姉さんを守る為に必要な事なの」
シェルリの思いを受け、テスラの心はたちまち強くなった。
「うん、テスラ、シェルリの為に頑張るよ!」
「ありがとう、テスラ」
シェルリはテスラを手放した後、何かが入った布袋を出して、それをテスラの腰に括り付けた。
「いいテスラ、この中にはリリーシャお婆様の形見の宝石が入っているわ」
シェルリは袋の中から宝石を出して見せた。それはシェルリの掌に納まるくらいの大きさの、ブリリアントカットのダイヤモンドであった。闇の中でも僅かな月の輝きを吸って、強烈な存在を示していた。
「このダイヤモンドは普通の宝石とは違うわ。とても強いエネルギーを放出しているの。プラントにある輝石炉にも、これと同じダイヤが入っているわ。このダイヤを輝石炉のダイヤに思い切りぶつけて。そうすれば互いのエネルギーが暴走して輝石炉を壊す事ができる。貴方の邪魔をしてくるフェアリーがいるかもしれないけれど、無理に戦わないで。輝石炉を壊したらすぐに戻って来るの、いいわね?」
「うん、わかった!」
シェルリはダイヤを袋の中に戻してから言った。
「忘れないでテスラ、貴方は一人じゃない、わたしが付いてる。必ずわたしがテスラを守ってあげるからね」
テスラは飛び上がり、未練ありげにシェルリを見てから手を振った。
「いってきま~す!」
シェルリが手を振り返すと、テスラの青く透き通る翅に群青の炎が宿り、四枚の翅が開いた瞬間に高速で飛び出して、テスラはシェルリの視界から瞬間的に消え去った。四本の青い炎の線が闇の中で輝いて、飛行機雲のようにしばらく消えずに残り、テスラの飛行の痕跡を示し続けていた。
競技場から帰っていたシャイアは、プラントのオフィスで仕事をしていた。カーラインの部下たちに次々に指示を出し、エインフェリアを外国に輸出する準備を着々と整えていた。
コッペリアは、シャイアが仕事をしている間は邪魔にならないように大人しくしているが、そういう時はすごくつまらなそうだった。やる事と言えば、シャイアの姿が見える範囲で散策する事くらいだ。この時、コッペリアは万年筆を拝借して適当な紙に絵を描いていた。
「エストランド王国との商談はどうなっているの?」
「はい、向こうはすぐにエインフェリアが欲しいと言っております」
「そう、これで大方は準備が整ったわね。後はエインフェリアをどんどん作って売るだけよ」
シャイアはカーラインが数か月かけて行う仕事を、わずか二週間で片付けてしまっていた。
カーラインの部下がシャイアの前からいなくなると、待ちかねたようにコッペリアは言った。
「お前のおかげで、お母様から与えられた使命が果たせそうだよ」
「世界中にばら撒かれたエインフェリアは、あなたに従い世界を滅ぼすのね」
「すべての人間を殺すわけじゃないよ、フェアリーに適合しない人間だけを殺すのさ」
「それは世界が破滅するのと同然よ」
「人間がいなくなったらフェアリーの存在意義もなくなるんだよ。破滅じゃない、新しい世界の創造さ」
「わたしにとっては、どっちだって変わらないわ」
「お前は生き残るよ」
それを聞いたシャイアは、微笑を交えつつ肩をすくめた。
「わたしは破滅した世界を目の当たりにできるわけね、それは楽しみ」
シャイアは人間がほとんど死滅した世界で生きている自分を想像して心の底から楽しくなった。愛する父を失った今の世界には未練などなかった。
「お腹が空いたよシャイア」
世界の破滅を論じている時に、いきなりコッペリアが言い出すのでシャイアは思わず笑ってしまった。
「もうそんな時間なの?」
壁にかけてある時計は夜の七時を差していた。
「なにか運ばせるわ、何が食べたいの?」
「肉とか魚とか、あとはケーキとか、とにかく山盛りおくれ」
「分かったわよ」
コッペリアの食事の要求はいつもこんな感じだった。
その時に、シャイアは何となくコッペリアの描いた絵を見た。
「それはフェアリー?」
「ああ、そうさ」
何かの書類の裏紙に黒い線だけで少女らしいシルエットが描かれていて、その背には四枚の翅がある。
「なかなかよく描けているわね」
「ありがとよ」
コッペリアは妹のテスラの事を思って、この絵を描いていた。どうしてテスラの事を不意に思い出したのか、その辺りの所は自分でも良く分からなかった。
やがて食事が運ばれてきて、コッペリアの前にフルコースのご馳走が置かれた。コッペリアはそれを黙々と食べ始める。シャイアも一緒に食べたが、もたらされた料理の八割方はコッペリアのものだった。
料理が半分ほどなくなったところで、コッペリアは急に食べるのをやめてフォークを置いた。シャイアはコッペリアが食事を中断するところなど初めて見たので、何か異常な事が起こっているのだと直感的に分かった。
「フェアリーが近づいてくるよ」
「はぐれたエインフェリアが戻ってきたんじゃないの?」
「そんな生易しいもんじゃないよ、この感じは黒妖精……テスラだ」
「黒妖精が向かってきているですって? あなたをお茶にでも誘いに来たのかしらね」
「そうならいいんだけどねぇ」
コッペリアは飛び上がると窓辺に立って窓を開け放った。冷たい夜風が吹き込んできて、コッペリアの赤紫のドレスと青銀の髪が揺れた。
「どうも穏やかではなさそうだよ、テスラはまっすぐ輝石炉に向かっている」
「何ですって!? もし輝石炉を狙っているのなら、何としても止めるのよ!」
「わかっているさ。輝石炉はわたしの使命を果たすのに必要なものだ、それを狙う奴は容赦しない」
コッペリアは夜空に揺らめくオーロラを思わせる六枚の翅を開くと、それから光の粉を散らしながら高速でプラントの中央にある輝石炉のある施設に向かって飛翔した。
――急にテスラを思い出したのは啓示だったというわけかい。
コッペリアは輝石炉に向かう途上でそう考えた。テスラは黒妖精なのに考えられない程臆病な性格だ。それなのにコッペリアの中から戦いの予感がわだかまって消えなかった。
テスラは空中に青い炎の飛跡を残しながら急速でプラントの輝石炉に向かっていた。このまま一気に輝石炉に至って破壊したいところだったが、プラントのエインフェリア生産ラインに入ったとたんに、テスラは言いようのない恐怖と凄まじい殺気を感じて空中に止まった。テスラの翅に宿る群青の炎が施設内に光をもたらし、壁に埋め込まれた無数の卵形の水槽の中にいるエインフェリアの姿が照らし出された。
「よう、久しぶりだねぇ」
「ひっ!!?」
正面に現れたコッペリアに声をかけられ、テスラは恐怖のあまり縮み上がった。
「臆病者のお前がこんな所に一人で来るとはねぇ」
ピジョンブラッドの赤い瞳に射抜かれて、テスラは怖くて震えて動けなくなった。
「輝石炉を壊しに来たんだろう。お前じゃ無理だ、大人しく帰りな」
テスラは下を向いて、軽く握った両手を合わせ、両方の指をせわしなく動かしていた。その姿にはコッペリアに対する恐怖から少しでも目をそらそうという意識が表れていた。
「聞こえなかったのかい、帰れと言っているんだ」
テスラが本当に帰ろうかと思ったとき、自分を信頼してくれているシェルリの姿が脳裏に現れた。自分を守ってくれると言ったシェルリの声を思い出すと、勇気と力が湧いた。
「わたしは帰らない! 輝石炉を壊すんだ! シェルリがそれを望んでいるんだもん!」
「痛い目にあいたいのかい?」
「コッペ姉さまなんかに負けないもん!!」
激情と共に、テスラの前に青く輝く魔方陣が現れ、そこから青い炎が噴出し横なぎの渦となってコッペリアに襲い掛かった。
「馬鹿が!!」
コッペリアは吐き捨ててから六枚の翅を伸長させて前面でそれらを交差させて防御壁を築く。人間など一瞬で消し去る魔炎はコッペリアの翅に阻まれて四散した。すぐさまコッペリアは攻撃に転じる。六枚の翅が伸びて刃物のような切っ先がテスラに殺到した。テスラは翅から青い火花を散らしながら次々に襲ってくる鋭い翅の切っ先を巧みに避けるが、突然背中に殺気を感じて振り向くと、目の前にコッペリアがいた。
「あっ!?」
テスラが戦慄する声を上げるのと同時に、彼女の腹部にコッペリアの足がめり込んだ。
「ぶはぁ!!」
高速で墜落したテスラは床に叩きつけられ、その衝撃で一度跳ね上がり、続いて壁に叩きつけられてから再び床に落ちた。
「うぐぅ……」
テスラは全身を蝕む痛みに耐えながら、両手をついてゆっくり起き上がる。
「これで分かったかい? お前じゃわたしには勝てないんだよ、大人しく帰りな。これ以上やるっていうなら、手加減はできないよ」
テスラは空中で見下ろすコッペリアを見上げた。テスラのほんの少し白を混ぜたような穏やかな青い色の瞳に敵意が宿り、鋭い光を放った。
コッペリアは頭上に強大な魔力を感じてはっと見上げる。天井に青い炎が噴出す魔方陣が展開されていて、激しい光を放った。
「まずい!!」
魔方陣から青い火球がコッペリアの上に降り注いだ。気づくのが遅すぎて回避は間に合わなかった。コッペリアは舌打ちしながら右手を前に出し、前面に赤く輝く光の障壁を出現させた。その障壁に次々と火球がぶつかって砕け、コッペリアから外れた火球は床に落ちて爆炎をあげた。熱風がコッペリアの背後から襲ってきて、小さな体を揺さぶった。
テスラは自分の魔法にコッペリアが手を焼いている隙に、輝石炉に向かって飛んだ。
「行かせるか!!」
青い火球の雨をやり過ごしたコッペリアは、全速力でテスラを追跡した。
その頃、シルメラはサーヤが休んでいる部屋で窓辺に立って夜空を見上げていた。
「何だこの感じは、姉妹が戦っているのか?」
距離が遠すぎて姉妹の誰が戦っているのかはシルメラには分からなかったが、コッペリアと誰かが戦っている事は容易に想像できた。
「ニルヴァーナが戦っているのか?」
シルメラにはテスラが戦っているなどと少しも考える余地はなかった。
シルメラが寝ているサーヤを起こそうか迷っていると、サーヤはぱっと目覚めて起き上がり、シルメラと同じように窓の外を見た。
「なに? すごく強い力を感じる……」
フェアリーと同じように、サーヤにもフェアリーの存在を感知する力がある。シルメラほど強くはないが、強力な二つの力の間に不穏な空気を感じていた。
「黒妖精同士で戦ってるんだ」
シルメラからそれを聞いたサーヤは、言い様のない不安に駆られた。
「セリアリス先生とシェルリを探そう!」
サーヤは寝巻きのままシルメラと一緒に部屋を飛び出した。一刻も早くセリアリスとシェルリの姿を確認したかった。
テスラはもう少しで輝石炉に辿り着こうというところまで来ていたが、すぐ後ろにコッペリアが迫っていた。テスラはシェルリに言われた通りに、戦いを避けて輝石炉に向かってまっしぐらに進んだ。輝石炉を破壊して少しでも早くシェルリの所に帰りたかった。
前面に輝石炉の輝きが見えた。アーチを形作る白い光の刻印が、輝石炉への入り口を示していた。もう少しでシェルリの所に帰れる、テスラの中に蝋燭の火のように小さな喜びが灯り始めた。その時、テスラは背中から腹に突き抜ける激痛に襲われた。
「かふっ……」
テスラが血を吐きながら自分の腹を見ると、コッペリアの翅が背中から腹に突き抜け、傷口から鮮血が広がりつつあった。テスラの背後にいたコッペリアは、内なる残虐さを前面に押し出した笑みを浮かべ、もう一つ翅を伸ばして、それでテスラを叩き落した。墜落したテスラの小さな体は石床を砕いてめり込み、血を撒き散らした。コッペリアは勝利を確信してにやけていたが、テスラが起き上がろうともがき始めると真顔になった。
テスラは地面に両手をついて、何とか上半身だけ起き上がると血を吐いた。前面の床が赤く染まり、腹部からの出血で青いドレスは血濡れとなり、受けたダメージが大きすぎて思うように体が動かなかった。
コッペリアはテスラがどうするのかじっと見ていた。するとテスラは顔を上げて、激しい感情をむき出しにしてコッペリアを睨み付ける。コッペリアはテスラの戦意は失われていると思い込んでいたので、ぎくりとした。
テスラの翅が開き、それに群青の炎を宿す。
「うああぁーーーっ!!!」
テスラは爆音を轟かせて飛び出し、豪速でコッペリアに突撃してきた。
「なに!?」
テスラの予想外の捨て身の攻撃に、コッペリアは完全に不意をつかれ、まともにテスラの体当たりを喰らって弾けとび、天井に背中を打ちつけてから落下するが、床に落ちる前に翅を開いて体勢を立て直した。テスラはコッペリアの上空に移動して、両手を頭上に上げる。テスラの右手と左手の間の空間に青い炎が生まれて渦巻き凝縮して、恒星のような輝きを放った。
「コッペ姉さまなんて、消えちゃえーっ!!!」
テスラはコッペリアに向かって極小の恒星を投げつけた。コッペリアは赤く輝く剣をその手に生み出し、それで青く輝く球体を受け止める。青い球体と赤い剣の間で激しく火花が散る。
「だあーっ!!」
コッペリアは力任せに青い球体を押しのけた。軌道が変わった球体はコッペリアから少し離れた床に落ちて筒状に青い炎を吹き上げ天井まで至り、さらに炎は天井を溶解して外へと噴出した。球体が落ちた石床の方も超高熱で液化し、地底を流れるマグマのように赤く沸騰していた。
テスラはさらに極小の恒星を作り出し、コッペリアにぶつけようとしていた。コッペリアはテスラの魔法が放たれる前に飛び上がり、テスラの正面に立って両手を広げた。
「撃てるのかい? 私の後ろには妖精がいるんだよ」
テスラは硬直した。コッペリアの背後には卵形の水槽で眠る無数のエインフェリアがいた。マスターの明確な命令がない限り、フェアリーが無抵抗の同族を殺すことはできない。
躊躇しているテスラに、コッペリアは弦月の笑みを浮かべて見せた。無慈悲な姉の表情を見てテスラは戦慄した。コッペリアの翅の一枚が伸びて剣先のような切っ先が迫る。テスラは動くことができなかった。翅の切っ先はテスラの右目に突き刺さった。異様な無音の中で、テスラは中空に右目から溢れた血の露を残しながら、ゆっくりと落下した。そして床に落ちたその瞬間に、鼓膜を引き裂くような悲痛な叫び声が施設内に響き渡る。テスラは右目を両手で押さえながら翅をばたつかせのたうち回った。
「痛い、いたいよぅ!!? 痛いよシェルリ!!! 助けてシェルリ!!!」
コッペリアは哀れなテスラのすぐ側に降りてくると言った。
「テスラ、お前の負けだよ。その傷なら死にはしない、大人しく帰ってフェアリークリエイターに治療してもらいな」
「ふうぅ、痛いぃ……」
翅をばたつかせていたテスラは、コッペリアの見ている前でやがて動かなくなった。
草原でテスラに魔力を供給していたシェルリは、テスラの苦しみを直に感じて体を震わせていた。
「ああ、テスラ、分かるよ。貴方は今とても苦しんでいる。でも貴方は負けない! わたしの命をあげるから、戦って、テスラ!!」
シェルリは懐からハートシェイプのカシミールサファイアのペンダントを出して、それを両手で強く握った。ペンダントは強烈な青い光を帯びて、両手の隙間から光が漏れだす。それからシェルリの足元に魔方陣が現れ、六角星から焔のように魔力の光が噴出した。シェルリは心臓に刺されたような鋭い痛みを感じてその場に座り込む。胸を抑えて苦しみながらも、自分の命を削ってテスラに魔力を送り続けた。
完全に沈黙して動かなくなったテスラを、コッペリアはじっと見下ろしていた。彼女はテスラが気を失ったのかと思っていた。もう勝負はついたはずなのに、どうしても勝ったという気になれなかった。そんなコッペリアの予感を象徴するように、大きな魔力の胎動が起こった。コッペリアが見ている前で、テスラはその身に青い炎を纏っていく。
「ライフブレイクエフェクトだと!? テスラのマスターは死ぬ気かい!?」
コッペリアはすばやくテスラから離れて、輝石炉の入り口を背にして空中に止まった。その時にテスラの翅が開き、それに再び群青の炎が燃え上がる。テスラは起き上がり、コッペリアのことを見上げた。つぶれた右目から血が溢れて頬を伝って流れ、赤い涙となった雫が床に点々と落ちていく。
「力が溢れてくる、シェルリがわたしを守ってくれてる!」
テスラは腰の袋からシェルリからもらったダイヤモンドを取り出して右手に握った。そして、テスラの体全体が群青の炎につつまれいく。コッペリアは六枚の翅の切っ先を目の前で円形に向かい合わせる。すると円の中心に真紅の光が現れて、それは見る間に大きくなっていった。
テスラは群青の炎の塊と化し、輝石炉に向かって飛び出した。
「みててシェルリ! 絶対に約束守るから!」
コッペリアは向かってくるテスラに、自分の体よりも遥かに大きくなった赤い光から波動を撃った。テスラはそれを避ようとはしなかった。コッペリアは驚愕のあまり目を見開いた。炎を纏ったテスラは真紅の魔砲を突き崩しながら進んできたのだ。そしてついに、コッペリアはテスラの突撃を喰らった。コッペリアはテスラと激突する寸前に横に避けたが、テスラが横切るときに発生した衝撃波だけで吹き飛んで壁に激突していた。
テスラは輝石炉の光を放つ天辺の部分に突っ込んで、右手のダイヤを前に突き出した。輝石炉のエリアノダイヤモンドとリリーシャのダイヤモンドがぶつかって、強大なエネルギーが暴走して白い強烈な光が爆裂した。その光の爆発で生産ラインの隅々まで光が行き渡り、水槽の中で眠る百体以上いるエインフェリアたちを照らした。コッペリアは激しい光を放つ輝石炉を地上で見上げていた。すると、コッペリアの足元に何かが落ちてきて転がった。拾い上げると、それは赤い包み紙に入った飴玉だった。コッペリアは飴玉を持って輝石炉から離れ、外へ逃げ出した。
まばゆい光の中に溶け込んだテスラは声を聞いた。
「頑張ったね、テスラはわたしの自慢のフェアリーだよ」
光の中にシェルリがいた。テスラがここに来る前に別れたときと変わらない姿であった。
「シェルリ!!」
テスラはシェルリの胸に飛び込んでいった。
「疲れたでしょう、ゆっくり休んでいいからね」
テスラはシェルリに抱かれて幸せいっぱいの気持ちになり、安心するととても眠たくなった。
「テスラ、ずっとずっと一緒にいようね」
「うん、ずっと一緒、シェルリ……」
二人は白い輝きの中に飲み込まれて消えていった。
コッペリアはプラントの中央から舞い上がる輝きを見つめていた。白い光は巨大な柱となって上に流れ、上空の雲に突き刺さっていた。プラントのすべての施設から周りの森のかなり広い範囲が、昼間のように明るく照らされている。
コッペリアは手をゆっくり開いて、その中の飴玉をもう片方の手で取り上げて光に晒してよく見た。それはずっと前にコッペリアがテスラにあげた飴玉だった。
「こんなものを後生大事に持っていたのかい……」
コッペリアは再び光の柱を見つめて言った。
「テスラ、お前の勝ちだ、見事だったよ。臆病なんて言って悪かったね」
コッペリアは赤い包み紙から飴玉を取り出すと、それを口の中の放り込んだ。
「これで思い出はすべて消える」
コッペリアの頬に涙が伝い雫が零れ落ちた。
サーヤはセリアリスとリーリアと手分けして、シェルリのことを探していた。セリアリスは寮の一室を改装した院長室で仕事をしていたが、シェルリの姿がどこにもなかった。学校にいないことが分かると、夜の街を駆けずり回ってシェルリの事を探した。そうしていると、一緒にいたシルメラが突然止まって言った。
「一人消えた……」
「消えたって、どういうこと?」
サーヤは恐る恐るシルメラに聞いた。
「戦っていた黒妖精の一方が消えたんだ……」
受け入れ難い現実がサーヤの前にちらついていた。
「何だ、あの光は!?」
サーヤは振り向いて、シルメラが凝視している方向を見上げた。ずっと遠くに白く輝く柱のようなものが見えていた。それを見つめる程に、サーヤの中の嫌な予感が強くなっていく。
「早くシェルリを見つけましょう、シルメラ来て!」
それからサーヤは、街の外にある妖精の墓場に向かった。
墓場にはセリアリスが先に来ていた。彼女は草の上に座り込んで妹の体を抱いていた。ニルヴァーナは主の近くを飛びながら、悲しみで赤い瞳を濡らしている。そこにサーヤが走ってくる。
「よかった、ここにいたんだねシェルリ」
サーヤがセリアリスの後ろから覗き込むと、シェルリは両目を閉じて穏やかな表情を浮かべていた。サーヤはシェルリが疲れて寝ているのかと思った。
「シェルリ、こんなところで寝たら風邪引いちゃうよ」
サーヤが言うと、セリアリスがゆっくりと首を横に振った。その仕草が何を表しているのか、サーヤは理解することを拒んだ。
「セリアリス先生……?」
「この子のした事は正しいこととは言えないわ。でも、みんなを守るために必死だったの。だから褒めてあげて」
サーヤはセリアリスの前に回りこんで、シェルリの近くに崩れるように座り込んだ。間近で見るとシェルリの顔に生気がなく息もしていなかった。
「……うそ……うそだよこんなの……」
あまりに突然すぎる親友の死は現実味がなく、サーヤは涙を流すことが出来なかった。そこへリーリアも来て姉に抱かれているシェルリを見ると、彼女はすぐにシェルリの死を悟って悲愴な顔をした。
「そんな、シェルリ……」
芯の強いリーリアがその場に崩れ、草原の草をぎゅっと掴んで声を上げて泣いた。セリアリスとサーヤは、シェルリの亡骸を前にただ呆然としていた。遠くで上がっていた光の柱は今なおその存在を示し続けていた。
翌早朝、シャイアはコッペリアと一緒に輝石炉のあった場所に来ていた。そこには残骸しかなく、天井は吹き飛んで薄暗い空が丸見えになっていた。外では世界を霜が白く染め上げ、寒さで吐く息は雲のように漂っては消えた。
「貴方が負けるなんてね。使命が果たせなくなって残念だったわね」
シャイアが天井の穴から空を見上げて言うと、コッペリアは少し悲しそうな顔で返した。
「これも一つの答えなのさ。お母様は新たな世界の創造は望んでいないということだよ」
「ふぅん、これはこれで良かったということ?」
「わたしにとっては良くはないが、答えは出た」
「ま、どうなろうと貴方がわたしのフェアリーである事は変わらないわ」
そう言いながらシャイアは輝石炉の残骸の中に、粉々に砕けたダイヤモンドの破片が輝いているのを見つけた。そして粉々のダイヤモンドの中に、ひときわ美しく輝く大きな輝石があった。シャイアはそれを拾い上げた。
「これは、カシミールサファイア」
「そいつはテスラのものだ、コアは無事だったんだねぇ」
「貴方の妹のコアなのね」
コッペリアは頷いた。シャイアはそれを持ってプラントから出ると、馬車を出して自分の領地であるユーディアブルグに向かった。
この日、シルフィア・シューレは絶望の底に沈んだ。二人の院長だけに止まらず、今度は学校の生徒にも死者が出てしまった。シェルリは殺された訳ではないが、プラントの暴挙によってその命を落とした。プラントの悪意による犠牲者である事は変わらない。
シェルリの遺体が入った棺は校庭の中央に置いてあった。花を一杯にした棺の中にシェルリは横たわっている。その周りに集まった多くの生徒が泣いていたが、その中でただ呆然と立っているだけの生徒達が目立っていた。悲しい事がありすぎて、涙を流す事に疲れてしまった。その姿は悲愴の深さを泣いている生徒以上に雄弁に語っていた。セリアリスもシェルリが死んでから涙を一滴も流していなかった。学校の院長として生徒たちに心配させまいと振る舞っているようにも見えるが、一番近くにいるマリアーナはそうでない事を知っていて心が痛かった。
一番に声を上げて泣いていたのはサーヤだった。自分の命が危ない時でも揺るがない強固な心を持ったサーヤが泣く姿は、生徒たちの絶望をより一層深いものにした。
「お別れの時間よ」
リーリアが燃え上がる松明を棺に近づけた。棺の下には油を染み込ませた薪が積んであった。
「こんなの嫌っ!!!」
悲しみのもたらす沈黙を裂いて、サーヤがシェルリの棺に覆いかぶさった。
「サーヤ……」
リーリアは棺から離れて、サーヤが泣き叫ぶ姿を見つめていた。そうしているとセリアリスがリーリアの肩を叩いた。
「このままで」
それから生徒たちが一人また一人と去った。やがて校庭にはシェルリとサーヤと二体のフェアリーだけが残った。
「あうぅ、サーヤ、サーヤ、元気出して」
ウィンディはサーヤの周りを飛び回りながら、何とかサーヤに元気になってもらおうと色々な言葉をかけていた。シルメラは何も言わず棺の縁を背にし、ひざを抱え込んで座っていた。サーヤは棺の上で泣き続けていた。やがてウィンディは諦めて、シルメラの隣に降りてきて、シルメラと同じ姿で座り込んだ。
それから昼が過ぎ、夕方が近づいた。その間もずっとサーヤはシェルリの棺の上にいた。日が落ち始めて陽光の色が濃くなり始める頃になると、サーヤは瞳を涙で濡らしていたが、声を上げる事は止めていた。今は棺を愛おしそうに撫でながら、ただ静かにシェルリに語りかけていた。
「どうして貴方が死ななければいけなかったの? 何があったの? 教えてよシェルリ……」
サーヤの瞳から涙が零れて棺桶を濡らした。
「サーヤ」
リーリアの声だった。サーヤは棺の上から動かずに黙っていた。
「シェルリが亡くなった理由が分かったわ」
サーヤは気持ちよりも先に体が動いた。薪を踏み鳴らして立ち上がり、濡れた瞳の中にシェルリを殺した者への憤怒を込めてリーリアを見つめていた。リーリアは碧眼がサーヤを見つめ返す、彼女の方は至って冷静だった。
「貴方はフェアリーの為ならどんな事でもやってしまうから、あまり話したくはないのだけれど、言わないわけにはいかないわ」
「教えて!! シェルリはどうして死ななきゃいけなかったの!?」
「シェルリは競技場で恐ろしいものを見てしまった。そして、その夜にフェアリープラントで大きな爆発が起こった。昨日の光はサーヤも見たでしょう、あれがそうよ。フェアリープラントは心臓部を失って、機能を完全に停止したわ」
「……シェルリが……テスラとシェルリがやったんだね…………」
「ライフブレイクエフェクトを起こしたんだ」
シルメラがそう言ってから棺桶の縁から立ち上がり、サーヤの足元まで歩いてきた。
「テスラはコッペリアと戦っていた。コッペリアの方が力はずっと強い、テスラの敵う相手じゃない。でも、一つだけテスラが勝てる方法がある……」
シルメラはそこで言葉を切り、そしてサーヤから目を逸らして重い吐息の後に言った。
「シェルリは自分の命を削ってテスラに力を与えたんだ」
姉妹であるコッペリアとテスラが戦って、その末にシェルリが死んだという事実は余りにも残酷だった。どうしてそんな事になってしまったのか、サーヤは真実を求めた。
「リーリア、競技場っていうところで何があったの」
「……戦争よ」
「戦争!?」
「そう、残酷な人間たちが仕組んだフェアリー同士の戦争よ。数十体のフェアリーを同士討ちさせて、それを賭け事の道具にした。詳しい状況も分かったけれど、あまりにも残酷すぎてどう言葉で表せばいいのか分からないわ。シェルリはそれを現実に見てしまった」
「……ああ……あああ…………」
サーヤは再び涙を流し、シェルリが眠る棺を抱いた。
「そんなの見たら、わたしもシェルリと同じことをした。シェルリは、わたしの身代わりになって死んだんだ……」
「サーヤ、そんな事は……」
リーリアは言い切る事ができなかった。そんな言葉など慰めにすらならない。リーリア自身も、シェルリがサーヤのことを一番に考えていた事を分かっていた。これからサーヤがどうなってしまうのか、リーリアは心配でならなかった。
その時、サーヤは声を上げて泣くのを止めて立ち上がった。リーリアはサーヤの華奢な背中に、何人も脅かす事が出来ない強固な意志を感じ取った。
サーヤは涙を拭いて言った。
「泣いてなんていられない! シェルリが命を守ってくれたんだ、自分のやるべき事を見つけて前に進まなきゃ! シェルリの為にも前に進むんだ!!」
急に顕現したサーヤの強さの前に、リーリアは驚いた。まさかこんなに早くサーヤが立ち直るとは思っていなかったのだ。しかし、リーリアはすぐに自分が間違った認識をしていた事に気づいた。サーヤはシェルリの死を悲しんではいたが、シェルリの死に負けてはいなかった。今までのサーヤは、シェルリが死んだ理由が分からずに困惑していただけだったのだ。それが分かった今、サーヤは強い心を取り戻して前に進みだす。その道を邪魔する事など誰にもできはしない。
リーリアは微笑を浮べて言った。
「サーヤの言う通りね。わたしも自分のやるべき事を見つめて前に進むわ」
「そうだよ、それが正しい道だよ。シェルリの為にも頑張らなくちゃ!」
「やはり、サーヤはサーヤね」
「え、なに? どういうこと?」
「気にしないでちょうだい。それよりも葬儀の続きを始めましょう、シェルリをこのままにはしておけないのだわ」
「うん、ごめんねシェルリ、わたし我儘のせいでテスラの所に行くのが遅れちゃったね」
サーヤがそんな事を言っても、リーリアは悲しくはなかった。
その夜、校庭に炎が燃え上がった。棺桶を焼く火が闇を払い、周りに集まった学校の人々を照らしている。晩秋の風吹く寒さの中で、その一点だけが温かだった。
サーヤは燃え上がる炎から少し離れて夜空を見上げた。リーリアがそんなサーヤを気にして近づいた。
「どうしたの、サーヤ?」
「星がとっても綺麗だと思って」
サーヤは燃え上がる炎の中に、もうシェルリはいないと感じた。だからサーヤは高く右手を上げて、夜空の星々を差して言った。
「シェルリとテスラは、あの世界で幸せに暮らしているよ」
「ええ、間違いないわ」
リーリアも夜空を見上げ、親友の新たな旅立ちへの祝福を込めて言った。
崩壊……END